利子内親王
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(式乾門院から転送)
利子内親王 | |
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第87代天皇准母 | |
皇后 | 天福元年6月20日(1233年7月28日) |
式乾門院 | |
院号宣下 | 延応元年11月13日(1239年12月9日) |
誕生 | 建久8年(1197年) |
崩御 |
建長3年1月2日(1251年1月25日) |
父親 | 守貞親王(後高倉院) |
母親 | 持明院陳子 |
役職 | 伊勢斎宮 |
内親王宣下 | 嘉禄2年11月26日(1226年12月16日) |
利子内親王(としこないしんのう、建久8年(1197年)- 建長3年1月2日(1251年1月25日))は、鎌倉時代の皇族。伊勢斎宮、四条天皇の准母・皇后宮、女院。院号は式乾門院(しきけんもんいん)。法名は真性智。父は守貞親王(後高倉院)、母は持明院基家女・陳子(北白河院)。同母弟に後堀河天皇、同母妹に邦子内親王(安嘉門院)がいる。
生涯
[編集]嘉禄2年(1226年)11月26日、30歳で内親王宣下を受け、同母弟後堀河天皇の斎宮に卜定。安貞元年(1227年)4月29日、左近衛府へ初斎院入り。同年9月24日、野宮へ移る。安貞2年(1228年)9月19日、伊勢へ群行。寛喜元年(1229年)4月、准三后。貞永元年(1232年)10月4日、後堀河天皇譲位により退下。天福元年(1233年)2月5日、帰京。同年6月20日、甥の四条天皇の准母として皇后宮に冊立される。延応元年(1239年)11月13日、病により出家し、同日女院となる。建長3年(1251年)1月2日、55歳で崩御。
関連項目
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