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天豊津媛命

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
天豊津媛命
第4代天皇后
皇后 懿徳天皇2年2月11日
皇太后 孝昭天皇元年4月5日

父親 息石耳命
配偶者 懿徳天皇
子女 孝昭天皇
武石彦奇友背
異説 師木県主(磯城県主)の祖・賦登麻和訶比売命またの名を飯日比売命
磯城県主葉江の男弟猪手の娘・泉媛
磯城県主太真稚彦の娘・飯日媛
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天豊津媛命(あまとよつひめのみこと)は、欠史八代懿徳天皇皇后孝昭天皇武石彦奇友背の生母。

概要

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日本書紀』に登場する女性で、『日本書紀』本文では懿徳天皇の皇后で、息石耳命[1]の娘とされている。

なお『古事記』での懿徳天皇の皇后は、師木県主の祖である賦登麻和訶比売命(飯日比売命)、『日本書紀』第1の一書では磯城県主葉江の男弟猪手の娘である泉媛、第2の一書では磯城県主太真稚彦の娘である飯日媛とされる。

宝賀寿男は、孝昭天皇の母である懿徳天皇の皇后は賦登麻和訶比売命で、泉媛は懿徳天皇の妃の一人であったと主張している[2]

天皇略系図(初代 - 第10代) SVGで表示(対応ブラウザのみ)

脚注

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  1. ^ 安寧天皇の第一皇子。『日本書紀』一書では常津彦某兄(とこつひこいろね)とあり、この方が娘の名前に近い。
  2. ^ 宝賀寿男「三輪氏一族の系図(試案)」『古代氏族の研究⑦ 三輪氏 大物主神の祭祀者』青垣出版、2015年。

参考文献

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関連項目

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