婉子内親王
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婉子内親王 | |
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時代 | 平安時代前期 - 中期 |
生誕 | 延喜4年(904年) |
薨去 | 安和2年9月11日(969年10月24日) |
位階 | 三品 |
父母 | 父:醍醐天皇、母:藤原鮮子 |
兄弟 | 勧子内親王、宣子内親王、恭子内親王、克明親王、保明親王、慶子内親王、代明親王、勤子内親王、婉子内親王、都子内親王、重明親王、常明親王、修子内親王、敏子内親王、式明親王、雅子内親王、有明親王、普子内親王、時明親王、長明親王、源高明、兼明親王、源兼子、靖子内親王、源厳子、源自明、韶子内親王、源允明、康子内親王、英子内親王、斉子内親王、朱雀天皇、章明親王、村上天皇、源為明、盛明親王 |
斎院 | 承平元年12月25日(932年2月9日) - 康保4年5月25日(967年7月5日)頃 |
婉子内親王(えんしないしんのう)は、醍醐天皇第7皇女。賀茂斎院。母は更衣・藤原鮮子(藤原連永の娘)。朱雀天皇、村上天皇らの異母姉で、同母姉兄に恭子内親王(賀茂斎院)、代明親王。三品。
延喜8年(908年)内親王宣下を受ける。承平元年12月25日(932年2月9日)、28歳で斎院に卜定(伊勢斎宮雅子内親王も同日卜定)。35年在位ののち康保4年(967年)5月、村上天皇が崩御したことにより退下した。婉子内親王が斎院となったのは父母ともに没した後であり、その在位は選子内親王に次いで2番目に長い。その後出家し安和2年(969年)9月11日に66歳で薨去した。