有明親王
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有明親王 | |
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時代 | 平安時代前期 - 中期 |
生誕 | 延喜10年(910年) |
薨去 | 応和元年閏3月27日(961年5月14日) |
官位 | 三品、兵部卿 |
父母 | 父:醍醐天皇、母:源和子 |
兄弟 | 勧子内親王、宣子内親王、恭子内親王、克明親王、保明親王、慶子内親王、代明親王、勤子内親王、婉子内親王、都子内親王、重明親王、常明親王、修子内親王、敏子内親王、式明親王、雅子内親王、有明親王、普子内親王、時明親王、長明親王、源高明、兼明親王、源兼子、靖子内親王、源厳子、源自明、韶子内親王、源允明、康子内親王、英子内親王、斉子内親王、朱雀天皇、章明親王、村上天皇、源為明、盛明親王 |
妻 | 藤原暁子(藤原仲平女) |
子 | 源忠清、源正清、源泰清、源守清、明救、能子女王、馨子女王、藤原公季室 |
有明親王(ありあきらしんのう)は、平安時代前期から中期にかけての皇族。醍醐天皇の第七皇子。官位は三品・兵部卿。
経歴
[編集]醍醐朝の延喜11年(911年)式明親王・敏子内親王・雅子内親王・普子内親王とともに親王宣下。延喜21年(921年)重明親王・常明親王・式明親王とともに清涼殿で元服した。加冠は右近衛大将・藤原定方で、理髪は右近衛中将・藤原公頼であった[1]。
朱雀朝から村上朝初期にかけて10年以上に亘って常陸太守を務め、のち大宰帥・兵部卿を歴任した。この間の天徳3年(959年)8月1日に帯剣を聴されている。
応和元年(961年)閏3月27日薨去。享年52。最終官位は兵部卿三品。
官歴
[編集]- 延喜11年(911年) 11月28日:親王宣下[2]
- 延喜21年(921年) 11月24日:元服[2]
- 承平4年(934年) 3月24日:見常陸太守[3]
- 天慶7年(944年) 5月5日:見四品[4]
- 天慶9年(946年) 10月28日:見常陸太守[5]
- 天暦4年(950年)5月24日:見大宰帥[4]
- 天徳3年(959年)4月8日:見兵部卿?[6]。8月1日:聴帯剣[2]
- 応和元年(961年)閏3月27日:薨去(兵部卿三品)[2]
系譜
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 宮崎康充編『国司補任 第三』続群書類従完成会、1990年