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源正清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

源 正清(みなもと の まさきよ、承平元年(931年[1] - 没年不詳)は、平安時代中期の貴族醍醐天皇の孫で、大宰帥有明親王の次男。官位正四位下摂津守

経歴

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円融朝天禄4年(973年左近衛中将に任ぜられる。天延2年(974年)円融天皇の中宮藤原媓子中宮権亮を兼ねると、貞元2年(977年)には蔵人頭に任ぜられるが、永観2年(984年)円融天皇の譲位に伴って蔵人頭を辞任する。

寛和2年(986年一条天皇即位に伴って、居貞親王(のち三条天皇)が春宮に立てられると春宮亮を兼ねる。永祚2年(990年)17年に亘って務めた左近衛中将を解かれ、摂津守に転じた。

官歴

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系譜

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尊卑分脈』による。

脚注

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  1. ^ 『一代要紀』154
  2. ^ a b c d 『近衛府補任』
  3. ^ a b 『蔵人補任』
  4. ^ 『小右記』

参考文献

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