安倍内親王
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安倍内親王 (山於女王) | |
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時代 | 奈良時代 |
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
改名 | 山於(女王)→ 安倍(内親王) |
父母 | 父:淳仁天皇 |
夫 | 礒部王 |
子 | 石見王 |
斎宮 | 天平宝字2年(758年)8月 - 天平宝字8年10月9日(764年11月6日)? |
安倍内親王(あべないしんのう)は、淳仁天皇の娘。母は不詳。淳仁天皇治世での伊勢斎宮[1]。
生涯
[編集]父の即位前は山於女王(やまのうえじょおう)と呼ばれていたが、内親王宣下により名を改めることとなった。淳仁天皇の即位間もない天平宝字2年8月19日に、池田王(淳仁天皇の兄)らが伊勢神宮へ派遣されて斎王の事を報告しており、この頃伊勢斎宮に卜定されたと思われる[2]。
天平宝字5年8月29日(761年10月2日)に大祓が行われ[3]、翌9月に伊勢へ群行したが、天平宝字8年10月9日(764年11月6日)の父の廃位により退下した。その後、礒部王(長屋王の孫で高階氏の祖)の妻となって石見王(いわみおう)を産んだとされる[4]。