媖子内親王
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媖子内親王 | |
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続柄 | 後深草天皇第五皇女 |
全名 | 媖子(えいし) |
称号 | 陽徳門院 |
身位 | 内親王、准三宮 |
出生 |
正応元年(1288年) |
死去 |
観応3年/正平7年8月11日(1352年9月19日)(享年65) |
父親 | 後深草天皇 |
母親 | 西園寺相子 |
媖子内親王(えいしないしんのう、正応元年(1288年) - 観応3年/正平7年8月11日(1352年9月19日))は、鎌倉・南北朝時代の皇族・女院。後深草天皇の第五皇女で、母は西園寺公相の娘・相子(土御門准后)。女院号は陽徳門院(ようとくもんいん)。なお、生年を弘安10年(1287年)、名を姨子とする説もある[1]。
永仁2年(1294年)1月23日に内親王宣下と准三宮宣下を受ける[1][2]。正安4年(1292年)3月15日に院号宣下を受ける[2]。嘉元4年(1306年)9月5日に19歳で出家して、法名を円覚智とした[1][2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 芳賀登 他編『日本女性人名辞典』(日本図書センター、1993年) ISBN 978-4-8205-7128-5 P1084.
- 志村有弘 編『天皇皇族歴史伝説大事典』(勉誠出版、2008年) ISBN 978-4-585-06063-5 (標宮子「後深草天皇」) P577.