正仁親王妃華子
正仁親王妃 華子 | |
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常陸宮家 | |
新年一般参賀(2012年) | |
続柄 | 津軽義孝第4女子[1] |
全名 | 華子(はなこ) |
身位 | 親王妃 |
敬称 | 殿下 |
お印 | 石南花 |
出生 |
1940年7月19日(84歳) 日本・東京府東京市淀橋区 (現:東京都新宿区下落合)津軽伯爵邸 |
配偶者 | 常陸宮正仁親王 |
父親 | 津軽義孝 |
母親 | 津軽久子 |
栄典 |
勲一等宝冠章 |
役職 |
日本いけばな芸術協会名誉総裁 日本動物福祉協会名誉総裁 日本馬術連盟名誉総裁 日本・ラテンアメリカ婦人協会名誉総裁 日本赤十字社名誉副総裁 |
称号:親王妃 | |
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敬称 |
常陸宮妃華子殿下 Her Imperial Highness Princess Hitachi |
皇室 |
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正仁親王妃 華子(まさひとしんのうひ はなこ、1940年〈昭和15年〉7月19日 - )は、日本の皇族。元華族。身位は親王妃。敬称は殿下[2]。お印は石南花(しゃくなげ)。勲等は勲一等宝冠章。旧名は津軽 華子(つがるはなこ)。皇室会議議員。
第126代・今上天皇(徳仁)の叔父である常陸宮正仁親王の妃。
伯爵・津軽義孝の第4女子であり、戦後に皇室に嫁いだ妃の中で唯一の旧華族家出身者である。宮邸は、東京都渋谷区東にある常盤松御用邸。
略歴
[編集]1940年(昭和15年)7月19日、東京府東京市淀橋区(現:東京都新宿区下落合)の津軽伯爵邸にて華族・津軽義孝伯爵令嬢として誕生。母の久子は毛利元雄子爵令嬢。姉に泰子、実枝子、明子がいる。
戦時中のため休園していた女子学習院幼稚園には入園せず、1947年(昭和22年)に新制の学習院初等科に入学。1953年(昭和28年)、学習院女子中等科に入学し、1956年(昭和31年)、同高等科に入学。1961年(昭和36年)3月、学習院女子短期大学(当時)文科英語専攻を卒業。
1961年(昭和35年)から妃の選考が本格化。皇后良子(当時)の「気心の知れた近間の人」という強い希望から、本人・実家に加え血縁上の問題が無いとなると、大変な難航を極めた。津軽華子も婿を取るであろうと言う予測から、候補から外れていた。1963年(昭和38年)、香淳皇后や常磐会(学習院女子中・高等科の同窓会)の強い希望から旧華族の華子が強く推薦され、正仁親王の学習院研究室にて初顔合わせ。1964年(昭和39年)2月20日、伯父の徳川義寛侍従(元男爵)市谷邸で見合いをする。この一度の見合いを経て、同年2月28日に皇室会議で満場一致で婚約内定。2月22日に津軽家が縁談を受諾し同年4月14日に納采の儀を経て婚約が成立した。同9月30日に結婚の儀を行い、沿道には約5万人が集まり祝福した。同日に常陸宮家が創設され渋谷区常磐松町(現:東)に常盤松御用地内の常陸宮邸へ転居。
1989年(平成元年)2月24日に、内閣の主催で行われた昭和天皇の大喪の礼では、欠席した皇太后(香淳皇后)の名代を務め、席次は天皇、皇后に続き皇太子より上位の第3位だった。2007年(平成19年)9月16日から現在まで皇室会議の議員を務めている[3]。
日本赤十字社名誉副総裁のほか、日本いけばな芸術協会、日本動物福祉協会、日本馬術連盟、日本・ラテンアメリカ婦人協会の名誉総裁職に就いている。
2016年8月7日、同年7月16日に両側変形性股関節症の手術のため東京都世田谷区の日産厚生会玉川病院に入院していた華子が同日午後、退院したと発表した。人工関節に入れ替える手術を無事に終え、院内でリハビリを続けていた。また同年の9月9日、名誉総裁をつとめる日本いけばな芸術協会主催の「日本いけばな芸術北海道展」(北海道札幌市)の開会式に退院後の初公務として出席した。
年譜
[編集]- 1940年(昭和15年)7月19日、東京府東京市淀橋区(現:東京都新宿区下落合)にて、津軽義孝伯爵・久子夫妻の四女(華族)として誕生。
- 1947年(昭和22年)、学習院初等科入学。日本国憲法施行に伴い華族制度廃止。
- 1953年(昭和28年)、学習院女子中等科入学。
- 1956年(昭和31年)、学習院女子高等科入学。
- 1961年(昭和36年)、学習院女子短期大学卒業。
- 1964年(昭和39年)9月30日、皇室会議を経て婚約し常陸宮正仁親王と成婚。
- 1989年(平成元年)2月24日、昭和天皇大喪の礼で皇太后名代。
- 2003年(平成15年)9月3日、皇室会議予備議員。
- 2007年(平成19年)9月5日、皇室会議議員。
生家・津軽伯爵家
[編集]実父は尾張徳川家の出身で、弘前藩藩主津軽家の養子となった伯爵・津軽義孝。母は、長州毛利家の支藩長府藩主家出身の子爵・毛利元雄の長女・久子。華子はその四女(末子)として生まれた。有栖川御流の伝承者の一人である。
高松宮妃喜久子のはとこ姪にあたる。また、義姉・池田厚子の夫・池田隆政ははとこにあたる。 ダイエー創始者の中内㓛は遠戚(華子妃の姪・山田るみが中内㓛次男・正の妻)。
系譜
[編集]華子 | 父: 津軽義孝 |
祖父: 徳川義恕 |
曾祖父: 徳川慶勝 |
曾祖母: 鈴木加津 | |||
祖母: 津軽寛子 |
曾祖父: 津軽承昭 | ||
曾祖母: 某 | |||
母: 毛利久子 |
祖父: 毛利元雄 |
曾祖父: 毛利元敏 | |
曾祖母: 某 | |||
祖母: 徳川政子 |
曾祖父: 徳川昭武 | ||
曾祖母: 斎藤八重 |
- 父:義孝(伯爵・弘前藩主家第14代当主)
- 母:久子(毛利元雄子爵令嬢、津軽伯爵夫人[4])
- 長姉:泰子(東京銀行常務・西田幾多郎長男、西田幾久彦夫人)
- 次姉:美枝子(凸版印刷常務・東洋インキ製造取締役、山田英夫夫人)
- 三姉:明子(富士銀行行員・高野実夫人)
- 曾祖父:徳川慶勝(尾張国尾張藩・第14代藩主)
- 曾祖父:津軽承昭(陸奥国弘前藩・第12代藩主)
- 曾祖父:毛利元敏(周防国長府藩・第14代藩主)
- 曾祖父:徳川昭武(常陸国水戸藩・第11代藩主)
- 曾祖母:保子(大臣家・正親町三条家(嵯峨家)第28代当主、正親町三条実愛次女)
- 祖父:徳川義恕(男爵・侍従、陸軍歩兵少尉)
- 祖母:寛子(津軽承昭伯爵令嬢、徳川男爵夫人)
- 祖父:毛利元雄(子爵)
- 祖母:政子(徳川昭武公爵令嬢、毛利子爵夫人)
- 大伯母:理喜子(皇后宮女官、津軽承昭伯爵令嬢、津軽行雅男爵夫人)
- 叔母:祥子(旧皇族・北白川宮永久王妃、皇后宮女官長、皇太后宮女官長)
栄典・称号
[編集]勲章
[編集]日本
[編集]外国
[編集]名誉役職
[編集]- 皇室会議議員(4期、2007年(平成19年)9月16日 - )
- 日本いけばな芸術協会名誉総裁(1999年(平成11年)10月 - )[9]
- 日本動物福祉協会名誉総裁(1976年(昭和51年) - )[10]
- 日本馬術連盟名誉総裁
- 日本・ラテンアメリカ婦人協会名誉総裁
- 日本赤十字社名誉副総裁
- 皇室会議予備議員(1期、2003年(平成15年)9月16日 - 2007年(平成19年)9月15日)
翻訳活動
[編集]2匹の犬を飼っている愛犬家であり、動物が主役の童話について翻訳も手がけている。華子妃が翻訳した絵本5冊の印税は、社団法人日本動物福祉協会に寄付されている。いずれも国土社で刊行。
- 『しょうぼう犬ドット』リーザ・デジミニ作(2005年)
- 『ハニーが盲導犬になるまで』キャロライン・アーノルド作(2000年)
- 『せかいでいちばんおりこうないぬ』アニタ・ジェラーム作(1997年)
- 『ぼくじゃないよ ジェイクだよ』アニタ・ジェラーム作(1996年)
- 『89番めのネコ』エレノア・ニルソン作(1993年)
画像
[編集]-
常陸宮(菊花紋)
脚注
[編集]- ^ 宮内庁 常陸宮家
- ^ 皇室典範第二十三条第二項「前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする。」
- ^ 皇室会議議員名簿 宮内庁 平成28年10月24日現在
- ^ “津軽久子さん死去/常陸宮妃華子さまの母”. 四国新聞社. 2022年12月6日閲覧。
- ^ 『官報』第11341号21頁 1964年(昭和39年)10月1日
- ^ “New Year Greeting” (PNG). Katemiddletonreview.com. 2017年3月11日閲覧。
- ^ Omsa.org
- ^ “秋篠宮さまと眞子さま、パラグアイ国家功労勲章授与”. 在日パラグアイ共和国大使館 (2021年10月5日). 2022年4月3日閲覧。
- ^ “沿革 | 公益財団法人日本いけばな芸術協会”. 日本いけばな芸術協会. 2022年4月3日閲覧。
- ^ “協会について|公益社団法人日本動物福祉協会”. 公益社団法人日本動物福祉協会. 2022年4月3日閲覧。