コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

川淵洽馬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
川渕洽馬から転送)
川淵洽馬
かわぶち こうま
福山市役所『福山市行幸光栄録』より
生年月日 1883年8月15日
出生地 日本の旗 日本 高知県高岡郡窪川町
(現・四万十町
没年月日 (1946-10-01) 1946年10月1日(63歳没)
出身校 東京帝国大学法科大学法律学科(独法)卒業
前職 警察講習所教授兼内務省参事官
所属政党 立憲民政党
称号 勲六等瑞宝章

選挙区 高知県第2区
当選回数 1回
在任期間 1932年2月20日 - 1936年1月21日

在任期間 1936年1月28日 - 1941年7月11日

在任期間 1931年5月8日 - 1931年12月18日

在任期間 1929年7月5日 - 1931年5月8日

在任期間 1925年9月16日 - 1927年7月19日
テンプレートを表示

川淵 洽馬(かわぶち こうま、1883年明治16年〉8月15日[1] - 1946年昭和21年〉10月1日[2])は、日本内務官僚政治家。官選県知事高知市長衆議院議員財団法人板垣伯銅像記念碑建設同志会第7代会長。旧姓は宮崎。姓は川渕とも表記される。

来歴

[編集]

高知県高岡郡窪川町(現・四万十町)生まれ[3]。宮崎文次の二男として生まれ、川淵龍起の養子となる。第一高等学校を経て、1910年(明治43年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1912年(明治45年)、内務省に入り警視庁警部に任官。

以後、警視庁警視月島警察署長、台湾総督府警視、山形県警察部長、広島県警察部長、京都府警察部長、警視庁書記官・警務部長[4]警察講習所教授兼内務省参事官などを歴任。

1925年大正14年)9月16日、福島県知事に就任[5]1927年(昭和2年)5月17日に休職となる[5][6]。同年7月19日に願い出により免官となった[5]1929年(昭和4年)7月5日、広島県知事になった[7]1931年(昭和6年)5月8日に、福岡県知事に転任した[8]。同年12月18日に依願免本官となり退官した[9]1932年(昭和7年)2月、第18回衆議院議員総選挙で高知県第2区に立憲民政党から出馬し当選し、衆議院議員を1期務めた。1936年(昭和11年)1月28日、高知市長となり、1941年(昭和16年)7月11日まで在任した[1]

栄典

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み 第3巻 203コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ 議会制度百年史 衆議院議員名鑑 129コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ 衆議院議員略歴 第1回乃至第18回総選挙 159コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ 『官報』第3704号、大正13年12月25日。
  5. ^ a b c 歴代知事名簿”. 2024年11月2日閲覧。
  6. ^ 『官報』第113号、昭和2年5月18日。
  7. ^ 広島県 歴代知事”. 2024年11月2日閲覧。
  8. ^ 官報 1931年05月09日 4コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  9. ^ 『官報』第1493号、昭和6年12月19日。
  10. ^ 『官報』第1038号「叙任及辞令」1916年1月20日。

参考文献

[編集]
  • 沢翠峰、尾崎吸江共著『良い国良い人(東京に於ける土佐人)』青山書院、1917年(大正6年)
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
公職
先代
村上清
高知市長
第15・16代:1936 – 1941
次代
大野勇