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村上清 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

村上 清(むらかみ きよし、1875年明治8年)2月2日[1] - 1935年(昭和10年)12月31日[2])は、日本の検事高知市長財団法人板垣伯銅像記念碑建設同志会第6代会長。

経歴

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高知県香美郡山北村(現在の香南市)出身[1]通信書記、海軍属を経て、1899年(明治32年)に明治法律学校(現在の明治大学)を卒業した[1]。翌年、判事検事登用試験に合格し、高知、福知山、京都、堺、大阪、五條、青森の各裁判所で検事を務めた[3]1908年(明治41年)、韓国の検事に転じた[3]。その後、朝鮮総督府裁判所検事を務め、1920年大正9年)には朝鮮総督府地方法院検事正に任ぜられ、勅任官待遇となった[3]1924年(大正13年)、退官して弁護士を開業した[3]。また高知県会議員、同参事会員などに選ばれた[3]

1933年(昭和8年)、高知市長に選出された。2年後の1935年(昭和10年)、病に倒れ、現職のまま死去した[1]

脚注

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  1. ^ a b c d 日本の歴代市長 p.399 1985.
  2. ^ 『昭和物故人名録』 日外アソシエーツ、1983年。
  3. ^ a b c d e 人事興信録 1934.

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第10版(下)』人事興信所、1934年。 
  • 『日本の歴代市長 第3巻』歴代知事編纂会、1985年。