コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

宝達志水町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ほうだつしみずちょう ウィキデータを編集
宝達志水町
町名の由来である宝達山と町内に広がる水田
宝達志水町旗 宝達志水章
宝達志水町旗 宝達志水町章
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 石川県
羽咋郡
市町村コード 17386-0
法人番号 6000020173860 ウィキデータを編集
面積 111.51km2
総人口 11,157[編集]
推計人口、2024年11月1日)
人口密度 100人/km2
隣接自治体 かほく市羽咋市河北郡津幡町
富山県氷見市高岡市
町の木 ブナ
町の花
町の鳥 ウグイス
宝達志水町役場
町長 寶達典久
所在地 929-1492
石川県羽咋郡宝達志水町子浦そ18番地1
北緯36度51分46秒 東経136度47分52秒 / 北緯36.86267度 東経136.79764度 / 36.86267; 136.79764座標: 北緯36度51分46秒 東経136度47分52秒 / 北緯36.86267度 東経136.79764度 / 36.86267; 136.79764
宝達志水町役場
外部リンク 公式ウェブサイト

宝達志水町位置図

― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

宝達志水町(ほうだつしみずちょう)は、石川県の中部にある能登半島の付け根にあり、羽咋郡に属する。町内には能登地方の最高峰である宝達山標高637メートル)を有する。

能登国最南部に近く、能登地方では最も加賀地方寄りの「口能登」(くちのと)に位置する[1]県庁所在地である金沢市への通勤率は15.3%(平成17年国勢調査)。

石川県の町は、平成の大合併より以前までは総て「まち」と読んでいたが、新設された当町と能登町は「ちょう」と読む。

地理

[編集]

自然地理

[編集]

隣接する自治体

[編集]

町域は日本海側から富山県との県境まで広がっている。

歴史

[編集]
十村屋敷の岡部家

石川県内で最初の旧石器が発掘された。縄文時代弥生時代の遺跡も町内各地で発掘されている。

天正12年(1584年)には前田利家佐々成政の間で末森城を巡る攻防戦が行なわれた(末森城の戦い)。

江戸時代には、加賀藩の農政の末端を担う十村役として喜多家岡部家が置かれた。

宝達山には金山があり1903年(明治36年)の『加賀藩貨幣録』によると、1584年(天正12年)に開山し、坑道12箇所の崩落により閉山した1628年(寛永5年)まで採掘された[2]。宝達山での金の採掘が衰えたため、鉱夫は加能越三国(加賀国、能登国、越中国)の堤防や用水路の工事に従事するようになり、宝達(宝達者)と呼ばれ、辰巳用水(金沢市)の掘削や宝達川の堤防工事などにも加わったといわれるが資料が少なく詳しいことはわかっていない[2]

押水町の紺屋町地区には、押水町の名前の由来となった「押しの泉」と呼ばれる湧水がある。昔、弘法大師がこの地を通った時に水を求めたところ、老婆が一杯の水を恵んでくれた。その礼として大師が杖で岩を押したところに清水が湧き出たという弘法水伝説が残されている。

2013年(平成25年)、国際連合食糧農業機関(FAO)が推進する世界重要農業遺産システムに認定されていた「能登の里山里海」に追加認定された。

2024年1月1日に発生した能登半島地震震度5強を観測[3]。断水などの甚大な被害が出た。

沿革

[編集]
町の名称を決める際に「宝達町(宝達山から命名)」を推す押水町と「志水町(志雄の「志」と押水の「水」)」を推す志雄町が互いに最後まで譲らなかった[4]ため、二つをつなげて町名とした。

人口

[編集]
宝達志水町と全国の年齢別人口分布(2005年) 宝達志水町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 宝達志水町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
宝達志水町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 17,107人
1975年(昭和50年) 17,091人
1980年(昭和55年) 17,115人
1985年(昭和60年) 17,306人
1990年(平成2年) 16,897人
1995年(平成7年) 16,409人
2000年(平成12年) 15,891人
2005年(平成17年) 15,236人
2010年(平成22年) 14,277人
2015年(平成27年) 13,174人
2020年(令和2年) 12,121人
総務省統計局 国勢調査より


行政

[編集]

町長

[編集]
歴代町長
氏名 就任 退任 備考
中西一順 2005年(平成17年)3月1日 2005年(平成17年)4月2日 町長職務執行者、旧押水町長
1 1 中野茂一 2005年(平成17年)4月3日 2009年(平成21年)4月2日 旧志雄町長
2 2 津田達 2009年(平成21年)4月3日 2013年(平成25年)4月2日
3 2013年(平成25年)4月3日 2017年(平成29年)4月2日
4 3 寳達典久 2017年(平成29年)4月3日 2021年(令和3年)4月2日 前町議会議員
5 2021年(令和3年)4月3日 現職

町役場庁舎

[編集]
旧押水庁舎(旧押水町役場、2010年平成22年)3月末で閉鎖)

2005年平成17年)3月1日から2010年平成22年)3月31日まで分庁方式をとっていたが、2010年平成22年)4月1日からは志雄庁舎に統合された(2010年平成22年)3月31日をもって押水庁舎は行財政改革と庁舎の老朽化の為に閉鎖された)

本庁舎(旧志雄庁舎)
  • 石川県羽咋郡宝達志水町子浦そ18番地1(〒929-1492)
町民センターアステラス
  • 石川県羽咋郡宝達志水町門前サ11番地(〒929-1311)
押水庁舎(2010年平成22年)3月末で閉鎖)
  • 石川県羽咋郡宝達志水町小川ハ250番地(〒929-1392)

姉妹都市・提携都市

[編集]

経済

[編集]

産業

[編集]

工業

農協

金融機関

郵便局

地域

[編集]
宝達高等学校

学校教育

[編集]

高等学校

[編集]

中学校

[編集]
  • 宝達志水町立(1校)
    • 宝達中学校
    • 押水中学校(平成27年3月統合に伴い閉校)
    • 志雄中学校(平成27年3月統合に伴い閉校)

上記2中学校を統合した宝達中学校が、平成27年4月に開校。

小学校

[編集]
  • 宝達志水町立(5校)
    • 相見小学校
    • 押水第一小学校
    • 志雄小学校
    • 樋川小学校
    • 宝達小学校

社会教育

[編集]

図書館

[編集]
  • 宝達志水町立
    • 押水図書館(平成27年3月31日閉鎖)
    • 図書館(平成27年4月1日押水図書館閉鎖に伴い、志雄図書館から町立図書館に名称変更)

交通

[編集]
宝達駅

鉄道路線

[編集]

公共交通

[編集]
  • デマンドタクシー
  • 宝達志水町コミュニティバス

道路

[編集]

観光

[編集]
千里浜なぎさドライブウェイ
末森城(本丸跡)
押しの泉

祭礼

[編集]
  • 子浦の獅子舞:久保町青年団(勇壮な越中獅子)
  • 菅原の獅子舞(幻想的な能登獅子)
  • 蓮華山大相撲(500年余りの伝統を誇り、加賀・能登・越中から各郷土自慢の力士たちが、夜遅くまで熱戦を繰り広げる)

名所・旧跡

[編集]

保養・休憩施設

[編集]

特産品

[編集]
  • 宝達葛(葛粉
  • イチジク
  • おだまき(餅菓子)
  • オムライス(起源とされる店の一つとして、宝達志水町出身のシェフ・北橋茂男が、大阪市にある洋食店「北極星」の前身の店でオムライスを考案したことに因み、オムライスを通じて町おこしを行っている[8]。「おむてなし隊」に参加する飲食店7軒が独自に工夫した料理を提供している[9]。)

出身有名人

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 石川県指定有形文化財「岡部家」説明宝達志水町・公式観光サイト(2018年3月23日閲覧)
  2. ^ a b 宝達葛とともに―守りたい郷土の思い―”. 石川県. 2021年9月30日閲覧。
  3. ^ 令和6年能登半島地震に係る被害状況等について”. 非常災害対策本部 (2024年1月7日). 2024年1月9日閲覧。
  4. ^ 志雄町側が「宝達町」の新町名案を受け入れなかったのは、JR七尾線の宝達駅や県立宝達高校など「宝達」を冠する公共施設の多くが旧押水町側に存在していたことから。
  5. ^ a b 中村(1999)
  6. ^ 地域の住民によると「犬の墓」に喩えられるほどみすぼらしい有様であるという。
  7. ^ 「古墳の湯」来年3月末で閉館 宝達志水 老朽ポンプ修復不可能”. 中日新聞. 2024年9月6日閲覧。
  8. ^ なぜ能登半島・宝達志水町がオムライスの郷?
  9. ^ 【イキイキ地域】石川県宝達志水町/おいしい「おむてなし」『日経MJ』2018年2月19日(街づくり面)
  10. ^ 廣橋百合子 先輩”. 石川県立羽咋高等学校同窓会. 2019年9月18日閲覧。
  11. ^ 千葉康由「いしかわ百年百話15 昭和7年 広橋・大島選手、ロス五輪へ」朝日新聞1999年3月16日付朝刊、石川版

参考文献

[編集]
  • 中村伸浩青木保(編)、1999、「新宗教と日本イメージ」、梶原景昭(編)『情報社会の文化1 情報化とアジア・イメージ』、東京大学出版社〈情報社会の文化〉 pp. 73-196

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]