能美郡
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人口6,005人、面積14.64km²、人口密度410人/km²。(2024年10月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
- 川北町(かわきたまち)
郡域
[編集]1878年に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町のほか、下記の区域にあたる。
歴史
[編集]古代から近世まで
[編集]- 弘仁14年(823年)6月4日 - 江沼郡の北部が分立して発足[1]。
- 天正8年(1580年)- 柴田勝家により検地が行われ、白山麓十八ヶ村の内、尾添村・荒谷村を除く白山麓十六ヶ村は越前国大野郡に編入。
- 寛文8年8月16日(1668年9月22日) - 福井藩と加賀藩の間の白山を巡る権利争い(白山争論)の解決策として、福井藩領の越前国大野郡の白山麓十六ヶ村と、加賀藩領の本郡尾添村・荒谷村が幕府領となる。『加賀藩史料編外備考』など加賀藩側の史料では、この時をもって白山麓十八ヶ村がすべて加賀国本郡に編入したとしているが、江戸幕府が作成した「元禄郷帳」では「越前加賀白山麓」として、越前国郷帳の下に白山麓十八ヶ村が記載されており、白山麓を越前・加賀双方に所属させなかったとする見方もある。その後の「天保郷帳」では白山麓十六ヶ村は越前国大野郡に、尾添村・荒谷村は加賀国本郡に記載されており、第1次府県統合の頃まで白山麓十八ヶ村の内、尾添村・荒谷村のみが本郡に帰属していたと考えるのが一般的である。[2]
近代以降の沿革
[編集]- 「旧高旧領取調帳データベース」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り[3]。なお木村礎校訂「旧高旧領取調帳」では白山麓16村を本郡に所属するものとして扱っているが、白山麓16村が本郡に正式に帰属となったのは第1次府県統合の最中の明治5年11月17日の布達によってである[4]。《 》は同データベースでは左記の村に含まれていると見られる。(1町252村)[5]
明治初年の1町252村
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 本保代官所 | 18村 | 尾添村、荒谷村(現・白山市)、(以下白山麓16村:)牛首村、風嵐村、島村、深瀬村、下田原村、鴇ヶ谷村、釜谷村、五味島村、女原村、二口村、瀬戸村(現・白山市)、新保村、須納谷村、丸山村、小原村、杖村(現・小松市) |
藩領 | 加賀藩 | 1町 227村 |
小松町[6]、向本折村、今江村、《串茶屋村》、木場村、吉竹村、浮柳村、符津村、《蓑輪地方》、矢崎村、津波倉村、小山田村、井口村、白山田村、中村、中峠村、荒谷村(現・小松市)、日用村、粟津村、三谷村、千木野村、蓮代寺村、牧口村、《西原村》、一針村、長野田村、《松梨村》、末信村、牛島村、大長野村、小杉村、千代村、野田村、荒屋村、平面村、小長野村、蛭川村、上小松村、園村、池城村、五国寺村、布橋村、西俣村、波佐羅村、江指村、松岡村、三ツ谷村、塩原村、金平村、沢村、尾小屋村、勘定村、岩上村、大野村、観音下村、白江村、金屋村、漆村、佐々木村、古浜村、国府村、小野村、埴田村、遊泉寺村、鵜川村、盲谷村、鍋谷村、坪野村、能美村、河田村、阿手村、数瀬村、野地村、杉森村、左礫村、渡津村、神子清水村、別宮村、別宮出村、三ツ瀬村、五十谷村、下野村、瀬木野村、広瀬村、上野村、河合村、仏師ヶ野村、河原山村、三ツ屋野村、西佐良村、上吉谷村、下吉谷村、釜清水村、相滝村、柳原村、二曲村、清水村、三坂村、若原村、大杉村、沖村、不動島村、《清六村》、打越村、若杉村、八幡村、犬丸村、北浅井村、小寺村、南浅井村、上牧村、鍛冶村、根上村、梯村、《御館村》、島田村、中野村、大島村、長崎村、《坊丸村》、下牧村、《鶴ヶ島村》、小島村、大領村、《大領中村》、須天村、安宅村、《安宅新村》、《草野村》、花坂村、本江村、瀬領村、赤瀬村、上リ江村、打木村、波佐谷村、長谷村、正蓮寺村、荒木田村、軽海村、下麦口村、上麦口村、原村、桂谷村、岩淵村、立明寺村、嵐村、宮竹村、《三ツ口村》、三反田村、宮竹新村、河原新保村、北市村、徳久村、火釜村、土室村、一ツ屋村、辰口村、来丸村、出口村、山田村、徳山村、下清水村、《上清水村》、田子島村、《与九郎島村、出合島村》、山田先出村、朝日村、久五郎島村、向川原村、倉重村、赤井村、湯屋村、橘村、橘新村、吉原村、福島村、《濁池村》、岩内村、金剛寺村、大口村、莇生村、灯台笹村、岩本村、和佐谷村、長滝村、高堂村、《高堂新村》、中庄村、二口村(現・能美市)、福岡村、中ノ江村、石子村、印内村、野村、重住村、浜開発村、高坂村、下ノ江村、湊村、東任田村、上開発村、吉光村、下粟生村、《舟場島村》、浜村、粟生村、寺井村、西任田村、五間堂村、秋常村、末寺村、三道山村、仏大寺村、和田村、上八里村、下八里村、和気村、湯谷村、寺畠村、館村、佐野村、下開発村、高座村、三ツ屋村、吉原釜屋村[6]、山口釜屋村[6] |
加賀大聖寺藩 | 8村 | 串村、《村松村》、佐美村、《浜佐美村》、日末村、松崎村、島村、馬場村 |
- 明治2年
- 明治3年12月22日(1871年2月11日) - 幕府領が本保県の管轄となる。
- 明治4年
- 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が金沢県、大聖寺県の管轄となる。
- 11月20日(1871年12月31日) - 第1次府県統合により、大聖寺県の管轄区域が金沢県、本保県の管轄区域(白山麓18村)が福井県の管轄となる。なお明治維新後に白山麓を巡る管轄争いが再発しており、金沢県と本保県の交渉により、白山麓18村の内、当時より本郡に所属していた尾添村、荒谷村が金沢県に編入されたとする資料も存在するが、太政官の指令では白山麓18村全域が福井県の管轄となっている。[4]
- 12月20日(1872年1月29日) - 福井県が改称して足羽県となる。
- 石川郡美川町の一部(南郷)が分立して湊村となり、本郡の所属となる。
- 明治5年
- 1875年(1町251村)
- 古浜村・国府村が合併して古府村となる。
- 二曲村・清水村が合併して出合村となる。
- 1876年(1町249村)
- 牛首村・風嵐村が合併して白峰村となる。
- 向川原村が朝日村に合併。
- 1878年12月17日 - 郡区町村編制法の石川県での施行により、行政区画としての能美郡が発足。郡役所を小松町に設置。
- 1882年 - 荒谷村(現・小松市)が西荒谷村に、二口村(現・能美市)が西二口村に、島村が桑島村にそれぞれ改称。
- 1883年 - 荒谷村(現・白山市)が東荒谷村に、二口村(現・白山市)が東二口村にそれぞれ改称。
- 1886年 - 安宅村が改称して安宅町となる。(2町248村)
町村制以降の沿革
[編集]- 1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(2町42村)
町村制施行時の2町42村
- 小松町(単独町制。現・小松市)
- 安宅町(単独町制。現・小松市)
- 串村 ← 串村、串茶屋村、村松村(現・小松市)
- 末佐美村 ← 松崎村、日末村、佐美村、浜佐美村(現・小松市)
- 今江村(単独村制。現・小松市)
- 本折村 ← 向本折村、須天村(現・小松市)
- 浅井村 ← 千木野村、吉竹村、大領村、大領中村、南浅井村、清六村、北浅井村、不動島村(現・小松市)
- 蓮江村 ← 蓮代寺村、本江村、勘定村、三谷村(現・小松市)
- 牧村 ← 根上村、坊丸村、長崎村、安宅新村、小島村、下牧村、上牧村、鶴ヶ島村、鍛冶村、中野村、浮柳村、草野村(現・小松市)
- 粟津村 ← 日用村、西荒谷村、牧口村、小山田村、粟津村、西原村、井口村、白山田村、馬場村(現・小松市)
- 木津村 ← 島村、符津村、矢崎村、蓑輪地方、木場村、津波倉村(現・小松市)
- 瀬谷村 ← 長谷村、波佐谷村、瀬領村、打木村、上リ江村、赤瀬村(現・小松市)
- 大杉村(単独村制。現・小松市)
- 別宮村 ← 別宮村、別宮出村、杉森村、相滝村、柳原村、五十谷村、野地村、渡津村、左礫村、三ツ瀬村、数瀬村、阿手村、神子清水村(現・白山市)
- 河野村 ← 広瀬村、瀬木野村、河合村、若原村、下野村、上野村、三坂村、出合村(現・白山市)
- 吉原村 ← 釜清水村、下吉谷村、上吉谷村、西佐良村、三ツ屋野村、河原山村、仏師ヶ野村(現・白山市)
- 金野村 ← 金平村、大野村、花坂村、正蓮寺村、五国寺村、江指村(現・小松市)
- 新丸村 ← 新保村、須納谷村、丸山村、小原村、杖村(現・小松市)
- 尾口村 ← 東二口村、女原村、瀬戸村、東荒谷村、五味島村、尾添村、釜谷村、鴇ヶ谷村、深瀬村(現・白山市)
- 白峰村 ← 白峰村、桑島村、下田原村(現・白山市)
- 中海村 ← 荒木田村、軽海村、岩淵村、上麦口村、下麦口村、桂谷村、原村、嵐村、中峠村、中村(現・小松市)
- 粟生村 ← 粟生村、三道山村、東任田村、吉光村、西任田村、赤井村(現・能美市)
- 湊村 ← 湊村(現・白山市)、吉原村(現・能美市)
- 久常村 ← 北市村、徳久村、上清水村、秋常村、末寺村、高座村、下清水村、河原新保村(現・能美市)
- 里川村 ← 下八里村、上八里村、盲谷村、鵜川村、遊泉寺村、立明寺村(現・小松市)、仏大寺村(現・能美市)
- 古河村 ← 古府村、埴田村、小野村、河田村(現・小松市)
- 国造村 ← 坪野村、金剛寺村、館村、鍋谷村、和気村、寺畠村(現・能美市)
- 高田村 ← 高堂村、高堂新村、野田村、荒屋村、長野田村(現・小松市)
- 田川村 ← 島田村、松梨村、犬丸村、蛭川村、御館村、梯村、大島村、平面村(現・小松市)
- 福江村 ← 中庄村、福岡村、西二口村、野村、中ノ江村、五間堂村(現・能美市)
- 江ノ島村 ← 福島村、濁池村、重住村、浜開発村、下ノ江村、高坂村、印内村(現・能美市)
- 釜屋村 ← 吉原釜屋村、山口釜屋村、浜村(現・能美市)
- 湯野村 ← 湯谷村、石子村、和田村、佐野村(現・能美市)
- 長野村 ← 牛島村、末信村、大長野村、小杉村、小長野村(現・能美市)
- 寺井村(単独村制。現・能美市)
- 中島村 ← 灯台笹村[藤蔵島]、三反田村、宮竹新村(現・川北町)
- 草深村 ← 土室村、山田先出村、一ツ屋村(現・川北町)
- 砂川村 ← 与九郎島村、出合島村、田子島村、舟場島村、橘村、朝日村、下粟生村、橘新村、久五郎島村(現・川北町)
- 西尾村 ← 塩原村、布橋村、沢村、三ツ谷村、松岡村、池城村、岩上村、尾小屋村、西俣村、観音下村、波佐羅村(現・小松市)
- 千針村 ← 能美村、千代村、一針村、金屋村(現・小松市)
- 白木村 ← 小寺村、園村、上小松村、佐々木村、白江村(現・小松市)
- 沖杉村 ← 打越村、若杉村、八幡村、漆村、沖村(現・小松市)
- 山口村 ← 山田村、三ツ屋村、辰口村、倉重村、出口村、上開発村、下開発村、湯屋村、徳山村、火釜村、来丸村(現・能美市)
- 宮内村 ← 和佐谷村、岩本村、灯台笹村[藤蔵島を除く]、宮竹村、大口村、岩内村、三ツ口村、長滝村、莇生村(現・能美市)
- 1891年
- 1907年8月5日 - 下記の各村の統合が行われる。いずれも新設合併。(2町23村)
- 1923年4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 1926年
- 6月1日 - 寺井野村が町制施行して寺井野町となる。(3町22村)
- 7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 1934年4月1日 - 根上村が町制施行して根上町となる。 (4町21村)
- 1935年時点での当郡の面積は871.98平方km、人口は106,862人(男52,246人・女54,616人)[8]。
- 1940年12月1日 - 小松町・安宅町・牧村・板津村・白江村・苗代村・御幸村・粟津村が合併して小松市が発足し、郡より離脱。(2町15村)
- 1949年6月1日 - 白峰村・尾口村・鳥越村の所属郡が石川郡に変更。(2町12村)
- 1954年11月1日 - 湊村が石川郡美川町・蝶屋村と合併し、改めて石川郡美川町が発足。(2町11村)
- 1955年4月1日 - 中海村が小松市に編入。(2町10村)
- 1956年9月30日(3町1村)
- 1980年4月1日 - 川北村が町制施行して川北町となる。(4町)
- 2005年2月1日 - 根上町・寺井町・辰口町が合併して能美市が発足し、郡より離脱。(1町)
変遷表
[編集]自治体の変遷
江戸時代 | 明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 明治45年 | 大正元年 - 昭和20年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
金沢藩 | 小松町 | 小松町 | 昭和15年12月1日 小松市 |
小松市 | 小松市 | 小松市 | 小松市 | |
安宅町 | 安宅町 | |||||||
牧村 | 牧村 | |||||||
串村 | 明治40年8月5日 御幸村 | |||||||
末佐美村 | ||||||||
今江村 | ||||||||
粟津村 | 明治40年8月5日 粟津村 | |||||||
木津村 | ||||||||
本折村 | 明治40年8月5日 苗代村 | |||||||
浅井村 | ||||||||
蓮江村 | ||||||||
白木村 明治24年12月18日 佐々木を分離し 園江村となる |
明治40年8月5日 白江村 | |||||||
沖杉村 明治24年12月18日 白木村佐々木を編入 | ||||||||
千針村 | ||||||||
明治40年8月5日 板津村 | ||||||||
高田村 | ||||||||
田川村 | ||||||||
中海村 | 中海村 | 中海村 | 中海村 | 昭和30年4月1日 小松市に編入 | ||||
西尾村 | 西尾村 | 西尾村 | 西尾村 | 昭和31年9月30日 小松市に編入 | ||||
金野村 | 金野村 | 金野村 | 金野村 | |||||
新丸村 | 新丸村 | 新丸村 | 新丸村 | |||||
大杉村 | 明治40年8月5日 大杉谷村 |
大杉谷村 | 大杉谷村 | |||||
瀬谷村 | ||||||||
里川村 | 明治40年8月5日 国府村 |
国府村 | 国府村 | |||||
古河村 | ||||||||
国造村 | 昭和31年9月30日 辰口町 |
平成17年2月1日 能美市 |
能美市 | |||||
山口村 | 明治40年8月5日 山上村 |
山上村 | 山上村 | |||||
宮内村 | ||||||||
久常村 | 久常村 | 久常村 | 久常村 | |||||
昭和31年9月30日 寺井町 | ||||||||
寺井村 | 明治40年8月5日 寺井野村 |
大正15年6月1日 町制 |
寺井野町 | |||||
長野村 | ||||||||
湯野村 | ||||||||
粟生村 | 粟生村 | 粟生村 | 粟生村 | |||||
明治24年12月18日 吉田村 |
吉田村 | 吉田村 | ||||||
湊村 (吉原) |
昭和31年9月30日 根上町に編入 | |||||||
江ノ島村 | 明治40年8月5日 根上村 |
昭和9年4月1日 町制 |
根上町 | 根上町 | ||||
福江村 | ||||||||
釜屋村 | ||||||||
湊村 (湊) |
湊村 | 湊村 | 昭和29年11月1日 石川郡 美川町の一部 |
白山市 | ||||
中島村 | 明治40年8月5日 川北村 |
川北村 | 川北村 | 昭和55年4月1日 町制 |
川北町 | 川北町 | ||
草深村 | ||||||||
砂川村 | ||||||||
別宮村 | 明治40年8月5日 鳥越村 |
鳥越村 | 昭和24年6月1日 石川郡 |
白山市 | ||||
河野村 | ||||||||
吉原村 | ||||||||
天領 | 尾口村 | 尾口村 | 尾口村 | 昭和24年6月1日 石川郡 |
||||
牛首村 | 白峰村 | 白峰村 | 白峰村 | 昭和24年6月1日 石川郡 |
||||
風嵐村 |
行政
[編集]代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 前職 | 後職 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 中川忠良 | 不詳[9] | 不詳[9] | 石川県第十二大区長 | 不詳 |
2 | 加藤恒 | 1879年(明治12年)10月25日[9] | 1881年(明治14年)6月20日[9] | 石川県会議員 | 金沢区長 |
3 | 松平康保 | 1881年(明治14年)7月11日[9] | 1884年(明治17年)8月7日[9] | 石川県十四等出仕 | 依願免本官 |
4 | 杉村寛正 | 1884年(明治17年)8月7日[9] | 1890年(明治23年)5月9日[9] | 元石川県権参事 | 依願免本官 |
5 | 加藤鏆二 | 1890年(明治23年)5月9日[9] | 1890年(明治23年)12月27日[9] | 鹿島郡長 | 石川県参事官 |
6 | 安達敬之 | 1890年(明治23年)12月27日[9] | 1891年(明治24年)7月21日[9] | 石川郡長 | 依願免本官 |
7 | 大塚志良 | 1891年(明治24年)7月21日[9] | 1892年(明治25年)3月7日[9] | 江沼郡長 | 鹿島郡長 |
8 | 長野範亮 | 1892年(明治25年)3月7日[9] | 1892年(明治25年)7月27日[9] | 江沼郡長 | 非職 |
9 | 富田輝象 | 1892年(明治25年)7月27日[9] | 1893年(明治26年)8月12日[9] | 非職石川郡長 | 石川県尋常中学校長 |
10 | 稲垣義方 | 1893年(明治26年)8月12日[9] | 1896年(明治29年)10月2日[9] | 元金沢市長 | 鳳至郡長 |
11 | 川田茂通 | 1896年(明治29年)10月2日[9] | 1902年(明治35年)5月10日[9] | 三重県名賀郡長 | 三重県阿山郡長 |
12 | 沼崎甚三 | 1902年(明治35年)5月10日[9] | 1904年(明治37年)6月29日[9] | 休職千葉県安房郡長 | 死去 |
13 | 富田輝象 | 1904年(明治37年)7月26日[9] | 1914年(大正3年)3月9日[9] | 鹿島郡長 | 石川郡長 |
14 | 柴田是 | 1914年(大正3年)3月9日[10] | 1914年(大正3年)8月21日[11] | 鹿島郡長 | 石川郡長 |
15 | 山口信定 | 1914年(大正3年)8月21日[11] | 1915年(大正4年)7月1日[12] | 江沼郡長 | 鹿島郡長 |
16 | 関堂可一 | 1915年(大正4年)7月1日[12] | 1919年(大正8年)3月31日[13] | 河北郡長 | 石川郡長 |
17 | 小島勘重郎 | 1919年(大正8年)3月31日[13] | 1920年(大正9年)3月1日[14] | 石川郡長 | 死去 |
18 | 松本源祐 | 1920年(大正9年)3月25日[15] | 1924年(大正13年)9月2日[16] | 鳳至郡長 | 茨城県行方郡長 |
19 | 井村貞吉 | 1924年(大正13年)9月2日[16] | 1926年(大正15年)7月1日[17] | 鹿島郡長 | 廃官 |
注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 『ふるさと石川歴史館』(2002年6月10日、北國新聞社発行)524頁。
- ^ 海道静香, 「越前国の村高と所領の変遷(八)」, 若越郷土研究, 46 (3), 13-18 (2001年).
- ^ 「旧高旧領取調帳」は加賀国分が欠けているため、木村礎の手により「天保郷帳」をもとに作成され、「日本史料選書13 旧高旧領取調帳 中部編」(近藤出版社、1977年)に掲載されたデータが国立歴史民俗博物館によりデータベース化されている。
- ^ a b 森山誠一, 「加越能における幕府明治初期の藩県沿革について―能登の旧天領と土方領、白山麓十八カ村そして近江高島郡の飛地を中心に―」, 金沢経済大学論集, 35 (3), (2002), 99-108.
- ^ 下記のほか、加賀藩領として《埴田村/河田村/国府村/小野村/古浜村》請新田、《中村/河田村/埴田村/盲谷村/国府村/遊泉寺村/古浜村》請新田、《埴田村/八幡村/鍋谷村/今江村/荒木田村》請新田、《粟生村/下粟生村/東任田村/出口村/赤井村/北市村/吉原村/下清水村/朝日村/橘新村/向河原村/橘村/久五郎島村/田子島村》請新田が記載されている。
- ^ a b c 無高のため「旧高旧領取調帳データベース」には記載なし。
- ^ 石川県史. 第4編p16-17 近代デジタルライブラリー
- ^ 昭和10年国勢調査による。国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで閲覧可能。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 石川県史 第四編 170-171頁
- ^ 『官報』第482号「叙任及辞令」1914年3月10日。
- ^ a b 『官報』第619号「叙任及辞令」1914年8月22日。
- ^ a b 『官報』第875号「叙任及辞令」1914年7月2日。
- ^ a b 『官報』第1996号「叙任及辞令」1919年4月1日。
- ^ 『官報』第2277号「彙報」1920年3月9日。
- ^ 『官報』第2292号「叙任及辞令」1920年3月26日。
- ^ a b 『官報』第3610号「叙任及辞令」1924年9月3日。
- ^ 『官報』第4171号「彙報」1926年7月19日。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 17 石川県、角川書店、1981年7月1日。ISBN 4040011708。
- 旧高旧領取調帳データベース
- 石川県『石川県史 第四編』石川県、1931年。
外部リンク
[編集]- 川北町 - 能美郡に属する町
先代 江沼郡 |
行政区の変遷 823年 - |
次代 (現存) |