御幸村 (石川県)
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みゆきむら 御幸村 | |
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廃止日 | 1940年12月1日 |
廃止理由 |
新設合併 御幸村、小松町、安宅町、牧村、板津村、白江村、苗代村、粟津村 → 小松市 |
現在の自治体 | 小松市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(北陸地方) |
都道府県 | 石川県 |
郡 | 能美郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
5,299人 (1940年) |
隣接自治体 | 石川県:能美郡牧村、苗代村、粟津村、江沼郡月津村、篠原村 |
御幸村役場 | |
所在地 | 石川県能美郡御幸村串 |
座標 | 北緯36度22分49秒 東経136度26分14秒 / 北緯36.38014度 東経136.43717度座標: 北緯36度22分49秒 東経136度26分14秒 / 北緯36.38014度 東経136.43717度 |
ウィキプロジェクト |
由来は、花山法皇が当地に一時滞在して住んでいた時に、加賀三湖を望む三湖台に上り、周囲を眺望されたという伝承による。なお、花山法皇が上ったという所は「御幸塚」と呼ばれ、現在の今江町にあった今江城は別名「御幸塚城(御幸城)」とも言われていた。
地理
[編集]- 現在の小松市の西端にあたる。
- 今江潟、柴山潟、木場潟の加賀三湖全てに面していた。日末、浜佐美の各地区は日本海に面した。そのため、当時は漁業も発達していた。
- 当時の農業での主な産物は、米、麦、野菜、果物、その他の産業は養蚕業、織物業、製陶など。
- 河川: 前川、串川
歴史
[編集]- 1907年(明治40年)8月5日 - 串村、末佐美村及び今江村が合併して、御幸村が発足する。
- 1913年(大正2年) - 御幸野台地の開拓事業が始まる。
- 1940年(昭和15年)12月1日 - 小松町、安宅町、牧村、板津村、白江村、苗代村、御幸村及び粟津村が合併して、小松市が発足する。御幸村の8大字は小松市の町名に継承。
関連項目
[編集]- 石川県の廃止市町村一覧
- 勅使村 - 当村と同じく、花山法皇に因む村名