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太田為吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大田為吉から転送)

太田 為吉(おおた ためきち、1880年明治13年)11月12日[1][2] - 1956年昭和31年)11月30日[3])は、日本外交官。駐スペイン公使、駐ソビエト連邦大使。「大田」と表記される場合がある[4]

経歴

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鳥取県気高郡青谷村(現在の鳥取市)出身[5]1901年(明治34年)に日本法律学校(現在の日本大学)を卒業[5]1903年(明治36年)に高等文官試験に合格し、1907年(明治40年)に外交官及領事官試験に合格した[1]。領事官補として香港に勤務し、関東都督府事務官ニューヨーク領事官補、アメリカ合衆国大使館三等書記官、メキシコ公使館二等書記官、サンフランシスコ総領事、オタワ総領事、中華民国公使館参事官を歴任した[1][6]1925年大正14年)、駐スペイン公使に任命され、駐ポルトガル公使を兼ねた[1]1932年(昭和7年)、駐ソビエト連邦大使に就任した[6]

退官後は東亜興業株式会社取締役を務めた[7]

戦後は日本大学校友会会長を務めた[5]

栄典

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脚注

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  1. ^ a b c d 大衆人事録 1930.
  2. ^ 『日本近現代人物履歴事典』103頁では「11月13日」。
  3. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ、2012年。
  4. ^ 『日本近現代人物履歴事典』103頁「大田為吉」。
  5. ^ a b c 大学史編纂課だより 第6号” (PDF). 日本大学 (2014年3月10日). 2016年11月23日閲覧。
  6. ^ a b 人事興信録 第12版(上) 1939.
  7. ^ 東亜興業株式会社」 アジア歴史資料センター Ref.B08061184300 
  8. ^ 『官報』第4038号「叙任及辞令」1926年2月12日。
  9. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版(上)』人事興信所、1939年。 
  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。