全日本有線放送大賞
全日本有線放送大賞 | |
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ジャンル | 音楽番組 / 特別番組 |
監督 | 梅田尚哉(舞台監督) |
出演者 |
歴代司会者 浜村淳 鳳蘭 宮田輝 横山プリン 桂三枝 島田紳助 坂本冬美 神田正輝 三井ゆり 今田耕司 赤坂泰彦 堺正章 川島なお美 藤原紀香 中村玉緒 |
製作 | |
プロデューサー | 藤澤國彦 / 弘中謙(CP) |
制作 |
讀賣テレビ放送 (全日本有線放送大賞主催) |
放送 | |
音声形式 | ステレオ放送 |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1968年12月10日 - 2000年11月18日 |
放送時間 | 土曜19:00 - 20:54 |
放送枠 | スーパースペシャル |
放送分 | 114分 |
回数 | 33 |
特記事項: 放送時間は第27回(1994年)から第33回(2000年)のもの。 スタッフは第33回(2000年)担当者。 |
全日本有線放送大賞(ぜんにほんゆうせんほうそうたいしょう)は、1968年から2000年まで讀賣テレビ放送と大阪有線放送社(現在のUSEN)が共催していた歌謡曲の年間表彰である。初期を中心に上半期と年間の2回に分けて表彰された年もあるが、後に年1回(年間)のみの開催となった。ABC『歌謡ゴールデン大賞・新人グランプリ』と並ぶ大阪で開催された音楽賞レースの1つである。
概要
[編集]これは大阪有線放送社の有線放送を受信している利用者の楽曲へのリクエストの回数を基に審査するものであり1年間で最も多くのリクエストを獲得した楽曲を歌ったアーティストに贈られる大賞(以下グランプリ[注 1])を頂点に読売テレビ特別賞、ゴールドリクエスト賞、またその年デビューした新人アーティストの楽曲を対象とした新人賞とそこから選ばれる最優秀新人賞といった表彰があった。なお、1978年〜1989年は12月の年間のグランプリの選考・発表に加え、7月にも上半期における大阪有線でのリクエスト結果を元にした上半期グランプリの選考・発表も行われていたが、1990年度以降は年間グランプリ1本に統一された。
浜村淳の司会・進行で長年親しまれたが、1993年の第26回で降板し、1994年~1996年は赤坂泰彦が、1997年以降は堺正章が担当、2001年と2002年は『ALL JAPANリクエストアワード』へ、2003年以降は『ベストヒット歌謡祭』へ継承される(2011年以後は賞レース形式を廃止)。
大賞となるグランプリが決定すると天井から大量の紙吹雪が舞い、受賞者に読売テレビから賞金100万円とゴールデントロフィーが贈られた。グランプリは「栄光の星座」という愛称が付け加えられた。受賞者が歌うと紙吹雪が再び舞う[注 2]。後継番組の『ベストヒット歌謡祭』(2005年)まで続いていたが、その後はなくなった(理由は不明)。最優秀新人賞を受賞した歌手にも大賞を受賞する権利を与えられた時期もある(浜村が司会をしていた頃、1992年の第25回まで)。
開催会場は初期(「夜のレコード大賞」)は読売テレビの本社スタジオ(「11PM」の収録スタジオ)、独立番組化した1976年以降はよみうり文化ホール、フェスティバルホール、大阪城ホールが主に使用された。
沿革
[編集]「ネオン街で口ずさまれている曲が本当のヒット曲ではないのか」というスタッフらの会話がきっかけで誕生[1]。もともとは読売テレビが制作して日本テレビ系列で放送されていた深夜のワイドショー『11PM』の年末企画「夜のレコード大賞」としてスタート[1]。このタイトルには「日本レコード大賞のアンチテーゼ」という意味が込められていた[1]。1976年度・第9回より独立して日本テレビ系列の「木曜スペシャル」枠で生放送されることとなり、『全日本有線放送大賞』(以下「全日本有線」)に改称した(独立後も『11PM』枠で新人賞ノミネートや当日放送後のパーティーが放送され、各受賞者が司会の藤本義一からインタビューを受ける事が慣例となっていた)。
1991年開催の第24回からは前年限りで終了した日本テレビ主催『日本テレビ音楽祭』の内容の一部を引き継いだ。
1992年8月30日に『24時間テレビ15「愛の歌声は地球を救う」』で『全日本有線』の過去のグランプリ受賞者などが受賞曲を披露する歌謡ショー形式として編成されたが、開始当初から続いた読売テレビ放送枠はこの回で終了した。
1995年開催の第28回からは、審査対象が楽曲からアーティストに変わった[1]。またノミネート制を廃止したことで欠席したアーティストが多く受賞するようになった。但し、グランプリと最優秀新人賞は出席したアーティストのみが受賞できる規定があった[1]。実際に1999年開催の第32回では最多リクエストを獲得した宇多田ヒカルが出演を辞退したため、次点のGLAYがグランプリを受賞した[1]。欠席者が受賞する問題はのちの『ALL JAPANリクエストアワード』に続いたが、『ベストヒット歌謡祭』になってからは欠席者の受賞を廃止した。
グランプリ連覇の最長記録は4連覇で浜崎あゆみが2000〜2003年に達成、全日本有線放送大賞限定だと3連覇でテレサ・テンが1984〜1986年に達成している(年間ベース)。
1978年から1988年の11年間はTBS系の『ザ・ベストテン』の放送日と重なり、『全日本有線』の終了直後に『ベストテン』が始まり、『全日本有線』に出演したアーティストがその週の『ベストテン』にランクインした場合は、“追っかけマン(ウーマン)”役のMBSアナウンサーの仕切りで、会場近くから中継で歌うことが恒例であった。この中継には当時『全日本有線』の司会を務めていた浜村が局の垣根を越えて出演[注 3]し、イントロに乗せて曲の紹介をした。
部門賞にまつわるエピソード
[編集]司会者
[編集]- 浜村淳 - 1968〜1993年
- 鳳蘭 - 1984年・1987年
- 宮田輝 - 1977〜1982、1985、1986年
- 羽川英樹 (当時読売テレビアナウンサー)- 1980年代に上期グランプリの進行役を数回担当。
- 水沢アキ - 1987、1988年
- 桂三枝(現・六代桂文枝) - 1988〜1994年まで
- 榊原郁恵 - 1989年、1990年
- 片平なぎさ - 1990、1991年
- かとうれいこ - 1992年
- 涼風真世 - 1993年
- 島田紳助・坂本冬美 - 1995年
- 神田正輝・三井ゆり・今田耕司・東野幸治 - 1996年
- 赤坂泰彦 - 1994〜1996年
- 堺正章・川島なお美 - 1997年
- 堺正章・藤原紀香・中村玉緒 - 1998年
- 堺正章・藤原紀香 - 1999年 - 2000年 - 2008年までの『ベストヒット歌謡祭』へ引き継ぐ
歴代グランプリ(大賞・金賞)受賞一覧
[編集]第1回〜32回の大賞受賞歌手・曲の出典:[1]
スタッフ(2000年 (第33回))
[編集]- 構成:八木晴彦
- 舞台監督:梅田尚哉
- ディレクター:山口剛正
- プロデューサー:藤澤國彦
- チーフプロデューサー:弘中謙
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 大賞は第1回のみ、第2回から第8回までは金賞。
- ^ 音楽番組でなければMBS『クイズMr.ロンリー』、ABC『THE ビッグ!』でも同様の演出が使われていた。
- ^ MBSラジオで『ありがとう浜村淳です』なる冠番組を担当しているよしみもあった。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h 「[e-ライフTV新時代]第33回全日本有線放送大賞 グランプリは?」『読売新聞』2000年11月17日付大阪朝刊、33頁。
- ^ 『読売新聞縮刷版』1989年7月8日朝・夕刊テレビ番組表。
- ^ 『ザテレビジョン』1989年第31号「情熱つたわれWINK」p.33(各地方版共通)などに言及あり。
- ^ 『読売新聞縮刷版』1989年12月14日朝・夕刊テレビ番組表。
- ^ 『スコラ』1990年5月10日号p.174などに言及あり。
関連項目
[編集]- 音楽に関する賞
- 日本有線大賞(1968年〜2017年) - 全国有線音楽放送協会(加盟有線最大手はキャンシステム)とフジテレビ→TBSが主催
- 全日本有線放送大賞(1968年〜2002年) - USEN(旧大阪有線放送社)と読売テレビが主催
- →ALL JAPANリクエストアワード(2001年〜2002年)
- →ベストヒット歌謡祭(2003年〜)
- ヤング歌謡大賞・新人グランプリ(1983年〜1993年) - 朝日放送が主催。