コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

南国の街 宮崎市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 都道府県 > 宮崎県 > 宮崎市 > 南国の街 宮崎市
日本 > 市町村 > 市町村歌 > 宮崎県の市町村歌一覧 > 南国の街 宮崎市
南国の街 宮崎市
(宮崎市市民歌)

市民歌の対象
宮崎市

作詞 渡辺千万
作曲 橋本睦生
採用時期 1974年4月1日[1]
言語 日本語
テンプレートを表示

南国の街 宮崎市」(なんごくのまち みやざきし)は、宮崎県県庁所在地である宮崎市が制定した市民歌。作詞・渡辺千万、作曲・橋本睦生。

解説

[編集]

宮崎市では第6代市長・青木善祐の提唱により第二次世界大戦下の1942年(昭和17年)2月11日に「宮崎市歌」(作詞・長渡政男、作曲・佐藤禎二)が制定されたが、この初代市歌は「皇祖御偉業」「八紘一宇建国の」「愛市の叫び翼賛の」と時勢を反映した大時代的な歌詞であったため[2]、1945年(昭和20年)の終戦を境に3年半余りで演奏されなくなった。

その後、高度成長期に入り1974年(昭和49年)の市制50周年を機に改めて市民歌を制定することが提案され、歌詞を一般に公募した。応募総数は69篇で、市内在住の主婦・渡辺千万の応募作を入選として採用したのち[3]宮崎大学教育学部の橋本睦生に作曲を依頼して4月1日付で制定され、同日の市制50周年記念式典で初演奏が行われた[4]。歌詞の内容は初代市歌とは対極にある平和的な内容となっており、1978年(昭和53年)刊の『宮崎市史 続編』上巻では「時代の推移を感ぜずにはいられない」と評されている[2]。制定時に宮崎市が田中聖と吉川ひかるの歌唱、ニュー・サウンズ・オーケストラの演奏によるシングル盤を自主制作した。

宮崎市役所では、朝・昼の始業前に庁内放送で市民歌を演奏している[1]。宮崎市に関連するその他の楽曲としては、2014年(平成26年)に市制90周年を記念して作成されたイメージソング「太陽のまち」(作詞/作曲/歌・松浦梓、補作詞・大城光恵、編曲・小玉竜三)がある。

備考

[編集]

宮崎市は平成の大合併において田野町佐土原町高岡町および清武町を編入合併したが、各町との合併協議会において市民歌に関しては「宮崎市の制度に統一する」と取り決められたため「南国の街 宮崎市」が引き続きその地位を保っている。各町の町民歌や音頭に関しては、地域自治区の設置期間中は「自治区の歌」、廃止後は「地域の歌」として継承する旨の申し合わせが行われた。

  • 田野町民歌(作詞・那須続、補作詞・作曲・中山大三郎
  • 佐土原町民歌
  • 清武町民歌(作詞・石山久子、補作・黒木淳吉、作曲・森田公一)

参考文献

[編集]
  • 宮崎市史編纂委員会 編『宮崎市史 続編』上・下巻(宮崎市役所、1978年) NCID BN03095370
  • 中山裕一郎 監修『全国 都道府県の歌・市の歌』(東京堂出版、2012年) ISBN 978-4-490-20803-0

出典

[編集]
  1. ^ a b 中山(2012), pp410-411
  2. ^ a b 市史続編・上(1978), pp597-598
  3. ^ 市史続編・上(1978), pp634-636
  4. ^ 市史続編・下(1978), pp1768-1769

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]