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伊関佑二郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

伊関 佑二郎(いぜき ゆうじろう、1909年12月1日 - 1999年1月17日)は、日本外交官外務省アジア局長、駐オランダアイルランド特命全権大使、駐インドネパール特命全権大使。

生涯

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東京出身[1]日本統治時代の朝鮮の大田中学校(のちの大田高等学校)を経て[2]、1929年第三高等学校文科甲類卒業[3]。1932年東京帝国大学法学部政治学科卒業[1]外務省入省[4]。1949年公職資格訴願審査委員会事務局長[5]。1950年警察予備隊総隊副総監(警視監[4][6]。1951年外務省連絡局長[7]。同年外務省国際協力局長[8]1952年日米合同委員会でいわゆる米軍基地を決定する協定に署名した[9][10]。その後MSA協定の交渉に関わった[11]。1954年香港総領事[4]。1957年法務省入国管理局[12]。1958年外務省移住局長[13]。1959年外務省アジア局長[14]。1962年大臣官房審議官[15]。同年特命全権大使オランダ国駐箚[16]。1964年兼アイルランド国駐箚[17]。1966年特命全権大使インド国駐箚兼ネパール国駐箚[18]。1968年退官[19]

出典

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  1. ^ a b 東京帝国大学卒業生氏名録
  2. ^ 第三高等学校一覧 昭和3年4月至4年3月
  3. ^ 第三高等学校一覧 昭和12年4月起昭和13年3月止
  4. ^ a b c 伊関 佑二郎(読み)イゼキ ユウジロウ20世紀日本人名事典
  5. ^ 官報昭和24年本紙第6635号 210頁
  6. ^ 官報昭和25年本紙第7176号 158頁
  7. ^ 官報昭和26年本紙第7452号 128頁
  8. ^ 官報昭和26年本紙第7479号 212頁
  9. ^ 昭和27年7月26日付「官報号外第73号」 外務省告示第33号
  10. ^ 1952年7月26日付 毎日新聞 『米軍使用施設きょう署名 三月返還の住宅七六0 無期限提供三四八』
  11. ^ 増田弘 (2004). 自衛隊の誕生. 中央公論社. pp. 75~81. ISBN 4121017757 
  12. ^ 官報昭和32年本紙第9072号 423頁
  13. ^ 官報昭和33年本紙第9413号 244頁
  14. ^ 官報昭和34年本紙第9731号 81頁
  15. ^ 官報昭和37年本紙第10764号 23頁
  16. ^ 官報昭和37年本紙第10772号 267頁
  17. ^ 官報昭和39年本紙第11116号 2頁
  18. ^ 官報和41年本紙第11990号 16頁
  19. ^ 官報昭和43年本紙第12438号 15頁
先代
木村四郎七
外務省連絡局長
1951年
次代
廃止
先代
新設
外務省国際協力局長
1951年 - 1954年
次代
湯川盛夫
先代
内田藤雄
法務省入国管理局長
1957年 - 1958年
次代
勝野康助