亀田早通
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亀田早通 | |
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北緯37度52分50.97秒 東経139度4分44.43秒 / 北緯37.8808250度 東経139.0790083度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 新潟県 |
市町村 | 新潟市 |
区 |
■ 江南区(大字の一部) ■ 中央区(大字の一部) |
人口 | |
• 合計 | 0人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
950-0145[2] |
市外局番 | 025 (新潟MA)[3] |
ナンバープレート | 新潟 |
亀田早通(かめだはやどおり)は、新潟県新潟市江南区及び中央区の町字。郵便番号は950-0145[2]。
概要
[編集]1889年(明治22年)から現在の大字。信濃川水系小阿賀野川下流域右岸、山崎排水路、早通排水路流域に位置する[4]。
もとは1877年(明治10年)から1889年(明治22年)まであった早通村の区域の一部で、地名の由来はこの地が新田開発された際、この地を通り抜けると新潟、沼垂方面への近道になったことによる[4]。
隣接する町字
[編集]北から東回り順に、以下の町字と隣接する。
歴史
[編集]1889年(明治22年)以前の早通村は、1877年(明治10年)に上早通村、下早通村が合併して成立した[4]。
- 上早通村(かみはやどおりむら)
- 江戸時代から1877年(明治10年)の村名[5]。開発年代は1573年(天正元年)から1575年(天正3年)とされるが、1636年(寛永13年)の割野村百姓仁左衛門による開発が有力とされる[5]。
- 下早通村(しもはやどおりむら)
- 江戸時代から1877年(明治10年)の村名[6]。開発年代は1636年(寛永13年)から1679年(延宝7年)の間とされる[6]。
- 1716年(享保元年)から1847年(弘化4年)の間、旗本小浜氏知行だった地は「下早通下組(しもはやどおりしもぐみ)」と呼ばれ、本村と区別された一村扱いとされることもあった[6]。
分立した町字
[編集]1889年(明治22年)以後に、以下の町字が分立。
- 亀田工業団地(かめだこうぎょうだんち)
- 1994年(平成6年)5月1日に分立した町字[7]。
- 東早通(ひがしはやどおり)
- 2002年(平成14年)4月30日に分立した町字[8]。
- 早通(はやどおり)
- 2002年(平成14年)4月30日に分立した町字[8]。
- 下早通柳田(しもはやどおりやなぎだ)
- 2007年(平成19年)10月1日に分立した町字[9]。
年表
[編集]- 1877年(明治10年) : 上早通村、下早通村が合併して成立[4]。
- 1889年(明治22年)4月1日 : 合併により早通村の大字早通となる。
- 1925年(大正14年) : 合併により亀田町の大字となる。
- 2005年(平成17年)3月21日 : 合併により新潟市の大字となり、亀田早通に改称する。
- 2007年(平成19年)4月1日 : 新潟市の政令指定都市移行により、江南区及び中央区の大字となる。
交通
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道路
[編集]バス
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- 新潟交通路線バス
- 郊外線(女池・長潟方面)
脚注
[編集]注釈
出典
- ^ “住民基本台帳人口 (全市・区役所・町名別) - 町名別住民基本台帳人口”. 新潟市 (2018年2月13日). 2018年3月5日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年3月5日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年3月5日閲覧。
- ^ a b c d 角川地名15、p.1095
- ^ a b 角川地名15、p.408
- ^ a b c 角川地名15、p.692
- ^ 広報かめだNo.547、p.3
- ^ a b 広報かめだNo.737、p.6
- ^ 市報にいがた2118号、p.6
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 編纂委員会『角川日本地名大辞典 15 新潟県』(株)角川書店、1989年10月8日。ISBN 4-04-001150-3。
- “広報かめだ No.547”. 新潟市 (1994年5月15日). 2014年8月15日閲覧。
- “広報かめだ No.737”. 亀田町 (2002年4月15日). 2014年8月15日閲覧。
- “市報にいがた 2118号6面”. 新潟市 (2007年9月30日). 2014年8月15日閲覧。