下川駅
下川駅 | |
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駅舎(1989年3月) | |
しもかわ Shimokawa | |
◄岐阜橋 (2.7 km) (4.9 km) 二ノ橋► | |
所在地 | 北海道上川郡下川町共栄町 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 名寄本線 |
キロ程 | 16.5 km(名寄起点) |
電報略号 | モハ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1919年(大正8年)10月20日[1] |
廃止年月日 | 1989年(平成元年)5月1日[1] |
備考 | 名寄本線廃線に伴い廃駅 |
下川駅(しもかわえき)は、北海道(上川支庁)上川郡下川町共栄町にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲122105[5]。
歴史
[編集]1986年(昭和61年)まで運行されていた急行「紋別」の停車駅であった。
- 1919年(大正8年)10月20日 - 鉄道院名寄線名寄 - 当駅間開通に伴い終着駅として開業[1]。一般駅[1]。
- 1920年(大正9年)10月25日 - 当駅 - 上興部間延伸開通に伴い中間駅となる。
- 1923年(大正12年)11月5日 - 線路名を名寄本線に改称、それに伴い同線の駅となる。
- 1948年(昭和23年)6月 - 営林局専用の側線を新設する。
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年) - 下川鉱山が当駅まで索道設置。
- 1962年(昭和37年) - 下川鉱山がトラック輸送に切り替え、索道廃止。
- 1969年(昭和44年)10月20日 - 開駅50周年事業として人道跨線橋を新設する[注 1]。
- 1982年(昭和57年)11月15日 - 貨物取扱いを廃止する[1]。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取扱いを廃止する[1]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承される[1]。
- 1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる[1]。
- 1991年(平成3年)1月 - 下川町のバスターミナル合同センターが当駅跡地に完成する。
駅名の由来
[編集]当駅の所在する地名(町名)より。
駅構造
[編集]廃止時点で、相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向側ホーム西側を結んだ構内踏切で連絡していた[6]。線路北側の駅舎側ホームが下り線、対向側ホームが上り線となっていた。そのほか1983年(昭和58年)時点では、下り線遠軽方から駅舎側に分岐し駅舎東側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を2線、また上り線から分岐し対向側ホームの外側(乗降不可)への貨物側線を2線、また副本線の遠軽方から分岐した側線を2線有していた[6]。
職員配置駅で、駅舎は構内の北側(遠軽方面に向かって左側)に位置し下り線ホーム中央部分に接していた[6]。
利用状況
[編集]乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | |||
1978年(昭和53年) | 366 | [7] |
駅周辺
[編集]- 国道239号(下川国道)[8]
- 北海道道330号下川停車場線
- 北海道道354号ペンケ下川停車場線
- 下川町役場
- 名寄警察署下川駐在所
- 上川北部消防事務組合下川消防署
- 下川郵便局
- 北星信用金庫下川支店
- 北はるか農業協同組合(JA北はるか)下川支所
- 五味温泉 - 駅から南に約6km[6]。
- 下川鉱山 - 駅から南東に約9.5km[6]。
- 名寄川[8]
下川町バスターミナル合同センター
[編集]名寄本線廃止に伴うバス利用者等の利便を図り、交通資料の保存展示、町民の生活文化向上を目的として1991年(平成3年)1月に開設された。バス待合室やトイレ等が設置され、エントランスホールには鉄道コーナーがあり駅の写真などが展示されている[9]。1階には下川町商工会、観光協会が入居し、2階にはコミュニティホール(大ホール)などが設置されている。
- 名士バス
- 下川町コミュニティバス
- 班渓線 - 五味温泉
駅跡
[編集]上記の下川町バスターミナル合同センターのほか、にぎわい広場、林業総合センターなどが設置された。広場には名寄本線で使用された車輌であるキハ22形気動車キハ22 237、キハ22 245の2両が連結された状態で静態保存・展示されている[10]。これらの車両は2000年(平成12年)時点では集会所として再利用されており[9]、2010年(平成22年)時点では車体にかなり痛みが見られた[11]。車内はお座敷風に改装されている。また、名寄本線の沿革が記載された「鉄道記念碑」が建立されている[12]。路盤跡は「ふるさと通り」として道路が整備された。
隣の駅
[編集]接続
[編集]旭川営林局下川営林署の管轄として、下川駅に隣接した2つのストックヤード(土場)を設置し、1956年(昭和31年)頃まで作業軌道を含む総延長40km近い森林鉄道を有しており[13]、その間下川鉱山の未精錬鉱石運搬にも使用されて、これら天然資源の貨物が下川駅を利用した。その後徐々にトラック輸送に切り替えられ、1959年(昭和34年)の森林鉄道全廃に伴い、下川駅は扱う貨物の大半を失った。
- 1936年(昭和11年) - 珊瑠森林鉄道(20km)竣工。第一土場(下川駅北側)へ運材[13]。
- 1942年(昭和17年) - 中名寄森林鉄道ペンケ線(本線10.5km、作業軌道5.5km)竣工、第二土場(下川駅南側)へ運材[13]。下川鉱山と併用。
- 1950年(昭和25年)
- - 下川鉱山が選鉱場から当駅まで索道を設置し、中名寄森林鉄道ペンケ線の利用を廃止。
- 9月 - 中名寄森林鉄道ペンケ線撤去[13]。
- 1952年(昭和27年) - 中名寄森林鉄道パンケ線(13.8km)竣工(ペンケ線の軌道を移設)[13]。
- 1956年(昭和31年) - 珊瑠森林鉄道(30km)撤去、軌道跡をトラック道に切り替え[13]。
- 1959年(昭和34年) - 中名寄森林鉄道パンケ線廃止[13]。
脚注・出典
[編集]注釈
[編集]- ^ 『旭川・鉄道八十八年の歩み』1987年(昭和62年)3月 日本国有鉄道旭川鉄道管理局 編集・発行 では10月31日竣工。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、909頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b c 1948年撮影航空写真USA-E327-44(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス)
- ^ 下川町史
- ^ 1956年測量2.5万分の1地形図「下川」
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、241頁。doi:10.11501/1873236 。2023年3月21日閲覧。
- ^ a b c d e 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)208ページより。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、904頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ a b 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)15ページより。
- ^ a b 書籍『鉄道廃線跡を歩くVII』(JTBパブリッシング、2000年1月発行)39ページより。
- ^ 書籍『全国保存鉄道III 東日本編』(監修:白川淳、JTBパブリッシング、1998年11月発行)66ページより。
- ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)33ページより。
- ^ 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行)114ページより。
- ^ a b c d e f g 『旭川営林局史』 1960年(昭和35年)12月 旭川営林局発行、P395-397。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、下川駅に関するカテゴリがあります。