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岐阜橋駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岐阜橋駅
ぎふばし
Gifubashi
矢文 (1.7 km)
(2.7 km) 下川
所在地 北海道上川郡下川町上名寄
北緯44度18分23秒 東経142度36分18.5秒 / 北緯44.30639度 東経142.605139度 / 44.30639; 142.605139座標: 北緯44度18分23秒 東経142度36分18.5秒 / 北緯44.30639度 東経142.605139度 / 44.30639; 142.605139
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 13.8 km(名寄起点)
電報略号 キハ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1956年昭和31年)10月30日[1]
廃止年月日 1989年平成元年)5月1日[1]
備考 名寄本線廃線に伴い廃駅
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1977年の岐阜橋駅と周囲約500m範囲。右が紋別方面。名寄側に十九線道の踏切があり、上へ行くと名寄川に架かる岐阜橋という名の橋がある。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

岐阜橋駅(ぎふばしえき)は、かつて北海道上川支庁上川郡下川町上名寄に設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線廃駅)である。事務管理コードは▲122104[2]

歴史

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一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で、下り2本上り3本(快速運転列車ほか)[3])。

駅名の由来

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当地に岐阜県出身の人々が入植し、名寄川に架橋した際に「岐阜橋」と名付けたことによる[4]

駅構造

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廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは、線路の北側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた[5]

仮乗降場に出自を持つ開業時からの無人駅[5]、駅舎および待合所は存在しなかった。ホームは名寄方にスロープを有し[5]、駅施設外に連絡していた。

利用状況

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乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1978年(昭和53年) 9 [6]

駅周辺

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民間へ売却され農地として利用されている。

駅跡

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2000年(平成12年)時点では、跡形も無くなっていた[8]。2010年(平成22年)時点[9]、2011年(平成23年)時点でも同様で、遺構は全く残されていなかった[10]。駅跡地は民間へ売却され、農地として利用されている。

隣の駅

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北海道旅客鉄道
名寄本線
矢文駅 - 岐阜橋駅 - 下川駅

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、909頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、241頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年3月21日閲覧 
  3. ^ 書籍『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』(監修:太田幸夫、富士コンテム、2004年2月発行)220ページより。
  4. ^ a b 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、194頁。ASIN B000J9RBUY 
  5. ^ a b c 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)207ページより。
  6. ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、903頁。doi:10.11501/12065814https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 
  7. ^ a b 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)15ページより。
  8. ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVII』(JTBパブリッシング2000年1月発行)39ページより。
  9. ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング2010年4月発行)33ページより。
  10. ^ 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社2011年9月発行)113ページより。

関連項目

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