コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ラ・サール中学校・高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラ・サール高校から転送)
ラ・サール中学校・高等学校
地図北緯31度31分48.20秒 東経130度31分40.30秒 / 北緯31.5300556度 東経130.5278611度 / 31.5300556; 130.5278611座標: 北緯31度31分48.20秒 東経130度31分40.30秒 / 北緯31.5300556度 東経130.5278611度 / 31.5300556; 130.5278611
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人ラ・サール学園
校訓 INDIVISA MANENT
設立年月日 1950年
創立記念日
(聖ラ・サールの日)
5月15日
共学・別学 男子校
中高一貫教育 併設型(外部混合有)
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
学校コード C146310000011 ウィキデータを編集(中学校)
D146310000091 ウィキデータを編集(高等学校)
高校コード 46508K
所在地 891-0192
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

ラ・サール中学校・高等学校(ラ・サールちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、鹿児島県鹿児島市小松原二丁目に所在し、中高一貫教育を実施する私立男子中学校高等学校

高等学校においては、中学校から入学した内部進学の生徒と高等学校から入学した外部進学の生徒との間において、第2学年から混合してクラスを編成する併設混合型中高一貫校である[1]

学生寮が併設されている[2]。兄弟校に函館ラ・サール中学校・高等学校北海道函館市)があり、区別するため鹿児島ラ・サールと称されることもある[3]

概要

[編集]

フランシスコ・ザビエルの来日400周年に当たる1949年(昭和24年)頃、カトリック鹿児島知牧区[4]の男子校を設立したいという要請に、世界で1,300校余りの学校を経営するラ・サール修道会(正式名称:キリスト教学校修士会 Frère des Écoles Chrétiennes、本部:ローマ)が請ける形で1950年(昭和25年)にラ・サール高等学校を開校、1956年(昭和31年)にはラ・サール中学校を設立する。男子校であることと日本の教育理念を取り込んだ教育方針[4]は地元の支持・支援を集めることとなる。早くからを設置[4]、また地元にも専門の下宿があり(現在15軒[5])、全国から生徒を受け入れる。

初代校長であるマルセル=プティは、 "Best among the best" を掲げ社会に役立つ人格形成と能力の最大限の発揮を目指した[4]。質実剛健かつ自由を重んじる学風であるとともに問題演習を基軸とした授業、頻繁に実施されるテスト、長時間の家庭学習の確保といった学習指導を展開[4]し、生徒の自律的な学習を促している。

設立母体がカトリック系修道会であり、校長は設立から現在に至るまですべてラ・サール会の修道士である。質実剛健かつ自由を重んじている。後述するように、学校年間行事の多くは生徒が主体で運営を行う。教員の監督の下で生徒の自主性を尊重している部分も多い。

教育理念

[編集]

キリスト教理念に基づいた道徳教育を行い人間性の育成を目指すことを掲げている。また、学校の大きな理念として「ラ・サール・ファミリー・スピリット」を掲げ、隣人愛の精神を養うことを目標としている。

教育方針
  1. キリスト教の広く豊かな隣人愛の精神を養う。
  2. 新時代の人間としての世界への広く正しい認識を培う。
  3. 心と体と頭の調和の取れた、社会に役立つ人間を育てる。
  4. ひとりひとりの能力を最大限に伸ばす[6]

沿革

[編集]

出典[7]

  • 1949年昭和24年)
    • 11月 - ラ・サール高等学校設置認可[8]
    • 12月 - 初代校長マルセル・プティ就任
  • 1950年4月 - 鹿児島県鹿児島郡谷山町にラ・サール高等学校開校(職員14名、第2学年1学級、第1学年4学級、生徒数190人)[8]
  • 1951年1月 - 講堂、理科教室竣工
    • 2月 - 学校法人ラ・サール学園設立認可
    • 9月 - ラ・サール生誕300年祭
  • 1952年
    • 2月 - 第1回生卒業予餞式
    • 3月 - 海岸側校舎(現中学)竣工
  • 1953年5月 - 寮舎竣工
  • 1954年
    • 2月 - 第2代校長ブノワ・ブロンデン就任
    • 11月 - ブラザーハウス全焼
  • 1955年9月 - 本館竣工
  • 1956年
    • 3月 - ラ・サール中学校設置認可
    • 4月 - ラ・サール中学校併設開校(第1回生113名入学)[9]
  • 1958年4月 - 第3代校長モーリス・ピカール(ブラザー・オーラス)就任
  • 1959年
    • 3月 - 第1回中学校卒業式
    • 10月 - 本館(普通教室4)増築
  • 1960年5月 - 創立10周年記念式典
  • 1961年
    • 6月 - 中学校舎(普通教室4)増築
    • 9月 - 第4代校長ブラザー・アンドルー就任
  • 1963年
    • 9月 - 理科教室鉄筋竣工
    • 10月 - 第5代校長大友成彦就任
  • 1964年7月 - 水泳プール竣工
  • 1965年
    • 3月 - 本館(普通教室2)鉄筋増築
    • 9月 - 天文台竣工
  • 1966年
    • 3月 - カフェテリア竣工
    • 9月 - 校地2300坪 (7603㎡) 拡張
    • 11月 - 高校校舎(普通教室6、職員室、その他)焼失
  • 1968年2月 - 高校校舎(普通教室15、職員室、校長室、その他)鉄筋4階建増築
  • 1970年
    • 9月 - 創立20周年記念式典
    • 12月 - 高校西寮増築
  • 1972年 - ラ・サール会総長チャールズ・ヘンリー来校
  • 1975年
    • 4月 - 第6代校長モーリス・ピカール(ブラザー・オーラス)就任
    • 6月 - 創立25周年記念式典
  • 1976年5月 - 聖ラ・サール胸像除幕式
  • 1977年3月 - 体育館竣工、高校東寮増築
  • 1980年5月 - 創立30周年記念式典
  • 1981年12月 - 中学寮鉄筋4階建(現部室棟)竣工
  • 1982年
    • 2月 - ラ・サール会総長パブロ・バステルチア来校
    • 12月 - 第7代校長大友成彦就任、本館(4階)中学校舎(3階)特別校舎(4階)鉄筋増改築、モーリス・ピカール学園葬
  • 1983年9月 - ブラザー・グレゴリー学園葬
  • 1984年5月 - 故モーリス・ピカールのレリーフ除幕式
  • 1986年5月 - 聖母マリア像除幕式
  • 1987年12月 - 中学寮自習室棟(現英語棟)竣工
  • 1988年9月 - ラ・サール会総長ジョン・ジョンストンら来校
  • 1989年(昭和64年/平成元年)
    • 8月 -「ラ・サール讃歌の歌碑」建立
    • 9月 - 新部室鉄骨二階建竣工(現新寮玄関付近、2013年解体)
  • 1993年8月 - 第13回全国高等学校クイズ選手権にて優勝
  • 1994年
    • 2月 - 寮木造平屋増改築(現テニスコート付近、2014年解体)
    • 12月 - 第一回クリスマスバスケットバザー
  • 1995年4月 - 第8代校長ホセ・デルコス就任、技術家庭教室竣工
  • 1996年11月 - 第2体育館改築(日立から買収、現新寮付近、2013年解体)
  • 1997年3月 - 校内食堂(カフェ・ラ・サール)増改築
  • 2001年8月 - 50周年記念会館(聖ヨセフホール)、中学6教室(c、d組)、高校3教室(A組)、会議室等竣工、新技術家庭科室竣工
  • 2002年4月 - 情報教室整備
  • 2006年9月 - 本館および理科館新築
  • 2007年9月 - 第27回全国高等学校クイズ選手権で14年ぶり2度目の優勝
  • 2013年
    • 1月 - 旧フットサルコート付近に新第二体育館竣工
    • 12月 - 旧第二体育館・英語棟・部室棟・テニスコート解体完了、新中学・高校寮竣工
  • 2014年5月 - 新英語棟・部室棟改修完了(旧中学寮)、テニスコート竣工、正門改修
  • 2016年4月 - 第9代校長ドミンゴ・ビヤミル就任(現校長)
  • 2019年4月 - 中学寮の定員が344名から360名となる。

所在地・アクセス

[編集]
ラ・サール中学校・高等学校の位置(鹿児島県内)
ラ・サール中学校・高等学校
アクセス

象徴

[編集]

校歌

[編集]

ラ・サール学園は校歌を定めていない(制定されたことはあるが、のちに廃れた)が、ジャン=バティスト・ド・ラ・サールを讃える「ラ・サール讃歌」を校歌の代わりとしてさまざまな行事で歌うことになっている。これは、全世界のラ・サール会学校で同様である(ただし函館ラ・サールでは独自の校歌が設定されている)。

制服

[編集]

着用義務(遠足などの例外を除く)のある制服がある。夏服冬服が用意されているものの年中を通してどちらも着用可能で、敷地内の寮から通学する生徒が多い上に鹿児島の温暖な気候も重なり、実際に真冬であっても半袖のシャツを着用して通学する生徒が見られる。かつては制帽も存在したが、現在では廃止されている。また、以前生徒会において制服廃止に向けた動きが活発化し私服登校の実験期間が設けられたことがあったが、生徒からの反発が多く白紙となった経緯がある。

学生服は黒の詰襟で、右襟に校章・左襟に組章を付ける。組章は中高とも1年生が緑、2年生が白、3年生が臙脂色であり、クラスのアルファベットが象られている。中学生と高校生の区別は校章により可能である。

教育

[編集]

編成

[編集]

中学は1学年約180名・4学級、高校で約60名募集し1学年約240名・6学級を設ける。クラスは中学・高校ともにアルファベットで表されるが、中学は小文字、高校は大文字で表して区別している。高校1年生は中学からの内部進学組4学級(A~D組)と高校編入組2学級(E・F組)に分けられ、概ね11月までに両者の進度を合わせる。高校2・3年生は内部進学組と高校編入組を混合し、理系4学級(A~D組)と文系2学級(E・F組)に分けられる。校内では便宜的に中学から内部進学した生徒を中上がり(ちゅうあがり)、高校から新たに入学した生徒を新高(しんこう)と呼ぶ。

教育課程

[編集]

授業はほとんどの課程で中学2年次までに中学課程の学習を修了し、高校1年次で高校2年の内容までを学習する。ブラザーによる授業が多くの学年で週に1時間ある。

英語圏出身のネイティブスピーカーの英語教員が常勤で6人おり、中学校ではコミュニケーションを重視した授業が週2時間、高校では東大をはじめとする難関大学の入試を念頭に置いた授業が週2時間ずつ行われる。外国人教員による授業は中学1年の初回から全て英語で進められ、この授業中は生徒同士であっても日本語の使用は一切禁止されている。

古文の授業は中学2年から、漢文の授業は中学3年から始まるが、中学1年では口語文法の授業が週2時間設けられている。

高2の段階から理科と地歴公民が選択制になる。理系は理科は化学が事実上必修で、物理と生物から1科目、地歴公民は日本史・世界史・地理・政経から1教科ないし1科目を選択する。文系は理科は物理基礎と生物基礎から1科目、化学基礎と地学基礎から1科目、地歴公民は日本史・世界史・地理から1教科1科目ないし2科目を選択する。

体育は中学1年から高校3年の12月末まで週3時間行われるが、高校1年では週1時間が武道柔道剣道の選択制で必修となっている。高校3年次では芸術の授業は行われない。

中学で「倫理」、高校で「聖書史」あるいは「人間学」の授業が週1回ずつ設けられていて、ブラザーが教壇に立つ。


中学1年次より毎週土曜日にも4時間の授業が行われる。また、中学3年からは8月末に1週間程度の午前授業が行われる(必修)。

国語の学習では作文や論文を書く力も重視しており、担当教員によっては中学3年で数人のグループによる小説の研究が課される。また、中学では毎年冬に弁論大会が行われ、1年生から3年生までの全員が冬休みに弁論の原稿を準備し、各クラスの予選で選抜された1名ずつ(計12名)が中学全校生徒の前で弁論を行い、国語科教員により優勝者が決定される。

また、ラ・サール学園の特徴としてはテストの多さが挙げられ、月に一度の定期考査に加えて高校1年次より開始する20分間の『朝テスト』が週3〜6回、高校2年次の2学期より開始する80分間の『週テスト』が週1回行われている。

学校行事

[編集]

桜島一周遠行をはじめとして徒歩で行われる行事が非常に多く、年に2回ある遠足も登山であることが多い。また、クラスマッチは生徒会が主体となって年2~3回行われる。各年度3回目のクラスマッチ開催の有無については生徒会の判断に委ねられるが、生徒会長選挙の公約においてその実施を掲げる生徒会長候補が多く、実際にはほぼ毎年実施されている。

遠足などは現地集合・現地解散となることがある。

年間行事

[編集]
  • 4月 入学式、宿泊研修(中1)遠足(中2、中3、高1、高2)
  • 5月 聖ラ・サールの日
  • 6月 文化祭
  • 7月 中2・高1(外部入学者)野外活動
  • 9月 体育祭
  • 10月 中3修学旅行
  • 11月 クリスマスバケットバザー、物故者追悼式
  • 12月 桜島一周遠行(高3以外)
  • 1月 入学試験(中学・高校)
  • 2月 高校卒業予餞式、弁論大会
  • 3月 中学卒業式・中学高校終業式

文化祭

[編集]

毎年6月の第1日曜日に高校2年生中心の文化祭実行委員会による運営で1日間実施される。午前中は中学はヨセフホールにてクラスごとの合唱や学年劇、希望した生徒による楽器演奏などが行われ、高校は体育館で行われる講演会に出席する。午後は中高各教室でクラスごとに準備されたものが行われ、校外からも多くの人が来校し大変な賑わいを見せる。高3文系クラスでは毎年2クラス合同で模擬出店が行われ、焼きそばやかき氷などを販売する。このほか、各部活動による出店やオーディションを通過したグループによるバンド演奏などが行われる。

体育祭

[編集]

例年9月20日前後の日曜日に高校2年生中心の体育祭実行委員会による運営で実施される。校外からの来客者も多くマスコミにも度々取り上げられるなど、大変な盛り上がりを見せる。

当日は鹿児島県出身者中心の紅軍と福岡県や本州出身者中心の白軍に分かれて熱戦を繰り広げる。各軍には高校3年生主体の応援団があり、体育祭当日の昼食後に行われる応援合戦のために夏休み明けから体育祭までの1ヶ月弱にわたって合計100時間ほどの練習を行う。なお、応援団は体育祭終了後に丸刈りにすることを条件に当日のみ頭髪の染色や加工が許される。高3生にとっては体育祭が最後の大きな学校行事となる。

クリスマスバスケットバザー

[編集]

例年11月末の日曜日に高校2年生中心のクリスマスバスケットバザー実行委員会による運営と生徒ボランティア、母の会の協力によって実施される。生徒に参加の義務はないが、来場者数や予算規模などあらゆる面で大規模で、毎年200人を優に超える生徒が実行委員会に参加し、生徒の有志実行委員参加者数は文化祭よりも多い。当日は校外からも非常に多くの人々が訪れて盛り上がる。ただし、大学受験を間近に控えた高校3年生の参加は認められていない。例年300〜500万円程度の利益が出るが、全て国内外の児童施設や慈善団体などに寄付されている。

桜島一周遠行

[編集]

毎年12月に高2以下全員参加で行われるイベント。生徒は市内にある火山島である桜島の外周約35kmを一周する。ペースは個人に任せられ、陸上部員を中心に速いペースで走る者もいるが、全コースにわたって歩く生徒もいる。火山島ということもあり海岸沿いながらアップダウンの多いルートであるが、毎年ほぼ全員が8時間以内に完走する。完走した生徒には母の会の協力でおにぎりとうどんがふるまわれる。なお、市街地から桜島へはフェリーで移動する。

部活動

[編集]

部・同好会活動への参加が奨励されており、中学で9割以上、高校で7割以上の参加率となっている。部活動はテスト期間を除いて週6回程度行われる場合が多く、練習時間は限られているものの運動部・文化部ともに市大会や県大会で優秀な成績を収めているものがある。

全国高等学校クイズ選手権

[編集]

全国高等学校クイズ選手権(通称、高校生クイズ)の常連校としても有名で、2013年8月現在全国大会出場回数は歴代2位の16回、全国大会決勝進出回数は5回と最多記録である。1993年の第13回大会で全国制覇を果たし、そして14年後の2007年の第27回大会で大会史上2校目となる2度目の全国制覇(14年ぶり2回目)を果たした(同大会では大会史上初の同一メンバーとして2年連続全国大会決勝進出)。このほか、第29回大会や第38回大会などで準優勝している。

また、全国高校生金融経済クイズ選手権(エコノミクス甲子園)においても第1回(2006年度)および第4回(2009年度)で優勝している。

課外活動

[編集]

2018年に実施された第12回科学地理オリンピック日本選手権では本校の高校2年生が金メダルを受賞し、カナダケベックで行われる国際地理オリンピック世界大会に日本代表4人の中の一員として派遣された。なお、この大会でメダルを受賞した64人のうち7人がラ・サール高校の生徒である。

大学進学実績

[編集]

例年、東京大学をはじめとする難関大学や、医学部医学科に進学する生徒が多い[11]。特に、医学部医学科への進学者数、進学率は全国でも上位である[12]

入試

[編集]

現在は毎年1月末に中学・高校それぞれ1日間ずつ実施されている。中学入試では国語・算数・社会・理科の4教科、高校入試では英語・国語・数学・社会・理科の5教科が課される。高校入試の英語の試験では、外国人教員らが吹き込んだ音声にてリスニング問題が課される。

寮を併設している上に校外での入試を一切行わないため、当日は首都圏など遠方からも大勢の受験生が訪れる。なお以前は中学入試・高校入試ともに2日間の日程で行われていた。

入試の際、在学校が発行する調査書(内申書)を必要としない。ただし健康診断書(学校が発行するものでも、医療機関が発行するものでも可)を必要とする。

著名な関係者

[編集]

政治・行政

[編集]

学術

[編集]

経済

[編集]

マスコミ

[編集]

芸能・アーティスト

[編集]

安全保障

[編集]

教諭

[編集]

施設

[編集]

中学生は校内で学年別に色分けされた指定のサンダルに履き替えて授業を受ける。高校生は外靴での受講が許可されている。なお、中学・高校ともにサンダルでの登下校は禁止されている(ただし下駄での登下校は可)。

敷地内にブラザーハウスと聖堂があり毎週金曜日にミサが行われ、希望者は自由に参加できる。

寮・下宿

[編集]

遠方からの生徒は、寮・下宿で生活することになる。入寮生は毎年抽選で決まる(ほぼ全ての生徒が入寮できるが、人数の多い学年では定員の関係で抽選に溢れる生徒もいる)。校内に中学寮である松風寮と高校1,2年生向けの高校寮である東寮・西寮が設置されていたが、2013年12月、旧第2体育館跡地に新寮が完成したのに合わせ、全ての寮の機能は新寮舎に集約されることになる。スマートフォンなどの機器は持ち込むことはできない。

新寮

[編集]

旧寮の老朽化に伴い2013年12月に完成し、2014年1月より利用が始まった。かつて複数の建物に分散していた寮の機能が全て一つの建物に集約され、利便性や安全性が大幅に向上した。

食堂などの共用スペースが1階、生活スペースが2階から4階となっており、中学寮と高校寮は建物こそ同じものの、1階を除き内部で完全に区切られている。居室は旧寮と同じく中学が8人部屋、高校が個室となっており、中学高校共に各階自習室が設けられている。

旧寮

[編集]

8人部屋の中学寮(4階建て)と6人部屋の松風寮、高校1,2年生向けで個室の高校寮(東寮・西寮)が設置されていた。さらにその前は中学の寮は1980年までは中1から中3までの最大約100人が同室で暮らす部屋が複数あった。

かつて松風寮には高校から入学した高校1年生の一部が入寮したが、中学入学者が増えた際に中学生限定の寮となった。

なお、2013年の新寮の完成に伴い、中学寮は英語棟と部室棟に改装された。その他の建物は全て取り壊され、跡地にテニスコート6面が完成した。

下宿

[編集]

受験直前の高校3年生は寮生活が相応しくないとして、全員が学校近辺の指定下宿で暮らす。なお高2以下でも寮の抽選に溢れた生徒や希望者は下宿に住むが、希望者は殆ど高校生であった。

対外関係

[編集]

姉妹校・兄弟校

[編集]

関連施設

[編集]

児童養護施設

[編集]

学生寮

[編集]

本校を舞台にした作品

[編集]
  • ネバーランド』 - 恩田陸の小説、およびこれを舞台にしたテレビドラマ。公式にはモデルは明らかにされていないが、この作品の設定である「全国有数の有名私立男子校進学校」「寮がある」「九州」「南国」という特徴をすべて持つ高校は本校に絞られる。
  • 若者たちはいま』第16回「全寮生中学日記 -鹿児島ラ・サール学園-」 - 1976年1月25日および1976年2月6日にNHK総合テレビで放送されたドキュメンタリー番組。

脚注

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ 学園の特色”. ラ・サール学園. 2016年5月26日閲覧。
  2. ^ 学生寮について”. ラ・サール学園. 2021年11月28日閲覧。
  3. ^ 例として、第38回全国高等学校クイズ選手権で本校と函館ラ・サール高校がともに準決勝まで勝ち上がった際は鹿児島ラ・サールの表記が用いられた。
  4. ^ a b c d e 『2001年 価値ある学校(ラッキースクール)を探そう 関西男子校+共学校』旺文社、2000年7月1日。ISBN 4-01-008958-X 
  5. ^ 下宿について | 入学案内”. ラ・サール学園. 2016年5月26日閲覧。
  6. ^ 学園案内”. ラ・サール学園. 2023年12月1日閲覧。
  7. ^ 学園の沿革”. ラ・サール学園. 2019年6月25日閲覧。
  8. ^ a b 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 703.
  9. ^ 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 774.
  10. ^ 鹿児島県立楠隼中学校・高等学校の方が僅かに緯度が低い
  11. ^ ラ・サール高等学校の卒業生の進路情報 | 高校選びならJS日本の学校
  12. ^ トップは11年連続で東海 「医学部」に強い高校の共通点は“寮”? (2・3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)”. 週刊朝日. 2018年8月27日閲覧。
  13. ^ “毎日フォーラム・霞が関ふるさと記  宮崎県”. 毎日新聞デジタル (毎日新聞社). (2019年2月8日). https://mainichi.jp/articles/20190206/org/00m/010/010000d 2024年10月31日閲覧。 
  14. ^ “同級生交歓|ラ・サール中学・高校(昭和50年卒)”. 文春オンライン (文藝春秋). (2020年3月7日). https://bungeishunju.com/n/n9441d5f9aa38 2024年3月31日閲覧。 

参考文献

[編集]

関連書籍

[編集]
  • 『秀才男子を育てる!ラ・サール学園「寮めしレシピ」』(集英社)
  • 『パブリック・スクールと日本の名門校―なぜ彼らはトップであり続けるのか』(平凡社新書)

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]