コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

津村重光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
津村重光
つむら しげみつ
生年月日 (1947-11-16) 1947年11月16日(76歳)
出生地 日本の旗 日本 宮崎県宮崎市
出身校 京都大学法学部卒業
前職 旭化成社員
所属政党民社党→)
無所属

第22-25代 宮崎市長
当選回数 4回
在任期間 1994年2月6日 - 2010年2月5日

在任期間 1975年 - 1990年
テンプレートを表示

津村 重光(つむら しげみつ、1947年昭和22年)11月16日[1] - )は、日本政治家。第22 - 25代宮崎市長(1994年 - 2010年)。宮崎県宮崎市出身。

略歴

[編集]

宮崎大学学芸学部附属中学校ラ・サール高等学校京都大学法学部卒業。

1971年旭化成に入社。1975年宮崎県議会議員(民社党)に初当選。1990年辞職し宮崎市長選に出馬するが落選、1994年2月に再度宮崎市長選に挑み初当選。

2006年宮崎市長選挙

[編集]

2006年1月29日、同月1日に宮崎市に編入された佐土原町の町長だった戸敷正ら新人2人を破って、4選を果たした[2]

※当日有権者数:291,140人 最終投票率:53.67%(前回比:-pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
津村重光58無所属79,986票51.4%-
戸敷正53無所属70,176票45.1%-
松本隆44日本共産党5,369票3.5%-

2010年の市長選を期に政界から引退した[3][4]。同年の市長選では地域コミュニティ税廃止を掲げた戸敷が当選した[4]

2023年、旭日中綬章受章[5]。2024年、宮崎市名誉市民に選ばれる[6]

実績

[編集]

主な実績として人口50万規模の「大宮崎市構想」の下に進めた宮崎市の中核市への移行(1998年)、田野町高岡町佐土原町の編入(2006年)、清武町との合併調印[7]がある。

3期目はイオンモール宮崎の出店問題(2001年-2002年)、4期目は橘通り国道220号)を3車線から2車線へとし残りの1車線を公園化する構想(2009年に事実上断念)、地域コミュニティ税の導入(2009年)など市を二分する議論が相次いだ[8]

著書

[編集]
  • 『津村重光の本 ある団塊世代半世紀の軌跡』(鉱脈社、2002年)
  • 『我 事において後悔せず』(宮日文化情報センター、2015年)

脚注

[編集]
  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、430頁。
  2. ^ 宮崎市長選挙 - 2006年01月29日投票 | 宮崎県宮崎市”. 選挙ドットコム. 2022年2月8日閲覧。
  3. ^ 津村市長引退表明 宮崎日日新聞、2009年9月22日付社説。
  4. ^ a b 宮崎市長選挙 - 2010年01月24日投票 | 宮崎県宮崎市”. 選挙ドットコム. 2022年2月8日閲覧。
  5. ^ 『官報』号外第93号、令和5年5月1日
  6. ^ 宮崎市名誉市民について” (2024年10月4日). 2024年10月19日閲覧。
  7. ^ 清武町は津村の引退後の2010年3月に編入された。
  8. ^ 津村市政16年 1…全方位外交 宮崎日日新聞、2009年11月21日。