コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ラグビーリーグ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラグビーリーグ
攻撃側が2人の守備側の選手を避けようとしている
統括団体 国際ラグビーリーグ連盟
通称 リーグ、RL、Rugby XIII(ヨーロッパ)、フッティー、フットボール(オセアニア地域)
起源 1895年9月7日、ラグビーユニオンとの分裂
特徴
身体接触 フルコンタクト
選手数 13名
男女混合 単独
カテゴリ 屋外チームスポーツ
ボール ラグビーボール
競技場 ラグビーリーグ場
テンプレートを表示

ラグビーリーグ: Rugby league)は、フルコンタクトスポーツの一種である。1チーム13名ずつの2チームが、幅68メートル、長さ112—122メートルの長方形のフィールド上で競技する[1]リーグラグビーと呼ばれることもある[2]ラグビーフットボール2つのコード(code、法典)のうちの1つであり、選手への支払い問題のためイングランドラグビー・フットボール・ユニオンから分離した1895年に起源がある[3]日本で一般に「ラグビー」と呼ばれているのは15人制のラグビーユニオンである。プロ化が分離の原因であったため、リーグ側は観客のためにより速く[4][5]、より面白い試合を作り出す目的で徐々にルールを変更していった[6]

ラグビーリーグはパプアニューギニアの国民的スポーツであり[7][8][9]イングランド北部英語版[10]オーストラリア東部[11]ニュージーランド南オークランド英語版フランス南西部、レバノンで人気がある[12]

ヨーロッパのスーパーリーグオーストラリアNRLがクラブの最高位の大会である。主にヨーロッパオーストララシア太平洋の国同士の国際試合も行われ、国際競技連盟である国際ラグビーリーグ連盟によって統括されている。最初のラグビーリーグ・ワールドカップは1954年にフランスで開催された。オーストラリアワールドカップを2017年から保持している[13]

概要

[編集]

1895年8月29日、休業補償問題がきっかけで、主に北イングランドのラグビークラブにより「ノーザン・ラグビー・フットボール・ユニオン」(NRFU) が結成された。当時、北部の選手は週6日働いていたが、ラグビーの試合はほとんど土曜日に開催されることが多かった。したがって試合に出るには仕事を休まなければならず、補償もなかった。一方、南部の裕福な選手は週5日労働で土曜日は休み。そこで北部のラグビークラブは南部のラグビー・フットボール・ユニオン (RFU) に、仕事を休んで試合に出た選手に報酬をわたすことを提案したが、RFUは受け入れず、新団体の結成に至った[14]

NRFU結成時点ではラグビーリーグとラグビーユニオンのルールは全く同一のものであったが、NRFUの選手のほとんどが日曜日以外の平日に出勤する必要のあった、今日的な意味でのアマチュア選手がほとんどであったことから、ラック・モール・ラインアウトなどの負傷の危険性が高い(少なくともNRFUがそう考えた)ルールが廃止され、現在のラグビーリーグのルールが確立されていった。

また、ラグビーリーグは設立の理由自体が金銭問題であったため、選手の金銭の授受に関してはきわめて寛容であり、そのためプロ選手が早くから存在していたが、ラグビーリーグ自体はプロ選手専用競技と言うわけではなく、アマチュア選手も存在している。

語源

[編集]

「ラグビーリーグフットボール」は、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドにおいて1895年から1908年の間にラグビー・フットボール・ユニオン (RFU) から分裂した団体名からその名称を取っている。

そのうちの一つ、「ノーザン・ラグビー・フットボール・ユニオン」(NRFU) は、イングランドのラグビー・フットボール・ユニオンの分派として1895年に設立された。双方の組織は当初同じルールで試合を行っていたが、ノーザン・ユニオンはすぐにルールの修正を始め、より速いペースで行われるラグビー競技を作り上げていった。1907年および1908年にオーストラリアおよびニュージーランドにおいて、RFU系協会から同様の分派が分裂、「ラグビーフットボールリーグ」と改称し、ノーザン・ユニオンのルールを導入した[15]。1922年、ノーザン・ユニオンも名称を「ラグビー・フットボール・リーグ」へ改称し[16]、そのうちにこのスポーツ自身も「ラグビーリーグ」フットボールとして知られるようになった。

歴史

[編集]
史上初のチャレンジカップ決勝(1897年): バットレイ(左)対セント・ヘレンズ(右)
ジョージホテル(ハダーズフィールド)

1895年8月29日、主に北イングランドのラグビークラブにより「ノーザン・ラグビー・フットボール・ユニオン」(NRFU) が結成され、ラグビーフットボールは分裂した[17]労働者階級の北部のチームの成功など多くの要素がこの分裂の要因となったものの、主な意見の相違はRFUがアマチュア主義を強化し、選手への「休業補償」の支払いを認めなかったことが原因であった。

当時、ラグビーの試合はほとんど土曜日に開催されることが多かった。これは、宗教的な慣習により日曜日にスポーツをプレーすることが禁止されていたこと、そして19世紀に制定された工場法によって一定の労働者に対して土曜日に半日の休みが与えられるようになったためである[18]。しかし、炭鉱労働者や工場労働者など労働者階級の北部の選手は週6日働いていたため、試合に出るには仕事を休まなければならず、補償もなかった。

一方、南部の裕福なチームはアマチュア主義を維持するための他の収入源を有していた[3]。そこで北部のラグビークラブは南部のラグビー・フットボール・ユニオン (RFU) に、仕事を休んで試合に出た選手に報酬をわたすことを提案したが、RFUは受け入れなかった。

1895年に入場料を徴収した競技場でのラグビーの開催を禁止する命令をRFUが出したことが、1895年8月29日の有名な会合へとつながった。22のクラブ(と電話で参加したストックポート)がハダーズフィールドのジョージホテルで会合を開き、「ノーザン・ラグビー・フットボール・ユニオン」を結成した[14]。ハダーズフィールドでの初会合から15年以内に、200以上のクラブがRFUを脱退しNRFUに加入した。

1897年に、ラインアウトが廃止され[19]1898年プロフェッショナリズムが導入された[20]。1906年、ルールを変更し、1チームは15人から13人に減り、タックル後に作られるラックはプレー・ザ・ボールに置き換わった[21]。これらのルール変更の目的の一つは、NRFUの選手のほとんどが日曜日以外の平日に出勤する必要のあった、今日的な意味でのアマチュア選手がほとんどであったことから、ラック・モール・ラインアウトなどの負傷の可能性が高い(少なくともNRFUがそう考えた)プレーを排除することであった。

イングランドで起こったものと同様の分裂は、オーストラリアシドニーでも起こった。1907年8月8日、ニューサウスウェールズ・ラグビー・フットボール・リーグがシドニーのBateman'sホテルで創設された[22]。ラグビーリーグはニューサウスウェールズ州とクイーンズランド州での主要なフットボールコードとしてラグビーユニオンに取って代わっていった[23]

1954年5月5日に、イングランドブラッドフォード、オッドサル・スタジアムで行われた1953-54 ラグビーリーグチャレンジカップ決勝は102,569人の観衆を集め、ラグビーユニオンとラグビーリーグを含むラグビーフットボールの試合の新記録を打ち立てた[22]。また、1954年には、フランスの勧めによってラグビー界で初の世界大会であるラグビーリーグワールドカップが開催された。

1966年、国際評議会は、タックルは3回まで許され、4回目のタックルでスクラムとなるルールを導入した。タックルの回数は1972年に6回に増え、1983年にはボール所有権の引渡しがスクラムに取って代わった[24]

1967年には、初の日曜日の国際試合が行われた。

ノーザン・ラグビー・フットボール・リーグ1971-72シーズンからテトリーズ・ブルワリージョン・プレイヤーが初のスポンサーとなった。

1990年代にルパート・マードックニューズ・コープが全世界への放映権を有無を言わさず求めた時、ラグビーリーグは非常に大きな影響を受けた。メディアの巨人による「スーパーリーグ」運動は、この競技の伝統的な管理者に対して大きな変化を求めた。ヨーロッパでは、新たなスーパーリーグ競技会が市場を広げようとしたため冬のスポーツから夏のスポーツに移動する結果となった。オーストララシアでは、スーパーリーグ戦争の結果として、長く費用のかかる法廷闘争とファン離れが起こり、非常に競争の激しいスポーツ市場におけるラグビーリーグに対して顕著な損害を与えることとなった。

1997年には、オーストラリアでは2つのリーグが同時に開催されていた。その後、ナショナルラグビーリーグ (NRL) の設立に関する平和協定が結ばれた。

日本におけるラグビーリーグ

[編集]

1993年に日本でも始まり、1994年には日本ラグビーリーグができ、日本人プロ第1号の今長賢二を皮切りに海外でリーグで活躍する選手も現れている[25]日本ラグビーリーグ協会[26][27][28]を中心に普及がすすめられている。

規則

[編集]
ラグビーリーグのフィールド。ゴールライン間の距離は100メートル幅は68メートル。ラグビーユニオン(70メートル)より幅が僅かに狭い。

試合時間は40分ハーフで、前後半で陣地を入れ替える。同点だった場合は、大会の形式に応じて、引き分けが宣言されるか、ゴールデンポイントルールによる延長戦へ突入する。

ラグビーリーグでは、対戦相手側の指定されたゴールラインを越えるまでボールを手で持って運ぶかキックで前進させ、グラウンドにボールをタッチさせることで点が得られる。これは「トライ」と呼ばれ、主要な得点方法であり[29]、4点が与えられる。対戦相手はボールを運ぶ選手をタックルし前進を妨害することで攻撃側の得点を阻止するよう試みる[29]。攻撃側は相手の守備を回避するために、ボールを他の選手にパスする。トライで得点したチームはゴールポストにキックする権利を得る(コンバージョンキック)。成功するとさらに2点が与えられる。ゴールポストへのキックは相手の反則によっても与えられ、成功するとやはり2点が与えられる(ペナルティーキック)。ドロップキックは通常のプレー中にいつでも試みることができるが、この場合は1点となる。ラグビーユニオンと比べるとラック・モール・ラインアウトなどが存在しない。また、スクラムのルールは残っているが、ラグビーユニオンと違い、形式的なプレイであるため、不要であり廃止すべきだという意見が永年となえられている。

ラグビーリーグにおけるパスは後方あるいは横方向にのみ許される。ゆえに、チームメイトはボールを保持した選手の前方へ動かないようにしなければならない。ボールを前方に蹴ってもよいが、蹴った時点でキッカーの前方にいたチームメイトはオフサイドであり、ボールを触ることができない。タックルはラグビーリーグのプレーの鍵となる要素である。ボールを持つ選手に対してのみタックルが許される。タックルは、選手が相手に捕まえられた状態で、前進が止まったり、ボールやボールを持つ手・腕が地面に付いたりした時に完了する。攻撃チームは、ボール保持権が移る前に、前進するため最大6回のタックルを受けることができる。タックルが成立するとプレーが中断。タックルを受けたプレーヤーは、ボールを足下に置き、足で後方へ転がすことによってプレーが再開される(「プレイ・ザ・ボール」)。ボールコントロールも重要であり、ボールを自分の前方にファンブルするとノックオンと呼ばれる反則になり、相手ボールのスクラムで試合が再開される。また、ボールをサイドライン(タッチライン)の外側に出した場合も、相手ボールのスクラムになる。

ポジション

[編集]
2008年のボクシング・デーヘディングリー・スタジアムウェイクフィールド・トリニティ・ワイルドキャッツと親善試合を行っているリーズ・ライノズ

フィールド上の選手はフォワードとバックスに分けられているが、ルールは全ての選手に同様に適用される。それぞれのポジションは他の選手と識別するために数字が付けられている。これらの数字はある人物がどのポジションをプレーしているかを同定する助けとなる。選手への数字の付け方は、試合がプレーされる国によって異なる。オーストラリアおよびニュージーランドでは、それぞれの選手はプレーするフィールド上のポジションに応じた数字が大抵与えられる。しかしながら、1996年から、欧州のチームでは選手に特定の背番号を与えることが可能となっている(サッカーと同様)[30]

選手交替も許されている。戦術的に選手交替を行うこともできるが、通常は選手が疲労あるいは怪我をした時に行われる。現在それぞれのチームは4人の選手交替が認められており、オーストラリアおよびニュージーランドでは、これらの選手は14番から22番の背番号を占めている[31]。交替した選手は再び交替選手としてフィールド上に出ることができる。一般的に、それぞれのチームは1試合12回の交替が許されているが、NRLでは2008シーズン開始前から10回に減らされた[32]出血による一時交替あるいは相手チームの反則行為の結果選手が負傷し選手交替をしなければならない場合、交替回数は消費されない。

バックス

[編集]

バックスは一般的にフォワードと比較して、より小型で、より速く、より敏捷性がある。バックスはしばしばフィールド上で最も創造的で捕えがたい選手であり、守備ラインを破るために力尽くではなく、戦術やセットプレー、ランニング、キッキング、ハンドリング技術を用いる。一般的にフォワードが大半の仕事(ヒットアップやタックル)をこなす。

  • フルバック(fullback、1番)という名称は、守備ラインの後方に位置し、キックやラインを破ったランナーに備えるフルバックの守備位置から来ている。それゆえに、フルバックは通常よい捕球技術を持ち、冷静なタックラーである。攻撃において、フルバックはランを行うか、ランナーをサポートする。フルバックは攻撃においてハーフバックやファイブエイスと同様の役割を果たすことができる。
  • ウインガー(winger、2番、5番)あるいはウィング・スリー=クォーターは、通常チームで最速の選手であり、フィールドの左端と右端(つまりウイング〔翼〕)でプレーする。主な仕事はパスを受け取ることとトライで得点することである。キックについてフルバックがフィールドの中央をカバーするのに対して、ウインガーはフィールドの右側および左側をカバーするために後退する。
  • センター(centre、3番、4番)あるいはセンター・スリー=クォーターはウイングから1つ内側のポジションであり、共にスリー=クォーターラインを形作る。大抵は力と視野を兼ね備えており、主な役割はチームのために攻撃機会を作り出すこと、相手の攻撃に対して守備を行うことである。ウインガーと共に、センターは多くのトライを決める。大抵は体格が大きく、ゆえにセカンドロー・フォワードとしてもしばしばプレーできる。

大抵、スタンドオフ・ハーフとスクラムハーフはチームで創造的な役割を担う「プレーメーカー」である。スタンドオフハーフとスクラムハーフはチームのほとんどのパス攻撃に関与する。

  • スタンドオフ・ハーフ(stand-off half、6番)あるいはピボットファイブ-エイス: スタンドオフ・ハーフとスクラムハーフのどちらも「フォワードプレー」の際にはパックの前方で、「バックプレー」の際にはバックスの前方でプレーできるという点では、両者にそれほどの違いはない。スタンドオフ・ハーフのポジションはスクラムにおける選手の役割や位置に従って命名されている。
  • スクラムハーフ7番)あるいはハーフバック: スタンドオフ・ハーフとの間に大きな違いはない。スクラムハーフのポジションはスクラムにおける選手の役割や位置に従って命名されている。

フォワード

[編集]
ラグビーリーグは激しい身体的プレーが特徴である。

フォワードの2つの責務は「ノーマルプレー」と「スクラムプレー」に分けることができる。フォワードのポジションはスクラムにおける選手の位置に因んで伝統的に命名されており、フッカーを除くと「ノーマルプレー」に関しては違いはない。

  • プロップ(prop、8番、10番)あるいはインフロント・フォワードは通常フィールド上で最も大きな選手である。プロップはラインの中央に位置する。プロップは相手の守備ラインの中央からの攻撃を制止する「用心棒」であり、攻撃においては、積極的に守備側へボールを運ぶことによってチームに推進力を与える。
  • フッカー(hooker、9番)はダミーハーフの役割を果たす可能性が高い。守備において、フッカーは大抵相手のプロップあるいはセカンドローの選手に対してラインの中央を守備する。攻撃においては、ダミーハーフとして適切な選手にパスするか、絶好の機会には自らランを行うことによって全てのプレー・ザ・ボールからプレーを開始する役割を担っている。フッカーには高いパスの能力が必須である。伝統的に、フッカーはスクラムにおいてボールを掻き込む(フックする)役目である。また、フィールド上のどの選手よりもタックルを行う機会が多い。フッカーは常にプレーに関与している。フッカーは試合や周りの選手について非常に良い知識を有している必要がある。
  • セカンドロー・フォワード(second row forward、11番、12番): 現代において、セカンドローはセンターと非常に似通っており、より速いこと、より機動性があることを期待され、プロップよりも技術が高く、スリー・クォーターズの間でプレーし、ボールがウイングにパスされた時には攻撃および守備に強さを与える。よりセカンドローの選手は技術とプロップおよびセンターの責任を兼ね備えている。
  • ルース・フォワード(loose forward、13番)あるいはロックは、スクラムの3列目(最後列)に位置する唯一のフォワードである。フィールド上で最も精力的な選手であり、攻撃および守備の義務を担って全フィールドをカバーする。典型的に、大型のランナーであり、パスの受け渡しやキックに関与することもある。

世界でのラグビーリーグ

[編集]

ラグビーリーグは世界中の30を越える国々でプレーされており、RLIF(国際ラグビーリーグ連盟)では27の国がランクされている[33]オーストラリアイングランドニュージーランドが強豪国である。ラグビーリーグ・ワールドカップが代表での最高位の大会であり、現在は14チーム(ランキング順: オーストラリア、ニュージーランド、イングランド、フランスフィジーウェールズパプアニューギニアサモアアイルランドアメリカ合衆国スコットランドイタリアトンガクック諸島)が参加している。以前、レバノンロシア南アフリカがワールドカップに参加したことがある。

シドニー、オリンピック・スタジアムで行われたブリスベン・ブロンコズメルボルン・ストームとの間の2006 NRLグランドファイナル。

ラグビーリーグは南太平洋の国々で特に人気がある。オーストラリアでは3番目に観客数が多いスポーツであり、ラグビーユニオンよりも人気が高い[34](2013年。1位オーストラリアンフットボール、2位競馬、7位ラグビーユニオン)、パプアニューギニアはラグビーリーグを国技とする唯一の国である[8][9]。オーストラリアのトップリーグであるNRL(ナショナルラグビーリーグ)にはニュージーランド最大の都市オークランドから1チームが参加している。

ラグビーリーグはオーストラリア東部のニューサウスウェールズ州クイーンズランド州オーストラリア首都特別地域では支配的な冬のスポーツである[35]。トンガでも普及しており[36]サモアクック諸島といったその他の太平洋の国々でもプレーされている。オーストラリアのその他の地域でも、毎年開催されるステート・オブ・オリジン(ニューサウスウェールズ州選抜とクイーンズランド州選抜の対抗戦)は最も人気のあるスポーツイベントの1つである[37][38]

ラグビーリーグヨーロッパ連盟 (RLEF) は欧州および北半球におけるラグビーリーグの発展を担っており[39]、アジア太平洋地域にはアジア太平洋ラグビーリーグ連合 (APRLC) がある[40]ラグビーリーグヨーロピアンカップおよびパシフィック・カップがRLEFおよびAPRLCによってそれぞれ開催されている。ヨーロピアンカップとパシフィックカップの優勝国は1年毎にフォーネイションズの第4枠としてオーストラリア、ニュージーランド、イングランドと対戦する。

リーズ・ライノズハルFCとの試合(2009年5月)

イングランドでは、ラグビーリーグは伝統的にこの競技の発祥の地であるヨークシャーランカシャーカンブリアなど北部のカウンティと結び付いているが、その人気は他の場所でも高まっている[41][42][43]。現在、スーパーリーグに所属する14チームの内2チームはこれらの伝統的カウンティ外を拠点としている(ロンドン・ブロンコズカタラン・ドラゴンズ)。ラグビー・フットボール・リーグ (RFL) によって発表された数字では、2008年10月以前の12カ月で女性のプレー人口が81%増加しており、男女共に若年層のプレー人口も増加している[44]。2008年10月現在で、4万人を超える選手がRFLによって登録されている[44]

フランスでは1934年にようやくラグビーリーグが初めてプレーされ、1930年代に(ユニオン側の)フランスラグビー協会の状態が愛想を尽かされたため人気が上昇した[45]。しかしながら、1940年6月に連合国がドイツによって破られた後、南部のヴィシー政権はラグビーリーグの機関とクラブに属する資産を差し押さえ、戦前にフランスを統治していた左翼人民戦線政府とのつながりからラグビーリーグを禁止した[45]。ラグビーリーグは1944年8月のパリ解放とヴィシー政権の崩壊後に禁止を解かれたが、1990年代までフランス当局によって無視されていた[45]。これにもかかわらず、フランス代表は1954年と1968年のワールドカップの決勝に進出し、1954年大会を主催した[46][47]。1996年、フランスのチームパリ・サンジェルマンは新たに設立されたヨーロッパスーパーリーグの11チームの1つとなったが、クラブは利益を上げられず、観客動員も少なく1997年に解散した[48]。2006年、スーパーリーグは南ラングドック=ルシヨン地域圏ペルピニャンのチームであるカタラン・ドラゴンの参加を承認した[49]。カタラン・ドラゴンは続いて2007年チャレンジカップファイナルに進出し、2008年スーパーリーグXIIIのプレーオフに進出した。スーパーリーグにおける「ドラゴン」の成功によってフランスのラグビーリーグの復興が始まり、シャンピオナ・ドゥ・フランス・エリート・アン(フランスエリート1選手権)のほとんどのチームの本拠とする南部において熱狂が芽生えた。

21世紀初頭にはその他の国々がラグビーリーグを再開し、ラグビーリーグ欧州連盟ドイツスウェーデンノルウェーハンガリーといった新たな地域にラグビーリーグを広めようと努力している[50][51][52]

国内大会

[編集]

完全にプロ化された2つの主要なリーグとしてはオーストララシアナショナルラグビーリーグ(NRL)と欧州のスーパーリーグがあり、セミプロリーグとしてフランスのエリート1選手権エリート2選手権がある。NRLやスーパーリーグの下部に存在する国内セミプロリーグ、特に州あるいはカウンティレベルのリーグには、オーストラリアではクイーンズランド・カップ(パプアニューギニアからの1チームを含む)とニューサウスウェールズ・カップがある。イギリスでは、スーパーリーグの下部にチャンピオンシップリーグ1がある。フィジーラグビーリーグ全国競技会もセミプロチームを運営している[53]。その他の国々ではラグビーリーグはアマチュアレベルでプレーされている。

観客動員記録

[編集]

国際大会

[編集]
試合 日付 結果 会場 開催都市 観衆
2013 ワールドカップ決勝 2013年11月30日 オーストラリア 34-2 ニュージーランド オールド・トラッフォード マンチェスター 74,468
1992 ワールドカップ決勝 1992年10月24日 オーストラリア 10-6 グレートブリテン ウェンブリー・スタジアム ロンドン 73,631
1932 Ashesシリーズ第1試合 1932年6月6日 イングランド 8-6 オーストラリア シドニー・クリケット・グラウンド シドニー 70,204
1962 Ashesシリーズ第1試合 1962年6月9日 グレートブリテン 31-12 オーストラリア シドニー・クリケット・グラウンド シドニー 70,174
1958 Ashesシリーズ第1試合 1958年6月14日 オーストラリア 25-8 グレートブリテン シドニー・クリケット・グラウンド シドニー 68,777

国内大会

[編集]
試合 日付 結果 会場 開催都市 観衆
1999 NRLグランドファイナル 1999年9月26日 メルボルン 20-18 セントジョージ・イラワラ・ドラゴンズ スタジアム・オーストラリア シドニー 107,999
1999 NRLシーズン ラウンド1 1999年3月6日 パラマタ・イールズ 20-10 セントジョージ・イラワラ・ドラゴンズ スタジアム・オーストラリア シドニー 104,583
1954 チャレンジカップファイナル再試合 1954年5月5日 ウォリントン 8-4 ハリファックス オッドサル・スタジアム ブラッドフォード 102,569[表注 1]
1985 チャレンジカップファイナル 1985年5月4日 ウィガン 28-24 ハル ウェンブリー・スタジアム ロンドン 99,801
1966 チャレンジカップファイナル 1966年5月21日 セント・ヘレンズ 21-2 ウィガン ウェンブリー・スタジアム ロンドン 98,536
  1. ^ 公式観客動員数。非公式の推計では15万人を数え、ブラッドフォード警察は12万人を確認している。

特徴とラグビーユニオンとの違い

[編集]
  • ラックモールといった密集状態を排除するなど、常にゲームを流動的にさせる点に重きが置かれている。
  • オフェンス側のプレーヤーに対するタックルが成立するとプレーを中断。タックルを受けたプレーヤーは、ボールを足下に置き、足で後方へ転がすことによって始まる(「プレイ・ザ・ボール」)。
  • オフェンス側のプレーヤーに対するタックルが6回成立すると攻守交代となる。6回目が成立した地点で攻撃権が相手に移るが(相手のプレイ・ザ・ボールで再開)、自陣のゴールラインに近いほど不利になるため、5回目が成立すると敵陣方向へボールを大きく蹴りこんで攻撃権を相手に渡したり、ドロップゴールを狙ったりする。
  • 一般的にスクラムやキックの頻度が少ない。またスクラムは押し合いが無く形だけで、ほとんどボール投入側がボールをとる。
  • ノックオンスローフォワードといった軽い反則だけでなく、ボールがタッチラインを越えた時もスクラムで試合が再開される。ラグビーユニオンと違ってラインアウトはない。
  • トライの得点は4点。トライ後のコンバージョンキックでの得点が2点。ペナルティゴールで得る得点が2点、ドロップゴールの得点が1点となる。
  • プレイヤーの背番号の順序がユニオンと逆(ユニオン:フォワード→バックスの順、リーグ:バックス→フォワードの順)である。だが、最近では、ポジションと背番号は必ずしも一致しない場合も出てきている。

脚注

[編集]
  1. ^ " Rugby League Pitch Dimensions & Markings””. 16 August 2019閲覧。
  2. ^ jsrugby (2014年4月24日). “2014 スーパーラグビー 今週の注目カード”. 2014 スーパーラグビー 今週の注目カード - J SPORTS 世界ラグビーNAVI - スポーツナビ+. 2017年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月24日閲覧。
  3. ^ a b Tony Collins, Rugby League in Twentieth Century Britain (2006), p.3
  4. ^ Scianitti, Matthew (18 June 2011). “The world awaits for Canada’s rugby team”. National Post. オリジナルの2013年1月29日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20130129194424/http://sports.nationalpost.com/2011/06/18/the-world-awaits-for-canadas-rugby-team/ 27 May 2012閲覧。 
  5. ^ newzealandnow.govt.nz. “Sports”. Life in New Zealand. New Zealand Government. 16 June 2012閲覧。
  6. ^ Middleton, David (2008-03). League of Legends: 100 Years of Rugby League in Australia. National Museum of Australia. pp. 27. ISBN 978-1-876944-64-3. オリジナルの2011年1月1日時点におけるアーカイブ。. https://webcitation.org/5vOqcfMBT?url=http://www.nma.gov.au/shared/libraries/attachments/league_of_legends/rugby_league_a_work_in_progress/files/22453/F_RL_work_in_progress.pdf , quote: "When rugby league cast itself free of an arrogant rugby union 100 years ago, it did so with a sense of re-invention. It was not just about creating better conditions for the players but about striving to produce a better game; a less complicated brand that would appeal to the masses."
  7. ^ Rugby League, a uniting force in PNG”. 27 May 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。8 August 2012閲覧。
  8. ^ a b “PNG vow to upset World Cup odds”. BBC Sport. (15 October 2008). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/rugby_league/7671217.stm 3 July 2009閲覧. "But it would still be one of the biggest shocks in World Cup history if Papua New Guinea - the only country to have rugby league as its national sport - were to qualify for the last four." 
  9. ^ a b “PNG seal 2010 Four Nations place”. BBC. (1 November 2009). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/rugby_league/8336567.stm 
  10. ^ "Rugby League World Cup 2013 will provide the sport with a true test of its popularity". The Telegraph. Retrieved 23 September 2015
  11. ^ Rugby league: National Rugby League and Australian Rugby League”. hreoc.gov.au. Australian Human Rights Commission. 23 May 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。11 August 2012閲覧。
  12. ^ Rugby League World Cup 2017: How has the sport become so popular in Lebanon?, BBC, 2 November 2017
  13. ^ Ph.D, Victoria Williams (28 April 2015). “Weird Sports and Wacky Games around the World: From Buzkashi to Zorbing: From Buzkashi to Zorbing”. ABC-CLIO. 2019年10月25日閲覧。
  14. ^ a b 日本ラグビーリーグ協会. “ラグビーリーグの歴史”. 2011年9月22日閲覧。
  15. ^ Why Rugby League? Archived 2010年1月20日, at the Wayback Machine. at Crusaders Rugby League website
  16. ^ Spracklen, Karl (2001). 'Black Pearl, Black Diamonds' Exploring racial identities in rugby league. Routledge. pp. 72. ISBN 978-0-415-24629-3. https://books.google.co.jp/books?id=T3NMCF79r6wC&dq=%22rugby+league%22&redir_esc=y&hl=ja 
  17. ^ Fagan, Sean (2008). League of Legends: 100 Years of Rugby League in Australia. National Museum of Australia. pp. vii. ISBN 978-1-876944-64-3. オリジナルの2008-05-17時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080517000217/http://www.nma.gov.au/shared/libraries/attachments/league_of_legends/the_game_begins/files/22449/C-The_game_begins.pdf 
  18. ^ Rugby Football Union. “RUGBY HISTORY”. 2018年8月3日閲覧。
  19. ^ Tony Collins, Rugby League in Twentieth Century Britain (2006), p.6
  20. ^ Tony Collins, Rugby League in Twentieth Century Britain, p.5 (2006)
  21. ^ Tony Collins, Rugby League in Twentieth Century Britain (2006), p.6, quote:"in 1906 the number of players in a team was reduced to thirteen and an orderly play-the-ball, whereby a tackled player had to get to his feet and roll the ball behind him with his foot, was introduced. These two changes completed the break from the playing rules of rugby union and marked the birth of rugby league as a distinct sport with its own unique rules".
  22. ^ a b Baker, Andrew (1995年8月20日). “100 years of rugby league: From the great divide to the Super era”. Independent, The (London: independent.co.uk). http://www.independent.co.uk/sport/100-years-of-rugby-league-from-the-great-divide-to-the-super-era-1597130.html 2009年9月25日閲覧。 
  23. ^ Jupp, James (2001). The Australian People: An Encyclopedia of the Nation, Its People and Their Origins. Cambridge University Press. pp. 342 & 343. ISBN 978-0-521-80789-0. https://books.google.co.jp/books?id=wgoFxfSTfYAC&redir_esc=y&hl=ja 
  24. ^ Collins, Tony (2006-04-18). Rugby League in Twentieth Century Britain (1 ed.). Routledge. pp. 113–114. ISBN 978-0-415-39615-8 
  25. ^ 日本代表の歴史
  26. ^ [1]
  27. ^ [2]
  28. ^ [3]
  29. ^ a b Dept. Recreation and Sport. “Dimensions for Rugby League”. Government of Western Australia. 8 October 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。28 July 2009閲覧。
  30. ^ history of the sport, theRFL, オリジナルの2009-09-22時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20090922085622/http://www.therfl.co.uk/about/page.php?areaid=46 2014年4月28日閲覧。 
  31. ^ rugby league playing guide', This is rugby, オリジナルの2009-07-31時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20090731131603/http://www.thisisrugby.info/servlets/template?FILE=rugby-league-guide&navid=17 2014年4月28日閲覧。 
  32. ^ League rule changes for 2008”. www.leagueunlimited.com (League Unlimited) (2007年12月28日). 2014年4月29日閲覧。
  33. ^ RLIF Rankings Archived 2014年10月24日, at the Wayback Machine.. Rlif.com. Retrieved 20 August 2013.
  34. ^ Most Popular Sports in Australia. Topendsports.com. Retrieved 20 August 2013.
  35. ^ David Rowe, 'Rugby League in Australia: the Super League Saga', Journal of Sport & Social Issues, Vol. 21, No. 2, pp. 221–226 (1997) doi:10.1177/019372397021002008
  36. ^ Matt Fletcher, Nancy Keller (2001). Tonga. Australia: Lonely Planet. p. 73. ISBN 978-1-74059-061-7. https://books.google.com/books?id=EABPLrDovFAC&printsec=frontcover&source=gbs_ge_summary_r&cad=0#v=onepage&q&f=false 
  37. ^ Ford, Greg (18 April 2012). “State of Origin bigger test for James Tamou”. Fairfax NZ News. http://www.stuff.co.nz/sport/opinion/6761017/State-of-Origin-bigger-test-for-James-Tamou 16 June 2012閲覧。 
  38. ^ “Apathy in old Dart like an arrow through our heart”. Stock & Land. (1 November 2008). http://sl.farmonline.com.au/news/metro/national/sport/apathy-in-old-dart-like-an-arrow-through-our-heart/1349226.aspx?storypage=0 17 June 2012閲覧。 
  39. ^ RLEF. Rlef.eu.com. Retrieved 20 August 2013.
  40. ^ [4][リンク切れ]
  41. ^ Woods, Dave (2008年12月14日). “Interest growing in Conference”. BBC Sport. http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/rugby_league/super_league/2266867.stm 14 December 2008閲覧。 
  42. ^ “Rugby League Activity”. Active Surrey. (2008年12月14日). オリジナルの2007年2月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070228231649/http://www.activesurrey.com/content-1973 14 December 2008閲覧。 
  43. ^ “Engage Super League Attracts Strong Viewing in 2008”. Rugby Football League. (2008年12月14日). オリジナルの2011年7月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110718203735/http://therfl.co.uk/~therflc/home/news_item.php?id=10137 14 December 2008閲覧。 
  44. ^ a b “National Campaign Launched”. England Rugby League. (2008年12月14日). オリジナルの2009年1月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090129141054/http://www.englandrl.co.uk/~englandr/video.php?id=11934 14 December 2008閲覧。 
  45. ^ a b c Schofield, Hugh (2002年10月8日). “French rugby league fights for rights”. news.bbc.co.uk (BBC News). http://news.bbc.co.uk/1/hi/programmes/from_our_own_correspondent/2307043.stm 18 July 2009閲覧。 
  46. ^ Rugby League Planet – 1954 Rugby League World Cup”. www.rugbyleagueplanet.com. 18 July 2009閲覧。
  47. ^ Rugby League Planet – 1968 Rugby League World Cup”. www.rugbyleagueplanet.com. 18 July 2009閲覧。
  48. ^ Step Back in Time: Catalans (H)”. wigan.rlfans.com (cherryandwhite.co.uk). 18 July 2009閲覧。
  49. ^ “French join Super League”. news.bbc.co.uk (BBC Sport). (2004年5月26日). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/rugby_league/super_league/3748507.stm 18 July 2009閲覧。 
  50. ^ RLEF. Rlef.eu.com (2011-07-29). Retrieved 20 August 2013.
  51. ^ German Rugby League Bundesliga set for kick off Archived 2015年4月3日, at the Wayback Machine.. Rleague.com. Retrieved 20 August 2013.
  52. ^ norskrl.com. norskrl.com. Retrieved 20 August 2013.
  53. ^ アーカイブされたコピー”. 2014年2月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月26日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]