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プロジェクト‐ノート:日本史/過去ログ3

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将軍偏諱拝領者の順番について

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各幕府の将軍のページにその将軍の偏諱を受けた人物の節がありますが、人物の順番に決まりはあるのでしょうか。--やりたこ 2009年9月9日 (水) 08:21 (UTC)

非父子間相続について

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非父子間相続について、どのように表現するか迷いがあります。

個人的には、非父子間相続においては他家からの相続など明確に養子と判断できるケースを除いて、本文で「養子」という表現を使用したり系図で二重線で結んだりすることは避けるようにしております。しかし、例えば足利氏の項目の系譜を見ると、義量から義教への相続、義勝から義政への相続が二重線で結ばれており、養子縁組があったようにも解釈できてしまいます。これは独自研究にあたるのではないでしょうか?実際には猶子関係であるのにもかかわらず「養子」のように表現されている記事もあります。1年前にノート:旧皇族#宮家の相続に関してを書いて以降もずっと気になっております。どのように表現すればよろしいでしょうか?--まさふゆ 2009年9月19日 (土) 16:28 (UTC)

城郭関係の記事について(全般)

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城郭関係の記事に加筆や修正をさせていただいていますが、何らかの形にまとめるべきことの議論の場をここに開きたいと思います。

とりあえず私が思うところでは

  1. 冒頭分の、「××城(××陣屋・砦・館)は、どこ県そこ市なに町に(○○)城。」の(○○)部は、「あった」とするべきか「ある」とするべきか。
    これについては、ノート:姫路城#「あった」と書かれると強い違和感がにおいて同様の議論が行われており姫路城の記事では、一応、解決という形にはなっています。
  2. 建物、特に天守や櫓の階層表記(×層×階・×重×階・×層×重など)を統一する。記事単位にするか全てに適応させるか。
    城郭関係の書籍では、いずれかの表記に統一することが多いので、ウィキペディアでも必要ではないかと思います。ただし、いずれも研究者(日本城郭史学会・三浦正幸など)の考え方が反映されている場合があり、これらは中立的観点で使用できない可能性もあります。

以上の2つのみです。その他に、同ノートの「城・陣屋について」また、「川崎城_(下野国)」の記事名をめぐる移動合戦を起こした議論はどうされたのでしょうか。川崎城についてはいずれかのノートで議論されたものと思われますが、見つけられませんでしたので、合意形成が行われたのかどうなったのかわからず仕舞いです。 ほかに、早急に解決するべきことがあれば、優先的に議題をあげていただきたいと思います。

ただし私は、近世城郭のみですので他の、陣屋、砲台、戦国城郭、中世城郭、古代山城、政庁関係は資料が少ないのでより専門的な話題ではコメントできない可能性があります。--ムカイ 2009年9月24日 (木) 00:52 (UTC)

冒頭文の「ある城」と「あった城」について

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とりあえず1.についてだけ。姫路城の議論は今はじめて読みましたが、よい落としどころで妥結したように見えました。これを一般化するときにどうするのか、という問題になると思いますが、私個人の意見としては、やはり「城、城郭という施設は現代には存在せず、かつて城、城郭として使用されていた施設の遺跡が現存している」という考え方をベースにすべきだろうな、と思います。なので「○○城址」は「ある」のですが、「○○城」は「あった」というのが正確な表現になるのかな、ということですね。ちなみに神社仏閣などは(例外はあるが基本的には)現在も同じ目的の施設として現存しているので「ある」でよいでしょう。もちろん、日常生活上の会話ではわざわざ「○○城址」とは言わず「○○城」と言う場合が多いので、概念的には混同されており、それが定着しているだろうとは思いますが。Wikipediaで何らかのルールを定めるべき、ということであれば、そのへんの区別をきちんとしたほうがよいのではないでしょうか。--Horlicks 2009年9月24日 (木) 05:51 (UTC)
  • こんにちは、コメントありがとうございます。
導入部にどう書のか私もはっきりわからないままでしたので、まずスタイルマニュアルを基礎にしきます。
Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)には、
導入部は、その記事で何が取り扱われているのかを、読者に対して明確にすることを目的とします。そのために、第一文には記事の主題の定義を記し、
続いて記事の簡潔な概要を記します。
とあります。これに従うと、例えば「松本城」だと「松本城は、城である。」というようになります。もちろん、これでは城であること以外は「明確」になっていないので、最低でも所在地をつけて「松本城は、日本の長野県松本市の城である。」というようにしなければならないと思います。(ウィキペディアのガイドラインでは、おそらくここまで書いておけばあとは「現在は、国の史跡に指定されており、国宝の大小天守と付櫓群が現存する。」と書いておいても充分なのだろうと思われます。)ただし、これでは「松本市が所有する城」とも解釈されてしまうので、「松本城は、長野県松本市にある城である。」とします。また、現在は防御施設ではないということを考慮すると「松本城は、長野県松本市にあった城である。」という書き方が可能かと思います。ただ、これでは、姫路城のように「現存する建物は何なのか」となりかねないので「松本城は、長野県松本市にあった城である。現在は、本丸跡に安土桃山時代から江戸時代初期にかけて建造された大小天守と付櫓が現存する城跡(または史跡)である。旧名・深志城、別名・烏城という。」のように併記的に記すのが単純でわかりやすいかと思います。
「もちろん、日常生活上の会話ではわざわざ「○○城址」とは言わず「○○城」と言う場合が多いので、概念的には混同されており、それが定着しているだろうとは」

について、もちろん、現在の日本の城はすべて城址だと思われます。ただ、定義として言葉の厳密な部分を反映させる場合、混同を排除しなければ、誤解を呼ぶことも考えられます。--ムカイ 2009年9月25日 (金) 01:02 (UTC)

城趾のみの城郭について、定義文には「○○城は、日本の××時代の△△地方にあった城である。」などとして、「城趾」は省いてよいと思います。なぜならば、城趾とは現存しない状態(現況)を述べる場合と考えられますが、過去のある時点を考えれば「○○城」はその時に存在していたのですから、(推定も含めて)過去形で表現すれば矛盾しないと思われるからです。
城趾としての説明は記事本文で、「城趾は▲▲市の公園として整備され、一部は市庁舎の敷地となっている」、「城趾は現在、××山の尾根づたいに郭の跡や空堀跡も現存し、県の史跡になっている」などと現況を説明したらよいと思いますよ。--故城一片之月 2009年9月27日 (日) 15:52 (UTC)
また、姫路城のように現在も当時の城郭の施設が現存する場合に、その施設が城郭としての機能が現役で活用されていなくても、城郭施設そのものは現在「ある」のですから、定義文でも「○○城は……にある城」でよいのだと思います。--故城一片之月 2009年9月27日 (日) 16:04 (UTC)
故城一片之月さんのご意見中前者には同意しますが、後者には違和感を覚えます。確かに当時の城郭の施設の一部(乃至大部分)が現存する場合には「ある」と現在形にしたくなりますが、城としての機能を有していない以上、あくまで「城址」だと思います。表題が「○○城址」なら「ある」でしょうが、「○○城」であれば「あった」とした方がベターかと。まあ、感覚的には分からなくもありませんが。--ろう(Law soma) D C 2009年9月28日 (月) 00:29 (UTC)
たしかに感覚的なものでした。しかし良く考えてみると、機能の存廃を度外視して施設の外観をのみ取り扱ったとしても、今度は城郭施設の何割が残存すれば現在も「ある」と言えるのかと問われれば、明確な線引きは無理という問題が新たに浮上する事に気付きました。姫路城でさえ当時の施設は100%は残っていないのですから城趾には違いありません。Law somaさんの仰る通りだと思います。ゆえに表現はすべて城趾を前提として「あった」とすることで前言を訂正し、同意致します。--故城一片之月 2009年9月28日 (月) 17:10 (UTC)
お返事ありがとうございます。私の発言のニュアンスが的確に伝わっていて嬉しいです。要は天守閣(とか隅櫓)だけ残っていても「城」なのか?という意味だったので。--ろう(Law soma) D C 2009年9月28日 (月) 23:54 (UTC)
こんにちは。みなさん、コメントありがとうございます。
一応、現状況でのまとめとして
  1. 冒頭の定義文は「○○城は……にあった城」とするべき。
  2. 後文は、城址の現状説明などをつける。
という内容でよろしいでしょうか。--ムカイ 2009年9月30日 (水) 14:21 (UTC)
賛成 大筋ではそれでよいと思います。--Horlicks 2009年10月2日 (金) 09:58 (UTC)
コメントほかに、ご意見がありませんでしたら、明日でこの件については大筋の合意が得られたものとしたいと思います。--ムカイ 2009年10月8日 (木) 12:59 (UTC)
チェック では、一旦議論の終了といたします。ご意見、コメントなどありがとうございました。あくまでも、基本的なことまた大筋のことですので、細かい点については問題が上がり次第、このセクションまたは各記事のノートなどで再び議論を行うものとしたいと思います。
セクション(レベル3)分けをいたしました。--ムカイ 2009年10月10日 (土) 15:24 (UTC)

近世城郭の天守や櫓の階層表記について

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次に、上記2の件について、お伺いしたいと思います。

現在、城郭建築の階層表記の方法として「×重×階」「×層×階」「×層×重×階」…などがあります。書籍などでは、いずれかの表記に統一しており、読みやすさの面でもいずれかに統一する必要があるものと見えますので議論の場を設けました。

私の個人的な方針では、「×重×階」に統一して執筆するようにしておりますが、そうでないところでは、記事に従うようにと考えています。しかし、どちらもある場合は、記事内で使われている割合を根拠として統一しておりましたが、心苦しいのでここ最近は統一していないことに統一するようにしました。ただそれでは、読みにくくなってしまう気がします。また、いずれも正しい表記と見られますが各主張があるようですので、これらの表記方法はある特定の観点を支持するようなことになりかねない場合もあると考えます。そういったことも含めて、コメントやご意見をお願いいたします。以下に参考として、備考と各表記法の例を示してみました。

備考
「外観数え・内観数え」の順に表記するのが一般的であるという(中山良昭編著『もう一度学びたい 日本の城』西東社 2008年)。
表記例
姫路城大天守(地上6階地下1階)を例に
日本城郭史学会(西ヶ谷恭弘監修 学習研究社編『復原 名城天守』学習研究社 1996年)
5層7重6階地下1階または5層7重地上6階地下1階と表現する。同会代表の西ヶ谷恭弘は、「重」を省略して「5層6階地下1階」と表現することが多い。
層 - 表面に現れた葺降ろしの屋根の数
重 - 地階を含める床面の数
階 - 天守台上を地上階、穴蔵などを地下階としての数
三浦正幸など(三浦正幸著『城のつくり方図典』小学館 2005年)
5重6階地下1階と表現する。三浦正幸は「層」については、「階」の代わりに用いることもあるのですすめていない。
重 - 外観に表れた屋根の枚数
階 - 天守台上を地上階、穴蔵などを地下階としての数

--ムカイ 2009年10月10日 (土) 15:24 (UTC)

「ほり」の漢字表記について

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ノート:富山城において、2009年11月28日 (土) 04:24より 2009年12月5日 (土) 01:07に、水堀と水濠の表記に関する議論か行われました。水濠を水堀に改める編集をいたしましたが、水堀を表す表記に「水濠」もある事実が確認されたため「水濠」を「水堀」に修正しないように合意いたしました。それらの出典については、ノートを参照してください。

ご存知かと思いますが「ほり」にはいくつかの表記があり、使用方法も分けられています。「堀」は人工の掘りあげられた溝、「濠」は人工であるなしにかかわらず水の引き入れられた溝、「壕」は水のない溝、「隍」は国衙の堀、(昭和初期に堀の代わりに多く用いられたとされます。三浦正幸氏の書籍(『城のつくり方図典』)では空堀の意味としています)「塹」は、人が潜って待機することにも用いられる堀(塹壕)などです(西ヶ谷恭弘監修『城郭の見方・調べ方ハンドブック』2008年)。「堭」と書くのは主に「からぼり」と読みます。

特に問題は起こっておりませんが、今後、表記に濫用が生じる可能性も考えられます。読者が理解しやすい表記が好まれますが、「こういう表記もよく使われているではないか」と問題なく使用できる状態ですので、あえて難しい漢字で表記しているものについては、何かしらの解説をした方がよいのではないかと思います。--ムカイ 2009年12月6日 (日) 10:22 (UTC)

氏族記事の系譜を編集する可変IPユーザ

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数日前より、あらゆる氏族記事で縦断的に、系譜の養子関係をあらわす二重線を細罫線に置換する作業をされている可変IPユーザ(115.177.*.*)がおられます。 こういった範囲の広い大規模な編集はできるだけ広く合意を募ったほうがよいと思いますので、議論の提起をお願いするためにユーザの会話ページに書き込んだのですが、なにせ可変IPユーザであるため、毎回微妙にIPアドレスが変わり、どうやらご本人の目に届いていないようです。 記事のノートに書いても、IPユーザですからウォッチリストを持っておらず、目に留まらないでしょう。 こういう可変IPユーザに確実に連絡をつける方法がないので困っています。 みなさんのお知恵を拝借できないでしょうか?--Horlicks 2009年10月4日 (日) 13:26 (UTC)

全てを網羅しろとは言いませんが、どの記事でどのIPがやっているかリンクで示していただかないと状況がわかりません。とりあえず、一度編集された記事は差し戻した上で編集ページの当該部分に<!--勝手に変えるな。-->とか(穏当な表現で)書いておくという手を考えたのですが、IP氏がそこを再チェックしなければ今後の編集を防止することは出来ませんね。状況がわからないのでこの案が的を射たものかどうかわかりませんが。--uaa 2009年10月4日 (日) 19:29 (UTC)
確かにご指摘の通りですね。対象記事については、自分のウォッチリストに入っているものしか気づかないので、IPのほうから履歴を見るのがいいかも知れません。
対象IPは以下です。IP:115.177.49.113会話 / 投稿記録(9/29~9/30)、IP:115.177.58.195会話 / 投稿記録(9/30)、IP:115.177.51.169会話 / 投稿記録(10/3)、IP:115.177.59.117会話 / 投稿記録(10/4)。
これ以外もある可能性があります。ざっと履歴を見てもおそらく100件単位の氏族記事を編集していますね。ちょっと頭がクラッとしてきました・・・。--Horlicks 2009年10月4日 (日) 21:56 (UTC)
検索をかけて当該部分を置換えているのなら、差し戻せばその記事に戻ってくると思われるので、その部分に<!--勝手に変えるな。~で話し合え。-->と入れとけば気が付くかも知れないですね。--uaa 2009年10月5日 (月) 19:33 (UTC)
いや、それがですね、一部の記事で差し戻したのですが、相手がウォッチリストを持たないため、気づかないようです。なのでどうやって連絡つけたらいいのか、困った、というわけです。--Horlicks 2009年10月6日 (火) 10:58 (UTC)
ところで、いずれの記事の系譜にも「養子関係は二重線」というお約束が書かれていませんね。だからわからないのかも知れないですね。--uaa 2009年10月5日 (月) 19:38 (UTC)
あくまで推測ですが、Windowsの日本語フォントに変更があったようで、ある時点から縦二重線の文字が斜めに見えるような形になっています。それで、系図の見た目がおかしくなっているので直されているのだろうな、と思います。ただ、罫線の場合、太い罫線と細い罫線を併用すると、ブラウザやOSによっては等幅フォントのはずなのに微妙に位置がずれることがあります。ですので見た目の補正のために細罫線を使われるのは実はあまり意味がなく、かといって他にいい代案もない状態なので、本当はちゃんとプロジェクトで議論して、いい方法を考えたいところなのですね。--Horlicks 2009年10月8日 (木) 07:08 (UTC)
件のIP氏は罫線の位置をずらす編集もしているようなので、彼の環境では見た目がおかしくなっているのでしょうね。環境によって見え方がおかしくなることが問題なら、それを根本的に解決しなければこういう編集は無くならないでしょう。難しいとは思いますが・・・--uaa 2009年10月9日 (金) 18:53 (UTC)

多数の著作権侵害疑惑記事の削除について

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利用者:YOSHI438会話 / 投稿記録 / 記録氏が立項した記事について、既存の人物辞典類からの大量の転載が疑われた件があり(同利用者は本年4月に無期限ブロックされています)、9月より当該利用者立項記事の存続・削除の判断基準とすべく、"Wikipedia:コメント依頼/YOSHI438/著作権侵害状況調査"というサブページが設けられ、調査が進められました。このサブページで約1ヶ月間行われた調査に基づき、現在Wikipedia:コメント依頼/YOSHI438で当該利用者立項記事の削除方法について、意見が求められています。同利用者の立項記事は一部を除き、ほとんどが日本史分野の人物記事で占められていますので、ここでも告知させていただきます。何しろ1700件以上の記事が絡む件ですので、皆様どうか、ご意見をお願いします。--トホホ川 2009年10月12日 (月) 17:54 (UTC)

「Wikipedia:良質な記事」運用開始のお知らせ

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こんにちは、廉と申します。この度、Wikipedia:秀逸な記事と普通の記事の中間に位置する記事を選出する制度としてWikipedia:良質な記事がスタートしました。これはという記事がございましたら是非良質な記事の選考にてご推薦ください。また、良質な記事は通常の選考のほか、各ウィキプロジェクトにおいて自主的に選出の基準を取り決め、その基準に従って選出することも可能です(Wikipedia:良質な記事#良質な記事の基準を参照)。プロジェクト独自の選考基準を作成し、良質な記事を発掘することもご検討ください。-- 2009年10月16日 (金) 14:48 (UTC)

“日本史の用語一覧”に相当する記事は必要か?

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実は「日本の歴史の用語集」という記事を見つけたのですが、漠然と大和時代と南蛮貿易についての1行解説しか載せられていないまま、3年以上(私が手を付ける前の最後の編集が2006年8月24日 (木) 16:30の版)も放置されており、明確な定義付けもされていなかったため、一旦即時削除の手続を取らせて頂きました(参照:ノート:日本の歴史の用語集)。

英語版にはen:Glossary of Japanese historyという項目も存在しているようですが、日本語版にもそうした“日本史の用語一覧”とでも言うべき記事の必要性は存在すると思われますか? 皆さまの御意見をお伺いいたしたいと思います。--水野白楓 2009年10月23日 (金) 21:39 (UTC)

内部リンクだけの一覧なら不要と思いますが、未作成の項目に対してその概説が暫定的に記述されている、または、関係する記事の参照先が示してある一覧なら欲しいです。--岡部碩道 2009年10月24日 (土) 07:06 (UTC)
ドラマだとかの「登場人物一覧」のように、一つの項目だけだとスタブ未満になるような用語について一覧にしておくことは、読者の視点に立てば便利だと思いますし、必要性はあるんじゃないでしょうか。ただ、市販の日本史用語辞典を見ればわかるように、一つの記事で一覧にすると大変な量になるのでうまく分割する方法を考えないとダメですし、それが出来ないならその中から探すのが手間で意味がなくなるとも思います。--machine_gun 2009年10月25日 (日) 12:36 (UTC)

過去ログ化&コメントや作業依頼について

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2009年10月25日までの議論終了分を過去ログ化しました。項目数的には5分の1以下になっていますが、容量的には半分程度(269KB→135KB)にしかなっていません。

ところで過去ログ化した中にコメント依頼がけっこうあったように思います。こうしたコメント依頼だとか、他にも加筆、査読等の依頼だとかはプロジェクトのページに書いたほうがより周知できるのではないかと思います。そこで、プロジェクトのページに各種依頼をする欄を設けることを提案します。1週間程度で特に異論がなければ実施しますのでご意見お願いいたします。--machine_gun 2009年10月25日 (日) 18:41 (UTC)

特段異論もなかったようですので、各種依頼・お知らせ欄を追加しました。また、少しプロジェクトのページを整理してみました。--machine_gun 2009年11月3日 (火) 11:20 (UTC)
ノート先頭にテンプレートを添付し、上記についてお知らせをしました。(ノートでの依頼を規制するのではなく、「オモテのページで依頼したほうがより周知できますよ」などと推奨する内容にしてあります)。--伏儀会話2012年8月4日 (土) 04:29 (UTC)

武士系インフォボックスの統一提案

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現在、武士系インフォボックスとしてはTemplate:武士/開始Template:基礎情報 武士Template:武士の三つが並存しております。本来この種のテンプレートは当該記事に必要な情報を統一的に記載する為に存在していることを考えれば、こうした状況は好ましいものとは思えません。現在は内容がほぼ似通っているから問題が起きていないだけで、もしそれぞれのテンプレートが独自の進化を遂げたりした時にはテンプレートの意味が半減しますし、そういうことがなくとも記載項目を増やしたいとなった時の手間が増えます。また、新規執筆する際にもテンプレートが三つもあるとどれを使っていいかわかりづらいように思います。

逆にテンプレートを三つも並存させておくだけのメリットはないですし、このテンプレート並存の状況をどうにかしたいと考えております。具体的には

  1. 先行議論としてWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 武士/Template#テンプレ仕様変更が存在しており、この中でTemplate:武士/開始形式よりもTemplate:基礎情報 武士Template:武士の形式の方がよい、という話になっていること
  2. この種のテンプレートは「基礎情報 ○○」「Infobox ○○」となっていることが多いこと
  3. Template:武士の使用例がゼロであること

から今後、Template:基礎情報 武士に統一していくことを提案させて頂きます。

本提案についてはTemplate:武士/開始Template:基礎情報 武士の使用数が数百以上ある為、即座に統合するわけにはいきませんが、

  1. 新規執筆に関してはこれからTemplate:基礎情報 武士を使うこと
  2. Template:武士/開始はこれからTemplate:基礎情報 武士に置換していくこと
  3. 使用例のないTemplate:武士は廃止すること

について合意形成を図りたく思っております。1週間ほど待って特に異論がなければ、作業に移りたく思っておりますのでご意見よろしくお願い致します。--machine_gun 2009年10月26日 (月) 13:35 (UTC)

賛成です。できれば、Template:基礎情報 公家の方も、基本仕様を武士と同じ形式に統一できないものかと思うのですが・・。--小者 2009年10月26日 (月) 16:32 (UTC)
コメント うーん、これは難しい問題ですね。どうもTemplate:公家/開始Template:武士/開始から派生したようなので、中身はよく似通っているし、現時点では統合も可能とは思います(Template:基礎情報 武士を基本形にして、公家は「藩」「主君」を空欄にする形になると思います)。ただ、かつて武士に関しては「城」などを項目に加えてはどうか、という意見もあったようですし、双方とも今後更に新項目を増やそうという方向で発展する可能性は否定できません。
もし一度統合してから再分割するとなった場合には、今回以上の数を、単純な置換ではなくその記事は武士なのか公家なのかを判断しながら全部書き換えるという作業が必要になります。それは現実的には非常な困難が伴うと思いますしその困難さを考えると、もし必要ならばデザインだけをいじって読者には同じテンプレートを使っているように見せかけながら、独立させたままにしておくほうが無難かと思います。--machine_gun 2009年10月27日 (火) 17:37 (UTC)
誤解させたみたいですみません、公家と武家のテンプレートを統合したいという訳ではなく、今の公家のテンプレートが人物の名前が枠外に表示されて、枠内に罫線が出るちょっと違和感のある表示になるので、他の人物テンプレートや武士の方と同じように、名前が枠内に収められて罫線が出ないようにできないものかな、という単純な外観上の事です。--小者 2009年10月27日 (火) 19:07 (UTC)
あ、そういう意味でしたか。私の言ってること、思い切り的外れですね。すいません。デザインの問題でしたら罫線をなくしたいだけなら、Template:基礎情報 公家の3行目「|bodyclass = bordered」を削除すれば罫線が消え、名前を枠内に入れるには「title=」となっているのを「above=」に変えればいいはずです。詳しくはTemplate:Infoboxに使い方があります。--machine_gun 2009年10月27日 (火) 20:36 (UTC)
賛成  ただ、長くTemplate:武士/開始が使われてきた流れの中で、他の2種が作られた過程が、非常に拙速で周知も不十分であったことから、同じような失敗が再度起きないように、今回はできるだけ周知のための時間と情報の展開に気をつけたほうがいいかな、と個人的に思います。--Horlicks 2009年10月26日 (月) 16:54 (UTC)
コメント これからまた新しく武士系テンプレートが作られた時には早期発見、早期対処するのと、Template:基礎情報 武士の説明文に「新しく作る際にはノートで議論してからにして下さい」というような注意書きをするくらいしか思いつきません。統一に向けての周知としては、Template:武士/終了を少しいじって、「このテンプレートは非推奨です」というような注意書きをするつもりです。いずれにせよ、それぞれがよかれと思ってやったことが、こうした事態になってしまったことは非常に悲しいことですし、もう一度繰り返さないようにしていかないといけない思っております。--machine_gun 2009年10月27日 (火) 17:37 (UTC)--2009年10月27日 (火) 23:16 (UTC)に修正
終了 特段、反対もなかったようですし、Template:武士を廃止し、Template:武士/開始系を統合していこうと思います。具体的には
  1. Template:武士を白紙化
  2. Template:武士/終了を修正して「非推奨です」というような表記をする。
  3. Template:武士/開始系の本文及びノートにTemplate:基礎情報 武士への誘導を行う。
  4. Template:武士/開始系をTemplate:基礎情報 武士に置換していく。
という作業を行いたいと考えております。(1)~(3)についてはすぐにできますが、(4)に関してはbotで作業できれば早いとは思いますが、残念ながら私にはそのスキルはありません。ですので、手作業でやっていくつもりですが、皆様にも御協力のほどお願い致します。
なお、Template:武士/開始の使用がなくなった時点でTemplate:武士/開始系のテンプレートも白紙化するつもりです。また、上記以外にやっておいたほうがいいことや、その他アイディアがありましたらよろしくお願い致します。--machine_gun 2009年11月3日 (火) 11:36 (UTC)
報告 作業報告ですが(1)~(4)のうち、(1)については完了しました。(2)についてはどうもデザイン的にうまくいかない(非推奨の文字が目立ってしまう)為、やめておこうかと思っております。(3)についてはWikipedia:ウィキプロジェクト 武士/Templateのノートからのリンクは張っておきました。また、過去のWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 武士/Templateの議論は過去ログ化してTemplate‐ノート:基礎情報 武士に過去ログとして記載してあります。(4)についてはまだ手をつけていないのでこれから頑張りたいと思います。--machine_gun 2009年11月3日 (火) 13:02 (UTC)
おつかれさまです。移行作業は出来るだけお手伝いします。官位の項目のことなのですが、少ない場合はいいのですが、大量に官歴がある場合、全部入れるとテンプレートがやたら長くなり、また見辛いと思います。多くの記事は官歴の節をもうけてますし、詳細はそちらにまかせて、官歴が多い場合は、テンプレートには最終的な官位の記載でよいのではないかと思います。--小者 2009年11月11日 (水) 15:53 (UTC)
ありがとうございます。本当に助かります。
官位に関しましては私も長すぎるし位階と官職が両方同じ項目で書かれているので見づらいと思っていました。いちおう、テンプレートをいじってTemplate:サッカー選手のクラブチーム欄(所属年を2008 - 2009のように表示する)のように、テンプレート内でその位階・官職に就任していた期間を記載する方法も考えたんですが、大掛かりになりすぎですね。ですので、最終位か最高位(だいたいこの2つは一緒でしょう)にした方がすっきりすると思いますし、ご提案に賛成です。
それと、私は利用者:Machine gun/編集&手続きメモ/基礎情報 武士の書き方を一応自分の中の方針として作業しているんですけど、おかしいところなど何かご意見ありましたらお願いします。(自分用のメモ書きなんですごく見にくくてすいません)--machine_gun 2009年11月11日 (水) 17:32 (UTC)

コメント 参考情報 - Wikipedia:削除依頼/Template:公家が提出されていたので予防線をと。移行完了後の話です。1、移行が完了してもTemplate:武士/開始系を削除依頼には出さないで下さい。上記削除依頼の所でも説明していますが、過去版において履歴破壊が発生します。2、廃止されるTemplate:武士/開始系には{{廃止されたテンプレート}}を貼り付けることになると思いますが、その時に元々あったテンプレートの中身を白紙化しないで下さい。白紙化すると過去版の表示も白紙化されてしまうため、残す意味が無くなります。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年8月30日 (月) 17:34 (UTC)

報告 Template:武士/開始からTemplate:基礎情報 武士への移行作業が完了しました。--小者 2011年4月1日 (金) 12:34 (UTC)

「大日本帝国の国号表記」議論の過去ログ化

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遅くなりましたが、「大日本帝国の国号表記」議論を/過去ログ2の方に過去ログ化し、リファクタリングを行いました。リファクタリングは内容はいじらず、不要な部分を除去したり、並び替えたりしたに留まりますが、意見内容が変わっているなどの問題がありましたらこちらまでお願い致します。1週間ほどたって何もないようでしたら{{Archives}}を貼り付けて完全な過去ログとしたく思います。また、今回は腕の骨折のために作業が遅れましたことをお詫び致します。--machine_gun 2009年11月25日 (水) 17:05 (UTC) ページ移動によりリンクが不正なものとなっていたため修正。 --kyube会話2014年1月23日 (木) 23:51 (UTC)

  • お疲れ様でした&リアル「骨折り」大変ですね><、未来永劫このテーマについて追加的な議論が再燃しないとも限らない(後世のWikipedianがこの合意を覆す権利を否定する権利は現代のWikipedianには無い)ので、何らかの形で議論の場所を「氷結」してしまうのではなくカード化でもしておければいいのですが、新規に議題が提起されればそのつどココで論述してもらえばいいのかなあ・・--大和屋敷 2009年11月25日 (水) 17:26 (UTC)

時代別の教育カテゴリの廃止(?)について

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初めまして。主としてウィキプロジェクト「学校」に所属して旧制教育機関についての項目をいくつか起稿しているStraysheepと申します。ここで聞くしかないので質問させていただきます。最近気がついたのですが、いつの間にか教育についての時代別カテゴリ(Category:明治時代の教育Category:大正時代の教育Category:昭和時代戦前の教育)が「廃止」(?)になっており、そこにリンクされていた各記事のカテゴリが大幅に変更されています。どこのプロジェクトでの合意に基づくものなのか、「廃止」後の移転先はどういうことになっているのか、一切明記がなされていないため途方に暮れています。どこに行けば議論に参加できるのでしょうか。--Straysheep 2009年11月30日 (月) 15:00 (UTC)


  • お困りのようですので少し申し上げます。
まずは時代別カテゴリ(Category:明治時代の教育Category:大正時代の教育Category:昭和時代戦前の教育)に変更を加えたと思われる御本人の利用者‐会話:210.252.239.111氏の会話ページでそのいきさつをお尋ねするのも良いと思います。
そのうえで Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 学校に「時代別の教育カテゴリの廃止(?)について」のタイトルで、Straysheepさん御自身で上記の議論参加を呼びかけてみてはいかがでしょうか?ここは、Wikipedia:ウィキプロジェクト 日本史ですし、参加メンバーにWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 学校に重複参加している人は見当たらないように思えますので。--故城一片之月 2009年12月1日 (火) 15:14 (UTC)
ありがとうございました。こちらでの合意の結果ということではなさそうですね。ウィキのルールとして、基本的にはカテゴリの大幅な改変はウィキプロジェクトで合意を形成するのが前提、と理解していますので。関連する問題ですが、最近、教育関係に限らず、近代史の時代区分のカテゴリの大胆な改変(?)が目に付きます。時代別の教育関係カテゴリは基本的には各時代別カテゴリの下位カテゴリとして位置づけられているので、合意形成を経た上で全体的な時代別カテゴリの再編と併せてやらないと大変な混乱が生じます。その際の合意形成はやはり、こちらで議論を行うのが適当かと思うのですが、皆さんのご意見は如何でしょうか。--Straysheep 2009年12月1日 (火) 16:09 (UTC)

210.252.239.111氏の会話ページで質問したのですが現時点で応答がありません。いかなる合意事項に基づきカテゴリが改変されたのかが明示されていないため、上記3カテゴリに告知テンプレートを貼り、1週間程度期間をみて特に異論がないようでしたら、とりあえずの措置として、上記3カテゴリから未使用のカテゴリを外していったん復活させようと思います。--Straysheep 2009年12月5日 (土) 20:03 (UTC)

おそらく上記の諸カテゴリを「廃止」されたのと同じ人だと思うのですが、その後いくつかの時代別カテゴリが新たに廃止され(すべての項目からのリンクが外され)、Category:未使用のカテゴリ (日本の時代区分)が作られていました。当該のIPユーザーの方から全く応答がないため、いかなる意図によってこのような編集が行われているのか分かりませんが、おそらく明治時代以降の時代別カテゴリの再編を企てておられるのではないかと思います。当該カテゴリの ノートにも記しましたが、私個人の立場は、近代以降の日本史の時代別カテゴリを再編すること自体について必ずしも反対ではありません。しかし元号で区切られたCategory:明治時代Category:大正時代Category:昭和時代という大枠の時代別カテゴリが存在し、その下位に分野別のカテゴリが作成されているという大きな構造がある以上、下位のカテゴリだけをいじって上位の時代別カテゴリのみを併存させているのは大きな混乱をともないます。したがってカテゴリを再編する前に、近代(明治時代)以降の時代別カテゴリをどう再編していくのかについて大枠の議論を行い、合意に達することが必要であると思います。皆さんのご意見は如何でしょうか。--Straysheep 2009年12月19日 (土) 20:07 (UTC)

Category:未使用のカテゴリ (日本の時代区分) の作成者は各カテゴリを廃止状態にした人物とは別人です。--119.243.224.121 2009年12月23日 (水) 10:39 (UTC)
あちらのノートにも書きましたが、誤解があった点についてはお詫びします。ただ、当該の各カテゴリを未使用状態にした人物からは何ら応答がなく、これ以上合意形成抜きに関連カテゴリを次々に廃止してもらっても困りますので、さしあたり未使用状態になっているカテゴリについては復旧の作業を進め、関連がありそうなカテゴリには「廃止などカテゴリの大幅な再編を行う際には、必ずその前にウィキプロジェクト日本史での合意形成を行う」旨明記するようにしたいと思います。皆さんのご意見は如何でしょうか。--Straysheep 2009年12月23日 (水) 18:12 (UTC)

記事中で天皇に対して「崩御」の使用はNPOV違反か

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記事中で、天皇に対して「崩御」を使用するか、「死亡」あるいは「死去」を使用するか統一された見解か慣習はありますか。明仁の記事において、昭和天皇に対して「崩御」を使用するか[[1]]で、編集合戦になりかかってしまいました。ご意見をよろしくお願いします。--Charlesy 2009年12月5日 (土) 12:20 (UTC)

結論から言うと、私は「崩御」はNPOV違反ではないと思いますが、百科事典の記事本文に使用は適切な表現ではなく避けるべきかと思います。
  • 理由1:「崩御」は天皇等(及び皇后皇太后太皇太后、以下同じ)に死に用いられる特有の尊敬語ですが、天皇は日本国憲法第1条に定義されるように、日本国の象徴であり、その地位は国民の総意に基づくとされ、公式に認められたもので一部の意見・見方ではありません。もちろん、個人の立場で天皇制に賛否はあるでしょうが、それは個人的思想・信条であって公式のものではないでしょう。天皇制の是非について現在、最高裁などで違憲審査などの係争状態であるという事実を耳にしたことも無く、天皇制が公式である以上、これに付随した表現である、「崩御」・「行幸」などは偏った考え方に基づく表現とはいえません。
  • 理由2: しかし、Wikipedia:表記ガイド#文体に示される様に、記事本文中の文体は「…だ」、「…である」のようにして、常体を用い、敬体として丁寧語尊敬語は使用しないように統一されています。その中で天皇等の死についてのみ「崩御」と尊敬語を使用するのは文体のバランスを乱すことになり良くありません(同様に「薨去」や「逝去」も使用を避ける必要があります)。それゆえに、人の死に普通に用いる表現の「死亡」・「死去」が適切であると思います。「死亡」と「死去」は前後の文脈で適宜に選択すれば良いと思います(ニュアンス的には「死亡」は人物が単に生命活動を停止した事実を伝える場合であり、「死去」は該当人物が社会的な存在としても他界したというものだと思います)。

私は「崩御」でかまわないと思います。すなわち「昭和天皇は昭和64年に死亡した」なる文字列を信頼できる検証可能な引用元からおそらくほとんど発見できないだろうと考えるからです。他の信頼できる書籍類には一般的に「崩御」と記述されているにもかかわらずWikipediaだけに「天皇は昭和64年に死亡した」なる文字列を発見するのはいかにも独自研究です。逆に今後何十年、何百年か経過したのち「○○天皇が○○年に死亡した」なる字句が信頼できる引用元に多数発見されるようになればそれを元にWikipediaを修正すればよいわけです。現状では「昭和天皇は昭和64年に死亡した」なる文字列はたぶん発見できないでしょう。--大和屋敷 2009年12月7日 (月) 19:29 (UTC)「死去」なら探せばあるかもしれません。いずれにせよ文字の選択についての編集競合ですから、他の信頼できる文献に"そのように記述されている"ことが発見できるかどうかが、ここでは焦点になるかと考えます。--大和屋敷 2009年12月7日 (月) 19:45 (UTC)

私も「崩御」で全くかまわないと思います(というより通常の感覚の日本語としてはこちらの方がより自然と思います)。これはもちろん日本の天皇に限った話ではなく他国の皇帝・国王等でも同様です。君主の死亡に「崩御」という語を用いることは、単語そのものに付加されている敬意とは関係なく、日本語の文章の通常用法として認められることで、これを過度に取り締まるのはガイドラインの拡大解釈ないし行き過ぎたPCから来る言葉狩りとしか思えません(正直、私には「ご飯」をすべて「飯」に、「おかず」を「かず」に統一すべきという馬鹿馬鹿しい主張と同様にしか聞こえません)。薨去・逝去・入寂・他界・物故・入滅も同様。あるいは行幸・行啓なども同じです。個人的には、つまらない基準を強制して日本語として不自然になったり、画一的で退屈な文章になったり、執筆者を萎縮させたりする必要は全くないと思います。あるいは大げさに言えば、過度に配慮するあまりWPを読んだ子供が君主の死には「崩御」という語を用いるものだという日本語の常識を学ぶ機会をすら奪ってしまう危惧を感じます。「崩御された」とか「崩御あそばされた」「お亡くなりになった」のように明らかにNPOV的な敬意表現となっている部分を修正することはかまわないと思いますが、崩御という単語を問答無用に排除するのはWPにとっては有害と思います。--トホホ川 2009年12月7日 (月) 23:08 (UTC)

  • 「言葉狩り」という様な大袈裟な問題ではなく、用法・使われ方の問題ととらえるべきこととして申し上げたのです。議論が長くなるといけないので、今回事例から言えば明仁の記事において、「1989年(昭和64年)に昭和天皇の崩御により天皇に即位した」とするのは「昭和天皇の崩御」という歴史的事実を記述した用語であるから、是認されるべきと考えます(当時のメディア各社が記事やニュースの見出しとしてこれを使用。孫引きですが、[2])。これを「昭和天皇の死亡」とするのは歴史的事実を指す用語とは認め難く、更に凡そ、一般人の死についても「死去」を用いるべきでさえあるのに、わざわざ「死亡」とするのはいかにも不自然であると言わざるを得ません(「死亡」は安否確認等のケースで生・死の事実関係のみを優先に伝える場合に用いられる)。
記事本文において、述語的表現で「崩御」等の尊敬語を含む、敬語表現の文体=敬体は記事スタイルの観点から避ける方がよいことに変わりはないのですが、それはNPOV違反だからではなく百科事典的表現のためのガイドラインとして扱われる事柄です。つまり、「…なさいました」・「…された」もNPOV違反の観点で使用しないのではなく、単に記事の体裁として合わないから避けているだけだと思いますよ。Wikipedia:表記ガイド#文体には「百科事典本体の記事については、常体(……である、……だ)で統一します。」とありますので御確認のほどを。--故城一片之月 2009年12月8日 (火) 10:24 (UTC)
あえて「言葉狩り」という大げさな語を使ったのは、WP:JAではしばしば、この手の合意やガイドラインを恣意的に解釈して、片っ端から機械的に語彙を削除・変更してしまう利用者が現れがちなのを警戒したためです(話題の初めに「編集合戦」という言葉もあったので)。故城一片之月さんの上記のご発言を批判した訳ではありません。ただ、Wikipedia:表記ガイド#文体の「常体」というのは、あくまで敬体(丁寧体)の「です、ます」に対応する「だ、である」という文体(普通体)を意味するもので、敬意表現全体の話ではないと思います。百科事典の記事本文に「ですます」文を用いるのがふさわしくないというだけの話で、敬意を含む単語を使うべきではないという意味ではないと思いますが…。--トホホ川 2009年12月8日 (火) 16:24 (UTC)
おそらく意図する所は一緒と思いますが、多くの編集者がそうされているように、用語はバランスを考えて適宜に使い分ければ概ねガイドラインは守られるものと思います。「崩御」のような尊敬語も記事の中で違和感のないよう工夫して用いれば良いのではないでしょうか。「崩御」を述語的に使用すれば、「崩御した」よりも「崩御された」が日本語としてより自然であると思いますが、記事本文のガイドラインもあることですから、記事本文中で「「…の崩御」の事実を受けて…は皇位を継承した」と名詞的表現を用い、この「…の崩御」に検証可能性が準備できればそれで良いかなと思います。
たとえば仮にですが、「昭和天皇の崩御」という記事が立項されたとしても問題はないが、「昭和天皇の崩御」を説明する定義文において、「昭和天皇の崩御(しょうわてんのうのほうぎょ)とは、1989年(昭和64年)1月7日に昭和天皇が死去した事柄を指す。」としたほうが良く、「昭和天皇の崩御」の説明に重ねて更に「崩御」を用いなくても良いのだとも考えます。--故城一片之月 2009年12月8日 (火) 17:56 (UTC)
(コメント:遠慮しつつ、コメントさせてください。papamaruchan22と申します。私は歴史部門とか航空部門に出没しています老兵です。)*さて、尊敬語はむずかしいですよね。、Wikipedia:表記ガイド#文体の「常体」はまさにトホホ川 さんのいうことそのままでしょうね。敬意を含む単語を使うべきではないという意味には読み取れません。そして一方「用語はバランスを考えて適宜に使い分ければ概ねガイドラインは守られるものと思います。」との事については故城一片之月 さんのお考えの通りだと思います、だとすると崩御という言葉自体は、単に天皇とか(古くは上皇・法王も)がなくなることを示した場合に使う名詞ですから本来敬語は動詞をともないますのでサ行変格動詞の「崩御した」と使用した場合は許容範囲となります。この場合は崩御なされたとか、崩御あそばされたとなって初めて百科事典の記事本文に使用は適切な表現ではなく避けるべきとなります。また、上記のたとえの例ですがわざわざ崩御の意味を国語辞典のように説明しないでしょう。重ねて説明はしません不要です、したがって故城さんの仮の例示もいりませんし心配もないと存じます。「君主の死亡に『崩御』という語を用いる事自体は通常用法として認められること」なのかと思料しております。この項目の表題の 「記事中で天皇に対して「崩御」の使用はNPOV違反か」の問いかけは、違反ではないと言えます。また天皇の死去を現す単語は「崩御」ですので、記事の体裁からだけで崩御を排除する理由には少しく弱いのかと思います。故城一片之月 さんの記事本文中で「「…の崩御」の事実を受けて…は皇位を継承した」と名詞的表現を用いる案は良く工夫された言い回しかとは思います。いずれにしても御三方の認識としてNPOV違反ではないのでNPOV違反として差し戻されたCharlesyさんの記述を工夫して差し上げれば良いのではと思料致しております。papamaruchan22 2009年12月12日 (土) 10:37 (UTC)
コメント 誰に敬意を表するのかは人によって違うので、それでも敬意を表しようとするのはWikipedia:中立的な観点から見て疑問ですね。たとえば「親愛なる指導者、金正日同志」のような表現も許容しなくてはならなくなります。また、百科事典の慣例としても敬意表現は使いません(例:[3]。「死去」「死」との表現のみ)。まぁ一般論としては、なんかよくわからないことがあったら、一般的な百科事典の体裁にならえばだいたい間違っていないので、質問者の方にはそうすることをおすすめします。あとそもそも表記の問題なので、Wikipedia:表記ガイドにて論じた方が適切でしょうね。--Kurz 2009年12月14日 (月) 09:52 (UTC)

皆様たくさんのご意見ありがとうございました。名詞的表現を選択するなど、今後の参考にしたいと思います。--Charlesy 2009年12月15日 (火) 08:36 (UTC)

今更ながら間が抜けてますけど気になったし、念のため,Kurz様の(例:朝日日本歴史人物事典の解説では「死去」「死」との表現のみ⇒ではなくて、)朝日の事典では確か十二指腸潰瘍で崩ずと述べてい[4]ます。それ自体は尊敬語ですね。つまり崩ずること[動サ変][文]ほう・ず[サ変]天子・天皇・皇后・皇太后・太皇太后などが亡くなる。おかくれになる。崩御(ほうぎょ)意味。(「死去」「死」との表現のみ)とは読み取れませんでした。Wikipedia:表記ガイドにて論じた方が適切との事はそうでしょうね。ご参考まで。色々蛇足ながらすみません。papamaruchan22 2009年12月17日 (木) 10:31 (UTC)
実際に死去と言う表現もあるのですが、確かに崩ずとの表現もありますね、見落としていました。表現方法が首尾一貫していないのはおかしいので、どちらかが間違っているのでしょう。辞典の注意書き・執筆方針等を確認したほうがよさそうです。--Kurz 2009年12月17日 (木) 10:36 (UTC)

表現の問題と言うより内部リンクの話なので、こちらにコメントさせていただきます。天皇など君主の死を意味する敬語についての記事として崩御が存在します。皆様の議論を拝見させていただきましたが、(お一人様より反対意見があるとはいえ)記事中で天皇に対して「崩御」を使用してもNPOV違反にはならず、Wikipedia:表記ガイド#文体の「常体」についても「あくまで敬体(丁寧体)の「です、ます」に対応する「だ、である」という文体(普通体)を意味するもので、敬意表現全体の話ではない」とのこと。私の意見としては、崩御の記事を読んでいただくために、記事ではなるべく「崩御」を使用して崩御の記事へ内部リンクを張っていただきたいのです。(もちろん、Wikipedia:表記ガイドに反しない表現で)。「崩御」を「死去」、「死亡」に書き換える際に崩御への内部リンクを切ってしまう利用者殿がいらっしゃいますが、閲覧者殿に崩御を読んでいただくうえで望ましい編集とは思えません。パイプ付きリンクを利用すれば、「死去」、「死亡」に書き換えた上で崩御に内部リンクを張ることができますが、「崩御」でも問題ないならばあえて書き換える必要性がなく、「あるいは大げさに言えば、過度に配慮するあまりWPを読んだ子供が君主の死には「崩御」という語を用いるものだという日本語の常識を学ぶ機会をすら奪ってしまう危惧を感じます。」というご意見も考えると、不合理な編集とすらいえるのではないかと思います。行幸など他の敬語の記事についても同様です。なお、Wikipedia:記事どうしをつなぐにわかりやすい解説がありますので、よろしければごらんになっていただければと思います。--伏儀 2009年12月23日 (水) 08:34 (UTC)

項目の存在を、文体全体に敷衍するのは無理でしょう。それではアナーキズムの存在を理由に敬体を否定することも、主体思想の存在を理由に「親愛なる指導者、金正日同志」を肯定することもできてしまいます。基本的にWP:NPOVから言って、君主主義的な扱いもアナーキズムに寄った扱いもどちらも適当ではありません。だからといって、君主主義もアナーキズムも項目の存在を否定されたりはしません。まぁいずれにしても水かけ論になるのは目に見えていますので、Wikipedia:信頼できる情報源、具体的には百科事典の方針を元に判断するのが適当でしょう。実際にどうなっているのか知りませんが。--Kurz 2009年12月23日 (水) 10:47 (UTC)
ご指摘がすでにありますが、「他の信頼できる文献に"そのように記述されている"ことが発見できるか」が焦点となっております。少なくとも明仁では、当時のメディアが「昭和天皇の崩御」という歴史的事実を記述した用語として「崩御」を使用したという実例を挙げていただいています。これを屈するほどの反証となる実例を挙げていただかない限り、明仁にて崩御を使用するという結論に変わりがなく、水掛け論になりようがありません。また、「主体思想の存在を理由に「親愛なる指導者、金正日同志」を肯定する」には、「他の信頼できる文献に"そのように記述されている"ことが発見できる」ことが必要です。(すくなくとも北朝鮮をテーマにした文献にそのような表現はみたことがありません)。アナーキズムも同様です。そのような政治思想が存在することを百科事典で説明するのは問題ないと思いますが。また、「天皇制が公式である以上、これに付随した表現である、「崩御」・「行幸」などは偏った考え方に基づく表現とはいえ」ないからこそ、当時のメディアが「崩御」を使用したとも考えられます。一方、「誰に敬意を表するのかは人によって違う」というKurz殿のご指摘は個人的な思想・信条についてではないでしょうか。百科事典では「崩御」の他、「世を去った」、「他界した」、「亡くなった」などさまざまな表現がみられるので、そもそも「天皇など君主の死に関する表現」自体問題とは見なされていないと思います。どれでもいいなら、崩御に内部リンクを張っていただき、また「崩御」でも問題ないならばあえて書き換える必要性がないと思います。--伏儀 2009年12月23日 (水) 12:05 (UTC)
失礼、百科事典については厳密な調査を行ったわけではありません。ただ、書籍(通俗読み物でなく研究者の著書)では上記の通り様々な表記がみられます。もちろん、引用する場合は書き換えてはならないのはいうまでもありません。--伏儀 2009年12月23日 (水) 12:13 (UTC)
コメント 個人的な心情と言われましても、私としてはウィキペディアの大方針であるWikipedia:中立的な観点を崩すような方法論には反対せざるをえないし、百科事典を作成するという大目的を崩しかねないような合意には賛成しかねるというだけの話です。これ、比較的日本人(not日本語話者)において同意が取れる天皇への敬意表現ですからまだ違和感を持たれないのですが、宗教的存在とか、上で述べたように北朝鮮周りとか、その辺でも同様に行われてしまっては正直かないませんからね。その結果としてそこら中の人物記事がふだん使わないような敬意表現だらけになって読みにくくなることが目にみえています。また誰にどの程度の敬意表現を使うのかという有意義でもなんでもない論争が繰り広げられるのも想像がつきます。私としてはそのような展開は望みませんので、本件については念のため強く主張させていただいています。もし敬意表現が妥当であると主張されるのであれば、大変申し訳ないのですが、Wikipedia:信頼できる情報源において証明していただきたいところです。個人的には百科事典を持っていませんので、機会があれば調べたいとは思っていますが、時期が時期ですのですぐには難しいです。--Kurz 2009年12月23日 (水) 13:26 (UTC)
話がまた振り出しに戻ってゆき始めているようなのでもう一度発言。私が名詞的表現と申したのは、「…天皇の崩御」が各報道機関や出版社でニュースや出版物として公表され、客観的・歴史的事実と認定されているなら、Wikipedia記事に出典表示も可能でしょうし、「…天皇の崩御」の形で記述が出来ると言っているのです。「崩御」・「行幸」と言う尊敬語が無制限に記事中で使って構わないと言う事とは違います。
Wikipedia:表記ガイド#文体は「百科事典本体の記事については、常体(……である、……だ)で統一します。」とのみ述べられており、「「常体」についても「あくまで敬体(丁寧体)の「です、ます」に対応する「だ、である」という文体(普通体)を意味するもので、敬意表現全体の話ではない」はどちらにその様な例示があるのか解りませんので、できれば御教示ねがいます。
常体記述が推奨され殆どがその流に沿って記述されているのに「崩御」のように明らかに天皇・皇后等に対する尊敬語である用語を常体文章中にそれのみ突出して使うべきではなく、それゆえに記事構成の中で、どういう使い方をすれば、スタイル矛盾にならないか執筆の方々は名詞的表現など、工夫をして書くべきではないでしょうかと申しあげたのです(繰り返しで恐縮ですが)。--故城一片之月 2009年12月23日 (水) 13:37 (UTC)
名詞であるにせよ動詞であるにせよ、敬意表現には変わりありません。そこをなぜ区別しなければならないのかは少々理解しかねますし、だいいち上で述べたような問題が解決するような方策ではありません。また出版物によって敬意表現は異なるもので、左派系紙を使えば敬意表現は少なめに、右派系紙を使えば多めになるだけです。そうなると編集者の好みに応じて出典から表記を選ぶということになり、いずれにせよ安定的とはいえません。もちろん、伏儀さんのおっしゃるように、引用する場合は書き換えてはならないのはいうまでもありませんが(たとえば「ベルツの日記」から、明治天皇を敬意表現を持って称揚するような部分の引用)、それとは別の話です。いずれにしても、調査をしないことには水掛け論にしかならないので不毛でしょう。なお現時点でどちらの主張もたいした根拠は出ていません。--Kurz 2009年12月23日 (水) 13:56 (UTC)
名詞的表現というのが解りづらいようなので、例えば「仁徳天皇陵」・「多摩御陵」のような場合、「陵」・「御陵」は通常の墳墓の意ではなく、天皇家に対する敬意が込められた言葉ですが、「仁徳天皇陵」・「多摩御陵」であればこれは、ひとつの客観性を持った用語ではないでしょうか?(「仁徳天皇陵」→『角川・日本史辞典 第2版』に実際に掲載)
記事中に取り扱う時に「陵」を「墓」にいちいち書き換える事は杓子定規的適用になりはしませんか?同様に「昭和天皇の崩御」も上に外部参照リンク:[5](再掲)してますが、報道でニュースとして使用された、一定の出来事を示す用語ですよね。逆に「昭和天皇の死亡」と伝えた事実を探し出すのは困難であり、採用すべきはどちらかといえば「昭和天皇の崩御」だと思います。--故城一片之月 2009年12月23日 (水) 15:03 (UTC)
コメント それはその事物に敬意表現しかない場合ですよね?しばしば問題になるゆえに本件で論じられているのは敬意表現も通常表現もある場合ですので、例として取り上げるには少々ずれます。ちなみに、敬意表現しかない場合には、代替策がない以上だいたいそのままの表記とされ、議論がまとまらないことはあまりありません。といっても、固有名詞ならともかく、一般名詞や動詞の敬意表現はふつう通常表現を基礎とするものなので、通常表現がないということはまずないですね。--Kurz 2009年12月27日 (日) 12:29 (UTC)

(インテント戻し)故城一片之月殿へ。話が振り戻されたとしたら、「崩御に内部リンクを張ってほしい」という話を始めた私に原因があります。「天皇の崩御」が信頼できる情報源から提示され、客観的・歴史的事実と認定できることが条件であることに異論はありません。そのことを明確にせず、困惑させてしまったようですね。申し訳ありません。表記ガイドの文体の件は、「そのようなご指摘があり、私もそう読み取った」ということです。尊敬語を無制限に使用しないというご意見に賛成です。(表記ガイドには明記されていないようですが…)。

Kurz殿に真っ向からの反論となってしまい、大変恐縮ですが、コメントをお許しください。「宗教的存在とか、上で述べたように北朝鮮周りとか、その辺でも同様に行われてしまっては正直かないませんからね。」とのこと。私の説明の仕方に問題があると思いますが、ご理解いただけなかったようです。北朝鮮を研究テーマとした書籍や論文では、「親愛なる指導者、金正日同志」といった類の表現はほとんど使われておりません。せいぜいが「金正日総書記」程度ではないでしょうか。このような例ですと、信頼できる情報源から提示できるはずがありません。「その辺でも同様に行われ」る心配など杞憂です。…という話を私はしたかったのです。これでご理解いただけますでしょうか。一方、「比較的日本人(not日本語話者)において同意が取れる天皇への敬意表現」だからこそ、書籍や論文、そして他の方が指摘されたニュースでも利用されるのでしょう。また、厳密な調査を行ったわけではなく恐縮ですが、書籍や論文でも「崩御」は使用されています。それらをさして「中立性に問題」というのは、書籍や論文に「崩御」を使用するのは偏った考えであり反対、という主張に思えます。(私はそう感じました。)むろん、尊敬語が無制限にこれらの書籍や論文で使用されているわけではないのはいうまでもありませんし、利用されていないものもあるでしょう。さらに、客観的・歴史的事実であるかどうかを検証する必要もあります。「崩御」の使用は中立性の問題でなく、単にスタイルに矛盾にならないように利用者間で気をつけるべき問題ではないかと思います。

また、「誰にどの程度の敬意表現を使うのかという有意義でもなんでもない論争」とのことですが、「崩御に内部リンクを張ってほしい」というお願いを私はしています。パイプ付きリンクを使う方法もありますが、「崩御」をなぜパイプで隠す必要があるのか、その根拠をお願いしています。崩御に内部リンクを張り、「崩御」を使用するために、スタイルに矛盾が生じないよう労を惜しむつもりは全くありませんし、無制限に利用するなどもってのほかとは考えております。しかし、「中立性」については上記のように納得できません。信頼できる情報源でも使用されているのに、なぜ…というのが私の印象です。--伏儀 2009年12月23日 (水) 16:07 (UTC)

コメント 内部リンクや既存の項目の存在を理由にするのは、それが認められるならいかようにでも項目を作ってそれを根拠とすればよくなってしまいますので、賛成しかねます。 次に、百科事典の文体を資料の文体に追随させる必要はありません。原典をそのままコピーするわけではないので、文体に基準を設けて変更することはできます。実際表記ガイドでは常体指定であり、敬体の資料であろうと常体に変えて内容を参照しています。--Kurz 2009年12月27日 (日) 12:29 (UTC)
報告 大部の百科事典の凡例を参照してきました。
  • 『万有大百科事典』(小学館)
    • 「現代日本語の標準的文章で平易に表現し、多くの人に理解できるようにつとめた。」
  • 『世界大百科事典』(平凡社)
    • 「本文の記述は簡明な表現とし、難解な漢語、敬語の使用はなるべく避けた。」
  • 『ブリタニカ国際大百科事典』(TBSブリタニカ)
    • 「人名は、略称俗称を用いず、また尊称敬称雅号の類を省くことを原則としたが、称号つきで慣用化しているものは例外とした。」
そしてざっと見た限り、事例としては「世を去った」「没した」「死んだ」「~親王の死によって」等など、敬意表現が使われている例は特に見当たりませんでした。
これらから見る限り、百科事典としては多くの人に理解しやすくしなくてはならず、平易簡明な表現が求められるため、一般に難解な表現となる敬語表現は原則として用いていないと解されるでしょう。もちろん、「遺詔」など、敬意表現を含んでいるとしても通常表現が存在しないために通常表現とするとかえってわかりにくくなるような専門用語についてはそのままでしたが、これは理解しやすくするという趣旨からはうなずけるものです。--Kurz 2009年12月27日 (日) 12:29 (UTC)

返事が遅れて申し訳ありません。「難解な漢語、敬語の使用はなるべく避ける」に賛成し、私の主張は取り下げます。「昭和天皇の崩御」については、「皇室敬語はとうの昔に廃止されていたにもかかわらず、天皇の死をマスコミは「崩御」と表現した。大正天皇の逝去以来、ずっと使われずにきたことばである。(takeshi Sakai, 'The Chrysanthemum Taboo', Ampo, vol.20, No.3 (1989), p.25.)」とされています。これはつまり、難解な漢語、敬語を使ってよいから「崩御」でもよい、という認識は間違いで、もとは難解な漢語、敬語だったが、ニュースソースでも一般化した用語なので「崩御」は使ってもよい、ということのようです。(「崩ず」も一般化した用語と認識するべきでした)。ニュースソースで取り扱っている話題はあくまで「昭和天皇の崩御」なので、それ以外の歴代天皇では「崩御」が妥当であるという根拠はない、と認めるほかありません。もともと「昭和天皇の崩御」という表現についての話題だったにもかかわらず、むやみに歴代天皇まで話を広げてしまい、ご迷惑をお掛けしました。また、百科事典の方針を調査していただき、ありがとうございました。--伏儀 2010年2月23日 (火) 08:06 (UTC)

合意に達したのならよかったです。なお、マスコミ等の信頼できる情報源において一般的な表記かについては、先に述べたように百科事典の文体を資料の文体に追随させる必要はありませんので、この議論にはあまり関係のない話かと思います。とはいえルール上はともかく実際問題としては、近現代の天皇のような論争のある記事においてあえて表記変更するという方もあまりいないでしょう。少なくとも私ならようやりませんね。--Kurz 2010年2月26日 (金) 10:41 (UTC)
  • (コメント)=私は崩御を使っても一向に差支えないと思います。伏儀 さんが「『崩ず』も一般化した用語と認識している」ならなおの事、崩御でもいいのではと思います。ここでの議論の主題である「記事中で天皇に対して「崩御」の使用はNPOV違反か否か」からいえば違反とまでは言えないのではと思います。本来「天皇の逝去は崩御」なんですから。あまりNPOVといって厳密にしたら、例えば天皇自体は世界でただ一名の存在にもかかわらずNPOV違反になるので「天皇」の項目は「'''日本'''の天皇」としなければいけないなんて極端な議論展開に成りかねません(以前昭和天皇のノートでそんなことが有りました)。Wikipedia:表記ガイド#文体の「常体」というのは、あくまで敬体(丁寧体)の「です、ます」に対応する「だ、である」という文体(普通体)を意味するもので、敬意表現全体の話ではないと思います。トホホ川 さんものべてますが、百科事典の記事本文に「ですます」文を用いるのがふさわしくないというだけの話で、敬意を含む単語を使うべきではないという意味ではないと思ってます。さらに百科事典に敬意表現がないという事では必ずしも有りません、なるべく使わないようにするといったレベルです。しかし、ザックバランな話、逝去でも崩御でも大差ないと言えばそれまでですしKurz さんのおっしゃる、その都度あえて表記変更する気がしないというのもうなずけるしね。本件はWP:JAのひとつの傾向として、この手の合意やガイドラインを消化不良のまま恣意的に解釈して機械的に語彙を削除⇒・変更してしまったのが事の端緒なのではないでしょうかね。papamaruchan22 2010年2月28日 (日) 14:45 (UTC)

コメントありがとうございます。「崩御という敬意表現はニュースソースで一般化した」というのは「崩御は難解な漢語、敬語ではない」の根拠となる出典として提出させていただきました。さらに、2009年12月23日 (水) 13:26 (UTC)でのKurz殿による、「もし敬意表現が妥当であると主張されるのであれば、大変申し訳ないのですが、Wikipedia:信頼できる情報源において証明していただきたいところです。」に対する最終回答となります。質問しておいて「この議論にはあまり関係のない話」とはどういうことでしょう? Kurz殿は、「資料の文体に追随させる必要はない」、「文体に基準を設けて変更することはできます。」とおっしゃっていますが、大部の百科事典の凡例を見ても「崩御」(一般化した敬意表現)を排除しているようには読めません。「基準を設けて変更する」必要性も読み取れません。

ところでどうにも釈然としないのですが、NPOV違反の話は結局どうなったのでしょうか。「漢語、敬語」(『世界大百科事典』)や「尊称敬称雅号の類」(『ブリタニカ国際大百科事典』)の是非は、それぞれ「難解」かどうか、「称号つきで慣用化している」かどうかを問題にしています。NPOV違反を問題にしているようには読めません。また、「親愛なる指導者、金正日同志」も、Kurz殿はNPOV違反の観点で問題視していらっしゃるようお見受けしましたが、「その敬意表現は北朝鮮の機関誌の類ぐらいにしか使用されていないので、称号つきで慣用化しているとはいえない」というように、百科事典の凡例ではあくまで慣用化しているかどうかを問題にしているのではないでしょうか。少なくともNPOV違反を問題にしているようには読めません。Kurz殿がNPOV問題の文脈で提起なされた一例であるにもかかわらずです。

そもそもの話、敬意表現を百科事典で使用することについて、NPOV違反かどうかは問題とされていないのではないでしょうか。papamaruchan22殿がおっしゃるように、「なるべく使わないようにするといったレベルです。」というだけの話ではないでしょうか。「崩御」を使うかどうかは、百科事典の表記の問題、つまり、Wikipedia:中立的な観点ではなくWikipedia:雑草取りWikipedia:スタイルマニュアルなどの範疇でしかないのではないでしょうか。そうであれば、「また誰にどの程度の敬意表現を使うのかという有意義でもなんでもない論争が繰り広げられるのも想像がつきます。」というご意見の「論争が繰り広げられる」については、百科事典の表記でも論争が発生する可能性はあるでしょうが、Wikipedia:中立的な観点と比べて深刻な問題でなく、論争の頻度も低いと思います。そして、「崩御」を容認している方は、百科事典の表記の範疇で議論に参加なされているようお見受けします。百科事典の表記として妥当であると判断して加筆した敬意表現をNPOV違反としてリバートされると相手も構えてしまいますから、もしWikipedia:中立的な観点が争点であるという根拠がなければ、敬意表現の是非については「慣用化しており難解でない」かどうかで検討することをおすすめします。

最後となりますが、papamaruchan22殿の「本件はWP:JAのひとつの傾向として、この手の合意やガイドラインを消化不良のまま恣意的に解釈して機械的に語彙を削除⇒・変更してしまったのが事の端緒なのではないでしょうかね。」というご指摘に私も賛成なので、Wikipedia:表記ガイドKurz殿より提示していただいた百科事典の凡例を記載し、「敬意表現を使用してもNPOV違反ではありません。ただし、敬意表現を使用する際は、下記の凡例に基づき、慣用化しており難解でないかどうか確認しましょう。」というような注意書きを記載することを提案いたします。長文失礼しました。--伏儀 2010年3月1日 (月) 05:34 (UTC)Typo--伏儀 2010年3月1日 (月) 05:40 (UTC)

関連する議論としてプロジェクト:日本の皇室に記載しました。念のため報告します。(推奨するものではなく、「使用しても問題ではない」という位置づけにしてあります。)--伏儀 2011年6月7日 (火) 02:50 (UTC)

四国征伐の改名について

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四国征伐の改名についてノートにて議論しておりましたが、意見が平行線を辿ったので合意のためのコメント依頼を実施し、ノート:四国征伐#改名に関するコメント依頼にて「論旨のまとめ」を行っております。コメントをよろしくお願いします。--Yasumi 2010年1月4日 (月) 12:27 (UTC)

合意により投票が実施されることとなりました。ウィキペディアの記事名について、コミュニティの判断を仰ぎたいと思います。
ノート:四国征伐#四国征伐の(記事名)改名についてが投票要領、次節が投票先です。よろしくお願いします。--Yasumi 2010年2月12日 (金) 20:44 (UTC)
投票が締め切られ、四国征伐から四国攻めへの改名が実施されました。投票にご協力いただき、ありがとうございました。--Yasumi 2010年3月1日 (月) 11:59 (UTC)

四国攻めの今後について

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信長(本能寺前後)・秀吉(四国の役)・輝元(関ヶ原)などの各部分について、ノート過去ログ化以降の仕切直しの為の内容・範囲と方向性の整理について、ノート:四国攻めにてご意見をお願いします。--Yasumi 2010年3月20日 (土) 21:51 (UTC)

Category:歴代藩主のテンプレートについて

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Category:歴代藩主のテンプレートについてプロジェクトに参加されている方のお考えをお聞きしたいのですが歴代藩主が1名、2名のものなどはあまり意味をなさないように思いますがいかがでしょうか。現在221のテンプレートがありますがサイズが500バイト以下のものが多くあり、実際問題としてはバイト数ではなく歴代藩主の人数が何人以上のもののみ作成するといった指針のようなものがあった方が良いと思いますが如何でしょうか。--Tiyoringo 2010年3月9日 (火) 11:31 (UTC)

たとえ藩主1・2名の場合でも該当藩のその後について「併合」・「廃藩」などの消長も一目で知ることができ(例)、それなりの意味は有る様な気もします。221個のテンプレートの確認作業や不要とされたものの撤去作業はそれなりになると存じますが、想定される改善前のデメリット及び改善後のメリットについてもう少しご説明を頂けませんか?--故城一片之月 2010年3月9日 (火) 12:36 (UTC)
問題の編集を行った者として意見を述べさせて頂きます。そもそも、これらの編集は先代次代チェーンの有用性に疑問をもっていることから編集したものであり、全ページが存在して繋がっていなければ有用性が低くなったり、先代次代が貼られているページから少なくとも一回は別のページに飛ばないと、その変遷が辿れない先代次代より、一覧テンプレートの方が有用性があると考えています。藩主1・2名の場合でもテンプレートを作成したのは、複数の藩にまたがって藩主をした大名でこれらの先代次代のみを残したら、ページの見栄えが悪くなるからで、有用性を持たすために各藩の併合・廃藩情報を入れるように苦慮しました。--テスタバーディ 2010年3月9日 (火) 23:47 (UTC)
見落としていたのですが、当「ウィキプロジェクト日本史」において過去の議論(過去ログ1)で大名記事のTemplate:先代次代の書式として話合われてきた経緯があり、またTemplate:先代次代ノートの議論に関連してWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 歴史で、「先代次代テンプレの是非について」話し合われ、その中でCategory:歴代藩主のテンプレートについても問題提起されておりました。
テスタバーディさん、貴方の会話ページを参照させて頂きましたが、これらの件につきTiyoringoさんから貴方に忠告があったようですね。もしかすると面倒かも知れませんが、たとえどんなに優れた編集ツールであっても、関係するコミュニティの皆さんや各プロジェクトメンバーの皆さんがいる訳ですから、事前にそれぞれのノートで相談やら提案なさった方が良かったのだと思います(今後はそうされる事をお勧めします)。
貴方の作られた、歴代藩主のテンプレートは非常に機能的であり、デザイン的にも見易く、省スペースのものと私は思うし、既に差し替え作業も相当に進んでいる状況も考え、当「ウィキプロジェクト 日本史」においては改めて採用追認の是非を問うた方がよいと思います。もっとも上位プロジェクトである、「Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 歴史」でも問題提起されていますから、そちらにもお知らせする必要がありますね。--故城一片之月 2010年3月10日 (水) 14:35 (UTC)
松平忠恒は短いのを3つと長いのを1つ使っていますが、連結することで変遷関係がわかりやすくなっていると感じました。一部を先代・次代にしたり、一代限りのものについて省略したりすると、かえって見にくくなると思います。--Kinori 2010年3月10日 (水) 01:42 (UTC)

上記に述べた通り、先代次代テンプレートについて改廃議論ぬきで現状が進行しているので、改めて先代次代テンプレートの取扱いと新規の歴代藩主のテンプレートの採用追認是非について、プロジェクトメンバー等の皆様に御検討頂きたいと思います。 また冒頭にあった、新規テンプレートの適用条件を藩主人数とするか、バイト数にするかの指針についてのTiyoringoさんの御質問に関する議論も、この検討に引き続いて行うことにしたいと思います。なお、考案者のテスタバーディ さんにはこの場で、新規テンプレートの機能説明や利点・その他について質疑に応答して頂きたいと存じます。--故城一片之月 2010年3月10日 (水) 14:35 (UTC)

それと、議論の場はここで良いでしょうか、合わせてお尋ねします。--故城一片之月 2010年3月10日 (水) 14:41 (UTC)

議論の場がここで良いかどうかを私は判断しかねますが、一応ここで、先代次代テンプレートの改廃議論について、説明させていただきます。歴代藩主について例に取るとほとんどの藩主が補完されている状況ですので、先代次代テンプレートの有用性について問題が少ないように思われますが、例えば、Template:浅尾藩主の場合だと、先代次代で表記すると蒔田定矩以降は一旦、浅尾藩を経なければ次の藩主に繋がりません。歴史系のページでは見かけたことはあまりありませんが、場合によっては、途中で分断されている上にこの浅尾藩に該当するページがない場合も有ります。Tiyoringoさんが、私の編集に疑問を持たれた発端である一覧テンプレート()はそもそも先代次代テンプレートがあったところに私が一覧テンプレートに変換したものを、有用性の無いテンプレートを作成したと私が咎められた形なのですが、一覧にしても有用性がないのであるなら、そもそも貼られていた先代次代は前後しか解らないものであり、さらに有用性のないテンプレートが貼られていることが放置されていたことになります。先代次代を原則として廃することにより、有用性のないテンプレートが貼られることを管理しやすくなるという利点もあると思います。--テスタバーディ 2010年3月10日 (水) 20:23 (UTC)(署名忘れ、追記)
新規テンプレートの適用条件ですが、藩主1人のテンプレートは単独では情報量が少なくなりますが、Kinoriさんがご指摘されているように、一部を先代次代にしたり、省略してしまってはかえって見にくくなり、ページに置かれた他のテンプレートの有用性も失われるものと考えます。さらに前述のように、先代次代と一覧を混在させるより、一覧テンプレートに統一した方が些末な内容の先代次代テンプレートが貼られることを防ぎ、管理しやすくなるものと思います。--テスタバーディ 2010年3月11日 (木) 03:03 (UTC)
貴方の言う利点は解るのですが、その一方で私はTemplate:先代次代を瑣末であるとは思いません。当プロジェクトでは有用と考えられていたから、先述のように議論され、改良などもされてきたのだと思いますし、貴方のCategory:歴代藩主のテンプレートもその延長線上でより機能アップした代替ツールとして有用だと考えられるから、ここで差し替えの追認を受けたらどうですかと申した訳です。その貴方が先代次代テンプレートを瑣末と片づけるのならば議論はこれで終わってしまいます。そして貴方はまず、他の利用者から理解と信頼を得る必要もあると思います(その点の詳細は貴方の会話ページに書きます)。--故城一片之月 2010年3月11日 (木) 15:07 (UTC)

Template:先代次代自体を瑣末だと言っているのではありません。このプロジェクトがしっかりと運営され、管理されている現在は瑣末な内容の先代次代が貼られても管理しきれます。しかし、このプロジェクトで扱われるページが増えるにつれ、各ページの管理が難しくなり、瑣末である内容の先代次代が貼られた場合と同じ内容の一覧テンプレートが貼られた場合とを比べると、先代次代は各ページで分断して、独立して貼られることがあることから、結果として瑣末な内容の先代次代が残りやすいということを説明しているのです。先代次代の場合、各ページから編集して除去する形ですが、一覧テンプレートの場合、テンプレート削除という形になるので、貼られたテンプレートが瑣末であるかどうかの議論も興しやすい利点もあります。 先代次代を瑣末と切り捨てたわけではなく、一覧テンプレートの利点を説明したつもりです。--テスタバーディ 2010年3月11日 (木) 15:27 (UTC)

そういう意味なら了解です。つまり、Category:歴代藩主のテンプレートはそれぞれが藩主一覧表を有し、かつカテゴリでも管理されているので各藩ごとのテンプレの改廃状況は一覧表でもカテゴリでも一元管理されるわけですから、それなら何かの事でどこかのページに取り残される可能性は低くなるわけですね。--故城一片之月 2010年3月11日 (木) 16:32 (UTC)

Tiyoringoさんからの提案を受けて、Kinoriさんと故城一片之月さんにご意見を頂きましたが、Category:歴代藩主のテンプレートの編集継続について、概ね現在の形で賛成いただけたものと思います。あと、1週間ほど様子を見て、反対意見が無いようでしたら、編集を再開(一気に全部とはいきませんが、順次)させていただきたいと思います。--テスタバーディ 2010年3月15日 (月) 08:36 (UTC)

はい。賛成します。「隠す」機能がなかった頃の藩主テンプレートには好意的になれなかったのですが、今のあり方には満足しています。--Kinori 2010年3月16日 (火) 01:41 (UTC)
支持。但し、あえて歴代藩主記事に限っての支持としたいです。他の人物関連記事で未合意のものは、このプロジェクトの上位プロジェクトであるWikipedia:ウィキプロジェクト 歴史、またはWikipedia:ウィキプロジェクト 人物伝での合意形成を待って、横展開して頂くよう御願いしたいと思います。その方が同種の合議を省略し易いと思いますので。--故城一片之月 2010年3月16日 (火) 10:25 (UTC)
コメント:藩主総人数が極端に少ない場合でも、先代次代テンプレを代替する表示機能として悪くはないし例1、複数の藩主を歴任の場合には一覧表を閉じた形をデフォルトに設定で使用できます例2。--故城一片之月 2010年3月31日 (水) 09:48 (UTC)
チェック :特に現状異論も出てないのでこの一覧表形式のCategory:歴代藩主のテンプレートについては、当プロジェクトにおいて使用およびTemplate:先代次代と差し替えの追認といたします。他に不都合が生じた場合等には新たな議題として立項して下さい。--故城一片之月 2010年3月31日 (水) 09:48 (UTC)

ウィキプロジェクト用名前空間「プロジェクト」新設のお知らせ

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先日行われた、ウィキプロジェクト用名前空間新設に関する投票の結果に基づき、ウィキプロジェクト用名前空間「プロジェクト」が新設されます。その際、以下の点にご注意ください。

  • ウィキプロジェクトのページ(サブページも含む)は、Botを用いて全て新名前空間へ移動されます。
  • 元ページはリダイレクトとしてすべて残されます。
  • プロジェクト名前空間のタブ表記は「プロジェクト」となります。
  • Wikipedia名前空間のタブは、「プロジェクトページ」から「ウィキペディア」に変更されます。

なお、具体的な日程などについては、『編集者向けsitenotice』などで告知される予定です。--W.CC 2010年7月27日 (火) 09:27 (UTC)

コメント依頼

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上記の「多数の著作権侵害疑惑記事の削除について」とも関係しますが、コメント依頼について私では判断がつかないため、Wikipedia:コメント依頼/YOSHI438/著作権侵害状況調査に携わった方々のご見解を伺えれば幸いです。よろしくお願いします。--まさふゆ 2010年8月20日 (金) 10:18 (UTC)

氏族の記事名について

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以前「氏族名+(国名(地域名))」の形式で記事の新設に関わったのですが、その際にさる方より「国名(地域名)+氏族名」がウィキペディアにおける慣行であるとのご指摘をいただきました。当方は全く疎い者ですので、「なるほど、そうだったのか」と思ったものですが、他方で「氏族名+(国名(地域名))」という記事名も多く、そういう慣行は存在しないのではとのご意見もございます。就きましては、果たしてそういった「慣行」が存在するのかどうか、よろしくご教示願います。--胡亂堂 2010年8月24日 (火) 10:48 (UTC)

どうも、ご無沙汰しております。それってこれ関連ですよね?私個人の感想ではウィキペディアの慣行と言うよりは、一般的に氏族関連の著述一般の慣行という感じです。一方、ウィキペディアではWikipedia:曖昧さ回避という方針により、括弧付きという表記方法により同名記事を区別する手法が採られているので、どうすべきかということだと思います。私の意見としては、「国名(地域名)+氏族名」が熟語として広く一般的であるならば採用し、そうでないならば「氏族名+(国名(地域名))」だと思います。例えば「奥州藤原氏」は複数の研究者による著書のタイトルや論文タイトルにも多く使用されているので記事名として妥当だが、その淵源の安倍氏は、「奥州安倍氏」という表記が谷川健一氏の著作に、「陸奥安倍氏」が板橋源氏の論文に使用されているほかは、ほとんどが単に「安倍氏」として言及されているので「安倍氏 (奥州)」とする、ということです。--ろう(Law soma) D C 2010年8月25日 (水) 00:36 (UTC)
チェック ご回答ありがとうございました。結局ウィキペヂアにおける慣行など存在せず、容れ物の側の容れ物式の対処が必要という事ですね。今後の編集活動に活かさせていただきます。(なお、他からの意見を様子見しており、御礼言上が遅くなりました点は平にご容赦願います。)--胡亂堂 2010年8月31日 (火) 19:21 (UTC)

加賀藩主の代の混乱について

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メンテしてる富山城の履歴[6]で気が付いたのですが、昨年末くらいから加賀藩主の代目の書き換えがあちらこちらで行われ、Wikipedia内での記事間あるいは記事内でも整合性が取れない状態になっているようです。加賀藩については前田利家を初代とするかどうかで数え方が変わってきて、現状のWikipedia日本語版の加賀藩#歴代藩主Template:加賀藩主では徳川政権成立以前に死亡している利家を藩祖として藩主には数えず、初代は前田利長としているようですが、世間では加賀前田家イコール加賀藩として利家を加賀藩初代とする数え方も広く行われています。気が付いた箇所は戻そうかとも思ったものの、個人的にはこの辺りのWikipediaでの過去の経緯(後年の概念である藩を大名家の実体と切り離してあくまで江戸期に限定して代を数える?)を承知していませんし、また一般認識とのズレもあって戻したところで今後も同様のことがあるであろうと考えると切りもなさそうなので、とりあえずここに現状報告しておきます。 Jinzuu 2010年8月31日 (火) 04:26 (UTC)

ざっと見渡して見ましたが、例えば佐竹義宣には「佐竹氏19代当主。久保田藩(秋田藩)の初代藩主。」と、伊達政宗には「陸奥仙台藩の初代藩主。(中略)第16代当主・伊達輝宗(中略)の嫡男。」とあります。利家の場合、父や兄の跡を継いだのか新たに一家を立てたのか判断が難しいとは思いますが、同様の人物の例では、浅野幸長には父長政は計算に入れず「紀伊国和歌山藩(紀州藩)の初代藩主。浅野家宗家初代。」とありますね。出典があればそれに従えばよいのではありませんか?個人的には利長は「尾張荒子前田家第4代(又は前田宗家第2代)、加賀藩初代」と併記すればいいと思いますけどね。--ろう(Law soma) D C 2010年9月1日 (水) 05:21 (UTC)
(追記)「藩」は確かにおっしゃるように後年の概念ですが、大名家として捉えた場合、その家系の継続とは別個に捉えられると思います。ただ転封があった場合、「藩」はあくまで地名に付いたものなので、「大名家」とは代数が異なります。秋田実季は「安東氏第9代、秋田氏第2代(中略)常陸宍戸藩初代」、秋田俊季は「秋田家第3代(中略)常陸宍戸藩2代(中略)三春藩初代藩主」です。--ろう(Law soma) D C 2010年9月1日 (水) 05:29 (UTC)
ちょっと話がかみ合っていないように思いますが、大名家と藩の代数の併記とか出典の有無の問題ではなく、加賀藩に限って言えば、下でHorlicksさんがコメントされているように利家を初代”藩主”とする出典もあれば利長を初代とするものもあって、どちらが正しいとも間違いともいえない、そして現状ではWikipediaの記事内において混在してしまっているということです。 Jinzuu 2010年9月2日 (木) 06:36 (UTC)
失礼しました。出典からして両方あるのであれば、どこかで統一せざるをえないですね。であれば、気の長い作業になりますが書き換えを見つけるたびにどこかのノートに誘導して議論するしかないように思います。--ろう(Law soma) D C 2010年9月2日 (木) 07:21 (UTC)
手元にある角川新版日本史辞典によると、前田利家の項には「加賀藩主前田家の祖」、前田利長の項には「2代加賀藩主」とありますね。自分の予想と異なっていてちょっと戸惑いましたが、利長の項には「織豊期・江戸初期の大名」とあることから、豊臣政権下の大名として利家は加賀藩主であったという解釈かも知れません。 --Horlicks 2010年9月1日 (水) 12:41 (UTC)
私の場合はその辞典と同様の認識でしたので、むしろWikipediaの加賀藩主の代の数え方に違和感がありました。本来の”加賀前田家中”としては利家と利長の間で分ける意味は全くないですから。しかし、加賀藩#歴代藩主Template:加賀藩主を確認して、郷に入りては式に考えて従っていますが、人によってはそのような確認をすることなく単純に間違いとして目に付いたものを片端から書き換えることが行われているわけなんですね。 Jinzuu 2010年9月2日 (木) 06:36 (UTC)
憶測ですが、幕藩体制の始期を太閤検地もしくは豊臣政権による全国平定(1590年)とする説を採用するのか、関ヶ原の戦いの戦後処理や江戸幕府の成立とする(1600年もしくは1603年)説を採用するのかによって、異なってくるのではと思われます。つまり、豊臣政権の大名・領国を「藩主」「藩」として認める見解を採るか否かだと思われます。加賀藩の場合、利家が亡くなって利長が後を継いだのが1599年ですから、前者を採用すれば利家が初代となりますし、後者を採用すれば利長が初代となる訳です。--水野白楓 2012年1月1日 (日) 19:34 (UTC)

お弁当箱に書かれている文字

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コモンズで古い写真を整理されてる方から「1886年に撮影されたとされる右の写真のお弁当箱に書かれてる文字は何なのか教えてください」という依頼がヘルプページに来ていました。東京と書いてあるような、ただの記号のような、私には全く分からないので、こちらにメッセージさせていただきました。これは何でしょうか・・--Was a bee 2010年9月6日 (月) 19:26 (UTC)

解像度が低くて読めませんが、左は確かに「東京」と読めなくもありませんね。多分、右は3文字なので弁当屋の名前なのではないでしょうか? --ろう(Law soma) D C 2010年9月7日 (火) 02:17 (UTC)
失礼します。私も店舗名だと思います。篆書で「□月堂」とかかれているように見え、□の部分はよく見えなかったのではっきりとは判明しませんでしたが、「菓」ではないかと思います。「月」の部分は勺などのつつみ部の漢字ようにも見えます。--ムカイ 2010年9月7日 (火) 14:49 (UTC)
私も「?月堂」だと思うんですが、わかりません。その前に、これ弁当箱じゃないように思えるんですけど・・・。菓子箱じゃないでしょうか?--uaa 2010年9月8日 (水) 19:48 (UTC)
ありがとうございます。ここへのリンクを示して、簡単に翻訳して伝言いたしました。質問された方は「もしイタリア語かドイツ語で何か困ったことがあったら助けます」とお礼していかれました。どうもこの写真は、フランス語版のウィキペディアンの人が「よく分からないが家に古いアルバムがあったからアップしてみた」という感じで上げた写真のひとつのようで(commons:Category:Adolfo_Farsari_album_01)、それぞれがいつどこでどういう形で撮影された写真か、本人もよく分かっておられないようです。何か同定できそうなものがあったら、アドバイスできると喜ばれるかもしれません(commons:Category_talk:Adolfo_Farsari_album_01)。しかしなぜフランスの人の家に日本のこんな古い写真が綺麗に残ってるのかナゾですが・・・--Was a bee 2010年9月9日 (木) 16:55 (UTC)
(蛇足)ジャポニスムの影響じゃないでしょうかね。--ろう(Law soma) D C 2010年9月10日 (金) 00:27 (UTC)
(コメント)恐らく、スティルフリードやファルサリによる横浜写真ではないかと思います。日本国外の滞在者向けのお土産として出版された写真集のようなものですので、海外にあって不思議ではないと思います。ファルサリの会社が1885年から1890年の間まであったので撮影はその間で、当該の写真は背景が単調なので横浜の居留地にあったスタジオなどで撮影されたものではないかと思います。--ムカイ 2010年9月10日 (金) 14:43 (UTC)

街道における記事名の曖昧さ回避法(カッコ内の扱い)について

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はじめまして。

複数の街道の記事において、記事名の違反として移動が行われ、その後議論不十分としてまた差し戻されるという事態が発生しています。違反の理由としてカッコ内(分野名)が記事名の別名となっていいて、記事名の付け方に違反しているというものでした。実際確認してみたところ、複数の記事がありました。確かにその記事名だと分かりにくいし、違反しているのも事実だと思いますし、このままでは問題があるとは思いますが、新しい記事名が何がよいかというのもハッキリしないと思います。ひとつひとつ提案していくより、ここで知識のある方々と話をした方が効果的と思い、また当方、知識的に自身がないのでここで質問させてもらっている次第です。

以下、「カッコ内(分野名)が記事名の別名となっている」記事です。

問題点としては、

  1. 曖昧さ回避のためのカッコ内(分野)が別名になっている現状は、問題ではないか否か
  2. 上記が問題だとすると、曖昧さ回避のためのカッコ内(分野)は何が適切か
  3. 同じ街道でも複数の街道名を持つものは、どれを記事名とするべきか

などです。

個人的意見としては、街道は道なのだから、決定的に区別が出来るのは街道の区間であるわけで、「A街道 (京都〜名古屋)」という形が良いのではと思うのですが、これだとどちらの地域が最初に来るかで問題がありそうです。

知識の深い方々のお力をお借りしたいのですが、どうするのがよいでしょうか。--マイホームのミコト 2011年2月5日 (土) 06:42 (UTC)

利用者:マイホームのミコトさんの編集の一部が、上記記事を強行移動してブロックされた利用者:竜王は生きていたに酷似しているように見えるのですが関係者ないしは同一人物ですか?--121.82.150.130 2011年6月13日 (月) 07:59 (UTC)

Category:江戸幕府の役職改名提案のお知らせ

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Category:江戸幕府の役職を鎌倉幕府・室町幕府の例に合わせてCategory:江戸幕府の職制に改名することを提案いたしましたので、ご意見を賜れれば幸いです。--水野白楓 2011年7月2日 (土) 03:23 (UTC)

氏族記事における系図について

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これはノート:平氏でスタートした議論をこちらに持ち込んだものですが、簡単にいうと、現在多くの氏族記事で主流になっている、罫線素片文字の組み合わせによる系図に関して、一部ブラウザによって表示が崩れてしまう場合があるため、Template:FamilyTreeを使用した系図に置き換えたほうがよいのでは、というご意見があり、利用者:Green Rainさんがその置き換えを暫時進められておりました。しかし、このテンプレートを同じページ内に大量に使用すると、環境によってはそのページを開くのに非常に時間がかかり、ブラウザがフリーズしたような状態になるケースがあります(たとえば徳川氏武田氏など)。その経験から、私個人としては、できる限りこのテンプレートは使いたくない、特に非常に長い系図、大きい系図を描画するのには向いていない、と考えていますが、さてそうなると、実際のところ系図はどういう方法で描くのがベストなのだろうか、という問題の答えが見つかりません。

ということで、ぜひみなさんのお知恵を借りたうえで、今後のためにも一定の道筋をつけられるよう、ここで議論をしようと考えました。みなさんのご意見をお聞かせいただければたいへんありがたく思います。よろしくお願いいたします。--Horlicks 2011年8月9日 (火) 17:03 (UTC)

コメント ノート:平氏Horlicksさんと議論した当事者として意見を述べさせていただきます。とはいえ系図を描く方法としては罫線素片文字の組み合わせによるものとTemplate:Familytreeを使用するもの以外では系図を画像としてアップロードした上で系図を使用する記事に掲載するものくらいしか思い浮かびません。例えば皇別摂家では系図をKoubetutakatukasa.jpgという画像の形でアップロードした上で前述の記事に掲載しております(勿論アップロードしたのは私ではありません)。アップロードする際に著作権上問題ないことを明記しなければならない等、罫線素片文字の組み合わせやTemplate:Familytreeより作業が複雑になりますが、罫線素片文字の組み合わせで作成すると「一部ブラウザによって表示が崩れてしまう」、かといってTemplate:FamilyTreeで作成すると「環境によってはそのページを開くのに非常に時間がかかり、ブラウザがフリーズしたような状態になる」とあってはMicrosoft ExcelMicrosoft Wordを利用して系図を作成しそれを画像としてアップロードするかオフラインで作成した系図をスキャナで取り込んで画像としてアップロードするしかないのかな、と考えます。この件に関しては私もHorlicksさん同様皆さんのご意見をお聞かせいただきたいと思います。--Green Rain 2011年8月10日 (水) 10:17 (UTC)
コメント コメント依頼を見て来ました。徳川氏を参考に拝見しましたが、綺麗に整っている反面、確かに時間がかかりますね。ただ、安東氏の系図を書くに際して、いつも「ずれ」に悩まされている身としましては、どちらかというとテンプレ使用の方が好ましいです。ただ、このテンプレでは異説の扱いが難しいようにも思いましたが。--ろう(Law soma) D C 2011年8月16日 (火) 00:42 (UTC)
なかなか意見が出ませんね。個人的には、もしテンプレートを修正してもっと軽く動作できるようになるなら、それが一番解決策としては妥当な気がするのですが、ただテンプレートの改良というのはけっこう技術的に難しいかなというのもありますよね。--Horlicks 2011年8月22日 (月) 15:41 (UTC)
コメント 横から失礼します。: ここまで挙げられている問題点を整理すると、罫線素片文字による記述は環境によって崩れる、テンプレートによる記述は環境によっては動作が重くて開けない、画像による記述は手間がかかり、著作権的にも怪しい、ということでしょうか。あと、これは自分の意見なのですが、画像による記述をした場合、本来系図から張っていたリンクの確保が困難になる、という問題もあるように思います。
これらを考えると、確かにHorlicksさんの仰るようにテンプレートの動作を軽快にできれば解決しますが、これはいつになるのかわからない、という欠点も孕んでいますので、現状では解決策足りえないと思います。また、比較検討するに罫線素片文字による記述は環境によって系図だけが見れなくなるのに対して、テンプレートによる記述は環境によって記事全体が見れなくなるのですから、まだ罫線素片文字による記述の方がマシでしょう。ただ、罫線素片文字による記述が崩れて見えない人を放置するのもどうかと思うところです。そこで、テンプレートが改善されるまでの間、罫線素片文字の組み合わせによる系図を原則とし、これが崩れて見えない環境の方用に、崩れない環境の方がPrintScreenで取り込んだ画像を別にアップロードし、「崩れている方はこちらをご覧ください」とリンクを置いておくことにしてはどうでしょうか?これならば、著作権的に考えれば元からWikipediaにあるものを画像にしていますから、その旨を画像の初版作成時に記述すれば他記事から記述を持ってくる時と同様に問題ないと考えられますし、Wordでいちいち作ったりスキャンする手間もなく、崩れている人は本来の状態がわかることになるのでテンプレートの修正の一助にもなると思いますのでご検討お願い致します。--machine_gun 2011年8月25日 (木) 05:59 (UTC)
なるほど、それはいい案ですね。全部いっせいにやっていくのはたいへんですが、気がついたところから少しずつやっていけばそれほど大きな影響にならずに済むかも知れません。 --Horlicks 2011年8月26日 (金) 17:58 (UTC)

改名投票のお知らせ

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歴史・軍事関係の下記の記事ノートにおいて、改名投票を実施中ですでお知らせします。投票有資格者による厳正な審査をお願いします。
--Yasumi 2012年2月19日 (日) 00:10 (UTC)
再度のお知らせです。ノート:小田原の役#改名投票2にて「小田原の役」または「小田原征伐」への改名再投票が実施中です。熟慮の上、投票をお願いします。--Yasumi会話) 2012年3月22日 (木) 21
20 (UTC)

坂東八平氏の系図仮冒説

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坂東八平氏平良文において、従来から広く定着している「坂東八平氏の祖は平良文」という説に対して、太田亮氏などによる平氏以外の部族による系図仮冒である、という説のほうが正しい、という前提の編集をされているIPユーザさんがおられます。いったん編集差し戻ししたのですが「反論があるなら記述すればよい」とのことで編集合戦になりかけているので、いったん個人での対処を控えてみなさんにご意見とご協力を仰ごうと思った次第です。 私としては両論併記すべきで、平良文説を除去したり、すでに否定されているかのような記述をするのは差し控えるべきだと考えております。「坂東八平氏」のほうではひとまず手元にあった日本史辞典を出典として記述を追加しておきましたが、これは仮の措置にすぎないので、もう少しちゃんとした出典が用意できればとも思います。 ノートでも呼びかけはしておりますので、該当IPユーザさんが独自研究に陥らないよう、説明と説得にお力をお借りできればと思います。--Horlicks会話2012年9月7日 (金) 16:04 (UTC)

当該の IP User です。
出すぎたことだっかのかも知れませんが、長年「独自研究」のタグが貼ったまま放置され、みっともないと思ったので、ルールに従ったということだけです。
少なくとも、仮冒説については、太田亮の『姓氏家系大辞典』と、宝賀寿男のホームページ(リンク切れになっていたのですが)が挙げられておりましたので「独自研究」では無いはずです。
次に、仮冒説に対する反論については図書館で調べた限りではみつかりませんでした。長年放置され誰も出典を付けなかったわけですから、反論はないのではないかと判断した次第です。
そして、「大掾氏・伊佐氏・鹿島氏(広義的には城氏・関氏・伊勢氏も含む)」は国香流ですから、坂東八平氏ではありません。
仰るように、人名辞典などでは、良文を坂東八平氏の祖とし仮冒説には触れていないということも確かですので、それらを勘案して良い記事にしていただければ、当方には何の異存もありません。--124.212.201.149 2012年9月8日 (土) 07:01 (UTC)
【仮冒説については、太田亮の『姓氏家系大辞典』と、宝賀寿男のホームページ(リンク切れになっていたのですが)が挙げられておりましたので「独自研究」では無いはずです。】とのことですが、もちろん仮冒説を記述することじたいは独自研究にはなりません。問題なのは平良文説を削除したり否定したりする編集です。これは複数ある説のうち、いずれか一つを正しいと編集者が判断して選択する、という行為になり、それが「独自研究」になってしまいます。少なくとも現時点で仮冒説が反論の余地のまったくない定説として定着している、ということを示す出典(だれかがその説を採用しているということの出典ではなく)は今のところ得られないように思います。少なくともいくつかの文献類においては良文説を採用しているものがありますので、両論併記すべきであろう、というのがWikipedia的判断かと思います。--Horlicks会話2012年9月8日 (土) 15:28 (UTC)
「仮冒説を記述することじたいは独自研究にはなりません」ということなら、独自研究のタグが貼られたままになっていたのは不備があったということでしょう。タグを剥がして不備を正したのは間違いではないのに、それを戻したのは何故でしょうか、「両論併記すべきであろう」というのなら、もう一方の論を追加すれば良いではありませんか。貴方のおっしゃる事は矛盾だらけのようにも思えるのですが、私としてはどっちでも良いことなので論争はいたしません。後の処置はお任せしますので、宜しくお願いします。--124.212.201.149 2012年9月8日 (土) 22:16 (UTC)
質問をされていますのでお答えします。「それを戻したのは何故でしょうか」すでに書いておりますが、平良文説を削除したり、それを否定する記述に編集されていたから、です。それが独自研究になるからです。元々の記事内容は「仮冒説もある、が、従来通りの良文説からの反論もある」というような記述で両論併記されており、出典がない点を除けば問題がない状態でした。その後半の「良文説からの反論」の部分を削除されたことで、内容が「現在では仮冒説が言われている」だけになってしまっていました。これでは複数の説のうちの一方のみを正しいと編集者が判断してしまっているので「独自研究」になるわけです。「もう一方の論を追加すれば良いではありませんか」ということですが、あなたが削除された記述を、差し戻しによって復活したのですから、まさにもう一方の論を再度追加しなおしたわけです。ご理解いただければ幸いです。--Horlicks会話2012年9月9日 (日) 19:51 (UTC)