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利用者‐会話:Horlicks

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カテゴリ「日本の氏族」再編問題について

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ちょっとねらーの感覚で調子に乗ってしまいました。すみません。ご不快なら今後はノートでの発言は自粛したいと思います。佐久間氏関係の記事の新規のご執筆をいつも楽しみにしております。61.125.228.50 2006年7月27日 (木) 03:34 (UTC)[返信]

いいえ、お気になさらないでください。
おかげさまで話が少し進むと思います。--Horlicks 2006年7月27日 (木) 09:13 (UTC)[返信]


拍車の件

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はじめまして。Kurihayaと申します。 拍車でのご指導、ありがとうございます。読んでくださっている方がいらっしゃるのだと、うれしくなってしまいました。Wikipediaは長らく閲覧のみで、つい最近執筆を始めたばかりなものですから、「百科事典」を踏み越えた記述をしてしまいました。 ノート:拍車で代案を出してみますので、よろしければご意見をいただけますか。

「ウィキプロジェクト 乗馬・馬術」の存在は知りませんでした。微力ながら参加させていただきます。放置しているUser Pageにも、ユーザボックスをつけてみましょう。 --Kurihaya 2007年7月11日 (水) 05:10 (UTC)[返信]

ノート:拍車にコメントしました。ウィキプロジェクトへの参加、ありがとうございます。詳しい方が参加していただけるとたいへん助かります。--Horlicks -note 2007年7月11日 (水) 11:20 (UTC)[返信]
コメントありがとうございました。また、サイドサドルへもちょうだいしていたのですね。Horlicksさんに見ていただきたいと思っていたところです。よろしくお願いします。 --Kurihaya 2007年7月11日 (水) 12:35 (UTC)[返信]

喜連川騒動の件

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『及聞秘録』の喜連川騒動に関係する記述(原文)を追加しておきました。時間がありましたら、ご検証下さい。 記事編集者の意向により、私的な訳は付けておりませんが、「写し」として作成されてあり、原文でも比較的に 読みやすい物となっていました。参考になればとご提供させていただきました。特に、討論、事件解釈に加わる意は ありません。のでよろしくご理解の程、お願いします。また、本文献は、筑波大学中央図書館にて、保管所蔵されて おり、「和本」ですので、その保存性の維持ゆえ、直接コピーはできませんが、マクロフイルムにて写し、これを写真として、複製したあと、一般コピーをした原文「資料」は保持しており、一般公開もされている文献です。--221.189.86.130 2007年7月27日 (金) 12:24 (UTC)[返信]

お骨折りいただき、ありがとうございました。またわざわざご連絡いただき、ありがとうございました。しかしリバートされてしまっているようですね。また議論になってしまうのでしょうか・・・。--Horlicks -note 2007年7月27日 (金) 18:09 (UTC)[返信]
ご覧になっているかどうかわかりませんが、ノートにコメントしておきましたので、できればDoripokeさんにも、他の方にも、ご説明をいただき、議論に参加していただけるとありがたいです。よろしくお願いいたします。--Horlicks -note 2007年7月28日 (土) 02:11 (UTC)[返信]

落ち着いたら馬へもお願いしますね

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こんばんは。Kurihayaです。しばらく仕事が忙しかったのですが、色々あったようですね。助力できず申し訳ございません。ウィキプロジェクト 乗馬・馬術への筋違いの意見は困ったものですが、あきらめずにやりましょう。とりあえずは、Category:馬術のスタブつぶしでもします。 --Kurihaya 2007年8月9日 (木) 12:59 (UTC)[返信]

ご心配をおかけしてしまってすみません。いつも馬術関連の記事の加筆ありがとうございます。私も初心に帰って、余計な誤解を招かないよう、まず記事の充実のためだけに全力を注ぐようにしたいと思っています。以前は全乗振や日馬連のライセンス所持者のユーザーも幾人か見受けられましたので、じっくりと地道にやっていけば、いずれ馬術関連の記事群もよい記事に育っていくものと思います。長い時間がかかりそうに思いますが、末永くよろしくお願いいたします。カテゴリーの体系化とか、表記の統一や、テンプレートなど、読みやすい、調べやすい事典にするためにも、ウィキプロジェクトをなんとか立ち上げて軌道に乗せたいと思っているのですが、人が集まらなければどうにもなりませんので、気長にやっていこうと思います。--Horlicks -note 2007年8月9日 (木) 16:19 (UTC)[返信]

第3回分野別活動状況案内(スポーツ)

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このたびは、分野別活動状況案内の作成にご協力いただきありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。--Me2hero 2007年9月4日 (火) 12:39 (UTC)[返信]

こちらこそよろしくお願いいたします。--Horlicks -note 2007年9月4日 (火) 13:22 (UTC)[返信]

Horlicksさん、こんにちは。盛衰栄枯さんとの対話ですが、これ以上、続けるのでしたら盛衰栄枯さんの会話ページへ移った方がよいかと思います。このままだと海獺さんのご迷惑になりますので。差し出がましいまねで恐縮ですが、よろしくおねがいします。--Michey 2007年12月12日 (水) 14:06 (UTC)[返信]

確かにそうですね。了解しました。わざわざありがとうございました。--Horlicks 2007年12月12日 (水) 14:14 (UTC)[返信]

お久しぶりです

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Ks aka 98です。metaの「Talk:Communication Projects Group/Projects/WM Outreach Japan」に、ちょいと書き込んでみました。英語はあまり得意ではないので、適宜修正などしていただけると助かります(あ、あと意見も頂けると)。日本語でなら、お手伝いできることは手伝いますので、必要ならお声掛け下さい。--Ks aka 98 2007年12月20日 (木) 18:19 (UTC)[返信]

わざわざありがとうございます。なかなか手を挙げてくれる人がおらず、一人で立ち回っているような感じでしたので、ご協力をいただけるとたいへん心強いです。あちらのほうにもコメントしておきますね。--Horlicks 2007年12月21日 (金) 01:58 (UTC)[返信]

モーニングへの置換処理について

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利用者:Swindbotを運用しております利用者:Swindと申します。ご指摘ありがとうございました。ほとんど処理は終わっておりましたが、ともかく一旦中止させていただきました。御指摘の件なのですが、「コミックモーニング(月刊)に連載されていたものまでモーニング(週刊)に置換している」という認識でよろしいでしょうか?--Swind 2007年12月27日 (木) 11:31 (UTC)[返信]

私の認識を申し上げます。2003年に記事が作成された際には「週刊モーニング」という記事名でした。しかし2006年にノート:週刊モーニングにおいて、「週刊モーニング」は正式名称ではなく、正式名称である「モーニング」へ記事を移動させるべきだとの提案があり、1年ほど経過した後にJumpさんによって記事が移動され、Wikipedia:Bot作業依頼に置換処理依頼が入ったというものです。すなわち私は「週刊モーニング」と「モーニング」は全く同一の雑誌であるとの認識でありまして、「週刊モーニング」へリンクしているものを「モーニング (漫画雑誌)」へリンクさせるように差し替えるのは全く問題がないと考えておりました(これは週刊モーニングの記事内に置いて「週刊モーニング」から「モーニング」への雑誌名変更があったという記載が一切なく、また、過去の版において「週刊モーニング」ではなく「モーニング」が正しい旨の説明書きがあったためです)。私自身はモーニングに関する知識がございませんので、記事に書かれていること以上の事は知らないというのが実際のところです。もしも認識が間違っておりましたら、ご指摘ください。--Swind 2007年12月27日 (木) 12:10 (UTC)[返信]
私も確認できないのですが、恐らくもともと月刊誌であったものが週刊誌になったということで、「週刊モーニング」と呼ぶ読者が多かったことが起因しているのではないかと推測しております。ともかく、モーニングについて知識のある方々が1年以上「モーニング」への改名に反対していなかったということは、もともと正式名称が「モーニング」だったのだろうと判断せざるを得ません。ということで、一時停止していた作業のほうを再開させたいと思います。今回は御指摘ありがとうございました。また何かございましたらお知らせお願いします。--Swind 2007年12月27日 (木) 14:02 (UTC)[返信]

年末ご挨拶

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遅筆のKurihayaでございます。Metaでのご活躍、応援しております(陰ながら、にもほどがありますね)。今日はPCに入れた住所録を見つつ年賀状書きをしていたのですが、たまたまHorlicksさんと同じ保守作業をすることになりました。先生ご本人でいらっしゃいますかねえ。あせって要約欄にWipikediaと打ってしまいました。

夏にお誘いいただいた頃はもっとお役に立てる気でいたのですが、文献を読んで面白がっているだけで執筆が進みません。馬術改訂案とレイニングは、何とか早いうちにお目にかけるつもりでおります。来年もよろしくご指導ください。良いお年を。--Kurihaya 2007年12月30日 (日) 09:47 (UTC)[返信]

わざわざのご丁寧なご挨拶、ありがとうございました。Kurihayaさんの会話ページにお返事させていただきますね。--Horlicks 2007年12月30日 (日) 14:28 (UTC)[返信]

虎姫の件で

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おばんです。ご指摘の件、確かに私の手落ちでしたわ。以後気をつけさしてもらいます。今後とも、何かお気づきの点などありましたらおっしゃってください。では、よろしゅう。--氏名不詳者 2008年2月23日 (土) 15:02 (UTC)[返信]

いえいえ。こちらこそ、今後ともよろしくお願いいたします。--Horlicks 2008年2月23日 (土) 17:52 (UTC)[返信]

虎姫 (中川秀成室)の画像を追加しました。Wikipedia:画像提供依頼/人物#歴史上の人物から依頼を除去しました。--Minor edit 2010年3月16日 (火) 16:43 (UTC)[返信]

どうもありがとうございました。わざわざお知らせいただき恐れ入ります。--Horlicks 2010年3月17日 (水) 12:32 (UTC)[返信]

本能寺

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Horlicksさん、お若いとご存じないかもしれませんが 家康や天海、朝廷の内容は昔から言われており「独自研究」ではありませんよ。

時間をいただければ出展を列挙いたしますので、 旧戻しなさらないでいただけないでしょうか。

よろしくお願いいたしますね。

--以上の署名のないコメントは、218.217.3.29会話/Whois)さんが 2008-05-07T19:15:09 に投稿したものです(Horlicksによる付記)。

「時間をいただければ出展を列挙いたしますので」とのことでしたが、半年以上経過しても一向に出典が示される様子はありませんね。--Horlicks 2008年11月30日 (日) 12:17 (UTC)[返信]

第4回分野別活動状況案内(スポーツ)のご案内

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こんにちは。いつもお世話になっております。Me2heroです。昨年度は分野別活動状況案内の作成にご協力いただきましてありがとうございます。本年度も下記の通り第4回目を実施したいと思います。この1年でウィキペディア日本語版におけるスポーツ分野の状況も変わってきており、ご自身やスポーツ分野全体の執筆状況を振り返る良い機会になると思います。もしよろしければ、回答できる範囲で結構ですのでご協力をお願いします。ドラフトをPortal‐ノート:スポーツ/第4回分野別活動状況案内に作成しました。これに関して、もしご意見があればPortal‐ノート:スポーツ#第4回分野別活動状況案内までお願いします。

--Me2hero 2008年7月21日 (月) 05:16 (UTC)(修正)Me2hero 2008年7月21日 (月) 06:01 (UTC)[返信]

ご協力ありがとうございました。おかげさまで無事に作成期間が終了いたしました。今後ともよろしくお願いします。--Me2hero 2008年9月5日 (金) 13:03 (UTC)[返信]

こちらこそよろしくお願いします。--Horlicks 2008年9月6日 (土) 12:20 (UTC)[返信]

喜連川騒動について その後の報告 

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お久しぶりです。喜連川一色家です。その節は大変おせわになりました。

事件の解析は、「喜連川町史 第三巻 資料編3 近世」の発刊により順調に進み「喜連川義氏家譜」の事件記録 ・「長百姓姓名書上」・土井利勝から一色刑部に宛てた文書(二階堂主殿が尊信の押込め中、徳川家光への年始め の挨拶の御名代を勤めていたこと、「五人の百姓」は喜連川家の「おたずね者」であったこと、二階堂主殿の嫡子 又市は、事件の23年後に帰参を許されたことなど、事件の歪曲・改ざんを示す公的文書など多数残されており、 同書と「喜連川文書」に掲載されていました。2008年(本年)10月6日には、山下昌也氏による「日本一小さな 大大名」グラフ社 が発刊されるなど進展は良好です。(同書の発刊は、私には知らされておらず、旧喜連川町の 発刊物の喜連川騒動の事件ストーリーを紹介し、その後私の「喜連川騒動における一考察」の論拠と表現、文書 訳を使い疑問点を明確にし、最後に私の主張である事件の真相にせまる内容が記述される。)  実際、著作権の侵害も考えましたが、それはそれ。出版社の編集部担当に連絡し御礼をのべ、礼儀として筆者 から礼状と十冊のサイン入り原本をいただけるよう要請しときました。w それと、Doripoke氏のブログですが、[[1]] 事業妨害行為のつもりですかね。w ここまでなぜ根に持つのか疑問ですね。私的な 目的で喜連川騒動記事のあらし行為をしていたようにも思えます。

話を戻します。山下昌也氏に史料提供をしたのは、旧喜連川町史編さん専門委員であった新井正義氏でした。おそらく、新井正義氏は、旧喜連川町史編纂担当職員から私が提出した「喜連川騒動における一考察」のコーピーを入手したようです。新井氏は当時は近世でも事件よりも後の記述担当であった方です。

長くなりましたが、ご報告させていただきました。--220.4.250.227 2008年10月27日 (月) 18:03 (UTC)[返信]

追伸、一色刑部等三家老とその家族、および五人の百姓が許されたのは徳川家光の十三回忌、つまり15年後でしたが、尊信派とされる二階堂又市・高瀧・高瀬の三人が許されたのは事件の23年後でした。高四郎左衛門・梶原平右衛門の二人が許された記録はなく、「追放していた高某・梶原某の二人により幕府の御目付け二名をつかわされ尊信ははずかしめられた。」と「喜連川義氏家譜」に記録され三家老の家族の預け先も『及聞秘録』とほぼ同じ記録でした。つまり、五人の百姓は万姫には付き添ってはいません。幕府老中に呼ばれ御名代となった万姫の大名行列を外から確認しただけであったので、評定に立ち会った老中達の記録や幕府御上使の人数と性名、評定終了記述と尊信の押込めからの開放など、多数の矛盾と疑問点をのこす、いい加減なものとなっていたと想定されます。これが現在判明している史実です。--220.4.250.227 2008年10月27日 (月) 19:37 (UTC)[返信]

最後に、私のかわいい姪は、この「五人の百姓」の子孫家の一家である簗瀬家に嫁いでいまよ。w 県北部にひろく支店を開いたスーパーを営んでいました。つまり、彼等の子孫に恨みを持つているわけでもなく、そういう立場でもないでしょう。史実を解析し旧喜連川町の文献「狂える名君」「喜連川騒動の顛末」の歪曲・改ざん記述の存在を広く公表し、本来忠臣であった喜連川の一色家・伊賀家・柴田家の偽られた故人の汚名を正すことが目的であるからです。史実を記録しながらも自分や自分の先祖に都合の悪いことは、歪曲・改ざんして記述してしまうことは、人として多々あることで、私自信は人間であるが故のさがの一つと理解しています。むかしのことですよ。--220.4.250.227 2008年10月27日 (月) 20:08 (UTC)[返信]

そうそう、新井氏の氏名公表は、山下氏の著書に書かれていることで、新井氏の著書も紹介されており公開には問題がないからです。また、簗瀬さんとの親戚付き合いは6~7年前からで先祖のことは全て解っている上でのことです。つまり、旧喜連川町の歪曲文献の裏事情も全て解っているのです。しかし、それを現在ネット上で公開することが、いかがなものか?それも理解しているのです。そのへんは、私は現在の尊信派子孫の現在の実名を公開していないことから理解していただいているかとも思います。--220.4.250.227 2008年10月28日 (火) 08:39 (UTC)[返信]

特にコメントすべきこともないのですが、こんなところに書かれても意味がないですよ。

『史実を解析し旧喜連川町の文献「狂える名君」「喜連川騒動の顛末」の歪曲・改ざん記述の存在を広く公表し、本来忠臣であった喜連川の一色家・伊賀家・柴田家の偽られた故人の汚名を正すことが目的であるからです。』

そういう目的なら、Wikipedia以外の場所でがんばっていただくべき、ということをあれほどみなさんに教えていただいたのに、いまだに理解されていないのが残念です。
喜連川一色家さんは、なぜこの目的を「Wikipediaにおいて」行われることにこだわるのか、よく理解できません。
Wikipedia自身の目的は、喜連川一色家さんの個人的な目的とは一致していない、ということに早く気づいてほしいです。--Horlicks 2008年10月28日 (火) 12:48 (UTC)[返信]

誤解があるようですね。あれ依頼私はWikipediaがなんであるかを十分理解しているつもりですよ。w ゆえに、当然Wikipediaへの投稿の意思ありませんし、全ての記事の内容も信用しておりません。Wikipediaのルールや編纂のしかた、都合の悪い記事の歪曲のしかたなど精通しており、ネットワークを作る方にはかなわないこともです。 お世話になったHorlicksさんに、その後を報告し、Doripoke氏への報告を兼ねただけです。 それでは御健勝をお祈りしています。--220.4.250.227 2008年10月28日 (火) 16:15 (UTC)[返信]

第5回スポーツ分野活動状況案内

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お世話になっております。Me2heroです。昨年度も分野別活動状況案内にご協力いただきありがとうございました。今年も下記のとおり実施したいと思います。ご自身やスポーツ分野全体の執筆状況を振り返る良い機会になると思いますので、もしよろしければ、回答できる範囲で結構ですのでご協力をお願いします。質問事項の原案をPortal:スポーツ/第5回分野別活動状況案内に作成しました。この件に関しましてご意見がございましたら、ポータルのノート、もしくは回答先のノートまでお願いします。

--Me2hero 2009年7月27日 (月) 13:38 (UTC)[返信]

「史料性」を根拠にした削除について

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ノート:蒲生氏郷にてご指摘いただきましてありがとうございました。先方でも書きましたが、先行して問題が発生していた、ということですので、今後は出典そのものの史料性の疑いに基づく削除・差し戻しなどは行わないことを誓約申し上げます。確認させていただきたいことが2点あり、先方のノートにて提起させていただきました。今後の参考とさせていただきたいのでご回答ください。お願いします。--Greatupper 2011年7月5日 (火) 06:21 (UTC)[返信]

佐久間盛政の編集について回答

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M-Sho-gunでございます。Template:基礎情報 武士の前身の『Template:武士』(現在は消滅)では「自称官位も含む」との文言があったと記憶しておりましたので、それに添って編集しました。 先ほど確認しましたが「基礎情報~」の官位の項目にはそうした文言が無いようですね。 でも板垣信方甘利虎泰馬場信春も自称官位(官途、受領名)ですがそのまま記載されていますし、ノートで特に議論にもなっていない様ですから問題は無いのだろうと思います。

Horlicksさんがどうしても気になるようでしたらプロジェクト‐ノート:日本史で官位に自称を含めるべきか否か発議してみてはいかがでしょうか?--M-sho-gun 2011年8月9日 (火) 23:42 (UTC)[返信]

ああ、なるほど、そういうことでしたか。まあ、確かに、そういう運用もアリといえばアリですね。Template:武士から移行するとき、そのあたりのことが考慮されないうちに移行してしまった感じなのでしょうね。特に喫緊の問題というわけでもないので、現状特に問題ないということでいいかと思いました。どうもわざわざありがとうございました。--Horlicks 2011年8月10日 (水) 13:50 (UTC)[返信]

「武田氏」のカテゴリについて

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記事「武田氏」にカテゴリ「武田信玄」と一個人を追加したのは記事が側から見れば不思議だと思います。カテゴリ「武田信玄」のページで武田信玄に関連する事柄として甲斐源氏の武田氏の惣領であることは欠かすことは出来ない事として付け加えました。カテゴリ「武田信玄」のページを見たときに判断しすくする為にしたんですがどうでしょうかね?

カテゴリ織田信長のように家臣団一人ずつをカテゴリに加える様なつもりはありませんのであしからず。あれは信長家臣団の記事を作った方がよいと思いますが… ——以上の署名の無いコメントは、どうもそうらしいよ(ノート履歴)さんによるものです。

会話ページへの書き込みには署名をお忘れなく。 それはともかく、「カテゴリ」の意味を誤解されているように見受けられます。詳細はヘルプをよくお読みいただくのがよいかと思いますが、カテゴリとはその名の通り、記事を分類するためのものです。あなたが言われているような機能は、本文中の「関連項目」や本文中のリンクによって実現するべきもので、カテゴリの機能ではありません。カテゴリはその記事がどんな記事分類に所属するのかを意味するものですから、「武田氏」という記事を「武田信玄」というグループに「分類」するのは正しいとは言えません。ご理解のほどよろしくお願いいたします。--Horlicks会話2013年2月8日 (金) 17:59 (UTC)[返信]