ノート:旧皇族
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2008-03-20T02:04:36 の編集の主旨
[編集]- 伏見宮家を含む世襲親王家が有した皇位継承権の性格について言及。
- 門跡を辞して還俗した親王たちの元来の処遇ぶりについて言及。
- 「旧皇族の構成」について掲載順と括弧内の文言を整理。また具体的人名を加筆。
- 旧皇族の女系を通じた現皇室との近親関係は、単なる姻戚関係であって「貴種性」云々の問題ではない。
- 「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」の制定について、立法趣旨を再確認し、歴史的経緯を踏まえた政策展開の延長線上にあることを指摘。その運用の実態についても言及。準則の存在意義を過小に評価することは困難。--呆庵入道 2008年3月19日 (水) 17:23 (UTC)
(コメント)竹田恒泰さんの持論が「宮家は血のスペアである」であることは有名ですね。しかし、皇族といえども人間です。皇族である前に人間です。われわれと同じ、血の通った、喜怒哀楽の感情を持つ人間です。その人間をつかまえて、皇族が人として生まれ人として生きることの価値は種付け用の牛や馬と等価であると断言する言論、自らや自らの親族の人間としての尊厳をそこまで貶める言論を「程度が低い」と評さずしてなんと評したらよいのでしょうか。
竹田恒泰さんが執筆に講演にと活躍できるのはなぜでしょうか。それは、竹田さんが竹田恒徳の孫であり、明治天皇の玄孫だからです。われわれと同じただの人だったら、執筆や講演の依頼がたくさん来ることもないでしょうし、単著を3冊も出版することも難しかったでしょう。出版社や講演の主催者にとっての竹田さんの商品価値は、通常こういう政治向きの話(天皇の地位と権能が憲法に規定されている以上、皇位継承問題は文化でも宗教でもなく何よりもまず政治の問題です)はしない旧皇族が積極的に政治問題にコミットしているということです。これを「自らの血統を売り物にしている」という以外にどう表現したらよいのでしょうか。--呆庵入道 2008年5月19日 (月) 12:30 (UTC)
- 理由はともかく、レベルが低いなどという相手を見下したような言い方をすべきじゃないと思いますがね。竹田氏が注目されるのは、むしろその知識が求められているからじゃないんですかね。呆庵入道氏は「宮家は血のスペアである」論に反感を持っているみたいですが、そういう感情の入った書き方は中立的じゃないし、NPOV違反じゃないんですかね。俺にも冷却期間とか言ってましたけど、呆庵入道氏はしばらく皇室記事から離れたがいいと思いますよ。ただでさえ美智子 (皇室)の改名の件で議論が熱くなってる最中だ。そんな時に関わってる問題と近い記事を編集しても、いい編集はできないんじゃないですかね。--アダモステ 2008年5月19日 (月) 15:39 (UTC)
- >竹田恒泰さんの持論が「宮家は血のスペアである」である(中略)は種付け用の牛や馬と等価であると断言する言論
- この論理自体、独自の研究・解釈にあたり、百科事典であるウィキペディアには不適当だと思います。--経済準学士 2008年5月19日 (月) 15:45 (UTC)
- 別に私は「竹田恒泰さんの言論は程度が低い」と記事本文に書きたいわけではありません。私の竹田恒泰さんの言動への個人的な評価・感想と、記事本文の記述とは無関係です。あくまでもこれはコメントです。記事本文の記述から、竹田恒泰さんへの私の個人的な感情が読みとれますか?少なくとも私は事実しか書いていないつもりですが。それと、もしも知識が求められているのであれば、旧皇族ではなく歴史学者が招かれるはずだと思いますよ。--呆庵入道 2008年5月21日 (水) 13:20 (UTC) 編集の途中で誤って投稿してしまったため補筆--呆庵入道 2008年5月21日 (水) 13:28 (UTC)
- 「自らの血統を売り物にしている」って言葉はどう見ても中立的じゃないと思いますがね。好意的とは絶対に言えないでしょう。むしろ敵対的と取られる言葉だ。--アダモステ 2008年5月22日 (木) 02:13 (UTC)
- 好意的でも敵対的でもない、単なる事実の指摘ですから仕方がありません。いちおうご批判に配慮しまして、竹田恒泰さんがマスメディアに露出する理由は記述しないことにしました。少なくとも、無理にとってつけたように、ほんとうにあるのかどうか、それが理由で講演に招かれているかどうか、立証が難しい「学識」やら何やらを理由として記述するよりは現状のほうがよろしいかと思います。--呆庵入道 2008年5月24日 (土) 12:47 (UTC)
- 好意的敵対的を判断するのはあなたじゃなくあなたの文章を読んだ読者ですよ。単なる事実の指摘であるなら「旧皇族の子孫としての立場で」などと書くはずですがね。そろそろやめにしませんかね。いいかげんにしないと「無意味な編集合戦」と俺ら荒らし認定されちまいますよ。良くてもリバートと演説以外何もしてないって文句言われても文句は言えないんですよ。--アダモステ 2008年5月24日 (土) 15:28 (UTC)
- 荒らし認定されたり演説呼ばわりされたりするのがそんなにおいやなら「あえて退く」道を選ばれたらいかがですか。リバート以外何もしてないと文句を言われるのがそんなにおいやなら理不尽なリバートはそろそろ自主的に中止されたらいかがですか。なお、具体的にどこが「あなたの解釈」でどこが「あなたのイデオロギー」でどこが「独自研究」なのかご指摘がなかったのと「なしくずし」は単なる事実の指摘であって、アダモステさんの個人的な印象は編集の理由にならないのと、私が編集した理由に対してなんの反論もないのとで、結局元に戻しました。--呆庵入道 2008年5月29日 (木) 13:22 (UTC)
- ここはあんたのホームページじゃないんですがね。人の言葉の揚げ足取りするのはやめてくださいよ。リバートじゃなくて編集したらどうですかね。--アダモステ 2008年5月29日 (木) 17:21 (UTC)
- すみません、「なしくずし」と「漸次」はほとんど同じ意味ですので、悪いイメージのある「なしくずし」の語は削らせていただきました。あと、「ありえない」「机上の空論」についても表現を柔らかくしました。また、「敗戦がなかったなら」ではなく「準則が廃止されなかったなら」ですよね。--あるふぁるふぁ 2008年5月29日 (木) 14:56 (UTC)
- 荒らし認定されたり演説呼ばわりされたりするのがそんなにおいやなら「あえて退く」道を選ばれたらいかがですか。リバート以外何もしてないと文句を言われるのがそんなにおいやなら理不尽なリバートはそろそろ自主的に中止されたらいかがですか。なお、具体的にどこが「あなたの解釈」でどこが「あなたのイデオロギー」でどこが「独自研究」なのかご指摘がなかったのと「なしくずし」は単なる事実の指摘であって、アダモステさんの個人的な印象は編集の理由にならないのと、私が編集した理由に対してなんの反論もないのとで、結局元に戻しました。--呆庵入道 2008年5月29日 (木) 13:22 (UTC)
「1945年の敗戦と占領」「1946年の準則の廃止」「1947年の11宮家51名の皇籍離脱」いずれもいまさらなかったことにも元も戻すこともできない歴然たる事実です。そのような「ありえない」仮定を前提としなければ成立しない議論が「机上の空論」でなくてなんでしょうか。足して2で割って妥協するような真似はなしにしましょう。--呆庵入道 2008年6月3日 (火) 14:41 (UTC)
- 足して2で割って妥協したわけではなく、中立的な観点に従って編集したつもりですが…。
- 「『皇族ノ降下ニ関スル施行準則』と旧皇族」の最後の部分「なお、この準則は~都合が良いからである」までは事実だと思いますが、「しかし、この意見は結局~」以降は意見(あるいは独自研究)になっているようです。出典を示した上で「しかし、この意見に対しては~という批判もある。」であれば反対しません。
- 「いわば人工的に接ぎ木された皇位継承権である」「なしくずし的に永世皇族に移行してゆき」は好意的でしょうか?「いわば人工的に接ぎ木された皇位継承権である」「なしくずし的に」は無くても文意は変わりません。敢えてこれらを挿入することは印象操作の意図を感じます。--あるふぁるふぁ 2008年6月4日 (水) 08:37 (UTC)
- 「ありえない仮定」というのは、私は単純な事実だと考えるのですがいかがでしょうか。時間を巻き戻すことはできません。いまさら太平洋戦争をやり直すこともできません。「机上の空論」というのは確かに「独自研究」かもしれませんね。こんな誰も相手にしないアイディアをわざわざ批判した出典を探すのはおそらく困難ですから。しかし、出典はないよりあったほうがいいに決まっています。探してみます。
- 「いわば人工的に接ぎ木された皇位継承権である」「なしくずし的に永世皇族に移行してゆき」はご指摘のとおり好意的な表現ではありません。かと言って悪意の表現でもありません。中立的な表現です。「参考文献」に挙げた『皇族』のなかで著者の広岡裕児さんは、たとえ宮家に生まれても親王宣下を受けられなければ皇族ではない、と断言しています。世襲親王家の当主の皇位継承権が生得のものではなく、あくまで人為的な恩恵として与えられるものであることを示すのに、非常にわかりやすい表現だと思いますがいかがでしょうか。また、もともと本人1代限りで世襲は認められていなかった元門跡たちの宮家が世襲のものとされたのは、一定の時点で一気に切り換えられたのではなく、かなり私的な個別の事情により五月雨式に移行していったもので、政策的に意図して進められたものではありません。「なしくずし」という表現がもっともふさわしいと考えますがいかがでしょうか。Wikipediaでは、反対意見に対して好意的であることは要求されますが、記事の記述対象に対しては、好意的であることではなく中立的であることが要求されます。--呆庵入道 2008年6月4日 (水) 13:49 (UTC)
- 「中立的な表現」「好意的」についての理解が私と呆庵入道さんで差異があるように感じます。Wikipedia:中立的な観点には
- ”記事を書く時には、説明されている全ての立場は、少なくとも賛成できそうに思えるものだというトーンで書くべきです。全ての競合する立場を好意的に説明しましょう。”
- とありますので、私は、記事の記述対象に対しても好意的であることが要求されていると理解しています。この理解を前提に、先に挙げた2点の表現は少々問題だと感じています。--あるふぁるふぁ 2008年6月4日 (水) 14:21 (UTC)
- 「中立的な表現」「好意的」についての理解が私と呆庵入道さんで差異があるように感じます。Wikipedia:中立的な観点には
あるふぁるふぁさんが引用された部分の直後に、
- 「例えば、○○の考え方はよいアイディアだ、但し、一部の反対意見によれば、そうしたアイディアは××を見落としていると言われている、という書き方ができます。」
と記されています。引用された部分にも、
- 「全ての競合する立場を好意的に説明しましょう。」
とあります。好意的に扱われなければならないのは、互いに相違・対立するいくつかの意見のそれぞれであって、記事の記述対象ではありません。あるふぁるふぁさんの解釈は申し訳ありませんがいささか無理があります。
なお、その意味では、アダモステさんの一連の編集は、複数の競合する立場のうちのもっぱらひとつにのみ異常に傾斜した記述に徹していますから、1ヶ月後に保護が解除されたら、ほとんど全部書き直す必要がありますね。彼の拠って立つ立場については、抹殺すべきだとは言いませんが、少なくともWikipedia:中立的な観点に、
- 「論争を説明する際には、少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありません。」
と記述されているのに沿った扱いが必要でしょう。天皇という制度は時代の変化に合わせて自らも変わることで1,000年以上も存続してきたのであって、ただ自説に都合のいい先例を数えあげて「だから正しい」という立場はあきらかに偏っています。長く続いているから正しいのだ、ということなら、殺人も放火も強姦も略奪も「伝統」として保護されなければなりません。なにしろ有史以来絶えたことがありませんから。
ついでながら、私は皇室にも旧皇族にも天皇制にも好意をいだいていますので誤解のないようよろしくお願いします。天皇制の存続の可否を問う国民投票が実施されたら、迷わず「存続」に1票を投じることでしょう。現在のミャンマーやティベットのように「存続」に投票したら生命の危険があるような状況ならば話は別ですが。ただ、私は天皇や皇族たちの人柄や言動を敬愛しているのであって、万世一系だの神武天皇のY遺伝子だのというばかげた迷信を敬愛しているわけではないので、なかには「この人だけはどうしても好きになれない」という人もいるのはどうすることもできません。--呆庵入道 2008年6月9日 (月) 14:47 (UTC)
- 「自らの血統を売り物にしている」「人工的に接ぎ木された皇位継承権」「なしくずし的に永世皇族に移行」「ありえない仮定」「机上の空論」といった表現は、呆庵入道さんにとっては「少なくとも賛成できそうに思えるものだというトーン」あるいは「○○の考え方はよいアイディアだ、但し…」という書き方に沿った書き方なのでしょうか?私にとっては「○○の考え方はばかげたアイディアだ」と言っているように見えるのですが…。
- また呆庵入道さんが皇室等々に好意を抱いているか、どうしても好きになれない人がいるかどうかは、Wikipediaの編集に反映されない限りは、全く興味がありませんし、百科事典の編集にどのような意義があるのかわかりません。--あるふぁるふぁ 2008年6月11日 (水) 10:22 (UTC)
- 例示された私の表現は、基本的に価値中立的なものだと私は考えています。事実は冷厳なものです。婉曲な表現を使おうが、直截な表現を使おうが、指し示す内容は同じです。旧皇族であることによって支えられている知名度、親王宣下が停止されたとたんに消滅する皇位継承権、恣意的に行われた宮家の乱立、1945年の敗戦と占領はいまさらなかったことにはできないこと、などは、いずれも単なる事実であって、それ以上でもそれ以下でもありません。ただ、確かに「机上の空論」は「ばかげたアイディア」に近いニュアンスを含むものですから、保護が解除されたら記事から削りましょう。
- 皇室等に対する好意云々については、あるふぁるふぁさんが「記事の記述対象に対しても好意的であることが要求されていると理解しています」と述べられたことを踏まえて述べたものです。ご指摘のとおり、編集者が記述対象に対して好意をいだいているか、敵意をいだいているかは、百科事典の編集にとってはなんの意義もありません。まったくそのとおりだと私も考えます。にもかかわらず、あるふぁるふぁさんがNPOVを「記事の記述対象に対しても好意的であることが要求されている」ものとして理解しようとするのは、あきらかに矛盾した態度です。百科事典の記事を編集する際に、記述対象に対して好意的でなければならないとすれば、人工妊娠中絶、死刑廃止、核廃絶などのテーマについては、賛成論者しか編集に参加できなくなります。アルカーイダ、オウム真理教、国家社会主義ドイツ労働者党などのテーマについては、彼らの思想を信奉する者しか編集に参加できなくなります。これをもって「中立性」と呼ぶことができるでしょうか。--呆庵入道 2008年6月23日 (月) 14:42 (UTC)
- 前回の「記事の記述対象に対して好意的」については正しくなかったようです。改めてWikipedia:中立的な観点を読み返してみると、「好意的」であるべきなのは「記事の記述対象」ではなく「記事対象について述べられた全ての立場」に対してですね。呆庵入道さんのご指摘の通りですので撤回いたします。
- 「婉曲な表現を使おうが、直截な表現を使おうが、指し示す内容は同じです」とのことですが、同じ内容であっても表現によって読む者に与える印象は異なります。少なくともWikipediaにおいては、中立的な立場とは「AとBの意見について呆庵入道さんが中立的な立場からどちらが妥当かを決める」のではなく「AとBの双方の意見があることを述べる」ことです。編集者は、否定的なニュアンスを含む語や表現、無くても意味が通じる不必要な修飾語句などは極力排して事実を述べるだけに徹するべきではないでしょうか。--あるふぁるふぁ 2008年6月23日 (月) 19:44 (UTC)
「中立的であること」と「好意的であること」の関係について、あるふぁるふぁさんと見解を共有できて安堵しております。ありがとうございます。心底うれしく思います。
さて、次に「表現が読む者に与える印象」についてですが…。そもそも「印象」というのは一定の客観性を持ちうるものなのでしょうか。あるふぁるふぁさんが例示された「人工的に接ぎ木された皇位継承権」「なしくずし的に永世皇族に移行」「ありえない仮定」といった「表現」について、私は否定的なニュアンスを感じません。感じないからこそ記事に書きこんだのであり、感じないからこそそれを理由なく抹消することに抗議したのです。「表現が読む者に与える印象」は読む者ひとりひとりで異なるものであり、すべての読者が同じ印象を共有できることはむしろ少ないのではないでしょうか。
中立的な立場とは「AとBの双方の意見があることを述べる」ことである。そのとおりです。私も全面的に賛成です。しかし、私が書いた記事のなかの、あるふぁるふぁさんが問題にされている部分(「自らの血統を売り物にしている」についてはすでに私自身の手で削ってしまったので除きます)について「AとBの双方の意見がある」ことを私は知りません。代々の当主に対して天皇との血縁関係を完全に度外視した親王宣下が継続的に行われなければいずれ宮家が自然消滅に追い込まれることは、戦国時代に伏見宮家以外の宮家がすべて没落したことであきらかです。明治維新前後に叢生した宮家はいずれも本来1代限りのもので、さまざまな名目で個別的かつ他律的に世襲の特権を与えられていったのが実態です。歴史を振り返るときに「あれをなかったことにできさえすれば」という願望を込めるのは無意味でありタブーですらあります。私の表現は確かに記述対象に対する一片の好意も感じさせないものかもしれませんが、それは中立的であろうとすればこそです。また、私はこれらの修飾句が不必要だとは考えていません。感情的な思い入れをこめた文飾ではなく、単なる事実の指摘に過ぎないからです。--呆庵入道 2008年7月1日 (火) 12:22 (UTC)
- 私が否定的で不必要と感じる表現について、呆庵入道さんは「否定的なニュアンスを感じません」「これらの修飾句が不必要だとは考えていません」とのことですので、語から受ける印象が呆庵入道さんと私とで異なるということですね。これまで生きてきた環境が違うのですから、これは仕方ないことかもしれません。
- とはいえ、呆庵入道さんと私とで共有できる部分できない部分が明確になり、私の認識が改まった点、呆庵入道さんが修正してくださった記述もあり、私としては一定議論の成果があったと考えますので、この辺にしたいと思います。
- 議論にお付き合いいただきありがとうございました。--あるふぁるふぁ 2008年7月1日 (火) 15:09 (UTC)
2008-05-21T22:39:55の編集の主旨
[編集]旧皇族を皇族にして皇位継承者を確保することが「解決策」として広く認知されていれば、とうに実行されているはずです。「解決策を提示できた」と断定するのは時期尚早ですね。--呆庵入道 2008年5月21日 (水) 13:44 (UTC)
- 「ありえない仮定」ではない、と主張されるのは、1945年の敗戦と占領、その後の60年以上の時間の流れを、全部なかったことにしてからにしてください。おできになりますか。準則を踏まえて1947年の11宮家51名の皇籍離脱をなかったことにしようとするのは、徳川恒孝さんを「世が世なら18代将軍」と表現するのと同レベルの冗談でしかありません。--呆庵入道 2008年5月24日 (土) 12:39 (UTC)
2008-05-24Tの一連の編集の主旨
[編集]- 「神武天皇の男系の子孫」というのは事実ではなく信仰です。
- 明治天皇や昭和天皇の血を引く東久邇家や竹田家はもはや皇族ではありません。
- 1代限り宮家が永世皇族に移行していったのはなしくずし以外のなにものでもありません。1889年の皇室典範制定を除けば、時期も理由もバラバラかつ恣意的ですから。移行の過程も少しずつ小出しに移行していった宮家が多い。
- 伊勢大宮司というのは、常勤の職なのでしょうか。非常勤の職なのでしょうか。現職の鷹司尚武さんが就任したときの新聞報道では、当時鷹司さんは東京都にお住まいとのことでした。大宮司就任を機に、三重県に転居して、毎日社務所に通勤して、それなりに忙しくさまざまな実務をこなしているというのであれば、名誉職ではない、と言うことができるでしょう。確認されましたか?それと、伊勢大宮司だけが名誉職でないことが確認できても、名誉職についた旧皇族が、ほかのなんらかの公私の役職についた旧皇族のなかでも少数派である、ということでなければ、記事の書き直しにはつながらないと考えます。
- 旧皇族の記事なのに、東久邇稔彦が皇族だった時期の役職を記述していることがそもそもの間違いでした。--呆庵入道 2008年5月24日 (土) 13:19 (UTC)
宮家の相続に関して
[編集]2008年8月11日 (月) 21:57(UTC)の版 と2008年8月14日 (木) 08:34(UTC)の版 を投稿する際に表現に迷った箇所がいくつかありましたのでノートに記述しておきます。
まず、世襲親王家の当主および継嗣、ならびに世襲親王家出身の宮門跡は時の天皇もしくは上皇の養子または猶子となって親王宣下を受けたわけですが、この「養子」または「猶子」という用語の扱いに迷いました。中川八洋氏によれば皇室における「養子」や「猶子」、「実子」という用語は単に個人的な「疑似親子」になるという意味であり、民法的な「養子」の意味はなく、皇室における民法的な「養子」は明治時代初期に数例存在した宮家間養子だけであるそうです。確かに、江戸時代には、ある世襲親王家の皇族が別の世襲親王家の継嗣になるということは一例もありませんでした。なお、有栖川宮家の第2代当主良仁親王(後西天皇)の男子の長仁親王と尚仁親王は桂宮家(当時は八条宮家)の第4代と第5代をそれぞれ相続しておりますが、長仁親王が八条宮家を相続した時点(1666年(寛文6年))において、既にその父君の良仁親王は有栖川宮家(当時は花町宮家)を出て皇位を継承し(1655年(承応3年))、さらには異母弟の識仁親王(霊元天皇)に譲位して(1663年(寛文3年))上皇になっておりますので、この例は宮家間養子とは言えないと思われます。また宮家から新しく宮家が分家するということも幕末に宮門跡が還俗して宮家を創設するまでは前例が存在しません。だから皇位継承や宮家の相続は、一般の国民の「家」の相続とは性質が異なるのではないかと考えます。私は本来は理系の人間であるためか歴史学界の潮流には詳しくはありませんが、上記の中川氏の説を積極的に支持した文献を見たことは現在のところありません。私が無知なだけかも知れませんが。
続いて、賀陽家の嫡流(長男系統)は既に断絶しているとした件に関して。「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」と旧皇族の項目の系図において邦寿王の名前の後ろに(断絶)と記載しましたが、これが適切かどうかは迷いがあります。実子がなく、そのために賀陽家の嫡流(長男系統)が絶えたということを示すために(断絶)と記載したわけですが、そのように記載するのなら同じ系図の道久王と博明王の名前の後ろにも(断絶の見通し)と記載しないとつり合いが取れないように感じます(北白川道久氏と伏見博明氏はお子さまはいずれも女子3人で男子はなく、養子を取らないそうなので現当主を最後に断絶が予想されています)。「準則」の規定を厳密に適用するのなら、賀陽宮家は邦寿王に男子がいるかどうかに関わらず宮家としては邦寿王の代で廃絶となることとされていたので(断絶)という記述はまずいかも。何か他に適切な表現はないでしょうか。--まさふゆ 2008年8月14日 (木) 13:04 (UTC)
- 修正を加えました。--まさふゆ 2008年8月14日 (木) 13:47 (UTC)
右側の囲みの記載
[編集]右側の囲みに「支流 伏見宮(世襲親王家)」とあり、宮様の一覧が掲載されていますが、
リード文に「(前略)11宮家51名(うち皇位継承者26名)およびその男系子孫を
指すことが多く、本項目ではこれらの人物及びその家について解説する。」と
あるにも関わらず、11宮家ではない、既に絶家していた華頂宮、小松宮の記載があり、
矛盾してないかな?と思っています。削除すべきかな、と考えてます。
--Oresama777(会話) 2023年4月27日 (木) 09:53 (UTC)
- 修正しました--Oresama777(会話) 2023年5月8日 (月) 14:26 (UTC)
編集と差し戻しに関する意見交換の場
[編集]わたくし 利用者:Susuka(会話 / 投稿記録 / 記録)と利用者:Gurobal(会話 / 投稿記録 / 記録)さんとの間で、遺憾ながら本記事の編集方針を巡って対立しておりますので、この場を設けたいと思います。
まず経緯を述べますと、私が、本記事の編集を行いました。成果物はこちら 修正案 です。修正の要点は、以下の通りです。
— 利用者‐会話:Gurobal#「旧皇族」および「菊栄親睦会」の編集について より転記
- 従来の「旧皇族#歴史」の節には伏見宮系皇族の事績が記載されています。が、本記事は伏見宮系皇族について総論を扱う場であるので、個々の皇族の事績を記す場所としてはなじみません。伏見宮系皇族について知るには不可欠であるというならば、そうであるとわかるように書かねばなりません。今の書き方は、ただ事実を書いただけのように見えます。
- 次に、「旧皇族#皇籍離脱へ」の節ですが、これについては、「臣籍降下#1947年の11宮家の臣籍降下」に、細かい経緯が書いてあります。そちらへのリンクを貼って誘導していますし、概要レベルの記載は本記事に残しています。現状の概要が不十分であるならば、そのように具体的に表明してください。
- 「旧皇族#旧皇族の皇籍復帰をめぐって」も同様です。旧皇族の復帰論が出てくるのは、皇位継承問題の文脈です。であるので、論点等の詳細については「皇位継承問題」に譲り、記載場所の拡散を防ぐのが得策です。本記事には概要レベルの記載で事足ります。
それに対して、Gurobalさんは差し戻しを行われました。私の上記の主張に対する回答は、
— 利用者‐会話:Gurobal#「旧皇族」および「菊栄親睦会」の編集について より転記
- 全て主観的意見のように思われます。
- 他者の記述も尊重して共同で編集作業をするという視点が欠けておられるのではないでしょうか。
- 申し訳ありませんが全て不同意ですでので一方的な記事の削除はやめてください。
とのことで、残念ながら意見は一致していません。以上を踏まえて、意見交換を行う場をここに改めて設けました。良い議論ができればと思います。--Susuka(会話) 2024年4月19日 (金) 13:00 (UTC)
- 経緯の発端は利用者:Susukaによる該当ページの大幅改変とそれに伴う出典のある情報や重要な検証可能な参考文献のある複数のまとまった部分の記述の除去で、その理由は独断的であり、行われた編集との整合性は見られませんので「旧皇族」ページについては差戻し、「菊栄親睦会」については利用者:Susukaの記述にも出典を伴う有益な記述も見られたので差戻しはせずに利用者:Susukaの編集に伴い削除または除去された文章を復元するという編集を行いこれを妥協案と提示した。一見、同じ記述や矛盾しているように見える記述でも出典など検証可能性があり中立的で独自研究に当たらない記述ならば共同編集作業の成果として残しておくことが多様な参加姿勢の受け入れによる共同編集作業を行うというウィキペディアの編集方針に適うものと思われる。
- --Gurobal(会話) 2024年4月20日 (土) 01:47 (UTC)
- 私が「臣籍降下#1947年の11宮家の臣籍降下」および「皇位継承問題」との記載の重複を減じるべきだと言っているのは、記事のメンテナンスの簡素化のためです。同一の事象に関する記載が同じ粒度で複数の記事にあると、該当の事象の記載内容の修正を行うときには、全ての記事に同じ修正を行わねばなりません。これは面倒であり、また、抜け漏れが確実に発生します。これを防ぐために、該当の事象をメインで取り扱う記事を一つに決めて、該当の事象についてすべてを記載、日常的にメンテナンスするのはその一か所だけとし、他の記事はメイン記事への誘導リンク Template:main を貼って、各記事は修正する頻度が少なくて済むレベルの記載に留めることで、記事のメンテナンスをやりやすくなります。特に「皇位継承問題」は現在進行形の話ですが、「旧皇族#旧皇族の皇籍復帰をめぐって」に、議論の進捗をいちいち書くとなると手数がかかります。本記事の記載は概要に留め、旧皇族の取り扱いに関する最終的な決定を見てから、その結論を追記すれば済むレベルであるのが賢明です。
- Template:重複 というテンプレートがありますので、Wikipediaにおいて、記載内容の重複の解消が望まれているのは明白です。--Susuka(会話) 2024年4月20日 (土) 04:20 (UTC)
- 類似記事ではありますが、ページの趣旨ごとに記事の内容は異なっており重複とは思われません。
- 「こちらに要約してあるからそのページの記事はいらないでしょう」というのは記事の一方的な除去と何ら変わりません。
- また類似の記事が見られるのはウィキペディア全体にあたって多数見られますが、今後、Susukaはその全てに同じような編集を行っていくのでしょうか?。--Gurobal(会話) 2024年4月21日 (日) 22:16 (UTC)
- 報告 「こちらに要約してあるからそのページの記事はいらないでしょう」という表現から、私の意見がちゃんと伝わっているか疑問が持たれますが、私の意見としては、「全部を詳細に書くのは主題に一番近い特定の記事に限り、それ以外の記事に書くのは要約レベルにとどめるべきである」ということです。我々の間で、「他記事との重複内容の解消」のあり方に関して意見の不一致が見られるので、コメント依頼を提出しました。
また、「類似の記事が見られるのはウィキペディア全体にあたって多数見られますが、今後、Susukaはその全てに同じような編集を行っていくのでしょうか?」とのお尋ねについてですが、私はWikipediaの全ての記事に対して編集を行う意思も能力もありませんので、答えとしては「No」です。私が興味のある分野の記事を適宜編集するという方針で臨んでゆきます。--Susuka(会話) 2024年4月23日 (火) 11:32 (UTC)- ご確認いただきたいのですが、全部が詳細に書かれているわけではありません。主要エピソードがおおまかな時代ごとに書かれてあるだけです。たとえば「歴史」から旧皇族としての戦前の主要エピソードだけが抜かれていますが、これはどこの記事と重複しているのでしょうか?。また出典が明示されていた文章が出典なしの文章に置き換えられたり一方的に削除されている箇所も見られますが、このような編集はWikipediaの編集方針である「検証可能性」に反していると思われます。
- また他の記事にはこのような編集は行わず特定ページだけにこのような編集を行うというのでは公平性を感じられません。利用者:Susuka(会話 / 投稿記録 / 記録)は今回だけでなく他の方からも編集のしかたについて異議を出されています利用者‐会話:Susuka 。Wikipediaは共同編集作業によって作られるという方針に従って他者の記述を尊重した編集を行ってきただきたいと感じております。--Gurobal(会話) 2024年4月23日 (火) 21:00 (UTC)
- コメント 前段は、現在の記載における、幕末の中川宮や東武皇帝のくだり、近代戦前の軍人皇族の活躍に関する記載を念頭に置かれていると思います。これらの記載は、WP:IINFOの観点から記載を省くべきだという意見です。中川宮や東武皇帝は、旧皇族(当時の言い方では伏見宮系皇族)の活躍というよりは、幕末維新の政局において皇室の存在がクローズアップされる中で、キープレイヤーとして活躍した皇族がいた、というのが重要なのであって、皇室、あるいは皇族の記事に書くのが望ましいです。伏見宮系皇族であればこその活躍だから本記事に記載するのが望ましいというのであれば、その旨を明確に記載してください。また、軍人皇族についても同様で、皇族が軍職についてのは、大正天皇直系と伏見宮系でともに当てはまることですから、後者に限定した内容であるかのように、本記事にわざわざ書く必要がありません。皇室、あるいは皇族の記事に書けばよいです。
- 後段については、Gurobalさんは、「すべての記事を平等に扱え」とおっしゃっているのでしょうか?Wikipediaほどの規模のプロジェクトにおいて、個人でそのような立場を取るのは不可能です。だから、私は私にできる範囲で、Wikipediaのプロジェクトに寄与しているわけです。Gurobalさんが他記事においておっしゃっているように、「Wikipedia:編集方針#完璧でなくてもよいのです。編集を楽しんでください。」という編集方針があります。私は「完璧」とは程遠い人間ですので、全部の記事に風呂敷を広げることはせずに、目の前の記事ひとつひとつのメンテナンスを行っているわけです。--Susuka(会話) 2024年4月24日 (水) 10:18 (UTC)
- 完璧でないと自覚されているなら他者の記述も尊重してくださいと繰り返し述べています。主張されている内容は特定の記事の特定の内容のみに焦点をあてて編集しますと言っているのに等しく中立的な観点に欠ける編集を行っている可能性が高いと思われます。また主張されている内容は独断的なものが多く客観的かつ検証可能性に欠けるものが多いように思われます。--Gurobal(会話) 2024年4月24日 (水) 22:09 (UTC)
- コメント Gurobalさんは、私の編集方針が「特定の記事の特定の内容のみ」に注力している、と指摘されていますが、それは全てのウィキペディアンに当てはまることではないですか?ウィキペディアの記事は膨大であり、誰しもが、自分が得意とするジャンルを分担することで成り立っています。私はあくまで、数ある記事の膨大なテキストの中から、私が手を加えたいと思った特定のジャンルに関する編集を行ったまでのことです。手を加えた記事の内容について異見があるならば話し合いには応じますが、特定のジャンルのみ編集すること自体に異議を述べられると、こちらとしても首肯しかねます(すべての記事を平等に扱わねばならないとなると、誰も何も書けなくなってしまうので)。--Susuka(会話) 2024年4月25日 (木) 10:38 (UTC)
- 「中立的な観点」における「主題に関して信頼できる情報源によって公表されているすべての重要な観点を各観点の比重に応じて公平に描写し、できる限り編集上の偏向がないようにしなければならない」の方針に則った編集を行うべきだと思います。--Gurobal(会話) 2024年4月30日 (火) 22:21 (UTC)
- コメント 話がかみ合っていないように感じます。私が述べているのは、「伏見宮系皇族の個々人の事績に関する詳細な内容はどこの記事に書くべきか」という話であって、その「詳細な内容」の中身についての話はしていません。Gurobalさんがおっしゃっているのは後者の話ですよね?私は、「中立的な観点にのっとって記載方法を考えるのはかまわないが、それを「旧皇族」の記事に書くのは場所が違うのではないですか」といっています。--Susuka(会話) 2024年5月1日 (水) 03:43 (UTC)
- この件に関してですが、該当記事は伏見宮系皇族の個々人の事績に関する詳細な内容ではなく、伏見宮系皇族における主要なエピソードを載せている概説であると私は判断しております。主要エピソードさえまったくなくなってしまえば読者はその関連の個々人の事績に関しても辿ることがまったくできなくなってしまいます。そのような理由から該当記事に関しては「旧皇族」に該当するものであり「旧皇族」の記事に載せることがふさわしいと判断しております。
- また、別件ですがノートの記事を過去ログに移動したことを記事の削除と早合点してブロック依頼を出してしまったことをお詫び申し上げます。--Gurobal(会話) 2024年5月5日 (日) 03:00 (UTC)
- コメント 建設的な対話をありがとうございます。現状の記載内容が既に概説的であるので組み込んだ方がよいとのご提案を受けて、ではどのように組み込めばよいかと考え、手を加えてみました。以下のリンク先のようになりました。
- 「3.1 伏見宮の創設と伏見宮系皇族の発展」の節に、個別の事績を組み込みました。具体的には、
- 幕末の宮廷で伏見宮は重んじられ、特に中川宮と輪王寺宮が活躍したこと
- 近代においては軍務につき、戦場に立った皇族、戦死した元皇族もいたこと
- 第二次世界大戦の敗戦後、昭和天皇の求めに応じて事態収拾にあたったこと
- に関する文章を、文面を修正しつつ挿入しました。--Susuka(会話) 2024年5月5日 (日) 07:59 (UTC)
- ありがとうございます。該当の修正箇所についてはうまくまとめられており異存ございませえん。
- 修正案の他の箇所で旧皇室典範成立付近の事情において新宮家成立が明治天皇の意向によって行われたことと四高女の降嫁と旧皇室典範により永世皇族制が確立された事実と旧皇族復帰に関して現皇室典範の解釈、池田宮内次長答弁と門地における憲法問題の内閣法制局答弁が抜けていますが、私としては旧皇族に関わる重要な事項として記載があってもいいと考えますのでご検討いただけないでしょうか。--Gurobal(会話) 2024年5月5日 (日) 21:54 (UTC)
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- 旧典範時代の永世皇族制~四皇女婚姻については、文面を修正しつつ挿入しました。理由は、これらの施策は、伏見宮系統宮家の増加につながったきっかけであり、明治天皇直系の皇統が絶える危険性の下で行われたという経緯であるから、伏見宮系皇族について語る上で重要なトピックスであると解釈したためです。
- 現典範の解釈と、門地における憲法問題の内閣法制局答弁については、「4.旧皇族の皇籍復帰をめぐって」の該当部分(前者は「小泉純一郎首相の私的諮問機関~」と「令和3年(2021年)、~」の部分、後者は「※令和5年11月15日~」の部分)を組み合わせる形で挿入しました。理由は、「傍系宮家として皇籍を保持して皇統安定のために控える」という伏見宮系皇族の当初の役割を果たすことが現法制化で可能であるか、という点において重要であり、記載に足る内容であると考えたためです。
- 池田宮内次長答弁については、これを本記事にわざわざ記載することで何を表そうとしているのかよくわからないです。現皇室が久邇宮家や東久邇宮家と親戚関係にあるのは事実ですが、あくまで事実でしかなくて(しかも、現在の記事ではその事実はすぐ上に書かれている)、読者は「それをわざわざ書くことで、何が言いたいの?」という思いに駆られると思います。私もこの記載の目的がわからないので、どこにどう反映すればよいのかわからないです。
- --Susuka(会話) 2024年5月6日 (月) 08:53 (UTC)
- 確認させていただきました
- ・「明治天皇の強い意向の下で、皇統の存続に万全を期すべく、明治22年(1889年)制定の皇室典範において、宮家の新立、継承が認められる(永世皇族制)」という記述ですが、皇室典範成立前の新宮家の設立には明治天皇の意向はありましたが、皇室典範による永世皇族制の確立はまた別の問題で皇室典範で「宮家の新立」というのは認められていないと思います。新立された宮家の継承は認められたのですが、誤解を招きかねない表記だと思います。ご確認ください。
- ・現法制化で可能であるかという視点に立てば皇位継承における百地教授見解も付記することは参考になるとは思いますが、いかがでしょうか。
- ・池田答弁は皇室と旧皇族との現代における関りを国会で確認したものですから「皇室とのかかわり、待遇」に参考資料として記載してもいい内容ではないかと思います。ご検討ください。--Gurobal(会話) 2024年5月6日 (月) 22:16 (UTC)
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- 明治天皇の意向と永世皇族制の点について、文面修正しました。
- 百地教授学説の件。私は、これは掲載すべきでないとの見解です。旧皇族の皇籍復帰に関しては、メインの説明は「皇位継承問題」に譲り、本記事では"皇位継承問題を巡る中での注目"節に概要レベルで記載するにとどめるべきです。その上で、では何を本記事に概要として書くかというと、誰も疑いようのない事実のみにとどめるべきです。つまり、百地教授はあくまで学者であり、その意見は学説の一つに過ぎないので、学説上の一説として、「皇位継承問題」に、議論の一部分として記載するのがよいでしょう。政府に出された2件の報告書は、議論のベースとなる資料であるので、ギリギリ本記事への記載の許容範囲内であると思います。
- 池田答弁の件。改めて子細に読んでみましたが、徹頭徹尾、現皇室と旧皇室の血縁・婚姻関係に関する事実を述べたにすぎません。血縁・婚姻関係は、政府の答弁(官僚による有権解釈)によってはじめて認められるものではなく、元から存在する事実関係でしかないことです。ですから、この答弁をわざわざ引っ張ってくる必要性を感じられません。この答弁が、ただの事実確認以上の意味がある画期的なものであるなら、それを明確に説明する必要があります。
- --Susuka(会話) 2024年5月8日 (水) 12:35 (UTC)
- ・修正ありがとうございます。確認致しました。
- ・百地説は「皇位継承問題」への記載とすべきとの指摘、了解致しました。
- ・池田答弁については該当する事実が国会で確認されたという事実自体に意味があるものですから逆にあえて省く必要性はないと思いますがいかがでしょうか。--Gurobal(会話) 2024年5月8日 (水) 21:41 (UTC)
- コメント 池田答弁は、本記事に抜粋された内容は、本当に事実の確認しかしていないので、じゃあ何が目的でこの回答を引き出したのか?と思って、藤田議員と池田次長のやり取りを、議事録から追ってみたところ、以下の流れになっていました。
- 藤田議員:旧皇族に対する世間の理解が進んでいない、と前置きして、旧皇族の皇籍離脱の経緯を確認。
- 池田次長:皇籍離脱の経緯を説明。
- 藤田議員:現皇族と旧皇族との間に縁戚関係があることを先に説明してから、これが正しいことを確認。
- 池田次長:縁戚関係があることは事実であることを、実例を挙げて回答(現在の本記事の引用部分はここ)。
- 藤田議員:菊栄親睦会の存在と、皇室・旧皇族間の交流があることを確認
- 池田次長:皇室・旧皇族間の親睦の場であることを認める。
- 藤田議員:以上のやり取り(縁戚関係にあることおよび親睦を深めていること)から、旧皇族の皇籍復帰は選択肢の一つとして適切である、と述べる。これに対する池田次長含む政府関係者の答弁は求めず、この話題はこれで終わり。
- このように、このやり取りの主眼は、何らかの答弁、法解釈の表明を政府関係者から得るのではなく、知名度に劣る(#1)旧皇族の存在を示して、その皇籍復帰が有力な選択肢たり得るとの見解を述べること(#7)にあります。この見解は、政府関係者ではない藤田議員によるものですので、先の百地教授のケースと同じレベルのもので、有権解釈ではありません。また、池田次長の答弁はあくまで、藤田議員が見解を出すための道具立てとして事実を述べたにとどまるものであるので(#4と#6)、その意味でも、有権解釈は行われていません。また、旧皇族と縁戚関係があるというのは、明治天皇の四皇女の婚姻を書いてあることから周知の事実ですから、わざわざ池田答弁の#4の部分だけを抜き出すのは、読者にとっては蛇足となってしまいます。よって、わざわざ記載するほどの内容ではないと思います。
- --Susuka(会話) 2024年5月9日 (木) 07:44 (UTC)
- ご確認ありがとうございます。
- ご指摘の通りこの質問は有権解釈ではなく、事実確認として行われたものです。繰り返しになりますが該当する事実が国会において確認されたということが池田答弁の主眼であり有権解釈は最初から目的とされていないと思います。Susuka氏が国会におけるこのような答弁を記載するに足らない事実と判断されていることは現行の民主主義と議会政治を重視していないということにならないでしょうか。--Gurobal(会話) 2024年5月9日 (木) 22:01 (UTC)
- コメント Gurobalさんのおっしゃっていることがまだ呑み込めていないです。該当の池田答弁が「記載するに足りない事実と判断」しているのかといわれれば、旧皇族が現皇室と婚姻関係を結んでいるという事実は、旧皇族を語る上では記載するに足ると考えます。しかし、その事実は、明治天皇の四皇女のくだりで既に書いているのであって、池田答弁で屋上屋を架すのは不要だというのが私の意見です。
- また、「現行の民主主義や議会政治を重視していない」との指摘ですが、池田答弁は、政府が圧倒的優位にある法令解釈ではなく、言論の自由の下で万人に認められた事実の陳列の範疇なのだから、政府の答弁を特に優遇する理由はありません。政府答弁によって事実が確定したのであれば当然そこをソースとするのは異論ありませんが、本件に関しては既に公開情報であったのだから、特別に池田答弁を掲載する理由はありません。
- --Susuka(会話) 2024年5月10日 (金) 11:02 (UTC)
- 屋上屋を架す必要はありません。この事実が国会においても確認されたことがあるという一文を追記するだけでいいのではないでしょうか。そしてこのことは「旧皇族」の記事を読む読者の理解に資するものだと思われます。
- 理由は池田答弁は単なる政府答弁ではなく国権の最高機関である国会内において国民の代表者である国会議員(藤田文武氏)に対して行われた政府答弁ですので、単なる事実の陳列とは異なると思います。Susukaさんご自身も「知名度に劣る(#1)旧皇族の存在」(2024.5.9書き込み)と認めておられるようにこの情報は公開情報であっても国民に広く知られている情報とは言えません。その情報を国会の場において確認したことに議会政治上の意味がある答弁だということです。以上のような理由で池田答弁には記載する理由があるものであると申し上げます。--Gurobal(会話) 2024年5月10日 (金) 21:38 (UTC)
- コメント たとえ政府答弁であっても、あくまで事実の確認に過ぎないのであって、屋上屋を架す内容であるとの認識です。ご了承ください。
報告 Gurobalさんが活動を休止されたことを受けて、議論は一旦区切りとして、これまでの合意内容をもとに本記事を更新いたします。--Susuka(会話) 2024年5月17日 (金) 09:21 (UTC)