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利用者:Papamaruchan22

Wikipedia:バベル
ja この利用者は日本語母語としています。
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この利用者は主にYahoo! JAPANをインターネット検索に使用しています。
この利用者はロータリアンです。

自己紹介

  • ○前職-「バンカー」 現職-「妻の家来」・「団体役員」・「孫の教育委員?(押しかけ)」。
  • ○常識人。花粉症人。学生時代は飛行機乗りに憧れたがスローモーでのんびりだったのと、英語の点数で挫折して畑違いの文科系人となる。喧嘩ぎらい。でも曲がっている事柄は直したくなる様子。
  • ○利用者:「パパまるちゃん22」の22は二十二歳ではなく、じじ(爺様)の意味です。少なくても還暦どころか古希も過ぎた老兵。マッカーサーは「老兵は死なずただ消え去るのみ」と言ったが、(被災地の復興のため駆り出されていてまだ消えていない)「消え去るのみ」といった元帥がある意味羨ましい。

趣味

得意と勝手に思っている分野

  • 経済金融日本史(歴史・経済部門等でバーンスター受領)・航空機(ww・Ⅱ)・写真(但し銀塩写真メイン・この頃やっとデジタル化)
  • 経済 歴史 - Suifu様よりいただきました。感謝。

関わった項目

新規

主たる加筆編集

雑感

2006.12月

ウィキペディアに日本版が出来て早い段階から訪れて見ていたが、近頃アカウントを持ってから感ずることは、経済部門や工学部門は、話し合いが纏まりやすい。歴史も大変かなと思っていたが常識的な人・温和な人が多い。意外だったのは、登山とか地理部門で自説に拘泥する人がいたこと。反射的に自分の投稿文を変えたくないのかガンバル、地理の現場主義を忘れてしまっている。相手と合意せずレトリックで説き伏せたと思ってる、だれも自分自身はごまかせない。その場を立ち去るにかぎる。コミニュティの重要なメンバーのどなたかが言っていたか忘れたが、私も懸念するところは同じで、あまりコンピューターに詳しくないが記事を書く能力は保持している中高年の人たちが入って来ずらくなっていたり、離れていかねばいいが、、。

雑感Ⅱ

・2007.4月

オープンソースコンテンツであるウィキペディアに品質管理がない。という批判が本当かもしれないと思うようになっている。一つの記事をより真実に近いものに改変したいとしても、たとえ一人でも一つの意見に固執してしまうと多大なエネルギーと暇を必要とする。こんなエネルギーと暇は2チャンネラーの協力でもないと無理かなと考えたりもする。で、若くもないので査読依頼までしなくともと思って途中で「その場を立ち去るに限る」なんてことになる。これが品質管理にとって良い事ではない。名前を明らかにしている管理者のお一人がおっしゃる「基本は長くはなっても全部併記するということです。」でしょうな。

雑感Ⅲ

・2008.10月

此の頃つくづくノートに出で行って会話するのが億劫になってきた。説明に時間と労力を使いすぎる。ルールを守った編集が少ないと感ずるし。一方ルールを守っていてもなんかゴリ押しが多い。丁寧さより、単刀直入な言い方に変えてみようかと思ったりしている。

雑感Ⅳ

・2009.3

私事になるが百年に一度の未曽有の経済情勢で何かと多忙で、初めて1ヶ月間ウィキブレイクした。我が国のリーダーは「みぞうゆの危機」なんて言ってお気楽だが、、。ウィキペディアはこの間にあっても盛況のようでご同慶の至りですね。しかし、管理者は相変わらず増えないですねぇ。あまり細かい事にとらわれず、なりたい人にはなってもらってもいいのではと思いますがいかがなものでしょうか。それから辞典作成に貢献しないで議論にばかり登場する方がおられますが、そんな人の意見は実社会においてはあまり価値のないものなんですがここウィキペディアでは結構重んじられていたりしてね、方向性を誤りはしないかと危惧している。もっとも一人で頑張ってもしょうがないとも思い始めております。

雑感Ⅴ

・2010.9

我が国は今や内憂外患状態。尖閣・検察まったく管理者不在です。なんかウィキペディアにおいてもこの頃一部管理者の管理能力を疑問に感ずるようなことが散見されます。管理者には、なりたい人にはなってもらってもいいのではと思ってましたけれども、安心してお任せしていいのか、判断に苦しむ場合も無きにしも非ずですね。かといって自分がいざその立場に立ったらそうは行かないと思う。時々コメントはしますけど所詮ハラハラしながら見ているにすぎない。まぁみんなで物事を決め辞書作りを進めていくここウィキペディアでは時間がかかるのは宿命といっていいのではありますが、、。

雑感Ⅵ

・2011.3

当地は震度6。我が家の土蔵も屋根が崩壊。原発からは60k北方であるが、米国基準の50海里(80km)以内なので幼い孫を岩手の嫁の実家に避難させた。本日電気が復旧したので本稿を書いている。ロータリーの仲間も安否不明の方がいる。当地の海岸部は壊滅状態だ、少しウィキブレイクします。

雑感Ⅶ

・2011.8 このごろ漸く被災地も落ち着きを取り戻しつつある。当地の避難所も一箇所を残すのみとなり、大多数の方は仮設住宅とか、借り上げ住宅に落ち着いた。わが家は大規模半壊だったが回復した。で、ウイキペディアに本格的に執筆投稿するには少しくまだ躊躇がある。しかし不在時に大きく流れが変わるのもなんともやりきれない。航空機プロジェクトの流れはなんとも危うさを覚える。特に(括弧航空機)が五月雨式に否定されるのはなんとなく本筋ではないと思う。

自分用ブックマーク

総合

フォーマット関連

編集

ガイドライン(含む草案)

ウィキペディアは百科事典

中立的な観点

ウィキペディアの行動規範
ウィキ愛

この節以降は確認用です

ここから下の節は投稿確認用の一時的な記述です。実際の投稿に従い削除されます。何も記述がない場合もあります。 これも例示です。。訂正扶桑略記・皇円・精髄を読む・ヤマかっこdel・/del

データのあと。[1] [2]

参考文献

  1. ^ 航空情報編集部編 「第2次大戦アメリカ陸軍機の全貌」 1964年、酣燈社、54頁--これは例示です。
  2. ^ 扶桑略記・皇円・精髄を読む・--これも例示です。

 

本文側 著者姓(XXページ)によれば…。 一般に~は…であるとされる(著者姓XXページ)。 参考文献節 著者姓名「標題」『書名』発行所、発行年月日、巻号ページ、ISBN等 横田健一(関西大学名誉教授)によれば日本最初の女帝推古天皇が即位したとき「女帝・女王」は当時の東アジアにはまだいなかったと述べている。神功皇后については夫仲哀天皇の崩後、子応仁天皇の即位まで長期にわたり政治を取った実質統治者と位置づけ、飯豊青皇女も一時事実上の天皇の役を果たしとしている。

バーンスター

Wikipedia:バーンスター --以上の署名のないコメントは、219.14.48.000会話/Whois)さんが 2007年1月13日 (土) 10:17(UTC) に投稿したものです([[papamaruchan22]]による付記)。

道具

閲覧:新着1500/移動/Google/ポタ/カテ/索引

参加:歓迎/5柱/禁止  執筆:曖昧/転送/特殊/テンプレ/大胆/略語/翻訳/砂場

交流:井戸端/告知/感謝賞/挨拶/PJ  案内:問答/案内/用語

規則:規則/定義/中立/著作権  様式:命名/様式/人物/記号/定文/出典

行動:署名/礼儀/不拘  合意:解決/コメント  選考:秀逸/新記事賞/新着

維持:稿望/日本語稿望/今週強化/スタブ一覧/査読

管理:管伝/削方針/削依頼/db方針  荒し:護方針/護依頼/停方針/進行中 Help:目次 メディアファイルCategory:画像関連文書Help:目次」   参考解釈。Wikipediaの記事は、必然的に「事実の羅列」になる。Wikipedia:検証可能性では、検証可能な出典を明記できる事実の記述のみ許される。さらに強力な規制があり、単なる事実の羅列は否定されていて、あくまでも、検証可能な事実のみが記述できる。「事実でないことの羅列の記事」はWikipedia:検証可能性により否定される。また、執筆者個人の主観による記事も、Wikipedia:独自研究は載せないに違反。執筆者個人の主観は、独自研究に当たるから、Wikipediaの記事は、検証可能な事実の羅列でなければならない。Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないを参照すること。Wikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避けるという意味で、検証可能な事実を元に記事を書くことは言うまでもない。またしかし「雑多な内容を箇条書きした節を避ける」は、「箇条書きを否定するものではなく」。事実冒頭には「雑多な事項を箇条書きにして一覧にまとめる手法は、新しい記事の発展に対して非常に有用な方法になります」と明記してある。「前後の脈絡がなくなると、内容の流れが把握できなくなる」と言っているだけ。よって加筆する場合は、箇条書きを否定するのではなく、前後関係が明確になるようなさらなる詳細な加筆をするべきだ。これは記述を削除することではない。

Wikipedia:関連作品の方針。

〇〇〇

  • スキャン者 投稿者と同じ(Papamaruchan22)

撮影者によるGFDLリリース

回転翼機の議論・()内部の航空機への統一提案ここ

昭和31年(1956年)12月31日迄に製作した写真は、公表の有無に関わらず、昭和44年(1969年)12月31日で、保護期間が終了。  昭和31年12月31日の写真を、平成15年11月30日に初めて世の中に公表したような場合でも、その写真が著作権で保護されていたのは、  昭和44年12月31日迄になる。 例示/-Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 航空/項目名/日本#プロジェクト航空機日本における日本製エンジンの命名基準-/Wikipedia‐と#が大事、です。 ◎(最新の情報を反映させる)、意味も理由も曖昧なまま戻すことは賛成できない。 ◎昭和天皇の意見により搭載される事はなかった[要出典]といわれる。