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ノート:富山城

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富山城の高山右近縄張り説について

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 別件で富山城の高山右近縄張り説について、その出所や信憑性などについて少々まとめてみましたので、参考までにこちらにも上げておきます。事実誤認などありましたらご指摘ください。Jinzuu 2009年3月13日 (金) 06:59 (UTC)[返信]

 富山城右近縄張り説の嚆矢は、戦前に出版された郷土史家・増山安太郎氏による『高岡古城志』(1939)において、富山城も右近の縄張りと言われているとしたのが、もっとも古い出版事例だと思われますが、同書においてはその出典が示されておらず、その論拠は不明なのですが、戦後に同氏が編纂委員として参加した『高岡市史 上巻』(1959)において同氏の上記著作の内容が大幅に引用されており、富山城右近縄張り説もまた出典を明記しないまま断定的に事実として記述され、さらには後年の伝聞史料しか存在しない高岡城右近縄張り説を補強するために用いられています。
 そして、高岡市史と前後して編纂された『富山市史 第一巻』(1960)においても、慶長十年に利長が富山城改修を行った際の記事において、「この時家臣高山長房に命じて城の測量をなさしめ」という記述が全く出典が示されないままなされています。この富山市史は、編年の記事を記載し、その後にその元となった史料を原文で付す資料性の高い体裁を採っているためこの箇所に関してはいかにも不自然な印象があります。また、それとは逆に、利長が先立つ同年三月に富山城の設計書を披見したとする記述の出典として上げてある加賀藩史料『国初遺文』にその提出者として連名で記されているのは高山右近の名ではありません。
 近年の富山城高山右近縄張り説を採る書籍などは、この両市史の記述をふまえてのものであると思われます。しかしながら、高山右近が富山城の縄張りに関与したことを具体的に示す史料というのは現在のところ全く知られていません。私の知る限り、唯一、関連記述が見られるのは、加賀藩士・富田景周が江戸後期にまとめた加賀藩の歴史・地理書である『越登賀三州志』(1819)において、富山城について「或る説にこの時縄張を高山南坊に命ずるか、金城の三の丸台高岡城の縄に似ると云う」という一文のみであり、江戸後期の時点では、右近が富山城の縄張りを行ったという文書も伝承も存在せず、単に、金沢城の三の丸や高岡城の縄張りに似ているので右近の縄張りではないか?と推測している説があったというにすぎません。もし、増山氏の出典がこの三州志の一文であったのなら、あまりに根拠薄弱と言えるでしょう。
 『日本城郭大系』にも、この両市史を下敷きにした右近縄張り説の記述(七巻/金沢城研究ノート)は見られますが、同書においても、地元研究者執筆による当の富山城の項では右近縄張り説については全く言及されておらず、また、現在富山城の発掘調査に当たっている富山市埋蔵文化財センターにおいても右近縄張り説については否定的です。
 実証的には現在のところ、富山城高山右近縄張り説は、昭和になってから広まった史料の裏付けのない巷説でしかないと言えるでしょう。
コメント上記内容は、ノート:船上城にてコメントされて頂いております。--ブレイズマン 2009年7月18日 (土) 08:36 (UTC)[返信]

水濠と水堀

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 「濠」は一文字で水堀の意味との理由で、水濠を水堀にする編集が行われましたが、たしかに漢字の字句解釈からすればその通りなのでしょうが、といって”水濠”もまた一般にひろく使われている語であり、ことに地元富山県においては同じ前田利長の築城による高岡城水濠公園という通称が公を含め広く使われています。これに対して漢字の意味において間違っているので”水堀公園”が正しいとか、あるいは乗馬競技の”水濠”を水堀に変えろといった論があるとは寡聞にして知りません。また”濠”の訓はあくまで”ほり”であって”みずぼり”ではなく、”水濠”の訓が”みずぼり”である訳です。学術誌や論文なら使用語句の統一も必要でしょうが、Wikipediaにおいてテンプレはともかく本文中も一律に”堀”に統一する必要はあるのでしょうか。

 現状の富山城は、史実に反して昭和・平成と石垣が増築されて往時の面影とはかなり変わっていますが、本来は神通川の自然堤防とほとんど高低差がない土居の城であり、それを考えても個人的には高岡城同様、水濠という表記の方が実体にはふさわしいように思えます。まぁ、このあたり、城と言えば高石垣に石積みの堀という西日本のものを思い浮かべる人とは語感に差があるのかとも思いますが、どうなんでしょうね。 Jinzuu 2009年11月27日 (金) 19:24 (UTC)[返信]

こんにちは。

まず、「濠」は常用漢字ではありません。表外漢字字体表にはありますが、ウィキペディアでは原則として常用漢字が用いられるべきですので、歴史的文書の引用や固有名詞などで、そうある必要がない場合は常用漢字のほうを用いたほうがよいと思われます(Wikipedia:表記ガイド#漢字)。ちなみに、「水濠公園」は、固有名詞ですし、乗馬競技の「水濠」は乗馬の専門用語ではないでしょうか。

用語として、三浦正幸著の『城のつくり方図典』では「水堀を「濠」空堀を「隍」と書いて、両方をほりと読ませた(書籍より引用)」と記しています。西ヶ谷恭弘編著の『城郭の見方・調べ方』でも同様で、また堀の定義としては「人工による掘りあげたラインを堀、…(書籍より引用)」とあります。したがって、城郭における「濠」に水が引き込まれてあるのは当然ですので、態々「水」をつける必要はなく、「濠」の一文字で充分に水堀を表す用語として成立します。

使用語句の統一の必要があるのかとのことですが、ウィキペディアもこのような形ながら一応は辞書ですので、なるべく同じような表記であったほうが読者としては読みやすいのかもしれません。--ムカイ 2009年11月28日 (土) 15:17 (UTC)[返信]

コメントありがとうございます。まぁ、それなりにその手の書籍は読んだりしてますので、用語云々については城郭研究家なり愛好家なりの間でそういう定義があることは承知していますけれど、Wikipediaの城記事は城郭研究記事のみならずご当地記事でもあるわけですから、いわば城好きの内輪の約束事で機械的に表現を仕分けるのはいかがなものかということですね。確かに”水濠公園”というのを積極的に使っているのは高岡ぐらいのようですから”水濠公園”は固有名詞的といえなくもないでしょうが、世間では”水濠”という言葉は、主に土塁の城館や、環濠集落、あるいは古墳の周濠などを表現するのにまた広く使われているわけです。有名どころでは弘前城なども地元では水濠という表現は普通に使われているようですね。城郭用語とは別に、”濠”と”堀”をニュアンスが異なるものとして実際に使い分ける人間なり地域なりはあるわけです。また、”濠”と”堀”とはイコールではないという立場からは、常用漢字云々というのは意味は持ちません。なお、障害の”水濠”がなぜその名称になったかは知りませんが、やはり”濠”と”堀”とのイメージの違いというのはあったのではないかという気がしますね。
実のところ、本件については富山城の現況が周囲を石積みでほとんど護岸されてしまっている状態ですので、頑強に抵抗する気はないのですが、といって”「濠」は一文字で水堀の意味”の論で高岡城の水濠を水堀に変えるということがあればそれはちょっと違うだろう、と。言ってみれば一種の予防線みたいなモンです。
ところで話は変わりますけれど、”16世紀中ごろ、神保氏によって「安住の館(あずみのやかた)」として築かれたと伝えられる。”の出典は何でしょうか? このような説は先般のムカイさんの編集で初めて見ましたので、もしや最近なんらかの新史料が見つかったのかと思いましたが、それらしいニュースはみつかりませんでした。富山城に関しては、以前室町前期の館遺構らしいものが発掘されてはいるもののその名称が伝わっているとは聞きませんし、これまで最古とされてきた1560年の史料では、神保氏が”富山”に”在城”とあって、”安住”でも”館”でもありません。また、室町前期の話だとすれば、当時の富山が果たして神保氏の勢力範囲だったかという問題もありますので、ご回答のほどよろしくおねがいします。 Jinzuu 2009年11月29日 (日) 08:38 (UTC)[返信]

お返事ありがとうございます。

土塁の城の水堀は「水濠」にかわるというその根拠は何でしょう。石城ともよばれた、筑前福岡城にも「大濠」はございます。だからといって、福岡城の水堀が水濠とかかれるということはございません。前述で示した、2書では、水が引き込まれた堀を「濠」、そうでない堀を空堀(壕・隍)とあるのみで、石垣か土塁かということは言及されておりません。

世間では”水濠”という言葉は、主に土塁の城館や、環濠集落、あるいは古墳の周濠などを表現するのにまた広く使われている」とのことですが、それは「濠」一文字の用法であり「水濠」の用法ではないでしょう。「富山城や高岡城などでは特に水堀のことを水濠と記す」といったことが、二次資料や三次資料にあるのでしたらよいと思います。広く世間一般にという記録などの資料なり根拠がなければ、現時点では独自研究的な遣われ方がなされているとしか言いようがございません。私の手持ちの書籍(22部)では「水堀」が占めており、高岡城も同様で、日本城郭協会監修の『日本100名城 公式ガイドブック』にも「水堀」を用いています。

「濠」にそれほどこだわりをお持ちになるのは、なにか郷土愛のようなものかと思われますが、例えば、私の在住する日田市(大分県)の水郷は慣例として「すいごう」ではなく「すいきょう」というのですが、同様に富山や高岡では水堀を「水濠」と書くという感覚でしょうか。地域の慣習上、そのように表記する事実がある場合は、資料などを提示されて、Wikipedia:ウィキプロジェクト日本史で使用可能かどうか広くたずねられるとよいかもしれません。安土城に限って天守を「天主」と表記するように、そのようなことがあっても不思議ではないと思います。

常用漢字以外を原則使用しない理由は、環境によって正確に表示できないまたは表示できないことがあるからです。常用漢字でない「濠」に代用するものは水堀という言葉です。同様に隍・壕は空堀に換えられます。

これらのことからでは、濠という文字自体は理由が明確でない限り、常用で使用すべきではないと思われます(Wikipedia:表記ガイド#漢字)。もし、高岡城や富山城の記事で水堀を「水濠」とあえて記したいのであるならば、城郭建築用語として確認できる根拠をもってウィキペディアの指針との照合を図ってから表現するべきかと思われます。現時点では、用語の用法どうのこうのではなく、まずウィキペディアのガイドラインに引っ掛かっております。

安住の館についての出典は、西ケ谷恭弘著『ポケット図鑑 日本の城』主婦の友社 1995年 です。これには、「天文年間(16世紀中期)」とあります。--ムカイ 2009年11月29日 (日) 15:42 (UTC)[返信]
回答ありがとうございます。名称を「安住の館」とする書籍はあるわけですね。あるいは往来物の『富山之記』(読み物なので内容の正確度は低い)にある「神保越前守」から来ているのかとも考えますが、具体的な史料の裏付けはないように思いますので概要節ではなく次節の方へ出典附記で移動させてもらいました。
”濠”と”堀”については話が全くかみ合わないようですので、この辺で打ち止めにしたいと思いますけれど、一点指摘しておきますと、先般のムカイさんの常用漢字云々という主張についてはその意味をどうも理解しかねていたのですが、ムカイさんはWikipediaの表記ガイドラインを完全に読み違えていらっしゃるようです。ムカイさんが参照すべきとされるWikipedia:表記ガイド#漢字は、漢字の字体は常用漢字表および表外漢字字体表にある正字の使用を原則とし、異体字を使わないということであり、”濠”は表外漢字字体表にある正字ですので、このルールには全く抵触しません。加えて言えばWikipediaで使える文字はWikipedia:表記ガイド#使用可能な文字にあるとおり、Unicodeにある文字であれば問題なく、”濠”は無論それに含まれるわけです。ただ日本語環境によってはUnicodeに対応していない場合もあるので、JIS規格にないものはできるだけつかわないようにというガイドは示されていますが、これについても”濠”はJIS第2水準のコードを持つ漢字ですので使用に何らの制限はありません。つまるところWikipediaの表記ルールは本件には無関係であって、ムカイさんの主張は使用する漢字は城郭用語に従うべきだであり、私の方はそのような制約の必要はないだろうというだけのことです。
なお、私は”土塁の城の水堀は「水濠」にかわる”などとは言ってませんよ。先の”主に土塁の城館”という意味は、”水濠”という表記が使われているのは土塁の城館の場合が多いということです。 Jinzuu 2009年11月30日 (月) 04:59 (UTC)[返信]


お返事ありがとうございます。

まず、ガイドライン抵触の可能性について、JIS X 0208にございましたので指摘を取り消します。大変、失礼いたしました。

また、安住の館について、確認いたしました。修正と出典付記をしていただき、ありがとうございました。

議論がかみ合わない場合は、議論を中止するより、それぞれの要点をまとめて見るとよいと思われます。

まず、Jinzuuさんが主張しておられることは、水濠は主に土塁の城館に多いので、土塁の城である富山城の水堀には水濠がふさわしい。また、地域によって慣習的に水濠という表記は用いられているので、城郭建築用語と関係なく用いても問題ない、ということと認識しています。私が主張していることは、土塁と石垣の区別なく濠は一字で水堀を表す用語であり、水を付け加えるに及ばない、ということです。ウィキペディアにおける漢字表記の問題はご覧の通り解決いたしました。

Jinzuuさんが主張しておられることの中で最も気になっていることで、「”水濠”という表記が使われているのは土塁の城館の場合が多い」というのは、何かしらの根拠のもとに述べられていることと思われますが、高岡城など例えではなく、出典を示していただけますか。--ムカイ 2009年11月30日 (月) 14:36 (UTC)[返信]

今度は、”濠”は使ってもいいけど”水”はつけるな!、ですか?(苦笑)
国語表記の基本的なこともサッパリ理解していらっしゃらないようですが、最初に私が述べているように日本語の表記において”濠”の読みはあくまで”ほり”または”ゴウ”であって”みずぼり”ではありません。そして、”みずぼり”に相当する漢字表記は”水堀”または”水濠”であって、この”堀”と”濠”との違いは常用漢字であるかどうかだけです。しかし、常用漢字はあくまで漢字使用・習得の目安であって法令の条文を除けば強制性はありませんから、どちらの表記を使おうがそれは全くの自由です。ただ、新聞などは常用漢字を基準にした表記を行っているということはありますから、あなたが絶対視している城郭用語集も”堀”か”濠”かの用字の使用目安としては常用漢字である”堀”を主に使用していると言うだけでしょう。そして当然それに対外的な強制力はありません。
また、”濠は一字で水堀を表す”からということを主張の根拠とされていますが、これも既述の通り、漢字としての字義解釈ではそうであっても、実際の世の中では考古学などの学術分野を含め、”濠”と”壕”の区別をすることなく水があろうが無かろうが”濠”はあくまで”ほり”として、”空濠”という用法が広く見られます。
あなたの主張していることは、ありていにいえば国語表記上も社会通念上も、またWikipedoaのルール上も執筆者の表現の自由の範囲内であるものについて、自分の持っている本に載っている城郭用語集と違うからという理由だけで、それに従うよう他者に強要していると言うことですよ。
>「”水濠”という表記が使われているのは土塁の城館の場合が多い」というのは、何かしらの根拠のもとに述べられていることと思われますが、高岡城など例えではなく、出典を示していただけますか。
そんな統計などがあるはずがありませんから、あくまで私の主観によります。しかし、”水堀”ではなく”水濠”が用語として使われる環濠集落から方形館という系譜を見れば蓋然性はあると考えますけどね。いずれにせよ、いやそれは違うと言うことであれば、逆にそれは石垣の城でも”水濠”という表記が使われると言うことであり、より普遍的に”水濠”が使われているという証左になるだけですから、何の問題もないでしょう。
それにしても、相手に出典をあげろ証拠を示せと要求する前に、まずご自分の主張の根拠を、何とかという本の用語集にこう書いてあるから、というだけで類推している独自解釈ではなく、日本史関連の学会なり城郭関係の研究家団体なりの間で、用字については”水堀”を使用し”水濠”は使用してはいけない、”濠”を使う場合は単独使用とし”水”をつけてはいけない、とする規定なり申し合わせがあることをまず示すべきではないですか? そうであれば、強制力はないものの、専門家がそう決めているのであればそれを尊重しましょうと言う論にはなるでしょう。 Jinzuu 2009年12月2日 (水) 10:57 (UTC)[返信]

こんにちは。今度は、ではなく、ずっとそう述べておりますが。

なぜ「使うべきでない」というのか、ということだと思いますが、普遍的、一般的使用が主観的であるが見られるという以前に、「使用例には土塁の城館の場合が多い」「富山城の水堀は水濠が相応しい」などの理由に独自研究が含まれている可能性があるからです。具体的に私が「水堀」をお勧めする理由は、当初のコメントにて述べた出典による定義があること、一文字で濠は用語としてはより正しいのですが、恐らく誰しもがそれをイメージしうるような表記である可能性は低いのではないのかということ、です。

「規定なり申し合わせがあることをまず示すべき」こういう取り決めはないと思います。ご存知のように環濠や周濠という用語があるのですから。ただし、「水濠」だけはどうしても見つかりません。つまるところ、現時点では普遍的に用いられていることを検証できないのです。

率直にお伺いしますが、本当に、そのような表記があるのですか。だれの、どこの出版社でどの書籍にあるから検証せよ、とはっきりとおっしゃっていただければよいのです。できれば違う編著者で複数あるとより補強的です。それに対して私は合意するしかないのですから。--ムカイ 2009年12月3日 (木) 16:11 (UTC)[返信]

>今度は、ではなく、ずっとそう述べておりますが。
はて、常用漢字ではなくウィキペディアのガイドラインに引っかかっているので使うなと言っていたのはどなたでしたっけ?(笑) で、用語集の表現を超えるご自分の拡張独自解釈は証明する必要はない、ですか。もっとも、実際問題それは不可能ではありますけどね。
>「水濠」だけはどうしても見つかりません。つまるところ、現時点では普遍的に用いられていることを検証できないのです。
今のご時世ではネット検索すればいくらでも”水濠”の用例はでてくるので、いったいなにをどう検証したのか理解に苦しみますが、まぁ、著者・書籍名を挙げろということなら、まずは中世城郭研究の第一人者だった明治大学教授・小室栄一氏ですかね。氏は”みずぼり”を”水濠”、”からぼり”を”空堀”とする用語で通しています。代表的な著作は『中世城郭の研究/人物往来社』ですが、古書価格がかなり高価なので私は持ってません。しかし手元にある『探訪日本の城/小学館』シリーズの「中世の城」(第2巻)、「方形館雑考」(別巻)などの解説・論考で用語は確認できます。この別巻では大阪大学教授・矢守一彦氏も”水濠”を使ってます。なお、この水濠と空堀と”ほり”に異なる字をあてる用語区分はムカイさんは当然ご存じでないでしょうが、小室氏独特のものではなく、よく見かけるものです。(後述)
地元関連では郷土史家・増山安太郎氏による戦前の出版の『高岡古城志』、それを受けた『高岡市史』では高岡城について”水濠”が使われています。近年は重杉俊樹氏が富山城含め県内280の城館・台場をリストアップしたものが、やはり『探訪日本の城/小学館』第5巻に残存遺構に関して”水濠”と”空濠”という用語で解説して収録されています。また、重杉氏は地元の研究誌『越中の中世城郭』、『北陸の中世城郭』各号にも一貫してこの用語区分で寄稿されてます。
古めの物ばかりでもなんですからネット検索で見つけた最近のものも挙げておきましょう。
宮城県教育委員会 石森館跡調査報告書 http://www.pref.miyagi.jp/bunkazai/houkokusho/miyagi220.pdf
”水濠”と”空堀”という小室氏の用語区分と同じものが実際の調査に用いられていることが解るでしょう。
奈良文化財研究所 遺跡の斜面保護 http://mokuren.nabunken.go.jp/NCPIS/ShamenHogo/CaoNews119-1-1.html
こちらは”水濠”と”空壕” です。あなたのお持ちのお城本の用語集よりよほど明確な定義ではないでしょうか。それとも用語集と違うから誤りだと奈文研に抗議メールでも送りますか? Jinzuu 2009年12月4日 (金) 11:43 (UTC)[返信]

早速、出典を示していただき、ありがとうございました。資料があり検証可能なので、その表記「水濠」の変更は行いません。

ちなみに、「水濠」が認められているからと「水堀」を「水濠」に修正するようなことのないようにお願いいたします。また、用語に関する議論ですので念のため、Wikipedia:ウィキプロジェクト 日本史の方にこの議論について報告を一応行いたいと思いますがいかがでしょう。

Jinzuuさんへ、いくら主張が正しいものであったとしても、挑発的な言動は議論相手の心情を悪くするだけです。無視いたしましたので、お気になさらないでください。今後ともご活躍に期待いたしております。--ムカイ 2009年12月4日 (金) 16:07 (UTC)[返信]

>ちなみに、「水濠」が認められているからと「水堀」を「水濠」に修正するようなことのないようにお願いいたします。
そもそもこの件は、”水濠を水堀に。「濠」は一文字で水堀の意味ですので。”という要約コメントでのムカイさんの書き換えから始まったもので、上に書いているとおりその調子で高岡城までやられるとたまらんなぁという予防措置でしたから、そう言われるとこちらはまさに苦笑いするしかないのですが、まぁ、ともあれ納得はされたようで何よりです。
ウィキプロジェクトに報告とのことについては、この一連のやりとりは、いってみれば議論以前のその前提となる基礎知識の有無の話ですから、あなたがよいのであれば私の方は全く構いません。よろしくどうぞ。 Jinzuu 2009年12月4日 (金) 19:00 (UTC)[返信]

今回の件は、あらゆる面でとても勉強になりました。ありがとうございました。

要約というものは、Jinzuuさん個人に向けたものでないことをご理解ください。Jinzuuさんへの明確な苦言などはその個人の会話ページにて行います。

要約としては、用法は確認できその使用は認めることができる、ということです。定義としては、明確であるかや正確かどうかその点は、私の手元にある資料の中身に用法の制限について言及が見られないのでなんともいえません。富山城の件に関しては、用法の確認で充分です。記事における表記の濫用になるとまた考える必要があろうかと思います。こちらは、かまわないとのお返事をいただきましたのでプロジェクトの方で一度この議論の報告とかねてコメントしておきたいと思います。--ムカイ 2009年12月6日 (日) 06:41 (UTC)[返信]