ノート:九州の役/過去ログ1
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記事名について
[編集]九州の役への記事名変更を提案
[編集]「小田原の役」でもありましたが、「征伐」には問題があると思うのです。 「征伐」は、行った人間が正当化されます。島津氏は羽柴秀吉の惣無事令は破ったものの、惣無事令は羽柴秀吉による一方的かつ受け入れがたい命令です。従っているわけではないので、地方の大名が従う必要はないと思うのです。 そのため、どちらも正当化されることのない、「役」または「~攻め」とすることを提案します。 --海蛇 2008年7月18日 (金) 05:54 (UTC)
長いことほったらかしにされていたようですが、改名には賛成ですね。征伐っていうのがまずい気がするんです。--蚯蚓 2008年12月29日 (月) 03:51 (UTC)
上記の前言を撤回します。yahooで調べたら、九州征伐のほうが圧倒的に多かったので、[1]、[2](さらに、九州の役で出たもののなかでも、多くが九州征伐で出た。)一般呼称は「九州征伐」であるとかんがえられます。ただ、小田原の役は「役」なので、私の考えとしては「改名しても、しなくてもよい」です。--蚯蚓 2009年1月9日 (金) 07:24 (UTC)
蚯蚓さんがおっしゃる通り、一般呼称は九州征伐でしょうね。だから、現状維持にして、「九州の役」にリダイレクトをつけるという方向でやったらいかがでしょうか。あくまで意見ですが。--121.95.70.65 2009年1月10日 (土) 09:15 (UTC)
これから1週間の間にどなたかからご意見なければ、この案は廃止されますが、いかがでしょう。--蚯蚓 2009年1月10日 (土) 09:17 (UTC)
廃案決定。リダイレクトしました。--蚯蚓 2009年1月19日 (月) 05:42 (UTC)
- リダイレクトも処理されたばかりで蒸し返すようですが、私は「九州の役」を支持します。
- 「九州の役」・・・「日本戦史 小牧・九州・小田原の役」参謀本部
- 「九州攻め」・・・「秀吉の天下統一戦争」小和田哲男
- 「九州平定」・・・「日本の合戦 豊臣秀吉」桑田忠親
- と一貫性がないですけどね。秀吉視点だと「攻め、征伐、平定」になるようですね。yasumi 2009年1月20日 (火) 12:54 (UTC) (追記)この項目は天下統一を進める豊臣方と九州統一を狙う島津方の対立、そして在来や新封の九州諸侯に関係する結果を書いた項目かと思います。つまり、その一連の戦争事象の対する名前は「九州の役」が相応しいかと思います。「九州征伐」とはその一方から見た、しかも最終局面の対決を呼んだ物、あるいはそれを拡大解釈してい近代的な「九州の役」の意味の括りに言い換えた名称のように思います。yasumi 2009年1月24日 (土) 22:42 (UTC)
- ノート:小田原の役に投稿し、あちらでは小田原の役という現状維持を支持しました。ただ、今回は上記にヤフーの検索結果を掲載したとおり、圧倒的に九州征伐が多いようです。私個人の意見では、上記通り征伐呼称には反対ですが…一般呼称で考えると、難しいです。--蚯蚓 2009年1月26日 (月) 07:08 (UTC)
- あまり返答が来ないようですが・・ここで表を作っておきます。参考までに。
- ノート:小田原の役に投稿し、あちらでは小田原の役という現状維持を支持しました。ただ、今回は上記にヤフーの検索結果を掲載したとおり、圧倒的に九州征伐が多いようです。私個人の意見では、上記通り征伐呼称には反対ですが…一般呼称で考えると、難しいです。--蚯蚓 2009年1月26日 (月) 07:08 (UTC)
九州の役 | 九州征伐 | 九州攻め | 九州出兵 | 島津攻め | |
---|---|---|---|---|---|
yahoo! | 221件 | 130,000件 | 8,670件 | 996件 | 1,430件 |
1,990,000 件 | 53,400件 | 945,000 件 | 146,000 件 | 1,340 件 | |
goo | 653,000件 | 24,800件 | 281,000件 | 27,500件 | 423件 |
- yahoo以外では九州の役の方が多いのですが…ただし、九州商役など、関係のないものでもヒットしていることがあり、正確ではないので、「九州の役 島津」「九州の役 豊臣秀吉」で検索すると、それぞれこうなります。
- 九州の役 島津 …googleでは75,800 件・gooでは25,100件
- 九州の役 豊臣秀吉…googleでは51,800 件・gooでは22,700件
- あんましあてになんないですけど、参考までに。yahoo以外は、3つがだいたい同じくらいですね・・・。--蚯蚓 2009年2月1日 (日) 11:36 (UTC)
- yahoo以外では九州の役の方が多いのですが…ただし、九州商役など、関係のないものでもヒットしていることがあり、正確ではないので、「九州の役 島津」「九州の役 豊臣秀吉」で検索すると、それぞれこうなります。
(本文上の定義は)「羽柴秀吉(1586年9月9日、豊臣賜姓)と島津氏との戦いの総称である」と事ですが、:検索に掛かった言葉は九州征伐にしろ九州攻めにしろその定義を表現したタイトルなんでしょうか?私は記事内容から「秀吉の○○」よりは戦役名称としては「九州の役」「九州陣」を推します。--yasumi 2009年2月1日 (日) 12:11 (UTC)
- 立場を変えます。yasumiさんがおっしゃる通り、戦役としての総称にふさわしいのは九州の役ですね。その最終的な結果が「征伐」となるのですから。やはり初期の私自身の考えに立ち返り、改名提案に賛成することにします。--蚯蚓 2009年2月2日 (月) 06:39 (UTC)
- ちょっと待った。グーグルの検索では語句にクオーテーションマークをつけてください。この投稿時点でのヒット件数は、九州の役 1,910件、九州征伐 28,200件、九州攻め 3,060件、九州出兵 740件、島津攻め 1,300件、島津征伐 1,890件でした。九州征伐が多数といえます。また、ネットの検索結果は参考程度にしかならないので、歴史事典などでの表記をもっと調べる必要があります。--Cave cattum 2009年2月2日 (月) 10:08 (UTC)
2009年2月4日現在 | "九州の役" | "九州征伐" | "九州攻め" | "九州出兵" | "島津攻め" |
---|---|---|---|---|---|
yahoo! | 約225件 | 約128,000件 | 約8,740件 | 約989件 | 約1,410件 |
約1,850件 | 約27,700件 | 約2,960件 | 約727件 | 約1,280件 | |
goo | 約65件 | 約6,900件 | 約960件 | 約241件 | 約430件 |
通りすがり失礼。ダブルクオーテーション検索(九州商役など似た名前を除外し検索)した結果が上記です。九州商役HIT数恐ろしく多かったんですね。検索結果がオプション次第でいくらでもHIT数を操作出来るので当てにならないことが判明しましたし、私としてはCave cattumさんの仰る通りWikipedia:信頼できる情報源に合致する文献資料の提示に依って改名の正当性が証明出来ると考えます。現状、検索結果のみで改名を行うことには上記理由により賛成出来かねるかと思います。上記の結果で言えば、「九州の役」は改名候補として他と比較して有り得ないほどHIT数が少ないことになりますし。--凪海(Nami-ja) (会話 / 履歴) 2009年2月4日 (水) 13:21 (UTC)
蚯蚓です。三度目の寝返りになるのですが、結果論、私自身の考えは、改名してもしなくてもよいということで落ち着きました。ヒット数によると、「征伐」がものすごく多いようです。やはり一般性としては征伐でしょうな。ただ、戦役そのものの名称には役の方が合うのではないかと。あくまで自身の考えですが。
- コメントいろいろ、お悩みのようですが、結論として、「現状のまま」と言うのは妥当だと思います。私は(多分)先祖が征伐される側なので、一方の観点のみで「征伐」(「攻め」、「出兵」も同様)」を一般的な名称とされるのは多少抵抗があります(ちょっとずれるかもしれませんが、佐賀出身のある財界人が、ゴーストライターである部下に書かせたエッセイに、「佐賀の乱」とあったのを、「佐賀の役」とそこだけ書き直させたということがあったそうです)。では、「九州の役」かといわれると、これでは、「九州での戦争」ということになり、古来いくつもあった九州での戦争のどれを言うか特定しづらいかとも思います。確かに、これはかなり大規模なものですが、今川了俊の九州平定や、直前の島津氏の九州統一戦役も九州全体を巻き込んだ戦役ではあるでしょう。ということで、それとの差異化を考えると「九州征伐」が適当であると考えます。なお、手元の山川出版『日本史小辞典』にこの記事はありませんが、地の文では「九州征伐」が用いられていました。--Tomzo 2009年2月14日 (土) 18:20 (UTC)
- コメント記事定義中にてお悩みの理由の原因となっておられる現記事名以外の呼称を説明して、「便宜上、当記事中では九州征伐と呼称する」とでも付け加えればよろしいかと思います。何故なら、ここは『九州征伐の内容を説明するための記事』であって、『九州征伐とその他の呼称のどれが最も正しいか』を検証することは専門の歴史学者に任せるべきで、その出典が見つかってから改めて改名提案を行っても遅くないと思いますし、検索結果をどのように検証しようとも結論が出ることはないでしょう。その他の呼称については当記事へのリダイレクト化しておくことでとりあえず解決、という手段で問題ないと思います。--凪海(Nami-ja) (会話 / 履歴) 2009年2月15日 (日) 05:55 (UTC)
- コメントどうやら最も妥当なのは九州征伐、というより現状維持でしょうか。私はやはり中立の立場とかえましたから、どっちを推すということはないんですが……まあ、ほかの方々にもっと意見を出していただきたいと思います。賛成にしろ反対にしろ、白黒つけないコメントにしろ、もっと多くの人にコメントしていただきたいと存じます。(特に提案者の海蛇さんに再び参加していただかないと。)--蚯蚓 2009年2月17日 (火) 10:07 (UTC)
- (九州の役)案支持。CiNii論文検索の論文検索では「九州征伐」「九州の役」を論文に関する物は共に皆無ですが、「九州役」では毛利亮太郎「九州役の陣立書 」が一件ありますね。国会図書館の書名検索では「九州征伐」2件、「九州ノ役」2件、「九州役」1件。私は依然として九州の役を支持しています。まあ記事名は追々議論で定めるとして、記事自体の充実に注力した方が良いかも知れませんね。--yasumi 2009年2月20日 (金) 23:38 (UTC)
- コメント新参の上に横入りで済みませんが、半年近く延滞してしまった今議論に一応終止符を打っておくために、暫定的な名称として私は九州征伐を支持します。“九州の役”でgoogle検索したところ、どうやら黒田如水による関ヶ原の戦い時の九州での戦役が多く含まれていました。また、上でTomzoさんが仰せの通り、今川了俊の戦役も九州の役と言えます。表現が難しいですが…「九州の役」は固有名詞ではない、曖昧な表現じゃあないかと思われます。--美濃蝮 2009年2月22日 (日) 11:42 (UTC)
- 美濃蝮さん、寡聞にして御主張の今川了俊の九州戦役や関ヶ原役の九州戦役を「九州の役」と呼ぶ例を存じません、これの具体例について提示して頂けますか?出来れば学術的な裏付けのある事例が好ましいのですが。--yasumi 2009年2月22日 (日) 12:11 (UTC)
- 一応出典として世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察その7 18行目と[http:// 【中納言】泳 げ よ 宇 喜 多 秀 家【二往復目】]でした。ただ、チャットみたいなもんですから、信憑性と学術的な裏付けはないと思います。すみません。一応出典ということで。--美濃蝮 2009年2月23日 (月) 08:13 (UTC)
- コメント短期のウィキブレイクから帰ってきたら、結構進展があったみたいですね。ちなみに、黒田如水の戦役については黒田の居城・中津市の多くの人(?)が九州の役・関ヶ原九州の役などと言っているそうです。(私が宇佐市の友人に聞いた話ですので、正確な情報ではないですから。)ま、九州の役がこの戦役のことのみをさすとは言えないんじゃないでしょうか。
- また、井戸端で質問してみたところ中立的であるということが絶対ではないそうです。どちらかというと、一般性のある物の方が良いみたいで。--蚯蚓 2009年2月24日 (火) 10:26 (UTC)
- 石垣原の戦いのことを九州の役ということ、黒田如水や加藤清正らの行動全体を九州の役ということ、あるいはこの戦役自体をいうことも考えられます。磐井の乱も九州の役あるいは九州征伐と言えるかもしれませんね。(自己研究かも?)
- ま、ともかく、議論が長すぎちゃってますので、やはりいまここで切っておきましょう。暫定的にどの呼称を使うかを考えることとしましょう。--美濃蝮 2009年2月24日 (火) 12:04 (UTC)
- 補足、議論そのもの、海蛇さんより提案があってからはもう半年ほどたっていましたが、蚯蚓さんにより廃案決定が公言され、yasumiさんが再び改名について触れられてから今回の本格的な議論になってからはまだ1カ月しかたっていませんでした。--美濃蝮 2009年2月24日 (火) 12:09 (UTC)
- このページの本文を詳しく見てみたのですが、まだこのページ自体はあまり出来てないんですね。私がちょっと編集してみたのですが、大隅が大隈になっていました。もっと詳しく調べたらまだあると思いますけど、とにかくこのページの充実の方に力を入れたほうがいいですね。
- ですから、今まで主張してゐる通り、暫定的なページ名の制定が必要だと思います。現状維持に賛成します。--美濃蝮 2009年2月26日 (木) 10:25 (UTC) (訂正)--美濃蝮 2009年2月26日 (木) 10:27 (UTC)
- 先にも書きましたが、「九州征伐」とは、秀吉の実施した事業名であって戦争の名前ではないと思うのですが?皆さんはそう言う定義でこの記事を編集しようとしているのでしょうか?
- 前に述べたように、私は本項の記事は「九州の支配権をめぐる豊臣方たと島津方の戦争」だと思っています。まずこの認識が共有されているのか否かの表明をお願いします。私は戦争史の記述項目と認識しているのですが、対象の主体が異なっていれば議論になりません。
- 戦争史について記述しているという認識であれば、次に「九州征伐」という言葉は果たしてこの戦争を指す言葉なのか否か?、これが問題です。(秀吉の)九州征伐とは朝廷権威を元に天下統一事業を進める豊臣方から見た言葉(事業名)、あるいはその結果だと思いますが、それを戦争の名前とするのは言葉の言い換えや拡大解釈によるものではないのですか?これに私は「太平洋戦争」を(アメリカの)「太平洋戦線」とか「マッカーサー攻勢」「ニミッツ攻勢」などと言い換えているかの如き違和感を感じます。そもそも、この戦争を「九州征伐」と呼んで扱っている公的・学術的な例はあるのですか? 仮に秀吉の事業を記した項目だったとしても、現状使われている一般的な名称は「秀吉の九州征伐」でなく「秀吉の九州攻め」「秀吉の九州平定」でしょう?
- 公的には本項を近代的なアプローチで戦争史として記述した公刊戦史「九州の役」を参謀本部が使っており、ざっと当たって前述の毛利亮太郎「九州役の陣立書」や織豊期研究で有名な三鬼清一郎「朝鮮役における水軍編成」でもこれらの戦争に対して九州役・小田原役という言葉が使用されています。これを根拠に私は本項のタイトルは「九州の役」が相応しいと思っています。
- また、美濃蝮さんの言っていることは理解できません、その例示や可能性は何ら「九州征伐」という呼び名を補強する論証でも、「九州の役」が別の意味で広く一般名詞として運用されているという出展ではないと思います。また一般名詞という点において、それこそ(足利義満・今川了俊や徳川家康・黒田如水の)「九州征伐」も同じではないのでしょか?そもそも、この議論でその可能性を論じるレベルの話しなのでしょうか?
- 本項の記事に対して「九州征伐」が一般的名称であるのか?単にネット検索のヒット数を誇ってもそれは言葉の使用頻度だけであり、本項の意味において使われているのか否かは判定できません。また、流行・廃りによる偏りもあります。結局、この戦争を今の日本の世の人がなんと呼んでいるのか?それが焦点だと考えます。--yasumi 2009年2月27日 (金) 11:48 (UTC)
コメントお邪魔します。まずは参考文献を集めるところから始めてみてはいかがでしょうか。yasumiさんは改名の論拠としていくつか書名を挙げて出典としておられますが、方法論としては妥当なやり方と思います。各書籍で多く使われている呼称をもって結論とすればよろしいかと。ちゃんとした先行研究がある分野ですから、ネット検索は後にしましょう。もし誰も参考文献を挙げなければ、消極的に現状維持になるだけのことです。というか、そもそもこの記事本体が全く出典を出さずに書かれているのが最大の問題だと思うのです。せめて参考文献がきっちり列挙されていたら、この改名議論ももっと早く解決したんじゃないかと思うんですけど。--Arawodas 2009年3月1日 (日) 08:50 (UTC)
- 上の方にあったyasumiさんのコメントですが、国立国会図書館検索について、1件は「九州の役割」でした。別のヒットですよ。しかも、「九州の役」、「九州役」の二つで検索してるんでは、あくまで別の二つの名称を同じにしているようなもんですよ。とすると、九州征伐が2件、九州の役が1件、九州役が1件となり、国会図書館でのヒット数最多は征伐となります。
- 次に、文部科学省のホームページにあたってみたところ、九州の役、九州征伐、九州攻め、九州出兵の何にしても当たらなかったです。文部科学省(つまり教科書系資料)には明記されていないんですね。
- 国立国会図書館の検索では、詳細な検索ができます。1945年以降の書籍のみを検索してみたところ、九州征伐1件、九州の役1件(例の「九州の役割」)、九州役は0件でした。ですから、yasumiさんのいう「今の日本の世の人が何と呼んでいるか」、これについて私は九州征伐と思っています!
- ヒットしたのは「南海治乱記」(教育社)の1件だけでこれもまた確実の出典とは言えないのですが、ネット検索と併せて考えると、九州征伐が一般的と言えるのではないでしょうか?それとも、もっと出典があったほうがよろしいでしょうか。
- さらに説得のできる出典として、グーグル ブック検索から調べだしました。それによると、九州征伐174件、九州の役1件、九州役1件です。どうでしょうか。--美濃蝮 2009年3月1日 (日) 13:09 (UTC)
- 横槍で申し訳ありませんが、グーグルブック検索は当てにならないと思います。試しに「中世終焉」「紀州攻め」「鈴木孫一」「寺社勢力」で検索してみましたが、それぞれの語句が書中で使用されている『中世終焉――秀吉の太田城水攻めを考える』『和歌山県史』『戦国合戦大事典』『戦国鉄砲・傭兵隊 天下人に逆らった紀州雑賀衆』『寺社勢力の中世』の各書籍はいずれもヒットしませんでした。これらの書籍は、いずれも紀州征伐の加筆には必要不可欠な資料です。これらが引っ掛からないということは、グーグルブック検索は歴史記事の出典になるレベルの文献を探し出すには未だ力不足と言わざるを得ないのではないでしょうか。
- 国会図書館の検索は書名・論文題名までですので、これも語句の使用例とするにはきめが粗いと思います。議論に参加される皆さんにおかれては、ネット検索に頼らず、自分の足と目で図書館や書店で資料収集をすることをお勧めします。--Arawodas 2009年3月2日 (月) 03:09 (UTC)
- 南海治乱記についてですが、戦国時代史料の一覧にも載っている著名な書籍です。yasumiさんのおっしゃる毛利亮太郎「九州役の陣立書」は重大な出典ですが、私はこの「南海治乱記」もよい出典だと思います。結局は分かれているんですね、出典が。--蚯蚓 2009年3月2日 (月) 06:46 (UTC)
- コメント書籍について、最近はどうも、主に児童書において「征伐・平定」が多いらしいです。(3冊は私の長男から借りたものです…)クイズ大人の日本史221(PHP文庫、2006年)は九州征伐、学習漫画日本の歴史(集英社、2004年)も九州征伐、図説・戦国合戦集(学研、2004年)では九州派兵、小学社会科事典(旺文社、2002年)は九州平定、資料カラー歴史(浜島書店、2005年)は九州平定、逆転の日本史 つくられた「秀吉神話」(洋泉社、1997年)では九州征伐でした。そのうち「図説・戦国合戦集」は多くの戦を収録した詳しい事典で、また「つくられた「秀吉神話」」も多くの書籍に参考文献として載せられています。(文献の文献です。)バツな本ではないようです。(ちなみに私も戦国合戦集は愛用しています。)文献、あまりないんですよね。私、家にあるもの少なくて、ほとんど借りてくるか、禁退出のやつを図書館で写してますから。なので、いまここに提示できるものは少ないです。どもごめんなさい。
- まとにかく、私の言いたいのは、征伐は書籍でも十分ありますよ~ということです。南海治乱記について、今度の土曜日に手が空いていたら借りてきたいと思います。反論お待ちしています。--美濃蝮 2009年3月2日 (月) 08:16 (UTC)
- 何故か回答して頂けないですが、そんなに都合が悪い質問なのでしょうか?私が投じた議論を始める上での第一歩の疑問である「この記事は何の記事か?」について定義して頂く様、再度よろしくお願いします。何を称しているのかという対象が違っているのであればお話になりません。 私は本記事は豊臣・島津戦争の戦争史を扱った記事であり、その呼び名としては先行研究などで「九州の役」が公式に用いられている事例を示しました。何の記事名が「九州征伐」なのか、それが何処で使われているのか?定義と事例の提示をお願いします。俗説でも通説でもかまいません、○○を××と言う呼び名で扱っている事例を示してください。
- なお検索結果について、それらは何を対象とした呼び名なのですか?国会図書館検索については、仰る通りカウントミスで「九州の役」事例は一件ですね。ただし、国会図書館の検索数比較で突然1945年に仕切り値を設定されたようですが、「九州征伐」のヒットについては一つは明治本(講談師の講演筆記本)、もう一つは大正に出版された現代訳本で、どちらも1945年以前のものであります。現代訳や復刻を良しとするのであれば参本本も戦後数次に渡って刊行されているのですが・・・
- それよりも国会図書館で検索にかかる「南海治乱記」は大正2年(1921年)に出版した本を1981年に現代訳して再刊行したものです。さて、元となった大正2年本は国会図書館デジタルライブラリーで公開されていまして、これの書尾を見れば寛文3年3月(1663年)の発行となっています。「江戸時代の人は秀吉の征服行を九州征伐と呼んだのでしょうね」・・・そんなことは知っていますし、だから何なんですか? まったく論点と違うところではないですか?
- 更には1945年以前という自己設定条件を勝手に設定しておいて、この顛末。超萎え、超脱力、超呆れました。何を対象にした呼び名なのか?それは何で表現されているのか?何を前提に議論していたのか?中身を見て熟慮ください。(だいたい、何で私が他人の主張内容に対してこんな下らぬ検証をしなければ成らないのですか?)
- やはり「九州征伐」は秀吉の事業名として過去に使われた呼び名なのではないのですか?以前に書いていますが、我々が編集している主題が秀吉の事業の一つだったとしても、それは現代では「秀吉の九州攻め」や「秀吉の九州平定」という名前で使われていますよね?近世の言説史ならともかく、現代の学会で戦争名として「九州征伐」なんて使っている学者は居るんですか? 私自身に関して言えば、「毛利論文」は見ていないものの「参本本」や「三鬼論文」は読了済みであり、戦役として評価した記述であることを確認しています。議論をするのであれば、無責任な歓声を送って他人を煽る前に、まずご自身が土俵に上がってきて欲しいのです。--yasumi 2009年3月2日 (月) 12:04 (UTC)
- (追記)言葉遣いの乱れ、失礼致しました。何れにしろ「秀吉の」
や「豊太閤」という冠があってこその目次タイトルに「九州征伐」が使われているようです。単体で「九州征伐」が固有名詞化して使われている例があるのですか?なるべく公的な物で。 逆に「九州の役」は書名や論文タイトルに単体で使われていると言うことです。何を捉えて何を呼んでいるという最も基本的なことを認識しないとダメだと思います。--yasumi 2009年3月2日 (月) 20:52 (UTC)
改名提案の要点整理
[編集]こんにちは。この議論を始めから2回も3回も4回も読み返したのですが、私などは要領を得ないコメントしか出来てないんですね。対し、yasumiさんはとってもついてくるコメントをなさる。プロいんでしょうかね。(褒め言葉です。)
yasumiさんのいう「戦争としてのこの記事」「何の記事が」、これは戦役全体であり、私の意見は上記にも記すとおり、最適なのは「役」でしょうかね。
さて、議論が30KBを超えちゃって見通しが悪くなったので、ここでここまでの議論の要点整理をしたいと思います。
改名賛成
[編集]yasumiさん、海蛇さんなどが主要論者、美濃蝮さんなど一部を除く方が「役」あるいは「攻め」寄り
- 戦争としての呼称に適する。
- 中立的な観点に反しない。
- 著名な作者の著作にはよく含まれる。
現状維持
[編集]美濃蝮さんが積極論者、Tomzoさん、121.95.70.65さんが奨励(?)
- (検証に値するとは言えないが)ネット検索では九州征伐が多数派。
- 九州の役では直前の島津氏による軍事行動も含まれてしまう。
ユーザーごとの見解
[編集](編集回数順)
- 蚯蚓
- ネット検索による結果的には征伐に賛成だが、個人的には征伐反対。現在はどちらでもよいという考え方。
- 美濃蝮さん
- 暫定的に現状維持。九州の役では「固有名詞」でない。書籍から征伐も多い。
- yasumiさん
- 現在は征伐よりも役や攻めの方が多い。戦役として役の方が良い。著名な人物の論文や参謀本部の本に九州の役や九州役が多く含まれる。
- Nami-jaさん
- ヒット数のみで改名するのはおかしい。何が正確かを考えるところではないから出典が見つかってから改名でも遅くない。
- Arawodasさん
- 書籍・出典をちゃんと提示した議論をすべき。
- 海蛇さん
- 中立的な観点に反するから改名すべき。
- Cave cattumさん
- ネットでは征伐が多数派だが、辞典などでしっかり調べるべき。
- Tomzoさん
- 昔からの九州における戦争はすべて「九州の役」ではないか。現状維持が妥当。
- IP121.95.70.65さん
- ネット検索によるヒット数で一般的と言えるのは征伐ではないか。
提示されている出典
[編集]- 九州の役
- 「日本戦史 小牧・九州・小田原の役」参謀本部・「九州役の陣立書」毛利亮太郎・「朝鮮役における水軍編成」三鬼清一郎
- 九州征伐
- 「日本史小辞典」山川出版・「南海治乱記」・「クイズ大人の日本史221」PHP文庫・「学習漫画日本の歴史」集英社・「逆転の日本史 つくられた「秀吉神話」」洋泉社
- 九州平定
- 「日本の合戦 豊臣秀吉」桑田忠親・「小学社会科事典」旺文社・「資料カラー歴史」浜島書店
- 九州攻め
- 「秀吉の天下統一戦争」小和田哲男
- 九州派兵
- 「図説・戦国合戦集」学研
- 多くの出典が出ているなと思ったのですが、そうでもないみたいで…私がネット検索なんか提示したから…すみません。
- とまあこんな風にまとめたんですけど、(3回くらい訂正したけど、まだミスがあるかも)過去に比べて改名派が増えてきたんですね。私も現状派から中立論に回ったんですけど・・
- まとめてからいうのもなんですが、議論の編集密度は高くなっているけれども、伴って参加者も限られてきてしまいましたね。もっと多くの方からのコメントを募ります。詳しい人にしろ、浅い人にしろ。賛成・反対でもいいです。誰でも。
- 本議論はどちらかというと出典の足らなかった記事が原因になってますから、この議論で出た出典を用いて記事を再編し、出典として本文にも明記するべきと思います。改名するにしろしないにしろ。--蚯蚓 2009年3月3日 (火) 12:20 (UTC)
(追記)要点整理で間違っているところがあったらすぐ変更してください。--蚯蚓 2009年3月3日 (火) 12:23 (UTC)
- マークアップ方式を記事に近い形にしました。九州の役という記事名にしても、出師表のように一般名詞ではあるがある特定の事物について説明を行なっても構わないのではないか、と思います。ただ、どちらの呼び方も間違いではないなら、そのままでも良いと思います。中立的な観点の立場から重要なのは、記事名ではなく記事の内容です。--草薙 2009年3月3日 (火) 12:52 (UTC)
- 「九州の役」以外は秀吉の天下統一事業の一つを示した物だから頭に「秀吉の~」や「豊臣政権の~」を付けて固有名詞化した運用をして居るんじゃないのかと疑義を示しているのです。何故回答頂けないのでしょうか?出典と書いてありますが、本当に比較すべき呼称(固有名詞)で使用されて居るんですか?「九州の役」は単独運用されていて、「"秀吉の"九州の役」なんて使い方をしません。実例も示しました。 それと、何度も聞いているのですが、我々が編集している記事を何だと認識しているのですか?この議論対象の定義が共通化されなければ議論になりません。早く回答下さい。--yasumi 2009年3月3日 (火) 12:59 (UTC)
- (追記)「島津征伐」や「九州陣」なんてのもありますよ、論点ではないと思いますけどね。また、戦時中の本ですが「大日本戦史 第4巻」高柳光寿編、井上一次,辻善之助監修の章別ではそうそうたる執筆陣で、小牧長久手の戦(花見朔己)、九州の役(桑田忠親)、小田原の役(相田二郎)、文禄慶長の役(中村栄孝) と戦役別に命名された物があります。山川の「詳説 日本史研究」では秀吉の天下統一という章に「九州平定」とあります。しかし抜粋だけでは意味がありません。 例えるならば、歴史人物の項目に「徳川光圀」は無名で使う人も少ないので却下し、通俗的で使用頻度の高い「水戸黄門」をタイトルにしよう、というような提案のように見えるのです。それがテレビ番組の項目であれば、それは正しいのでしょう。しかし、百科事典の歴史人物を記した項目のタイトルにはどうかと思いませんか?もちろん説明文中で水戸黄門という呼び名に触れることを妨げるものではありません。 だから、本記事が戦争史の記述(豊臣島津戦争)であるならば公刊戦史や学会で使われている「九州の役」を推します。別に、本記事が秀吉の天下統一事業の一つであるならば「秀吉の九州平定」あるいは「秀吉の九州攻め」がタイトルに相応だと思います。--yasumi 2009年3月3日 (火) 21:39 (UTC)--yasumi 2009年3月3日 (火) 21:39 (UTC)
- 反論しないなら黙認してるんじゃないかな、と。僕はYasumiさんの見解は妥当なものだと考えていますよ。--草薙 2009年3月3日 (火) 14:19 (UTC)
豊臣と島津を対置した戦争の記事だという定義文に拘られるのは結構ですが、右横のテンプレートには「豊臣秀吉の戦闘」というものもありますね。勝者の日本での支配力が強まったということが歴史的事実として厳然として存在し、それが本記事を読む上で影響を及ぼすことは避けられないのではないでしょうか。また、戦争自体も大事なのですが、後方の節の「影響」を見ると、やはり、天下統一事業との関連で本記事を見た方が良いのではないかと思ってしまいます。 121.84.248.45 2009年3月4日 (水) 07:57 (UTC)
- yasumiさんへ、少なくとも、私は記事が何なのかについてコメントしましたよ。そんなのどうでもいいんですが、私は九州の役の方が相応しいと思っています。(滅多に意思表示しないんですみません。)理由について、小田原の役についての議論が終結しているからです。そして、長らく待ったのですが、新たな改名提案が出なかったので、すべての人の意志と思いました。九州は征伐なのに、小田原は役?そして文禄の役も慶長の役も役ですし?やはり九州だけが征伐である現状が気に入らない、というかおかしいと思います。まして、学術的に認められている役、あるいは戦役として適切な役、中立的な役、すべてを達成できているじゃないですか。中立的だったのは、この議論を客観的にみるためでしたが、yasumiさんの見解には非の打ちどころがない!ネット検索に縛られていたのですが、それ以外に現状維持に癒着する理由がない!よって、絶対的に役が良いと思います。というよりは、まず九州征伐を改名することを決めたうえで、何に改名するかを決めるべきです。征伐には反対するという意思を表明します。
- 美濃蝮さんへ、つい一か月前は征伐はの一等兵だったのに今は反対の立場になってて申し訳ありませんが、私は征伐に癒着する理由がもうなくなったと思います。もしも征伐をまだ主張なさるなら、その根拠を提示してください。どこかの図書館でもいいですけど、公的な機関が提示する資料を集められるといいと思います。だとしたらそこにまた議論を加えますが。ただ、戦役としては絶対的に役の方が相応でしょう。
- 前述の通り征伐には反対ですが、改名候補についてはおいおい議論しましょう。まずは征伐が適当か、ですから。勝手なこと言ってすみません。--蚯蚓 2009年3月4日 (水) 08:29 (UTC)
- 121.84.248.45氏の仰られる事も理解できますし、記事内容を「九州の役」と「秀吉の九州平定」で二者択一するような問題では無いと思います。恐らく不可分でしょうし。 しかし、タイトルとして考えると、他記事を書いてリンクをつけるときなどに秀吉関係では違和感の無い「秀吉の九州征伐」「秀吉の九州平定」でも島津側から書くと違和感が出る場合が多いように感じます。特に前半は島津側が主導権を握っていますしね。そう言えば、リンク頻度も豊臣方に偏っているような気がします。もちろん、技術的にはリンクにパイプを打って表記を修正することは出来ますが、根本的に妥当な中立的表現で防ぐに越したことはないと思います。又、戦争史として捉える中に秀吉の事績も包括した記述は出来ると思います。
- 蚯蚓さん、ご回答ありがとうございます。征伐は紀州とか四国とか、まだまだありますけどね。武田信玄のノートで信濃侵攻を立項するかどうか、話題になっています(駿河侵攻についてはすでに独立項目有り)。 これらも、従前は戦役単位で戦争史を切り取って見るということが少なかったが故に、概念の未確立の言わば呼び名の無かった事象だから混乱するのかもしれませんね。元寇という言葉が無かったら蒙古襲来になっていたのだろうか・・・とか。--yasumi 2009年3月5日 (木) 11:51 (UTC)
- 島津氏側に不快な表現を使ってはならないでしょう。「秀吉の」という前置詞がなければ成り立たない「九州平定」「九州攻め」は良くないような…やっぱり、戦役なんだから役が適合なような…これだけの情報が提示されているのならなおさら。改名に改めて賛成。--蚯蚓 2009年3月9日 (月) 08:16 (UTC)
- 「小田原征伐」を「小田原の役」に変更した「ゐ」です。ノートにお知らせいただいたので、来ました。「征伐」は差別的な表現だと思うので反対です。現在では「朝鮮征伐」はまずいわけだし、同様にもともと豊臣氏の支配下になかった九州・四国・紀州についても征伐は不適切でしょう。具体的な改名については、ほかから独立した個別の戦争か?豊臣秀吉の西日本征服戦争の一環とみるか?によっても異なるでしょう。検索エンジンはあてになりませんが、文献等も(日本史学界そのものが表記の統一にあまり取り組んでいないので)、文献を参照しながらもウィキペディアで統一ルールを作ってもかまわないと思います。ゐ 2009年3月16日 (月) 10:22 (UTC)
- どこかで戦役名に関するルールを作るという提案には賛成です。これらの場所で議論するといいと思います。
- 「征伐」
- 「戦い」
- 「Wikipedia:ウィキプロジェクト 歴史」
- 「Wikipedia:ウィキプロジェクト 日本史」
- 「Wikipedia:ウィキプロジェクト 日本の戦国時代」
- 「Wikipedia:ウィキプロジェクト 軍事史」
- 「Wikipedia:ウィキプロジェクト 軍事」
- 「Wikipedia:ウィキプロジェクト 日本史」
- あるいはここで議論を続けてどこかしかるべき場所に「新着ルール」として掲載するか…--蚯蚓 2009年3月16日 (月) 12:07 (UTC)
- ゐさん、反対意見の他に事後策についてもコメント頂ければと思います。
- 蚯蚓さん、境根原合戦ですが私の感覚からするとウィキタイトに使われているのは「~合戦」よりも「~の戦い」が大多数のような気がします。戦国などの戦闘名については攻城戦などでも揺らぎがあって名称も一定していないんですよね。--yasumi 2009年3月21日 (土) 01:48 (UTC)
- yasumiさん、お言葉ながら反論させていただきます。タイトルではたしかに「戦い」のほうが多いですが、境根原に限っては「柏市史」や「新・柏風土記」、「下総旧事考」、「本土寺過去帳」(堺根原合戦)、「匝瑳氏伝」など、合戦に関連する歴史史料ではオール「合戦」となっております。また、同様の論理で国府台合戦という項目で議論されているみたいですが、私としては「周りがそうだからって安易に改名するのはおかしい」という気持ちを抱いています。もし周りの記事に左右されるなら、この記事の改名だって出来なくなってしまいます。と思います。
- 失礼いたしました。横道にそれました。・・・つまり、周りを気にしていたらWikipediaを最高の百科事典にすることが出来なくなるということが言いたかったのです。--蚯蚓 2009年3月21日 (土) 09:29 (UTC)
- 失礼しました。根拠があるのであれば問題ありません。--yasumi 2009年3月22日 (日) 10:59 (UTC)
- 謝られなくても結構でしたが…根拠はやはり必要ですよね。だから、絶対にこのページは改称すべき。征伐はほとんど根拠なしなわけですから、(もちろんリダイレクトは必要ですが) 九州の役への改称をそろそろ決行すべきだと思います。--蚯蚓 2009年3月23日 (月) 01:03 (UTC)
- そうですね。そろそろ決を採りたいところです。--yasumi 2009年3月23日 (月) 12:11 (UTC)
- ではそろそろ最終的な合意形成を採らせていただきます。
- 九州征伐を「九州の役」に改名することに、 賛成 か、 反対 か。これから一週間以内に異論がなければ移動いたします。--蚯蚓 2009年3月24日 (火) 12:16 (UTC)
- 2009年3月31日 (火) 12:16 (UTC) (2009年3月31日 (火) 21:16)までに異論なければ。一応コメント依頼にも出しました。--蚯蚓 2009年3月24日 (火) 12:31 (UTC)
- そうですね。そろそろ決を採りたいところです。--yasumi 2009年3月23日 (月) 12:11 (UTC)
改名投票
[編集]投票期限:2009年3月31日 (火) 12:16 (UTC) (2009年3月31日 (火) 21:16)
- 賛成 改名に賛成です。--蚯蚓 2009年3月26日 (木) 10:57 (UTC)
- でも、この議論の副題「征伐呼称そのものの見直し」を、どこで議論するかを考えてから移動しなくてはならないんじゃないかと思います。--蚯蚓 2009年3月26日 (木) 10:57 (UTC)
- 賛成 、「九州征伐」から「九州の役」への改名に賛成。理由、戦役名称として公刊戦史や論文タイトルなどに使われてきた名称だから。「九州征伐」「九州平定」「九州攻め」などは頭に「豊臣秀吉の~」を付けないと独立項目として通じないと思う。--yasumi 2009年3月26日 (木) 11:40 (UTC)
- 合意成立のため、移動。21:16に投票打ち切り。早めに移動します。--蚯蚓 2009年3月31日 (火) 12:16 (UTC)
- (対処)無事移動しました。リンク元もチェックよろしく。--蚯蚓 2009年3月31日 (火) 12:19 (UTC)
- ご苦労様です。ありがとう御座いました。--yasumi 2009年4月1日 (水) 10:44 (UTC)
- カットアンドペーストを用いて過去ログ化します。--蚯蚓 2009年4月1日 (水) 11:06 (UTC)