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テアトル・エコー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社テアトル・エコー
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
150-0011
東京都渋谷区東3丁目18番3号
設立 1954年
業種 サービス業
法人番号 8011001014740
事業内容 劇団
主要部門
関係する人物 熊倉一雄(元代表)
外部リンク https://t-echo.co.jp/
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テアトル・エコーTheater Echo)は、日本劇団1954年(現体制では1956年[1])に発足し、東京都渋谷区恵比寿・エコー劇場を本拠とする。劇団は「株式会社テアトル・エコー」が運営している。日本芸能マネージメント事業者協会会員。

エコーグループとして、劇団員を中心とするマネジメント部門(芸能事務所)であるプロダクション・エコー[注釈 1]があるほか、関連組織にスタジオ・エコーやエコー俳優声優アカデミーがある[3]

概要

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新劇喜劇を専門的に上演する老舗の劇団として知られ[2]、近年は年2回前後の本公演や企画公演、全国巡演を行う[4]

ニール・サイモンノエル・カワードなど現代喜劇を多く上演する一方で、オリジナル作品にも積極的であり劇作家としてはキノトール井上ひさし[4]を出している。また、新人劇作家の発掘を目的に創作戯曲を募集している[4]

日本新劇製作者協会、日本劇団協議会[1]日本芸能マネージメント事業者協会[2]に加盟。

代表は、熊倉一雄が発足初期から2015年の死去まで長年にわたり務めた[5]。以降の代表は村井亨子。劇団のロゴデザインは納谷悟朗が担当[6]。過去には能勢山誠一が劇団代表を務め、和田文夫1967年から1992年まで法人社長を務めていた[7]

喜劇専門の劇団であることから、コント赤信号ダチョウ倶楽部上島竜兵寺門ジモンなど後にお笑い芸人として活動する者もいる。

劇団内には附属養成所があり、後進の育成にも積極的である。2017年以降は「エコー俳優声優アカデミー」と改称、リニューアルした[8]

声優活動

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声優としても活動する劇団員が多数所属している[2]

マネジメントに関して、現在は劇団と同一グループにある「プロダクション・エコー」が担当。2023年10月1日までの名称は「テアトル・エコー放送映画部」で、劇団員のマネジメントである「劇団演技部」と、その他(声優業のみなど)のマネジメントである「放送映画部」に分かれていたが、改称後は統一された。

これは、発足して間もない1950年代当時、黎明期のテレビで海外作品の吹き替え放映の際に新劇俳優が声優に起用されることが多く、テアトル・エコー所属者の多くも吹き替えに多用されたことが始まりである。納谷悟朗によると、当初はテレビドラマなど俳優として顔出しの出演もあったが、拘束日数の長さを考慮したマネージャー側により短時間でできる声の仕事が自然と増えたという[9]

吹き替えテレビアニメには草創期より数多くの劇団員が出演し、キャスティング協力をして劇団員が出演の大半を占める作品もあった(当時のおもな出演作品は#劇団員が多数出演した作品を参照)。附属養成所出身でかつて所属した田中真弓は後に「(入団当時は)声優の創成期みたいなのを作った人たちがいた」と回想している[10]

特撮番組では、1980年代初頭まで怪人役を中心にテアトル・エコー劇団員の占める割合が高かった。劇団員の1人である沢りつおは、普通の俳優では怪人役を引き受けないため、喜劇専門のテアトル・エコーに声がかかったと述べている[11]

1970年代から1980年代頃までは、ワーナー・ブラザース作品(『ピンク・キャデラック』など)やディズニー作品(『101匹わんちゃん』など)で吹き替え制作に協力しており、劇団員がユニットで出演する機会も多かった。1988年には吹き替え版制作を行う関連会社スタジオ・エコーが発足。現在でもディズニー作品や洋画、海外ドラマの吹き替えを中心に多くの劇団員が活動している。

沿革

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1950年9月1931年から1936年まで存在した劇団テアトル・コメディに在籍していた北沢彪を中心に、朗読の勉強会として前身となる「やまびこ会」が発足[12]

1954年6月、劇団活動を開始。同時に、北沢の命名で「やまびこ会」を英語にした「テアトル・エコー」と改称[12]

1956年9月、資金難から解散の危機を迎えたものの、梶哲也の自宅に19人が集い気焔をあげる形で再建。現体制の礎となる[12]。同年12月には、原宿表参道に近い渋谷区神宮前に初となる稽古場を開設[12]1957年に法人化[4]

この頃、熊倉一雄らの人脈から多数の劇団員がテレビなどマスコミに出演を開始[12]。主に吹き替えラジオドラマなど声優活動を行うようになる。1957年にはKRテレビ(現:TBS)で放映の『海賊船サルタナ』吹き替え版制作に関与し、初の劇団ユニットで制作した吹き替えとなった。

1963年11月、渋谷区恵比寿に稽古場を建設。1965年6月には稽古場2階に仮設の小劇場「屋根裏劇場」を建設[12]

1970年7月、日本初の本格的小劇場「テアトル・エコー」を建設[4]。こけら落しは第36回公演『表裏源内蛙合戦』。

1970年代になると「観客が笑いすぎてイスから転げ落ちた」というエピソードが評判になったほか、それまでの「軽新劇だ、アテレコ・エコーだ」などの低評価が一転。1970年12月に第5回紀伊國屋演劇賞団体賞を受賞し、1971年には第9回ゴールデン・アロー賞の演劇賞を受賞するなど一躍人気劇団の一つとなる[4][13]

1984年、第71回公演『サンシャイン・ボーイズ』が文化庁芸術祭優秀賞を受賞[13]

1988年10月、グループ企業として海外作品の吹き替え版を制作する株式会社スタジオ・エコーが設立。

1991年10月、第91回公演『風と気まぐれ』が旧テアトル・エコー劇場最終公演となる。同年12月、渋谷区東3丁目に現在の本拠地となる恵比寿・エコー劇場(エコービル)を建設。劇場の他、スタジオ・エコーの録音スタジオや編集室なども備えた地下1階・地上8階建ての施設となり、劇場運営はスタジオ・エコーとなった。こけら落しは第92回公演『表裏源内蛙合戦』で、1992年4月から翌年3月までオープニング記念連続公演となった。

1997年、第105回公演『ら抜きの殺意』が鶴屋南北戯曲賞を受賞[4]2004年、第126回公演『ルームサービス』が文化庁芸術祭大賞を受賞。

2015年、発足初期から長年にわたり代表を務めた熊倉一雄が死去[5]

2017年、附属養成所が「エコー俳優声優アカデミー」と改称しリニューアル。

2020年、予定されていた第159回公演「ママごと」が新型コロナウイルス感染症流行の影響により中止。約2年間の延期を経て、2022年4月に公演された。

主な公演

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公演回 作品名 原作 演出
1957年 3月 第10回公演 「ドライアイスの海」 キノトール 石川甫
7月 第11回公演 「計算機」 E・ライス 戸部信一
1958年 2月 第12回公演 「婦人科医プレトリウス博士」 R・ゲッツ
8月 第13回公演 「男の中の男」 キノトール キノトール
戸部信一
12月 第14回公演 どん底 M・ゴーリキー 戸部信一
1959年 6月 第15回公演 「四人の隊長の恋」 P・ユスティノフ
11月 第16回公演 「夜が追ってくる」 岡本克己
1960年 3月 第17回公演 「ミラノを見て死ね」 キノトール キノトール
戸部信一
8月 第18回公演 リリオムの回転木馬 F・モルナール 戸部信一
11月 第19回公演 「新ハムレット」 太宰治 栗山昌良
1961年 6月 第20回公演 「真夏の夜の夢」 キノトール 戸部信一
1962年 7月 第21回公演 「平家物語」 キノトール
戸部信一
1963年 4月 第22回公演 「イヴとアダム」 三木鮎郎 ほか 戸部信一
1964年 6月 第23回公演 「四人の隊長の恋」 P・ユスティノフ 江里口喬
11月 第24回公演 「レースの鎧」 松木ひろし キノトール
1965年 10月 第25回公演 「青年がみな死ぬ時」 キノトール
1966年 3月 第26回公演 「オレンジ色の罪状」 松木ひろし 島田親一
10月 第27回公演 「海賊」 M・アシャール 江里口喬
1967年 3月 第28回公演 「カチカチ山」ほか 太宰治 早野寿郎
10月 第29回公演 「罠」 L・トマ 小林泰衛
1968年 2月 第30回公演 「ボーイング・ボーイング」 M・カモレッティ キノトール
5月 第31回公演 「赤ちゃん今晩わ」 A・ルッサン 小林泰衛
7月 第32回公演 罪と罰 F・ドストエフスキー 熊倉一雄
納谷悟朗
10月 第33回公演 「われら今夜の悪夢」 キノトール
1969年 2月 第34回公演 日本人のへそ 井上ひさし 熊倉一雄
5月 第35回公演 「娑婆に脱帽」 松木ひろし 納谷悟朗
1970年 7月 第36回公演 表裏源内蛙合戦 井上ひさし 熊倉一雄
11月 第37回公演 「うるわしのバカ娘」 M・アシャール キノトール
1971年 4月 第38回公演 11ぴきのネコ 井上ひさし 熊倉一雄
6月 第39回公演 「新ハムレット」 太宰治 納谷悟朗
熊倉一雄
9月 第40回公演 「道元の冒険」 井上ひさし 熊倉一雄
1972年 1月 第41回公演 マリリン・モンロー 戸板康二 キノトール
7月 第42回公演 「じゃがいも」 M・アシャール 江里口喬
10月 第43回公演 「日本人のへそ」 井上ひさし 熊倉一雄
1973年 3月 第44回公演 「珍訳聖書」
7月 第45回公演 「11ぴきのネコ」
1975年 1月 第46回公演 それからのブンとフン
1976年 2月 第47回公演 「みにくいあひるのこ」 F・マルソー
7月 第48回公演 「法界坊悪行極楽」 奈可七五三原本
十一代喜八欺本
江里口喬
1977年 1月 第49回公演 「中年よ大志を抱け」 P・シェノ キノトール
10月 第50回公演 「ノーセックス・プリーズ」 A・マリオット
A・フット
熊倉一雄
1978年 1月 第51回公演 「トレヴァ」 J・ボウエン 江里口喬
4月 第52回公演 「ホーム・ドラマ」 伊藤裕弘
9月 第53回公演 「ブラック・コメディ」 P・シェーファー 納谷悟朗
1979年 6月 第54回公演 「怪盗ママ」 M・パコム キノトール
9月 第55回公演 「一度は行ってみたい地獄」 岡本克己 熊倉一雄
12月 第56回公演 「お国のためだ目をつぶれ」 A・マリオット
J・チャプマン
キノトール
1980年 3月 第57回公演 「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」 T・ストッパード 水田晴康
5月 第58回公演 「V・I・P」 伊藤裕弘 江里口喬
9月 第59回公演 「二番街の囚人」 N・サイモン 酒井洋子
キノトール
12月 第60回公演 「純情雪景色」 松原敏春 熊倉一雄
1981年 3月 第61回公演 「ブローニュの森は大騒ぎ」 P・シェノ 納谷悟朗
9月 第62回公演 「水族館」 A・ニコライ 水田晴康
12月 第63回公演 「地下は天国」 P・シェノ 熊倉一雄
江里口喬
1982年 5月 第64回公演 「整形手術」 P・シェノ キノトール
11月 第65回公演 「恋愛二重奏」 松原敏春 熊倉一雄
1983年 2月 第66回公演 「一発逆転」 T・ストッパード 熊倉一雄
江里口喬
5月 第67回公演 「地下室の火事」 P・コホウト 柴田道広
納谷悟朗
11月 第68回公演 「ジンジャーブレッド・レディ」 N・サイモン 酒井洋子
1984年 5月 第69回公演 「甚助無用鰯烹鍋」 岡本螢 熊倉一雄
7月 第70回公演 「セックステット」 M・パートウィー 納谷悟朗
10月 第71回公演 「サンシャイン・ボーイズ」 N・サイモン 酒井洋子
1985年 4月 第72回公演 「バレるぞ急げ」 R・クーニー キノトール
6月 第73回公演 「夏宵漫百鬼夜行」 岡本螢 熊倉一雄
10月 第74回公演 「サンシャイン・ボーイズ」 N・サイモン 酒井洋子
1986年 3月 第75回公演 「腕ずく」 J・ドヴァル キノトール
6月 第76回公演 「鯵さん鱚さん猫飼好五十三疋」 岡本螢 熊倉一雄
8月 第77回公演 「プラザ・スイート」 N・サイモン 酒井洋子
1987年 4月 第78回公演 「歌うならラブソング」 永六輔 キノトール
7月 第79回公演 「陽気な幽霊」 N・カワード 熊倉一雄
10月 第80回公演 「日射病」 M・ミトワ 岡田正子
1988年 4月 第81回公演 「知らぬは他人」 室土猩 曽我部和恭
8月 第82回公演 「プラザ・スイート」 N・サイモン 酒井洋子
11月 第83回公演 「ふたつの恋」 A・エイクボーン 江里口喬
1989年 2月 第84回公演 「さくらの苑におぼろなる」 田畑喜十 熊倉一雄
5月 第85回公演 「ズボンが…ない!」 R・ゴールトン
J・アントロバス
キノトール
11月 第86回公演 「大晦日は脱獄囚と御一緒に…」 P・シェノ 納谷悟朗
1990年 2月 第87回公演 「芝居は最高!」 F・モルナール 三田地里穂
9月 第88回公演 「八人の女」 R・トマ 上原一子
11月 第89回公演 「正しい殺し方教えます」 M・サットン
A・フィングルトン
キノトール
1991年 2月 第90回公演 「匿名シネマ」 岡本螢 熊倉一雄
10月 第91回公演 「風と気まぐれ」 J・ロージェ 戸部信一
1992年 4月 第92回公演 「表裏源内蛙合戦」 井上ひさし 熊倉一雄
9月 第93回公演 「カリフォルニア・スイート」 N・サイモン 酒井洋子
11月 第94回公演 「スカピーノ!」 F・ダンロップ
J・デール
三田地里穂
1993年 3月 第95回公演 「情事だジョージ非常時だ?!」 R・クーニィ キノトール
7月 第96回公演 「馬かける男たち」 J・S・ホールム
J・アボット
西川信廣
11月 第97回公演 「ダニエルのとんだ休日」 M・ラングリネ 岡田正子
1994年 4月 第98回公演 「正しい殺し方教えます」 M・サットン
A・フィングルトン
キノトール
9月 第99回公演 「リチャード三世 -薔薇と道化と王冠と-」 W・シェイクスピア 水田晴康
1995年 5月 第100回公演 「ボディ・ランゲージ」 A・エイクボーン 勝田安彦
10月 第101回公演 「馬かける男たち」 J・Sホールム
J・アボット
西川信廣
1996年 4月 第102回公演 「カッコーのかくれ家」 G・グロッソ
M・モド
戸部信一
11月 第103回公演 「狂っているのは誰?」 J・オートン 栗山民也
1997年 5月 第104回公演 「あしたも7時」 P・オズボーン 西川信廣
12月 第105回公演 「ら抜きの殺意」 永井愛
1998年 4月 第106回公演 「病は気から」 モリエール 三田地里穂
11月 第107回公演 「サンシャイン・ボーイズ」 N・サイモン 酒井洋子
1999年 5月 第108回公演 「他人の首」 M・エーメ 戸部信一
11月 第109回公演 「23階の笑い」 N・サイモン 酒井洋子
2000年 8月 第110回公演 「チンプス -特選リフォーム見積無料!?-」 S・ブロック 勝田安彦
11月 第111回公演 「ざ・ちぇんじ!」 氷室冴子 壤晴彦
2001年 4月 第112回公演 「うそつきビリー」 K・ウォーターハウス
W・ホール
西川信廣
11月 第113回公演 「妻の名はモーリス」R・シャール 熊倉一雄
2002年 4月 第114回公演 「シルヴィアの結婚」 J・チン 酒井洋子
5月 第115回公演 「ら抜きの殺意」 永井愛
8月 第116回公演 「青年がみな死ぬとき」キノトール 戸部信一
11月 第117回公演 「サンシャイン・ボーイズ」 N・サイモン 酒井洋子
2003年 2月 第118回公演 「ちゃんとした道」 小川未玲 熊倉一雄
5月 第119回公演 「屋上桟敷の人々」 野田治彦 西川信廣
8月 第120回公演 「九月になれば」 J・チン 酒井洋子
11月 第121回公演 「ドアをあけると…」 A・エイクボーン 勝田安彦
2004年 3月 第122回公演 「マチのモノガタリ」 森江賢二 納谷悟朗
5月 第123回公演 「もやしの唄」 小川未玲 保科耕一
7月 第124回公演 「星逢井戸命洗濯」 岡本螢 永井寛孝
9月 第125回公演 「半変化束恋道中」 岡本螢 永井寛孝
11月 第126回公演 ルームサービス J・マレー
A・ボレッツ
酒井洋子
2005年 3月 第127回公演 「エスケープ フロム ハピネス」 J・F・ウォーカー 青柳敦子
5月 第128回公演 「朝の時間」 水谷龍二 永井寛孝
11月 第129回公演 「暗くなったら帰っておいで -イディの一生-」 J・チン 酒井洋子
2006年 6月 第130回公演 「キメラの山荘」 野田治彦 西川信廣
11月 第131回公演 「大都映画撮影所物語」 本庄慧一郎 永井寛孝
2007年 4月 第132回公演 「エリック&ノーマン」 M・クーニー
小田島恒志 訳
平野智子
11月 第133回公演 「忘れられランド」 小川未玲 保科耕一
2008年 1月 第134回公演 「エリック&ノーマン」 M・クーニー
小田島恒志 訳
平野智子
6月 第135回公演 「トムとディックとハリー」 レイ&マイケル・クーニー
10月 第136回公演 「フレディ」 ロバート・トマ 上原一子
2009年 8月 第137回公演 「風と共に来たる」 R・ハッチンソン
酒井洋子 訳
酒井洋子
11月 第138回公演 「お手を拝借!」 ラサール石井
2010年 4月 第139回公演 「白い病気」 カレル・チャペック 永井寛孝 脚色・演出
9月 第140回公演 「日本人のへそ」 井上ひさし 熊倉一雄
2011年 5月 第141回公演 「風と共に来たる」 R・ハッチンソン
酒井洋子 訳
酒井洋子
11月 第142回公演 「アラカン!」 唐沢伊万里 永井寛孝
2012年 6月 第143回公演 「もやしの唄」 小川未玲 保科耕一
10月 第144回公演 「プロポーズ・プロポーズ」 N・サイモン
酒井洋子 訳
酒井洋子
2013年 5月 第145回公演 「バレるぞ急げ ~Run for You Wife~」 レイ・クーニー
中川千尋 訳
永井寛孝
11月 第146回公演 「ハレクイネイド」 テレンス・ラティガン 保科耕一
2014年 6月 第147回公演 「おかしな二人《男性版》」 ニール・サイモン
酒井洋子 訳
酒井洋子
「おかしな二人《女性版》」 平野智子
11月 第148回公演 「遭難姉妹と毒キノコ」 鈴木聡 永井寛孝
2015年 5月 第149回公演 「けっこうな結婚」 マイケル・ジェイコブズ
常田景子 訳
高橋正徳
10月 第150回公演 「諸国を遍歴する二人の騎士の物語」 別役実 永井寛孝
2016年 5月 第151回公演 「淑女はここにいる」 田村孝裕
9月 第152回公演 「バッファローの月」 ケン・ラドウィッグ
勝田安彦 訳
勝田安彦
2017年 8月 第153回公演 「八月の人魚たち」 J・ジョーンズ
N・ホープ
J・ウーテン
鈴木小百合 訳
酒井洋子
2018年 1月 第154回公演 「カレンダー・ガールズ」 ティム・ファース
常田景子 訳
高橋正徳
8月 第155回公演 「青い鳥たち、カゴから」 土田英生
12月 第156回公演 「おかしな二人」 N・サイモン
酒井洋子 訳
酒井洋子
2019年 8月 第157回公演 「バグ・ポリス」 P・S・スミス
常田景子 訳
永井寛孝
12月 第158回公演 「IS HE DEAD?」 M・トウェイン
小田島恒志 訳
平野智子
2022年 4月 第159回公演 「ママごと」[注釈 2] 田村孝裕

所属俳優

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男性

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劇団演技部

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放送映画部

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準所属
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女性

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劇団演技部

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放送映画部

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準所属
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かつて所属していた俳優

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男性

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女性

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所属する演出家・作家

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かつて所属していた演出家・作家

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団友

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劇団員が多数出演した作品

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実写作品

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アニメ

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その他

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脚注

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注釈

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  1. ^ 基本的に劇団名と同じ「テアトル・エコー」表記が使われるため、劇団と同一視されることもある[2]
  2. ^ 2020年に公演予定だったが、コロナ禍による緊急事態宣言のため約2年間延期された。
  3. ^ 第1作から『仮面ライダーZX』まで、『仮面ライダーBLACK』や『仮面ライダーBLACK RX』は俳協が、それ以降は複数の所属者が担当
  4. ^ 青二プロダクション所属の俳優とともに出演
  5. ^ 宇宙戦艦ヤマト2』までは青二プロ所属の俳優と共同出演。『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』以降の作品では青二プロダクションがメイン担当。
  6. ^ 青二プロ所属の俳優と共同出演
  7. ^ 1973年版。青二プロ所属の俳優も出演
  8. ^ 青二プロ所属の俳優と共同出演
  9. ^ 山田康雄納谷悟朗がメインキャストで出演。両者没後の2019年に原作者のモンキー・パンチが死去した際は、劇団から供花を贈っている[15]
  10. ^ 1970年代に『週刊少年チャンピオン』連載の漫画を多数ラジオドラマ化した。

出典

[編集]
  1. ^ a b 正会員団体 た行”. 公益社団法人日本劇団協議会. 2022年12月31日閲覧。
  2. ^ a b c d テアトルエコー”. 芸能事務所.com. 2022年12月31日閲覧。
  3. ^ Welcome to Echo Group”. エコーグループ. 2022年12月31日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g テアトル・エコー|劇団紹介”. Deview/デビュー. オリコン (2019年). 2022年12月31日閲覧。
  5. ^ a b “熊倉一雄さん死去 「ひょうたん島」トラヒゲの声も”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2015年10月16日). オリジナルの2015年10月16日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20151016131104/http://www.asahi.com/articles/ASHBJ71YHHBJUCLV015.html 
  6. ^ 市川きよあき (2013年5月21日). “納谷さんのお別れの会”. gutter.jp. グラフィックデザイン 市川きよあき事務所 BLOG. 2022年12月31日閲覧。
  7. ^ 『劇団協議会月報』1月号、劇団協議会幹事会、1960年、19頁。 
  8. ^ echoacademy.ebisuの投稿(143331602807028) - Facebook
  9. ^ 緯度0大作戦DVDチャンピオンまつり短縮版』納谷のコメンタリーより。
  10. ^ フジテレビュー!!編集部 (2022年8月14日). “田中真弓 声優として「もう少年役はやり尽くした気がしてる」”. フジテレビュー!!. 2022年12月31日閲覧。
  11. ^ 小川びい「仮面劇の主役たち ライダーを支えた10人の声優 第3回 沢りつおの巻」『KODANSHA Official File Magazine 仮面ライダー』 Vol.3《仮面ライダーV3》、講談社、2004年8月10日、30頁。ISBN 4-06-367088-0 
  12. ^ a b c d e f 熊倉一雄 (2006年9月). “テアトル・エコーとは”. テアトル・エコー. 2022年12月31日閲覧。
  13. ^ a b 明石誠「(感歓劇)エコー劇場 笑いこそ力、17年ぶり現場に」『朝日新聞 夕刊』2022年4月14日。2022年12月31日閲覧。
  14. ^ 福島民報 1967年8月5日。
  15. ^ “「モンキー・パンチ先生を偲ぶ会」祭壇はルパン三世らに見送られ……供花に栗田貫一、黒木メイサ、水木一郎、山寺宏一らも”. Edge Line. (2019年6月14日). https://www.edgeline-tokyo.com/culture/32257 2022年12月31日閲覧。 

外部リンク

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