ダヴィド・トレゼゲ
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2017年のトレゼゲ | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ダヴィド・セルジオ・トレゼゲ David Sergio Trézéguet | |||||
愛称 | トレゼゴール、ゼゲット | |||||
ラテン文字 | David TRÉZÉGUET | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
フランス アルゼンチン | |||||
生年月日 | 1977年10月15日(47歳) | |||||
出身地 | ルーアン | |||||
身長 | 190cm | |||||
体重 | 80kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW (CF) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1985-1995 | CAプラテンセ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1994-1995 | CAプラテンセ | 5 | (0) | |||
1995-2000 | ASモナコ | 93 | (52) | |||
2000-2010 | ユヴェントスFC | 245 | (138) | |||
2010-2011 | エルクレスCF | 31 | (12) | |||
2011 | バニーヤースSC | 3 | (0) | |||
2011-2014 | CAリーベル・プレート | 35 | (16) | |||
2013-2014 | → ニューウェルズ・オールドボーイズ (loan) | 24 | (7) | |||
2014 | FCプネー・シティ | 9 | (2) | |||
代表歴 | ||||||
1995-1996 | フランス U-18 | 12 | (15) | |||
1996-1997 | フランス U-20 | 14 | (12) | |||
1997-1998 | フランス U-21 | 5 | (5) | |||
1998-2008 | フランス | 71 | (34) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2014年9月22日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ダヴィド・トレゼゲ(David Trézéguet, 1977年10月15日 - )は、フランス共和国ルーアン出身の元サッカー選手。元フランス代表。現役時代のポジションはフォワード。
出生地はフランスだが両親は共にアルゼンチン人で、2歳の時にアルゼンチンに移住。フランスとアルゼンチンの国籍を所有している。
経歴
[編集]クラブ
[編集]17歳でアルゼンチンプロサッカーリーグのCAプラテンセにてプロデビュー。出場機会は少なかったが、ASモナコのスカウトの目に留まり、自らの出生地であるフランスの地を再び踏むこととなった。モナコでは移籍当初は苦労したものの、徐々に頭角を表し、1999-2000シーズンに22得点を挙げてリーグ優勝に貢献。ビッグクラブから注目される存在になっていった。
2000年、イタリアのユヴェントスFCへ移籍。移籍金は2800万ユーロ。1年目に14得点を挙げ、翌年には24得点で得点王に輝いた。このタイトルは全て流れの中から決めた(PKなしの)得点であることから、大いに賞賛を浴びた。以降、怪我が多くフルシーズン出場する機会は多くないものの、出場すれば抜群の決定力を見せている。2005-06シーズンにはルカ・トーニの31得点に次ぐ23得点を挙げ、スクデットに貢献した(その後カルチョ・スキャンダルにより取消)。2006年、ユヴェントスのセリエB降格に当たり移籍は確実かと思われていたが、後にブッフォンやネドベドらと共に残留を発表した。
セリエAに復帰した2007-08シーズンは開幕戦でのハットトリックなど、序盤から絶好調でチームを牽引、中盤以降調子を落としたが結局20得点を記録。また、第4節のローマ戦でセリエA通算100得点を達成した。
2010年8月にユヴェントスとの契約を解除し、スペインのエルクレスCFへ2年契約で移籍した。2桁得点をあげたが、2部に降格したことで契約は1年で解除された。
2011年8月、UAEリーグのバニーヤースSCへ移籍したが、11月に契約解除。
12月にアルゼンチン・プリメーラB・ナシオナルのCAリーベル・プレートに移籍。
2014年7月にインドのFCプネー・シティに移籍した。
2015年1月20日、現役を引退することを発表した[1][2]。また、合わせて古巣ユヴェントスの幹部入りを予定しているとも述べている。
代表
[編集]代表デビューは20歳、1998年1月28日に行われたスペイン戦。同年に行われたフランスW杯のメンバー入りも果たし優勝を飾る。2年後のEURO2000では控えの立場だったが、イタリアとの決勝戦の延長でゴールデンゴールを決め優勝に導いた。この活躍が認められ、大会後にユヴェントスと契約を結んでいる。このゴールデンゴールを決めたことで移籍当初はイタリア国内では民衆に目の敵にされたことがあるという。
しかしその後の代表歴は思わしいものではない。セリエA得点王として臨んだ日韓W杯ではセネガル戦ではシュートがバー直撃、そしてEURO2004にはクロアチア戦において疑惑のゴールを決めたものの、ブレイクすることはなかった。
自身3度目となるドイツW杯では、1トップを布くドメネク監督の戦術方針からベンチに座る機会も多く、決勝のPK戦ではPKを失敗する等、失意のうちに大会は終了した。
代表ゴール数34は歴代3位(2008年7月現在)だが、W杯後は招集すらされないことが多く、EURO2008のメンバーからも落選した。2008年7月9日、ドメネク監督の続投を受けて代表引退を発表している。
個人成績
[編集]クラブでの成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
アルゼンチン | リーグ戦 | リーグ杯 | アルヘンティーナ杯 | 期間通算 | |||||||
1993-94 | プラテンセ | プリメーラ | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
1994-95 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||||
フランス | リーグ戦 | F・リーグ杯 | フランス杯 | 期間通算 | |||||||
1995-96 | モナコ | リーグ・アン | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | |||
1996-97 | 9 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||
1997-98 | 27 | 18 | 5 | 2 | 9 | 4 | |||||
1998-99 | 27 | 12 | 3 | 0 | 5 | 2 | |||||
1999-00 | 30 | 22 | 2 | 0 | 6 | 2 | |||||
イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2000-01 | ユヴェントス | 17 | セリエA | 25 | 14 | 2 | 0 | 5 | 1 | ||
2001-02 | 34 | 24 | 2 | 0 | 10 | 8 | |||||
2002-03 | 17 | 9 | 1 | 0 | 10 | 4 | |||||
2003-04 | 25 | 16 | 4 | 2 | 5 | 4 | |||||
2004-05 | 18 | 9 | 1 | 1 | 5 | 4 | |||||
2005-06 | 32 | 23 | 1 | 0 | 9 | 6 | |||||
2006-07 | セリエB | 31 | 15 | 1 | 0 | ||||||
2007-08 | セリエA | 36 | 20 | 3 | 0 | ||||||
2008-09 | 8 | 1 | 1 | 0 | 4 | 0 | |||||
2009-10 | 19 | 7 | 0 | 0 | 8 | 3 | |||||
2010-11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |||||
スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2010-11 | エルクレス | 17 | プリメーラ | 30 | 12 | 0 | 0 | ||||
UAE | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2011-12 | バニーヤースSC | 99 | UAEリーグ | 3 | 0 | ||||||
アルゼンチン | リーグ戦 | リーグ杯 | アルヘンティーナ杯 | 期間通算 | |||||||
2011-12 | リーベル・プレート | 7 | プリメーラB | 19 | 13 | 2 | 1 | ||||
2012-13 | プリメーラ | 11 | 1 | ||||||||
通算 | アルゼンチン | 35 | 14 | 2 | 1 | 0 | 0 | 37 | 15 | ||
フランス | 93 | 52 | 10 | 2 | 21 | 8 | 145 | 70 | |||
イタリア | 245 | 138 | 18 | 3 | 57 | 30 | 370 | 197 | |||
スペイン | 31 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 31 | 12 | |||
UAE | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | |||
総通算 | 407 | 216 | 30 | 6 | 78 | 38 | 586 | 294 |
代表での成績
[編集]- 出典[3]
フランス代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1998 | 12 | 2 |
1999 | 2 | 1 |
2000 | 12註1 | 9註1 |
2001 | 7 | 5 |
2002 | 7 | 3 |
2003 | 8 | 8 |
2004 | 7 | 1 |
2005 | 5 | 2 |
2006 | 8 | 3 |
2007 | 2 | 0 |
2008 | 1 | 0 |
合計 | 71 | 34 |
註1 フランスサッカー連盟は2000年8月16日に行われたFIFA選抜戦を国際Aマッチとして認めている[3]。
代表でのゴール
[編集]# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 試合概要 |
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1. | 1998年6月5日 | ヘルシンキ、オリンピックスタジアム | フィンランド | 0-1 | 0-1 | 親善試合 |
2. | 1998年6月18日 | サン=ドニ、スタッド・ド・フランス | サウジアラビア | 2-0 | 4-0 | 1998 FIFAワールドカップ |
3. | 1999年10月9日 | アイスランド | 3-2 | 3-2 | UEFA EURO 2000予選 | |
4. | 2000年4月26日 | スロベニア | 1-2 | 3-2 | 親善試合 | |
5. | 3-2 | |||||
6. | 2000年5月28日 | ザグレブ、スタディオン・マクシミール | クロアチア | 2-0 | 2-0 | |
7. | 2000年6月21日 | アムステルダム、アムステルダム・アレナ | オランダ | 2-1 | 2-3 | UEFA EURO 2000 |
8. | 2000年7月2日 | ロッテルダム、デ・カイプ | イタリア | 2-1 | 2-1 (GG) |
UEFA EURO 2000決勝 |
9. | 2000年8月16日 | マルセイユ、スタッド・ヴェロドローム | FIFA選抜 | 1-0 | 5-1 | 親善試合 |
10. | 2-0 | |||||
11. | 3-0 | |||||
12. | 2000年11月15日 | イスタンブル、イニョニュ・スタジアム | トルコ | 1-0 | 4-0 | |
13. | 2001年3月24日 | サン=ドニ、スタッド・ド・フランス | 日本 | 4-0 | 5-0 | |
14. | 5-0 | |||||
15. | 2001年3月28日 | バレンシア、エスタディオ・デ・メスタージャ | スペイン | 1-2 | 1-2 | |
16. | 2001年9月1日 | サンティアゴ、エスタディオ・ナシオナル | チリ | 1-2 | 1-2 | |
17. | 2001年11月11日 | メルボルン、メルボルン・クリケット・グラウンド | オーストラリア | 1-1 | 1-1 | |
18. | 2002年3月27日 | サン=ドニ、スタッド・ド・フランス | スコットランド | 2-0 | 5-0 | |
19. | 4-0 | |||||
20. | 2002年5月26日 | 水原市、水原ワールドカップ競技場 | 韓国 | 0-1 | 2-3 | |
21. | 2003年3月29日 | ランス、スタッド・フェリックス・ボラール | マルタ | 5-0 | 6-0 | UEFA EURO 2004予選 |
22. | 2003年4月2日 | パレルモ、スタディオ・レンツォ・バルベラ | イスラエル | 0-1 | 1-2 | |
23. | 2003年9月6日 | サン=ドニ、スタッド・ド・フランス | キプロス | 1-0 | 5-0 | |
24. | 5-0 | |||||
25. | 2003年9月10日 | リュブリャナ、スタディオン・ストジツェ | スロベニア | 0-1 | 0-2 | |
26. | 2003年10月11日 | サン=ドニ、スタッド・ド・フランス | イスラエル | 2-0 | 3-0 | |
27. | 2003年11月15日 | ゲルゼンキルヒェン、アレーナ・アウフ・シャルケ | ドイツ | 0-2 | 0-3 | 親善試合 |
28. | 0-3 | |||||
29. | 2004年6月17日 | レイリア、エスタディオ・Drマガリャエス・ペッソア | クロアチア | 2-2 | 2-2 | |
30. | 2005年2月9日 | サン=ドニ、スタッド・ド・フランス | スウェーデン | 1-1 | 1-1 | |
31. | 2005年3月30日 | ラマト・ガン、ラマト・ガン・スタジアム | イスラエル | 1-0 | 1-1 | 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
32. | 2006年6月7日 | サン=テティエンヌ、スタッド・ジェフロワ=ギシャール | 中華人民共和国 | 1-0 | 3-1 | 親善試合 |
33. | 2006年10月11日 | モンベリアル、スタッド・オーギュスト・ボナール | フェロー諸島 | 4-0 | 5-0 | UEFA EURO 2008予選 |
34. | 5-0 |
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- リーグ・アン (1997, 2000)
- セリエA (2002, 2003)
- セリエB (2007)
- プリメーラB・ナシオナル (2012)
代表
[編集]個人
[編集]- セリエA得点王 (2002)
- セリエA最優秀選手 (2002)
- セリエA最優秀外国人選手 (2002)
- UEFAベストイレブン (2001)
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 98W杯優勝メンバー、仏代表トレゼゲが現役引退…ユーヴェ幹部入りへsoccerking 2015年1月21日
- ^ 元フランス代表のトレゼゲが現役引退へ、古巣ユヴェントスの幹部入りかGoal.com 2015年1月21日
- ^ a b “Joueur - David TREZEGUET”. Fédération Française de Football. 2017年7月5日閲覧。
外部リンク
[編集]- DAVID TREZEGUET OFFICIAL WEB SITE 、 、 、 (公式)
- フランスのサッカー選手
- サッカーフランス代表選手
- CAプラテンセの選手
- ASモナコの選手
- ユヴェントスFCの選手
- エルクレスCFの選手
- バニーヤースSCの選手
- CAリーベル・プレートの選手
- ニューウェルズ・オールドボーイズの選手
- FCプネー・シティの選手
- FIFAワールドカップフランス代表選手
- 1998 FIFAワールドカップ出場選手
- UEFA EURO 2000出場選手
- 2002 FIFAワールドカップ出場選手
- UEFA EURO 2004出場選手
- 2006 FIFAワールドカップ出場選手
- FIFA100
- FIFAワールドカップ優勝選手
- レジオンドヌール勲章シュヴァリエ受章者
- 在イタリア・フランス人
- 在スペイン・フランス人
- アルゼンチン系フランス人
- ルーアン出身の人物
- 1977年生
- 存命人物