コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ダリオ・ヒュブナー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダリオ・ヒュブナー
名前
愛称 イル・ビゾンテ(バイソン、水牛)[1]、タタンカ[1]、サイボーグ
ラテン文字 Dario Hübner
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1967-04-28) 1967年4月28日(57歳)
出身地 ムッジャ
身長 184cm
体重 77kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ダリオ・ヒュブナーDario Hübner1967年4月28日 - )は、イタリアムッジャ出身のサッカー選手。ポジションはフォワード

1991-1992シーズンにセリエC1、1995-1996シーズンにセリエB、2001-02シーズンにセリエA各得点王、セリエA、セリエB、セリエCの全てのカテゴリーで得点王を獲得した選手は、他にプロッティのみである[2]。また、セリエAの得点王に輝きながら、1度もイタリア代表でプレーしていない4選手の一人である(他にプロッティ、ビルディスヴォルクが居る。)[3]

経歴

[編集]

祖父はフランクフルトからイタリアに来たドイツ人[1]。14歳の時、働くために学校を退学し、パン屋で働き始めた[1]。16歳の頃はシャッターやアルミニウム加工品などを作る工場で働きながら、地元のマッギアネーゼでプレーしていたが、サッカーは単なる趣味であった[1]

1987年、20歳の頃、地域リーグのピエヴィジーナへと移籍。ペルゴクレーマを経て、1989年にファーノへ移籍。1991-92シーズンにはセリエCで14得点を挙げ、リーグ得点王を獲得した[1]。1992-93シーズン、ACチェゼーナへ移籍、ここでの5シーズンで、180試合に出場し、83得点を挙げ、クラブの最多得点者となった[1]。この間の1995-96シーズンには22得点を挙げ、セリエBの得点王に輝いた[1]

1997-98シーズン、30歳の時にセリエA(当時)のブレシアからオファーを受けて移籍した[1]。対インテル戦でセリエAデビュー、アンドレア・ピルロのパスからセリエA初得点を決めた[1]。9月13日のサンプドリア戦ではハットトリックを達成した[1]。リーグ戦では16得点を決めたが、チームはセリエBへ降格が決まった[1]。それでもチームに残留し、2シーズンをセリエBの舞台でプレーした。2000-01シーズンはにチームはセリエA再昇格を果たし、はロベルト・バッジョとのコンビでゴールを量産した[1]。このシーズンのコッパ・イタリアでは7得点を挙げ、チームは準決勝まで進出した[1]。この頃、殆ど選手を褒めることがないファビオ・カペッロも、「ここ10年のイタリアで、ベスト3から4に入るストライカーの1人だと」と称賛した[1]

2001-02シーズン、プレミアリーグのリーズ・ユナイテッドから高額のオファーを受けたが、これを断り、セリエAに昇格したピアチェンツァへ加入した[1]。ここでも決定力を発揮し、35歳にして24得点を挙げ、ダビド・トレゼゲユヴェントス)と並んで得点王を獲得、35歳での得点王は最年長記録となった[1]。2002-03シーズンはチームのセリエA残留は成し得なかったが、ヒュブナー自身は14得点をマークした。

2003-04シーズンよりセリエA昇格を果たしたアンコーナに加入するも、9試合で無得点と活躍は出来ず、シーズン途中で不振に苦しむペルージャへ移籍[1]。ペルージャがセリエB降格後、マントヴァに移籍した[1]

2006年からは、エッチェンレンツアリーグ(4部相当)に在籍するオルサコルテフランカでプレーし、2009年にカステル・メッラに移籍した。

備考

[編集]
  • 2002年5月、ACミランのアメリカ遠征に参加し、3試合に出場したが、移籍は実現しなかった[1]。この時、ロッカールームで煙草を吸い、ビールを飲んでいたため、ミランへの移籍が実現しなかったという憶測があったが、本人が否定した[1]
  • トレヴィーゾのキャンプに参加を要請された時、兵役に就く予定だったが、人員超過の為に兵役を免除されキャンプ参加が可能に。この時にピエヴィジーナと練習試合をし、ピエヴィジーナにスカウトされる。
  • チェゼーナ在籍時、インテルからのオファーを受けるも交換要員のマルコ・デルベッキオが拒否して結局移籍出来なかった。本人はインテリスタである。また、本人のヒーローはルンメニゲアルトベッリである。
  • クレーマにてバール『タタンカ』(バッファローの意)を経営している。

所属クラブ

[編集]

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
1987-88 ピエヴィジーナ Int. 25 10
1988-89 ペルゴクレーマ C2 28 6
1989-90 2 0
ファーノ 27 8
1990-91 C1 30 4
1991-92 31 14
1992-93 チェゼーナ B 34 10
1993-94 32 12
1994-95 33 15
1995-96 36 22
1996-97 31 15
1997-98 ブレシア A 30 16
1998-99 B 36 21
1999-00 32 21
2000-01 A 31 17
2001-02 ピアチェンツァ 33 24
2002-03 27 14
2003-04 アンコーナ 9 0
ペルージャ 13 3
2004-05 マントヴァ C1 23 7
2005-06 キアリ D 15 9
ロンデンゴ・サイアーノ 25 18
2006-07 オルサコルテフランカ Ecc. 27 10
2007-08 17 20
2008-09 20 18
2009-10 カステル・メッラ      
通算 イタリア セリエA 143 74
イタリア セリエB 234 116
イタリア セリエC1 84 25
イタリア セリエC2 57 14
イタリア セリエD 40 27
イタリア セリエEcc.
イタリア セリエInt. 25 10
総通算

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u Dario Hübner, 'Il Bisonte' del goal: "Senza grappa e sigarette il più forte di tutti"”. GOAL (2023年4月28日). 2023年8月27日閲覧。
  2. ^ Il capocannoniere retrocesso: Igor Protti, bomber anti-divo in 3 serie diverse”. GOAL (2022年9月24日). 2023年8月27日閲覧。
  3. ^ Pietro Paolo Virdis, 'il bomber di Sindia': dal Cagliari a campione d'Europa col Milan di Sacchi”. GOAL (2022年1月26日). 2023年8月15日閲覧。