ダリオ・ヒュブナー
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名前 | ||||||
愛称 | イル・ビゾンテ(バイソン、水牛)[1]、タタンカ[1]、サイボーグ | |||||
ラテン文字 | Dario Hübner | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1967年4月28日(57歳) | |||||
出身地 | ムッジャ | |||||
身長 | 184cm | |||||
体重 | 77kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ダリオ・ヒュブナー(Dario Hübner、1967年4月28日 - )は、イタリア・ムッジャ出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。
1991-1992シーズンにセリエC1、1995-1996シーズンにセリエB、2001-02シーズンにセリエA各得点王、セリエA、セリエB、セリエCの全てのカテゴリーで得点王を獲得した選手は、他にプロッティのみである[2]。また、セリエAの得点王に輝きながら、1度もイタリア代表でプレーしていない4選手の一人である(他にプロッティ、ビルディス、ヴォルクが居る。)[3]。
経歴
[編集]祖父はフランクフルトからイタリアに来たドイツ人[1]。14歳の時、働くために学校を退学し、パン屋で働き始めた[1]。16歳の頃はシャッターやアルミニウム加工品などを作る工場で働きながら、地元のマッギアネーゼでプレーしていたが、サッカーは単なる趣味であった[1]。
1987年、20歳の頃、地域リーグのピエヴィジーナへと移籍。ペルゴクレーマを経て、1989年にファーノへ移籍。1991-92シーズンにはセリエCで14得点を挙げ、リーグ得点王を獲得した[1]。1992-93シーズン、ACチェゼーナへ移籍、ここでの5シーズンで、180試合に出場し、83得点を挙げ、クラブの最多得点者となった[1]。この間の1995-96シーズンには22得点を挙げ、セリエBの得点王に輝いた[1]。
1997-98シーズン、30歳の時にセリエA(当時)のブレシアからオファーを受けて移籍した[1]。対インテル戦でセリエAデビュー、アンドレア・ピルロのパスからセリエA初得点を決めた[1]。9月13日のサンプドリア戦ではハットトリックを達成した[1]。リーグ戦では16得点を決めたが、チームはセリエBへ降格が決まった[1]。それでもチームに残留し、2シーズンをセリエBの舞台でプレーした。2000-01シーズンはにチームはセリエA再昇格を果たし、はロベルト・バッジョとのコンビでゴールを量産した[1]。このシーズンのコッパ・イタリアでは7得点を挙げ、チームは準決勝まで進出した[1]。この頃、殆ど選手を褒めることがないファビオ・カペッロも、「ここ10年のイタリアで、ベスト3から4に入るストライカーの1人だと」と称賛した[1]。
2001-02シーズン、プレミアリーグのリーズ・ユナイテッドから高額のオファーを受けたが、これを断り、セリエAに昇格したピアチェンツァへ加入した[1]。ここでも決定力を発揮し、35歳にして24得点を挙げ、ダビド・トレゼゲ(ユヴェントス)と並んで得点王を獲得、35歳での得点王は最年長記録となった[1]。2002-03シーズンはチームのセリエA残留は成し得なかったが、ヒュブナー自身は14得点をマークした。
2003-04シーズンよりセリエA昇格を果たしたアンコーナに加入するも、9試合で無得点と活躍は出来ず、シーズン途中で不振に苦しむペルージャへ移籍[1]。ペルージャがセリエB降格後、マントヴァに移籍した[1]。
2006年からは、エッチェンレンツアリーグ(4部相当)に在籍するオルサコルテフランカでプレーし、2009年にカステル・メッラに移籍した。
備考
[編集]- 2002年5月、ACミランのアメリカ遠征に参加し、3試合に出場したが、移籍は実現しなかった[1]。この時、ロッカールームで煙草を吸い、ビールを飲んでいたため、ミランへの移籍が実現しなかったという憶測があったが、本人が否定した[1]。
- トレヴィーゾのキャンプに参加を要請された時、兵役に就く予定だったが、人員超過の為に兵役を免除されキャンプ参加が可能に。この時にピエヴィジーナと練習試合をし、ピエヴィジーナにスカウトされる。
- チェゼーナ在籍時、インテルからのオファーを受けるも交換要員のマルコ・デルベッキオが拒否して結局移籍出来なかった。本人はインテリスタである。また、本人のヒーローはルンメニゲとアルトベッリである。
- クレーマにてバール『タタンカ』(バッファローの意)を経営している。
所属クラブ
[編集]- 1987-1988 ピエヴィジーナ
- 1988-1989 ペルゴクレーマ
- 1989-1992 ファーノ
- 1992-1997 ACチェゼーナ
- 1997-2001 ブレシア・カルチョ
- 2001-2003 ピアチェンツァ・カルチョ
- 2003-2004 アンコーナ・カルチョ
- 2004-2005 ACペルージャ
- 2004-2005 ACマントヴァ
- 2005-2006 ACキアリ1912
- 2005-2006 ACロンデンゴ・サイアーノ
- 2006-2009 オルサコルテフランカ
- 2009-2010 カステル・メッラ
- 2010-2011 カヴェナーゴ
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1987-88 | ピエヴィジーナ | Int. | 25 | 10 | |||||||
1988-89 | ペルゴクレーマ | C2 | 28 | 6 | |||||||
1989-90 | 2 | 0 | |||||||||
ファーノ | 27 | 8 | |||||||||
1990-91 | C1 | 30 | 4 | ||||||||
1991-92 | 31 | 14 | |||||||||
1992-93 | チェゼーナ | B | 34 | 10 | |||||||
1993-94 | 32 | 12 | |||||||||
1994-95 | 33 | 15 | |||||||||
1995-96 | 36 | 22 | |||||||||
1996-97 | 31 | 15 | |||||||||
1997-98 | ブレシア | A | 30 | 16 | |||||||
1998-99 | B | 36 | 21 | ||||||||
1999-00 | 32 | 21 | |||||||||
2000-01 | A | 31 | 17 | ||||||||
2001-02 | ピアチェンツァ | 33 | 24 | ||||||||
2002-03 | 27 | 14 | |||||||||
2003-04 | アンコーナ | 9 | 0 | ||||||||
ペルージャ | 13 | 3 | |||||||||
2004-05 | マントヴァ | C1 | 23 | 7 | |||||||
2005-06 | キアリ | D | 15 | 9 | |||||||
ロンデンゴ・サイアーノ | 25 | 18 | |||||||||
2006-07 | オルサコルテフランカ | Ecc. | 27 | 10 | |||||||
2007-08 | 17 | 20 | |||||||||
2008-09 | 20 | 18 | |||||||||
2009-10 | カステル・メッラ | ||||||||||
通算 | イタリア | セリエA | 143 | 74 | |||||||
イタリア | セリエB | 234 | 116 | ||||||||
イタリア | セリエC1 | 84 | 25 | ||||||||
イタリア | セリエC2 | 57 | 14 | ||||||||
イタリア | セリエD | 40 | 27 | ||||||||
イタリア | セリエEcc. | ||||||||||
イタリア | セリエInt. | 25 | 10 | ||||||||
総通算 |
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u “Dario Hübner, 'Il Bisonte' del goal: "Senza grappa e sigarette il più forte di tutti"”. GOAL (2023年4月28日). 2023年8月27日閲覧。
- ^ “Il capocannoniere retrocesso: Igor Protti, bomber anti-divo in 3 serie diverse”. GOAL (2022年9月24日). 2023年8月27日閲覧。
- ^ “Pietro Paolo Virdis, 'il bomber di Sindia': dal Cagliari a campione d'Europa col Milan di Sacchi”. GOAL (2022年1月26日). 2023年8月15日閲覧。