ダイオメド
ダイオメド | |
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George Stubbsによる肖像 | |
欧字表記 | Diomed |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1777年 |
死没 | 1808年 |
父 | フロリゼル |
母 | スペクテイターメア |
生国 | グレートブリテン王国 |
生産者 | リチャード・ヴァーノン |
馬主 | トマス・チャールズ・バンベリー |
調教師 | R. ティアズデール |
競走成績 | |
生涯成績 | 20戦11勝(諸説あり) |
ダイオメド(Diomed、1777年 - 1808年)はイギリスの競走馬。第1回エプソムダービーの勝ち馬である。種牡馬としては当初失敗したと思われていたが、アメリカに渡り成功した。
馬主のチャールズ・バンベリー準男爵は初代ジョッキークラブ会長にして、第12代ダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリーとダービーの名前を譲り合いコイントスしたことでも知られ、記念すべき第1回エプソムダービーを優勝した。
戦績
[編集]当初のエプソムダービーは決してレベルの高い競走ではなかったが、ダイオメド自身はデビューから7連勝でエプソムダービーを制したほどの強豪で、その後連勝記録を10に伸ばしている。その間に勝ったおもなレースは、500ギニーのステークス、ペラムプレート、カタルパとのマッチレース、フォーテスキューステークス、クラレットステークスそのほか100-200ギニーの当時としては高賞金のステークスが含まれている。
クラレットステークスの次に出走したノッチンガムステークスで初めて敗北すると、その後はキングズプレートに勝ったのみで5歳時のロイヤルプレート後にハ行を発症し引退した。
引退後のダイオメドはまったく人気がなく、初年度にクラレットステークス、ジョッキークラブプレートに勝ったグレイダイオメドを出したもののそれ以降は下降線をたどり、1796年には50ギニーでアメリカに売られた。アメリカでは高齢ながらサーアーチーを出し、30歳のときには名牝ハイニーズマリアを出した。サーアーチーは種牡馬として成功し、孫のレキシントンはアメリカリーディングサイアーを16回獲得している。これらを通じて初期のアメリカサラブレッド、およびクォーターホースに大きな影響を残した。なお、父方直系子孫は20世紀末にほとんど滅び、クォーターホースに入って成功した子孫も20世紀後半に勢力の大半を失った。今日では母系に入って影響を残すのみである。
おもな産駒
[編集]- ヤングジャイアンテス - ソーサラーの母
- サーアーチー - アメリカ大種牡馬
- ハイニーズマリア
血統表
[編集]ダイオメドの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ヘロド系 |
[§ 2] | ||
父 Florizel I 鹿毛 1768 |
父の父 Herod鹿毛 1758 |
Tartar | Partner | |
Meliora | ||||
Cypron | Blaze | |||
Selima | ||||
父の母 Cygnet Mare芦毛 1761 |
Cygnet | Godolphin Arabian | ||
Blossom | ||||
Young Cartouch Mare | Young Cartouch | |||
Ebony | ||||
母 Spectator Mare 鹿毛 1763 |
Spectator 鹿毛 1749 |
Crab | Alcock's Arabian | |
Sister to Soreheels | ||||
Partner Mare | Partner | |||
Bonny Lass | ||||
母の母 Horatia鹿毛 1758 |
Blank | Godolphin Arabian | ||
Little Hartley Mare | ||||
Flying Childers Mare | Flying Childers | |||
Miss Belvoire | ||||
母系(F-No.) | 6号族(FN:6-b) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 |
|
[§ 4] | ||
出典 |
出典
[編集]- ^ a b c “血統情報:5代血統表|Diomed(GB)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年7月23日閲覧。
- ^ a b “Diomedの血統表 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2022年7月23日閲覧。