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ギュルセル・イスマイルザーデ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ギュルセル・グドラト・オグル・イスマイルザーデ[1]アゼルバイジャン語: Gürsel Qüdrət oğlu İsmayılzadə英語: Gursel Qudrat oglu Ismayilzada1971年1月15日 - )は、アゼルバイジャン共和国外交官アゼルバイジャン共和国バクー出身。駐日アゼルバイジャン共和国特命全権大使。

イスマイルザーデ大使は、駐日コスタリカ大使アレクサンダー・サラス・アラヤに次いで[2][3]平成令和の二度にわたって信任状を捧呈した二人目の駐日大使である[4][5]

人物・経歴

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アゼルバイジャン共和国バクー出身[6]。1987年、アゼルバイジャンバクー第62高等学校卒業[6]。1992年、バクー国立大学オリエンタル語学部アラビア語学科卒業[6]。1992年、アゼルバイジャン国立科学アカデミーアラブ諸国研究所研究生[6]。1993年、外務省儀典部3等書記官[6]。1997年、筑波大学留学生センター日本語予備教育コース卒業[6]。2000年、上智大学大学院外国語学研究科国際関係論専攻博士前期課程修了(国際関係論修士号取得)[6]。2004年、上智大学大学院外国語学研究科国際関係論専攻博士後期課程満期退学[6]

2005年、アゼルバイジャン共和国外務省アジア局東・東南アジア諸国部1等書記官[6]。同年9月、駐日アゼルバイジャン共和国大使館1等書記官[6]。2006年、駐日アゼルバイジャン共和国大使館参事官・副大使[6]。2010年、同外務省アジア局参事官[6]。同年、同外務省・外務大臣補佐官[6]。2011年、駐日アゼルバイジャン共和国特命全権大使[6]。同年12月5日、皇居皇太子徳仁(当時。令和時代の今上天皇)に信任状を捧呈し、駐日大使として正式に就任した[4]。2019年1月15日、大統領令により駐日大使を解任[7]

2020年3月12日、イルハム・アリエフ大統領より再度、駐日大使に任命される[7]。同年7月8日、皇居で天皇に信任状を捧呈した[5]

2020年8月6日、原爆投下から75年目を迎える広島で開催された平和記念式典に参列し、原爆死没者への哀悼と平和への祈りを捧げた[8]

インタビュー

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  • 一般社団法人ロシアNIS貿易会『ロシアNIS調査月報 2014年11月号』pp.74-79 所収「キーパーソンに訊く 明治日本に学ぶアゼルバイジャン : G.イスマイルザーデ駐日アゼルバイジャン共和国特命全権大使」[9][10]

脚注

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  1. ^ ギュルセル・イスマイルザーデアゼルバイジャン語: Gürsel İsmayılzadə英語: Gursel Ismayilzada)と呼ばれることも少なくない。
  2. ^ 外務省: 新任駐日コスタリカ共和国大使の信任状捧呈について
  3. ^ 駐日コスタリカ大使の信任状捧呈|外務省
  4. ^ a b 外務省: 新任駐日アゼルバイジャン共和国大使の信任状捧呈
  5. ^ a b 駐日アゼルバイジャン大使の信任状捧呈|外務省
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n ギュルセル・イスマイルザーデ閣下 略歴 CURRICULUM VITAE 2020年1月12日閲覧
  7. ^ a b Tanınmış alimin oğlu, 4 dil bilən səfir - FOTOLAR (DOSYE) (アゼルバイジャン語)
  8. ^ 令和2年(2020年)度の平和記念式典参列大使 - 広島市公式ホームページ
  9. ^ ロシアNIS調査月報 2014年11月号 特集◆ロシア自動車市場の期待と不透明感
  10. ^ イスマイルザーデ, ギュルセル「キーパーソンに訊く 明治日本に学ぶアゼルバイジャン : G.イスマイルザーデ駐日アゼルバイジャン共和国特命全権大使」『ロシアNIS調査月報』第59巻第11号、ロシアNIS貿易会、2014年11月、74-79頁、ISSN 1881-4425NAID 40020242530 

外部リンク

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公職
先代
本人(前任者を挟まずに再任)
アゼルバイジャンの旗 駐日アゼルバイジャン大使 日本の旗
2020年~
次代
(現職)
先代
アゼル・トフィグ・オグル・ホセイン
アゼルバイジャンの旗 駐日アゼルバイジャン大使 日本の旗
2011年~2019年
次代
本人(後任者を挟まずに再任)