コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

西武鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。R463 (会話 | 投稿記録) による 2009年11月8日 (日) 04:41個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (関連項目)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

西武鉄道株式会社
SEIBU Railway Co., Ltd.
右:西武鉄道本社 左:西武グループ各社本社の入居する第二ビル
種類 株式会社
市場情報 非上場
東証1部 9002
2004年12月17日上場廃止
略称 西武
本社所在地 日本の旗 日本
359-8520
埼玉県所沢市くすのき台一丁目1番地1
設立 1894年(明治27年)12月21日
業種 陸運業
法人番号 4013301006264 ウィキデータを編集
事業内容 旅客鉄道事業 他
代表者 後藤高志(取締役社長)
資本金 216億6,523万2千円
(2005年3月31日現在)
売上高 1,879億42百万円(2008年3月期)
総資産 690億88百万円(2008年3月31日現在)
従業員数 3,289人(2004年度末現在)
決算期 3月31日
主要株主 (株)西武ホールディングス 100%
関係する人物 堤康次郎
外部リンク www.seibu-group.co.jp/railways/
テンプレートを表示

西武鉄道株式会社(せいぶてつどう、英称SEIBU Railway Co., Ltd.)は、埼玉県所沢市に本社を置く民間の鉄道事業者

東京都北西部から埼玉県南西部に路線を有する鉄道・沿線・不動産事業を行う西武グループの主要企業で、大手私鉄の一つである。

1986年の新宿線田無駅列車追突事故以来、安全性への意識が非常に高く、社員への指導がとても厳しい鉄道会社として知られる。

かつては東証一部に上場していたが、有価証券報告書の虚偽記載が発覚したため、2004年12月16日を以て取引を終了し、翌17日上場廃止となった。一方、当時の西武鉄道社長は「ジャスダック上場に総力を挙げる」としていたが、同年度内の上場はなかった。再上場する可能性は高いと言われていたが、2006年3月27日の西武グループの再編により、グループ持株会社の西武ホールディングスの子会社となっている。

西武鉄道の路線の利用客は西武鉄道のことを「西武線」と呼ぶことが多い。

また、日本プロ野球埼玉西武ライオンズの親会社である。


方針・特色

西武鉄道は東京急行電鉄と同じように企業の多角化が大手他社よりも早く行われ、また自社の不動産が大きな利益を上げている。他社に比べ土地の買収が早く西武沿線だけでなく、京浜急行電鉄沿線、千葉房総伊豆箱根地方にまで及んでいる。七里ヶ浜海岸を私有地として保有していて、海岸を持つ数少ない鉄道会社となっている。土地を多く所有するため勢力が強い。また、自社沿線での収入よりこちらの方が主となっている。また、大手私鉄では唯一自社所属グループ内に百貨店などの流通系商業店をもっていない。これは、創業者である堤康次郎死後の後継ぎ争いにより、西武鉄道グループ(現、西武グループ)と西武流通グループ(現、セゾングループ)の2グループに分裂してしまったためだ。クレディセゾンもセゾングループだが、旧グループが同じだったことから西武グループのポイントカードである西武プリンスカードの親カード会社となって提携している。西武百貨店の小店舗として登場した西友(登場時、西武ストアー)が西武沿線に多いのは、グループ分裂前に発展過程で店舗の土地を貸し出しているのが、現在まで継続しているからである。しかし、西友との繋がりは未だに深く、西武鉄道の開発するニュータウンや駅改良工事後に、西友の新店舗が開店することが多い。

戦後、西武鉄道の復興は他社に比べ目覚ましいものだった。大手他社が国鉄モハ63形の割当てにより体制を整えようとしている中、西武鉄道では国鉄の戦災車や事故車、これらが枯渇すると老朽廃車となった木製車を大量に譲り受け、自社(当時は復興社のちに西武建設経営)の所沢車輌工場で改造、修繕や木造車体の鋼体化を実施した。これにより、63系新製割当ての見返りに従来車を地方私鉄に供出する義務から解放され、輸送力増強を成し遂げたのである[1]。国鉄の改造車ばかり走っていたことから、利用者からは「第2の国鉄」とまで呼ばれていた。徐々に車両数が増えると車体を新造するようになったが、台車や機械類は国鉄から譲り受けたものだった。

しかし、昭和29年(1954年)からようやく車体の完全新造が始まった。この時、登場した351系(登場当時501系)はこれから長きにわたる西武電車の基本デザイン「湘南デザイン」を確立した。この時の西武線を走っている電車と言えば、雑多な形態の電車を連結して、武蔵野台地を駆け巡るという印象が強かった。戦後の西武鉄道の方針は「質より量」で、車両の高速化はいち早く実施されてはいるものの他社では昭和20年代終盤から登場したいわゆる高性能車の導入はせず、他系列との併結を考慮し性能の統一化を図ることから、一貫して旧来の吊り掛け駆動の増備を続けていた。その後登場した西武初の高性能車とも言えるカルダン駆動の601系・701系電車にしても、旧来の吊り掛け駆動車との併結が前提で、機能的には動力伝達方式をアップデートしただけの代物であり、吊り掛け駆動車と併結することによってカルダン駆動本来の性能を発揮できていなかった。電動車の台車は新製されるようになったものの、付随車の台車は国鉄から譲り受けた旧式な釣合梁式のTR11系の改造品であった。従来車との混用を考慮しない、電気制動を可能とした真の意味での高性能車が導入されたのは、西武秩父線開業を控えた、実に昭和40年代中盤のことであった。

昭和38年(1963年)11月1日からは、他社がまだ8両編成を組むこともままならない時に、西武鉄道では池袋-所沢間に日本の私鉄で初めて10両編成を走らせ、輸送力を確保した。地味で車両に関してあまり話題性がなかったため鉄道ファンの目からは外されぎみだった。この時、まだ西武線では吊り掛け駆動車ばかり走らせていて、電車の走行時の騒音で利用者が西武線を避けるようになるのではないかと地元の鉄道ファンは気にしていたが、「騒音は鉄道ファンは気にしても、一般の利用客は気にしない。」という当時の西武鉄道の考えが見事に的中し、利用客からは電車の両数が多いという理由からとても好評だったという。[要出典]エラー: タグの中に無用な文字が含まれていないか、{{要出典範囲}}と{{要出典}}を間違えていないかを確認してください。貼り付け年月は「date=yyyy年m月」、チップテキストに表示する文字列は「title=文字列」と指定してください。

昭和44年(1969年)には他社より一足早く、自社のイメージの確立に乗り出し、現在でも利用者の西武鉄道のイメージである「黄色い電車」の第1号となる101系[2]が登場する。その後101系で冷房試作車が登場、翌年集中式冷房の採用が決定したのをきっかけに在来車両の高性能化[3]及び冷房化が急ピッチで施行されるようになった。昭和60年(1985年)3月末現在の電車保有数は912両で、うち97%が高性能車、冷房化率も91%で関東大手私鉄中第1位に位置するようになり、20年前の「質より量」と言っていた西武鉄道と比較すれば一転したことがわかる[4]。戦後、復興の際の経営戦略が非常にユニークで他鉄道会社と異なっていることから、現在の沿線イメージ、会社イメージ共に他の関東圏私鉄と比較するとやや異質の存在として見られていることが多い。[5]

昭和61年(1986年)に西武鉄道本社は東京都豊島区から埼玉県所沢市へと移転した[6]。多くの関東圏鉄道会社は現在も東京23区内に本社を置く場合が多いが、このように中心機能を東京の中心地から離した例は、ほかに京王電鉄がある。本社移転の狙いは、本線が2本交わる所沢駅を中心とした都市開発を行い、沿線の開発・活性化を実施しやすくするためである。また、沿線の状態や輸送サービスの実態も確認しやすくなる。京王電鉄も同じような狙いで本社移転をしている。

平成16年(2004年)春に総会屋への利益供与問題、10月に有価証券報告書虚偽記載問題が発覚し当時会長の堤義明が退任するまで、西武鉄道は同族資本として残った最後の大手私鉄であった。その後は現在の代表取締役社長となる後藤高志が西武鉄道の新しい体制を築きあげ始めた。この新体制で特徴的なのが自社のイメージチェンジである。その第一陣として登場したのが西武のイメージトレイン30000系(スマイルトレイン)である。今までの西武鉄道を思わせる「硬い」雰囲気に一線を画し「ソフトさ」をイメージしている。

平成19年(2007年)、西武鉄道が中核となる西武グループのスローガン「でかける人を、ほほえむ人へ。」が表すように、現在は他社と同じく、量はもとより質の向上にも力を入れるようになった。平成19年(2007年)には社内に「スマイル&スマイル部」が開設され、鉄道ファンや子供に対するイベントを、年間多く実施・企画し沿線の人にもっと西武線と親しんでもらおうと考えている。

現在、他社で運用上の固定編成化が進む中、未だに柔軟で経済的な車両両数で、その運用に合った運行を続けている。平成20年(2008年)には30000系から2両固定編成が登場している。

お客様センターでの意見・要望の募集も活発で、本当に利用者がこれがあればとても便利と思えるものを真っ先に行い、新型車両の大量生産や連続立体交差化事業に至ってはかなり慎重になり後回しとなっている。平成8年(1996年)から平成11年(1999年)にかけて行われた田無駅の改築以降から駅のバリアフリー化や建て替え工事、待合室の設置などが盛んに行われるようになり、利用者の不満も少しずつ解消しているという。

近年は東京の再開発が行われるようになったため、東京移住者が増加傾向にある。西武鉄道の利用者の数は減ってはいないものの隣の京王電鉄などと比較すると増加の割合は約3%も西武鉄道の方が少ない(2009年度現在)。他社では利用客の増加に対応し線路の複々線化が活発であるが(特に小田急電鉄)、少子高齢化が進行すれば利用客の減少が近いうちに問題となることを予想し、西武鉄道では複々線化について歯止めをかけている。

コーポレートマーク

ファイル:Old seibu logo.jpg
2007年3月31日まで使用された西武鉄道系列会社の旧コーポレートマーク

旧コーポレートマーク

もともと西武軌道が使用していた社章で、西武の"西"をモチーフにしている。2007年4月1日に西武鉄道とその子会社の社章が新社章に変更されたため現在の西武鉄道では使用されていないが、一部既存車両の側面にまだ旧社章が取り付けられている形式が存在する。しかし、これも現在徐々にではあるが取り外しが進行中である。 また、西武グループ再編をした2006年3月27日以前の西武鉄道の子会社(西武建設や西武観光など)では現在もこの社章を使用している。

現在、西武鉄道と西武不動産で使用されている新コーポレートマーク

新コーポレートマーク

新生西武鉄道を象徴する一環として2007年4月1日から使用が開始されている。西武鉄道のシンボル。旧社章と同じように、西武の"西"をモチーフにしている。それぞれマークの形の意味として、2つの輪は、さまざまなものが鉄道によって出会いつながる姿を、果実のようなデザインは、交流によって生まれる「実り」=「地域・社会の発展」を表現。カラーリングでは、グリーンで「自然との調和」、濃いブルーで「信頼」と「安心・安全」、明るいブルーで「新しいことへの挑戦」をイメージしている。2008年4月からは既存車両側面に表示されるようになり、同時に西武鉄道の制服もリニューアルされるなどして、多くの場所でこの社章を見かけるようになった。


歴史

東村山市北山公園にて(青空を快走する黄色い電車、新101系
西武のイメージトレイン。30000系(スマイルトレイン)。

西武鉄道は、現在の池袋線系統の路線を開業した武蔵野鉄道が、新宿線系統の路線を開業した西武鉄道(旧)を合併してできた会社である。

武蔵野鉄道

武蔵野鉄道は、1911年明治44年)10月18日に鉄道免許を取得し、1912年大正元年)5月7日に設立、当初は巣鴨駅を起点とする計画であったが東京府池袋駅を起点にするよう指示したため1913年(大正2年)4月に計画が変更、1915年(大正4年)4月15日に現在の池袋線の一部である池袋 - 飯能間を開業した。1922年(大正11年)に池袋 - 所沢間、1925年(大正14年)に飯能までの全線を電化し、1929年(昭和4年)9月10日に吾野まで開業させた。なお豊島線は1927年(昭和2年)に、狭山線は1929年(昭和4年)に開業している。

一方、1924年(大正13年)箱根土地(後のコクド。現在のプリンスホテル)が武蔵野鉄道沿線の北豊島郡大泉村に大泉学園都市の分譲を開始。武蔵野鉄道に東大泉駅(現在の大泉学園駅)を建設の上寄贈する。翌1925年には武蔵野鉄道の株式を取得した。また、箱根土地は1928年(昭和3年)村山貯水池(多摩湖)及び小平地区一帯を開発すべく、多摩湖鉄道を設立。4月6日に国分寺 - 萩山間を開業し、1936年(昭和11年)12月30日に村山貯水池まで開業させ、全通した。

1932年(昭和7年)に箱根土地社長の堤康次郎滋賀県出身)が経営危機に陥っていた武蔵野鉄道の株式を買い集め、再建に乗り出す。1934年(昭和9年)8月28日、武蔵野鉄道は鉄道抵当法に基づく強制執行が実施され、運賃収入が強制管理人に差し押さえられる(1937年(昭和12年)まで)。1935年(昭和10年)には電力料金11万円滞納を理由に東京電燈から制限送電を受け、経営は一層苦境に立たされるが、1936年(昭和11年)に武蔵野鉄道と債権者の間で和議が成立する。1938年(昭和13年)、大口債権者である東武鉄道の初代社長初代根津嘉一郎らがようやく債務免除に応じ、経営再建に道筋をつけた。

1940年(昭和15年)3月12日、武蔵野鉄道は同系の多摩湖鉄道を吸収合併する。10月、堤は根津及び浅野財閥(元々の親会社)から株式を取得し、過半数を確保、社長に就任した(長年、西武鉄道株式のうち約45%を箱根土地の後身会社であるコクドが保有していて、他に西武建設の保有分を合わせると関連会社による持分が過半数を占めていたのはこの一件に由来するものである)。

西武鉄道(旧)

西武鉄道(旧)は、1892年(明治25年)8月5日に設立し、1894年(明治27年)12月21日に現在の西武国分寺線である国分寺駅 - 久米川(仮)駅(現在の東村山駅)間を開業させた川越鉄道に始まる。川越鉄道は1895年(明治28年)3月21日に、現在の西武新宿線の一部である久米川(仮)駅 - 川越駅(現在の本川越駅)間を開業後、1920年(大正9年)6月1日武蔵水電に吸収合併された。武蔵水電は1906年(明治39年)4月16日に川越久保町 - 大宮間の大宮線を開業させた川越電気鉄道がその前身である。

1921年(大正10年)10月、武蔵水電は同年に淀橋町角筈 - 荻窪村間を開業させていた西武軌道を吸収合併した。「西武」の名前はこの会社が起源であり、現在の西武鉄道が2007年3月まで使用していた西武の西という字を図案化した社章もこの会社のものであった(ただし、6000系・10000系・20000系以外の現在も残っている車種は一部を除き2009年現在でもその旧社章を使用しているが、更新工事を施工した車両では取り外されている)。翌1922年(大正11年)6月1日に武蔵水電は帝国電灯に吸収合併されたが、帝国電灯は鉄軌道部門を切り離し、武蔵鉄道として独立する。同社は、同年8月15日西武鉄道(旧)に社名を変更した。

1925年(大正14年)安比奈線南大塚 - 安比奈間開業。1927年(昭和2年)4月16日に東村山 - 高田馬場間を複線で開業。同年8月30日には、現在の多摩川線を開業させていた多摩鉄道を吸収合併した。同年には、東村山 - 川越間を電化し、高田馬場 - 川越間の直通運転を開始した。

1935年(昭和10年)12月27日、西武軌道線(淀橋町角筈 - 荻窪村間)を東京乗合自動車に委託した。委託後、同区間を譲渡(1951年)するまでの歴史は、都電杉並線#歴史を参照のこと。

1941年(昭和16年)、前年に川越線の開業に伴い休止していた大宮線を2月25日に廃止した。

1944年(昭和19年)6月、戦時下の食糧不足に対応するため、沿線の耕地を利用した大規模食糧供給を目的に、食糧増産株式会社を設立した。

また1944年には、東京都からの委託によって糞尿輸送が開始された。当時都内の糞尿処理は、トラックで湾岸へ運び船で東京湾へ捨てていたが、人手不足とガソリン統制により、処理が追いつかなくなっていた。そこで東京都長官大達茂雄からの要請で、武蔵野鉄道と西武鉄道(旧)と食糧増産の3社が一体となり、専用貨車と積込所・貯溜施設を造って大規模な糞尿処理にあたることとなったのである。同年9月10日夜から普通貨車による糞尿運搬の臨時運転を開始し、11月21日には専用貨車を用いた本運転に入った。この糞尿輸送列車は、「汚穢電車」[7]「黄金電車」「黄金列車」などと呼ばれた。

この時の輸送力はあまり高いものではなく、積込所も2か所、貯溜槽も7か所しかなかった。社長の堤康次郎はさらに輸送規模を拡大させ、当時都内から排泄されていた1日約38,000の糞尿すべてを処理できるように構想を立てた。専用貨車を115両新造して輸送能力を1日20,000石に上げるとともに、両鉄道沿線の数十箇所に糞尿貯溜槽を置き、約271,000石の糞尿をためられるようにする。そして輸送は主に深夜に行い、その帰りは貨車の上に特設台を設置し、都内向けの野菜を運搬しようというものであった。

しかし衛生面などで問題が続出してしまい、糞尿輸送は次第にその輸送量を減らして行った。書類上は1953年(昭和28年)3月30日までの契約であったが、実際には1951年に輸送が休止して以降再開されないままの廃止で、堤の輸送拡大構想は結局実行されないまま終わった。

なおこの糞尿輸送が行われている最中に武蔵野鉄道と西武鉄道(旧)と食糧増産の3社が合併しているが、社名に「農業」を付して「西武農業鉄道」とした由来はこのようなことにある。

合併から現在まで

  • 1945年(昭和20年)9月22日 - 武蔵野鉄道は西武鉄道(旧)と食糧増産を吸収合併して西武農業鉄道に改称。これは陸上交通事業調整法に基づくものであったが、実際の合併は食糧増産に対する運輸通信省の査定に時間が掛かり、終戦後となった。
  • 1946年(昭和21年)
    • 11月15日 - 西武農業鉄道は現在の西武鉄道に改称。バス事業を武蔵野自動車(現:西武バス)に譲渡、分社化。
  • 1950年(昭和25年)
  • 1951年(昭和26年)
    • 4月5日 - 元西武軌道の路線で東京乗合自動車時代の1935年から業務を委託していた新宿軌道線を正式に東京都交通局に譲渡。
    • 9月16日 - おとぎ線上堰 - ユネスコ村間開業。
  • 1952年(昭和27年)
    • 3月25日 - 高田馬場 - 西武新宿間が開業。
    • 7月15日 - おとぎ線多摩湖ホテル前 - ユネスコ村間を地方鉄道に転換し山口線に改称(おとぎ線・おとぎ列車は愛称として残る)。
  • 1954年(昭和29年) - 戦後初の新造車501系(初代、のちの351系)登場。
  • 1957年(昭和32年) - 本線での蒸気機関車運用廃止。
  • 1959年(昭和34年) - 451系登場。
  • 1960年(昭和35年)11月 - 新宿線西武新宿 - 上石神井間で6両運転開始。
  • 1961年(昭和36年)
    • 551系登場
    • 12月、池袋 - 所沢間で急行8両運転開始。新宿線西武新宿 - 田無間で6両運転開始。
  • 1962年(昭和37年)
  • 1963年(昭和38年)
    • 池袋 - 所沢間で私鉄初の10両運転開始
    • 701系登場。
  • 1964年(昭和39年)4月26日 - 西武グループ創業者、堤康次郎死去。
  • 1965年(昭和40年)2月18日 - 保有車両数400両突破。
  • 1967年(昭和42年)
  • 1968年(昭和43年) - 拝島線の玉川上水 - 拝島間開業。
  • 1969年(昭和44年)
    • 西武初の黄色い電車である101系が登場した(当時は黄色とベージュのツートン、冷房なし)。
    • 10月14日 - 西武秩父線開業とともに「レッドアロー」こと5000系特急車登場。ATS使用開始(多摩川線、安比奈線、山口線を除く)仏子-西武秩父間でCTC使用開始。
  • 1972年(昭和47年)7月1日 - 通勤型初の冷房車101系試作冷房車登場。
  • 1973年(昭和48年)11月29日 - 最高速度100km/h運転開始。
  • 1974年(昭和49年)9月6日 - 多摩川線でATS使用開始。
  • 1975年(昭和50年)
    • 6月2日 - 西武新宿 - 本川越間で急行10両運転開始。
    • 12月8日 - 西武新宿 - 拝島・多摩湖間急行の10両運転開始。
  • 1977年(昭和52年) - 新宿線に西武初の界磁チョッパ制御車、4扉の2000系が登場する。2000系登場に従い、1980年頃に501系(2代目)とほぼ同時期に351系が本線系(新宿線系統・池袋線系統)からは運用終了。当時、3編成9両のみ多摩湖線のみ残る。
  • 1978年(昭和53年)2月15日 - 保有車両数800両突破。
  • 1970年代中盤頃 - 正確な時期は不明だが、現行のドアステッカーが掲示されるようになる。客用ドアの窓ガラスの真ん中に外側から貼られており、「開くドアーにご注意」「手を引きこまれないように [西武鉄道]」と注意書きが書かれている。真ん中に黄色い(現在はオレンジ系も)手が描かれ、下部には広告があるもの。これは約30年以上たった現在でも使用されている(厳密には前述した注意書きの文字の書体が1992年、1998年に変更されており、初代文字が石井ゴシック、1998年以降の文字はモリサワ新ゴである)。
  • 1980年(昭和55年)
  • 1983年(昭和58年)
  • 1984年(昭和59年)5月14日 - 案内軌条式への改良のため、山口線休止。
  • 1985年(昭和60年)
    • この頃までに本線(新宿線・池袋線)からは赤電が引退、運行終了(当時、多摩湖線・多摩川線のみ残る)。山口線新交通システムとして再開業し、おとぎ線時代に開業した一部区間が廃止。
    • この年より、国鉄(現 JR東日本)中央線方面からの野球開催時の利便向上のため新交通システム山口線再開業と同時に野球開催日のみ多摩湖線で臨時の「準急」が運行開始。
    • 6月1日 - ATS更新。停車場を除き出発信号機が進行定位になる。ホーム自動放送変更、声優も交代(声優不明)。
  • 1986年(昭和61年)
    • 3月23日 - 新宿線田無駅構内にて列車追突事故が発生。この事故で200名余の負傷者が出て、損傷の激しかった8両が廃車。この事故はブレーキシューに雪が挟まって起こった事故であって、この事故をきっかけに降雪地帯を走る形式以外にも耐雪ブレーキが設置され始めた。
    • 8月5日 - 本社を東京都豊島区池袋本町から埼玉県所沢市くすのき台(現在地)に移転。
  • 1987年(昭和62年)
    • 8月1日 - レッドアローの1編成6両中、3両が禁煙車化、公衆電話も設置。
    • 11月20日 - CTC区間を高麗 - 西武秩父間に変更。
  • 1988年(昭和63年)
  • 1989年(平成元年)
    • 3月23日 - 保有車両数1000両突破。記念乗車券発売。
    • 4月1日 - 秩父鉄道への直通運転(飯能 - 三峰口野上)開始。「秩父鉄道直通運転開始記念乗車券」発売。
    • 12月15日 - 多摩川線ATS更新。
  • 1990年(平成2年)
    • 6月30日 - 西武最後の赤電車だった351系が最後の走行路線・多摩湖線でも運用終了・形式消滅。同時に全車両の冷房化・高性能化を達成。「黄色い電車」に全車両統一(当時、101系・301系と3000系のみ黄色とベージュのツートン)。351系さよなら運転・イベントが行われた。「351系さよなら記念乗車券」を発売。
    • 制服を一新。
  • 1991年(平成3年)
  • 1992年(平成4年)
    • 4月1日 - 当時の運行管理システムの老朽化に従い、西武鉄道全線で運行管理システムの更新を実施した(SEMTRAC)。新しいホーム自動放送の声優は新宿線・池袋線では主に上り線担当の女性声優は不明、下り線担当の男性声優は中村健治。なお、いままでは「…○番ホームに電車がまいります」としか言わなかったものがこの時から種別、行き先、両数、先着するか、途中の駅で優等種別に乗り換えれば早く着くかどうかも分かるようになった。
    • 4月8日 - 所沢総合管理事務所使用開始。
    • 6月1日 - 池袋線から初の10両固定編成、6000系ステンレス車登場。
  • 1993年(平成5年)
    • 101系の車体更新車・10両固定編成の9000系登場。
    • 2月10日 - 回数券発売対応マップ型平成2代目券売機登場(レオカード非対応)。回数券を非磁気券から完全磁気券化。
    • 12月6日 - 新宿線から「ニューレッドアロー10000系登場。新宿線に朝ラッシュ時の上りのみ、「快速」、「通勤急行」運行開始。
    • 西武鉄道初のLEDによる行先・種別・発車時刻案内表示器を西武新宿駅、池袋駅、所沢駅から設置開始。1995年までにかけて主要駅すべてに設置され、幕式による行先・種別・発車時刻案内表示器を置き換えた。
  • 1994年(平成6年)
    • 12月7日 - 西武有楽町線新桜台 - 練馬延伸開業。「西武鉄道池袋線練馬高野台駅開業記念乗車券」も発売。
    • 主要駅のみで発車メロディの使用を開始した(後に変更となる)。
    • レオカード対応2代目券売機登場(この券売機はSFレオカードにも対応)。
  • 1995年(平成7年) - レオカード対応平成3代目券売機登場(この券売機はSFレオカードにも対応)。
  • 1996年(平成8年)
    • 特急券の発売駅全駅で端末更新。2代目特急券券売機登場。
    • 3月 - 所沢 - 東横瀬間の貨物輸送を廃止。
    • 3月28日 - 野球シーズン時の臨時増発を縮小、この年より、多摩湖線の野球開催日臨時「準急」が廃止され再び多摩湖線は種別が「普通」のみになる。
    • 5月25日 - E851形さよなら運転実施。
    • 多摩川線・多摩湖線から701系・401系が運用終了。
  • 1997年(平成9年)
    • 西武グループホームページ開設と同時に西武鉄道ホームページ開設。
    • 2月21日 - 701系・401系が運用終了・形式消滅。701系・401系さよなら運転(701系4両が西武新宿-西武球場前間を事前に抽選で当選した乗客を乗せて臨時往復、401系2編成4両が池袋-西武球場前間を事前に抽選で当選した乗客の乗せて臨時往復した)・さよならイベントが西武球場前駅構内で行われた。
    • 保有車両数1200両突破。
  • 1998年(平成10年)
    • 3月26日 - 営団地下鉄(現東京地下鉄有楽町線との相互直通運転開始。有楽町線直通の「準急」が登場。野球シーズン時の臨時増発を2年ぶりに見直し、この年は新宿線直通の野球開催日臨時「快速急行」が廃止され、「普通」、「準急」、「急行」に格下げ。競輪の臨時増発も変更し、西武新宿-西武園間直通往復の「快速急行」も廃止となる。一方池袋線は「区間準急」と野球開催日の有楽町線直通列車の運行を開始した。
    • 1999年(平成11年)までにかけて新宿線・池袋線の大半の駅で発車メロディの変更を実施した。車掌の手笛での発車の合図を廃止し(ワイヤレスマイク不具合によるメロディ再生不能の場合の、手笛合図による代用を除く)、各駅停車しか停まらない駅でも発車メロディが鳴るようになった。同時に約50種類あったメロディが6種類となり(ただし萩山・西武遊園地・西武秩父・武蔵境・白糸台・是政の各駅は例外)、メロディの後の男女声優の声による「電車が発車します、ご注意下さい」がなくなる。
  • 1999年(平成11年)
    • 4月 - 田無駅の自動改札化をもって、多摩川線と武蔵横手 - 横瀬以外の全駅で自動改札化完了。
    • 10月14日 - 「西武秩父線開通30周年記念入場券」発売。
    • 11月11日 - 「平成11年11月11日 1づくし記念乗車券」発売。
  • 2000年(平成12年)
    • 2月20日 - 新宿線に20000系が登場。
    • 3月4日 - 「平成12年3月4日 春うらら1・2・3・4カウントアップ記念乗車券」発売。
    • この年から翌年にかけて、客室窓に注意書きステッカーが貼られた(2007年7月 - 8月に現行のデザインのものへ変更)。
    • 10月14日 - パスネット導入、レオカードはSFレオカードとなる。パスネット導入に従い、初代のレオカードのみ対応の平成初代券売機本線系から消滅。
  • 2001年(平成13年)
    • 4月1日 - すべての自動改札機がカードの二枚重ね対応完了。ペットの車内への持ち込み無料化。フェアスルーシステム(不正乗車防止システム)導入。
    • 12月15日 - 新宿線から朝ラッシュ上りのみの「快速」廃止。
  • 2002年(平成14年)5月30日 - 日本民営鉄道協会に加入。
  • 2003年(平成15年)
    • 3月12日 - 池袋線から「区間準急」廃止。
    • ホームの自動放送が「白線の内側で…」から「黄色い線の内側で…」へ変更された。
    • 初代のレオカードのみ対応の初代券売機多摩川線からも消滅、全線から初代レオカード対応券売機消滅。
  • 2004年(平成16年)
    • 春に総会屋への利益供与問題、10月には有価証券報告書虚偽記載問題が相次いで浮上し、西武グループに君臨して来た堤義明(康次郎の三男)が会長を退任。株価は急落し、東証はペナルティとして、翌11月16日の取引終了後に監理ポストから整理ポストへ移動させ、1か月後の上場廃止を決定した。西武はジャスダックへの上場を表明していたが、上場申請が認められるかどうかは不透明であり、西武鉄道は経営上の岐路に立たされることになった。さらに、2005年(平成17年)3月3日に義明が証券取引法違反(有価証券報告書虚偽記載並びに内部者取引)容疑で逮捕されたため、国土交通省鉄道局は西武鉄道に対し処分を行ったが、「今回の逮捕は有価証券報告書虚偽記載問題によるものであり、鉄道事業の基本である安全運行に直接関わるものではない」として、厳重注意処分に留めた。
    • 平成5代目のPASMO対応券売機が登場。初のタッチパネル式になる。
    • 12月 - 西武最初の黄色電車だった(製造当初は西武イエローと西武ベージュのツートンカラー)旧101系が本線系(新宿・拝島・国分寺・西武園線の各線と池袋・豊島・狭山・西武秩父線の各線。西武有楽町・山口線は登場当初から走ったことがない)での運用終了。ツートンカラーに戻されていた193Fと197Fで、101系(低運転台)さよなら運転が行われた。現在は多摩川線のみに残る。
  • 2005年(平成17年)
    • 7月3日 - 1992年から使用していた運行管理システムを老朽化に伴い、池袋線系統で13年ぶりに更新した。それによるホーム自動放送の変更に伴い、声優が上りは豊田真由美・下りは関根正明に交代した。
  • 2006年(平成18年)
    • この年から女性の駅員が採用されるようになる。
    • 3月26日 - 旧西武グループ体制がこの日で崩壊。
    • 3月27日 - 西武グループの再編が行われ、西武鉄道西武ホールディングスの子会社になる。
    • 4月27日 - 普通乗車券・特急券の払い戻し手数料が100に統一された。
    • 9月24日 - 新宿線系統でも運行管理システムが14年ぶりに更新された(ホーム自動放送の変更は前日に実施)。
    • 7月 - レッドアローを完全禁煙車化。特急券の発売駅全駅で端末更新。3代目特急券券売機登場。
    • 11月11日 - 「小江戸川越鉄道開設111周年記念乗車券」発売。
  • 2007年(平成19年)
    • 3月18日 - PASMO導入。自動改札機のない多摩川線や西武秩父線などの駅にもICカード専用簡易改札機が設置された。
    • 4月1日 - 新シンボルマークを採用することを発表[1]した。
    • 5月8日 - PASMO導入に合わせ、特急券のインターネット予約サービスを開始。
    • 6月27日 - 遠隔放送装置を導入。放送範囲は、全駅一斉、複数駅指定、駅個別の3種類であり、駅構内のうち、上りホーム、下りホーム、コンコースの3エリアである。優先順位は、電車の発車メロディ、車掌とホーム係員のワイヤレスマイク放送、遠隔放送、電車の行先種別を案内する自動放送、の順である。
    • 7月3日 - 練馬駅・練馬高野台駅・西所沢駅にTOMONY(トモニー)第1号店開店。
    • 8月16日 - 新宿線で約40年ぶりに女性車掌が登場し乗務開始。
    • 8月29日 - 練馬駅にて新商業施設Emio(エミオ)第1号施設、Emio練馬がオープン。
    • 12月3日 - 吾野変電所、正丸変電所に環境配慮型蓄電装置の導入により、飯能 - 西武秩父間で、常時回生ブレーキ車の走行が可能になる。
    • 12月8日 - 「多摩川線開通90周年記念乗車券」発売。
  • 2008年(平成20年)
    • 3月9日 - 池袋線系統所属車を皮切りに新シンボルマークを車両に貼付。
    • 3月27日 - 18年ぶりに制服を一新(ただし、公式発表では20年ぶりとなっている)。
    • 4月26日 - 新宿線に30000系が登場。
    • 6月14日 - 東京地下鉄副都心線乗り入れ開始。新宿線で「拝島快速」運行開始。
    • 7月16日 - 新宿線で約60年ぶりに女性運転士が登場し単独乗務開始。
  • 2009年(平成21年)
    • 2月 - プリンスホテルから埼玉西武ライオンズの株式譲渡を受け、子会社化。
    • 4月1日 - 関東私鉄では初めてスルッとKANSAI協議会に加盟し、この日より同協議会と提携して資材の共同購入を開始。
    • 4月6日 - 埼玉県内初で小手指駅、西武球場前駅、航空公園駅の3駅で駅の緑化に取り組む。
    • 9月1日 - 1970年代から30年以上かわらず使用されていたドアステッカーを約35年ぶりに変更。順次、更新されている。上部に四角形の広告、下部に"◀◀◀◀◀◀ SEIBU"と三角形の並んだ引き込み注意シールが張られている。


近年、箱根山戦争で犬猿の仲と称された小田急電鉄と営業資産(観光地や鉄道ハード)の協力関係、共通商品の開発に乗り出して功を奏している。またスルッとKANSAI協議会にも同時加盟することになった。

※箱根地区を巡る小田急グループ(当時の東急系)との確執は「箱根山戦争」の項を参照のこと。

鉄道事業

路線

現有路線の総延長は179.8km、旅客営業キロは176.6kmで日本の大手私鉄では4番目に長い営業キロを持つ。成立や運転系統により、池袋線系と新宿線系におおむね大別できる。また、本線(池袋線・新宿線)から完全に独立した路線として多摩川線がある。路線図(公式サイト)

ファイル:Seibuline-network.jpg
西武鉄道全線路線図(他社直通線は除く)


池袋線系

池袋線停車駅ごあんない(公式サイト)

新宿線系

新宿線停車駅ごあんない(公式サイト)

新交通システム

独立線

休止路線

廃止路線

譲渡路線

過去構想路線・未成路線

  • 飯能短絡線元加治駅-飯能駅間から東飯能駅への短絡線):武蔵丘車両検修場武蔵丘車両基地などの回送電車が飯能駅での方向転換を避けるため、構想されているが実現に至っていない。地元住民の根強い反対で一般営業線として開業する構想はない。敷設用地は取得済み。
  • 吉祥寺線(保谷-東伏見-吉祥寺):構想のみで終焉。
  • 多摩ニュータウン線(多摩川線是政駅から多摩ニュータウン方面までの延伸):多摩ニュータウン開発規制領域以外の土地が少なかったため、構想のみで終焉。
  • 西武秩父線(西武秩父駅から軽井沢方面までの延伸):構想を続けているが実現に至っていない。

他社乗り入れ路線

エラー: {{予定}}は廃止されましたので使用しないでください。

現在行われている乗り入れ
  • 池袋線(飯能駅まで)・西武有楽町線経由⇔東京地下鉄有楽町線(池袋方面、新木場行き)
  • 池袋線(飯能駅まで)・西武有楽町線経由⇔東京地下鉄副都心線(池袋方面、渋谷行き)
  • 池袋線(平日、飯能まで・休日、池袋まで)・西武秩父線経由⇔秩父鉄道(三峰口・長瀞行き)
将来行われる予定の乗り入れ
  • 池袋線・西武有楽町線経由⇔東京地下鉄副都心線経由⇔東急東横線経由⇔みなとみらい線(元町・中華街行き)(実現予定:2012年度)
乗り入れ構想路線
乗り入れ脚注
  • 東京地下鉄有楽町線・副都心線では和光市駅方面から東武東上線の電車が乗り入れを実施しているが、この電車が西武有楽町線を経由して池袋線に乗り入れることはできない。また、同じように西武鉄道の車両が東京地下鉄有楽町線・副都心線(和光市駅)を経由して東武東上線に乗り入れることもできない。
  • 秩父鉄道との乗り入れ運転で使用されるのは、全て西武鉄道の車両で秩父鉄道の車両が西武秩父線を経由して池袋線に乗り入れることはできない。
  • 秩父鉄道に乗り入れる際、渡り線が西武秩父線の西武秩父駅と横瀬駅の間にあることから、三峰口行きと長瀞行きは横瀬駅で切り離され、一方の長瀞行きは直接秩父鉄道へ、三峰口行きは西武秩父駅を経由して乗り入れている。また、秩父鉄道から西武線に乗り入れる際はこの逆を行う。

連続立体交差化進行状況

高架化された池袋線練馬駅
ファイル:Seibu line up.jpg
連続立体交差化された池袋線(練馬駅-中村橋駅)。写真は全国でも珍しい「逆立体化工事」が施行された箇所で、西武線の高架化で最も難工事とされ、約5年の歳月を経て完成した。技術の高さが評価され、翌年土木学会技術賞を授与された。

西武鉄道の路線では他の大手私鉄に比べ比較的、路線の連続立体交差化が遅れており、未だに開かずの踏切が多く点在する。拝島線は小川駅 - 玉川上水駅の間が高架線となっている。また現在、同線で萩山駅 - 小川駅間の府中街道の箇所で高架化工事(単独立体)を実施している。池袋線はすでに桜台駅 - 練馬高野台駅までが高架化され、現在は練馬高野台駅 - 大泉学園駅付近までの高架化工事が実施されている。新宿線は高田馬場駅 - 西武新宿駅までと西武柳沢駅 - 田無駅までが高架化済である。山間部を走る西武秩父線には自動車の踏切は存在しない。同線が道路と交差するときは巨大コンクリート橋かガーター橋で道路を跨いでいる。連続立体高架ではないが、池袋線北飯能信号所 - 武蔵丘信号所間と西武秩父線横瀬駅 - 西武秩父駅間が高架線となっている。

運行保安装置

西武鉄道の路線では西武有楽町線を除く全線でATSを使用している。このうち、新交通システムの山口線を除く全線ではAF軌道回路方式連続速度照査式ATSを、山口線では点制御による多情報変周式車上パターン式ATSをそれぞれ採用している。西武有楽町線では西武線で唯一のATCを採用していて、方式は車内信号閉塞式を採用している。

山口線と西武有楽町線を除く全線で使用されているAF軌道回路方式連続速度照査式ATSは他のATSと比べて比較的高性能で、軌道(線路)を回路としているためATCの初期型よりも高性能ともいわれている。同社のほかに阪神電気鉄道・阪急電鉄・山陽電気鉄道・相模鉄道で採用例がある。西武鉄道ではこれをパターン式で使用しており、また過去同社線ではAM系自動空気ブレーキ車や貨物列車が走行していたことから、ブレーキ性能別に制御する必要があるため、ATS作動時には常用ブレーキは作動(制限速度までの減速)せず、すべて非常ブレーキが作動する(電車は完全に停止する)ようになっていて運転士にはかなりのプレッシャーがかかっている。曲線などの速度制限でもATSが作動するように現在全車両を対象にATSの更新工事を行っている。分岐上では軌道によって信号を送ることができないためここだけは線路間に設置された地上子を使って車上子に信号を送っている。ATSはサイレントで停止信号でも警報は鳴らない。

西武有楽町線で使用している車内信号閉塞式ATCとは、簡単にいえば0km/h(停止信号)と制限速度(進行信号)しか表示しない新しいタイプのATCである。他のATC(D-ATCで例を挙げる)では前を走る電車に近付くほど制限速度が遅くなり、最終的には停止信号により停止するといういわばATSの高性能タイプと似たシステムになっている。これに対し車内信号閉塞式ATCは、前の電車に近付いたときだけ停止信号を表示し、それ以外の時は路線の制限速度を表示するだけである。少しずつ減速する他のATCでは、減速するたびに後ろの電車がどんどん詰まってしまうが、車内信号閉塞式ATCは前の電車ぎりぎりまで速い速度で詰めることができるので高密度な運行ダイヤを立てられるという特徴をもっている。

案内放送

駅構内

駅構内での案内放送とは、ここでは列車の接近予告自動放送のことをさす(2005年更新)。基本的に声優が上りは豊田真由美・下りは関根正明が担当しているが、駅の設備上の都合では異なる場合がある。自動放送の例を挙げる。

停車電車接近の場合は、「まもなく、○番ホームに(種別)、(行き先)行きが○両編成でまいります。黄色い線の内側でお待ちください。(もう一度繰り返し)」。当駅から次駅まで通過駅がある場合はこれに続いて、「この駅を出ますと次は○○に停まります」。地下鉄直通列車の場合は続いて、「この電車は、○○線内は(種別)になります」、途中接続電車がある場合はこれに続いて、「この電車は途中(終点、)○○で、(種別)、(行き先)行きにお乗り継ぎができます」となっている。この電車がある駅に先着するときは「○○へお急ぎ(お出で)の方はこの電車をご利用ください」が後に続く。また、後続電車の方が早く着く駅がある場合は続いて、「(終点、)○○へお急ぎの方は、次に○番ホームから発車する、(種別)をご利用ください」となる。最終電車は後に「この電車は最終電車です。」と放送される。

通過電車接近の場合は、「まもなく、○番ホーム、ご注意ください。電車が通過します。黄色い線の内側までお下がりください(もう一度繰り返し)」と放送される。

当駅止まり電車接近の場合は、「まもなく、○番ホームにこの駅止まりの電車がまいります。黄色い線の内側までお下がりください。(繰り返し)」の後、「この電車にはお乗りになれません。」と放送される。

回送電車や試運転電車が通過せず、ホームに一旦停車する場合は、「まもなく、○番ホーム、電車がまいります。黄色い線の内側までお下がりください。(繰り返し)」の後、「この電車にはお乗りになれません。」と放送される。

また、西武鉄道ではオリジナル発車メロディーを使用している(一部駅を除く)。使用を開始したのは1994年で、最盛期には50以上もの種類があった存在していた。駅・ホームごとに異なっていて主要駅にしか導入されていなかったが、現在は各駅停車の停車駅にも導入されている。しかし、種類は6種類まで絞り込まれている。私鉄の中では京阪電鉄阪神電鉄などと並んで発車メロディーの採用は早かった。一部駅では旧オリジナル発車メロディーを現在も引き続き使用している。オリジナルメロディーはメロディーが短いため発車メロディーと認識している人が少ない。上井草駅、大泉学園駅、西所沢駅(1,2番線)、西武球場前駅、本川越駅ではご当地ソングを採用したご当地発車メロディーとなっている。

車内

車内の案内放送とはここでは車内で流される自動放送のことをさす(2008年更新)。車内自動放送は本線通勤車用、特急車用、山口線用、多摩湖専用、多摩川線用の5種類が存在する。自動放送は2008年に更新され、これまで日本語だけであったのがさらに英語も加えられた。日本語の声優は以前と変わらず高橋満里子が、英語の声優はクリステル・チアリが担当している。更新前の自動放送と比べ日本語はかなり簡略化されたが、これは電車に同乗している車掌によってわかりやすい情報を提供するためだとしている。

特急車用を除く自動放送は基本的に、日本語では列車種別案内、次駅停車案内[8]、乗換案内、出口案内などをし、英語では出口案内以外の日本語放送と同じことを案内する。山口線用では西武ドームで試合が行われる日、また土曜・休日は西武園ゆうえんちの宣伝放送[9]がそれぞれ流れる。特急車用の自動放送では日本語と英語で列車種別案内、座席案内、車内設備案内、禁煙案内、次駅停車案内が放送される。停車駅接近時は、両国言語で停車駅接近案内、出口方向案内、乗換案内が放送される。また終点の時は忘れ物注意発起も放送される。

ちなみに、数年前まで車掌が車内放送でよく鼻に掛けた声で案内する姿が目立ったが、これを初めて実施したのは西武鉄道だとされている。しかし、記録が残っていないので定かではない。これは一般客と声が混じらないよう目立たせるためや、当時の電車のスピーカーの性能が悪かったため高音でないと聞こえなかったためだったとされている。

広告

車内

比較的自社グループ(西武グループ)の広告が多く、全体を10として3割は西武グループの広告といった形だ。他は沿線の企業や大手企業の広告などさまざまである。ドアには特徴的な広告と、「開くドアーにご注意」と書かれたドア開注意発起とが一体となったドアステッカーが貼られており、これは使用が開始されてから、約35年間変わらず使われていたが、2009年春よりこのタイプの広告の印刷を中止、同年9月1日から順次新しいタイプに張り替えられている。同時にドア開方向表記も張り替えられ、西武鉄道のコーポレートカラーを採用した新しいタイプになった。ドア開注意発起はなくなり矢印表記のみとなって、また広告とは分割され独立している。

1989年より1999年まで、西武グループの西武園ゆうえんちのアトラクション、「ルーピングスターシップ」の写真のステッカーが車両の中央部の窓の一部に張られていた。また、JR東日本が2000年より採用していた客用ドア窓ガラス上の広告を2002年より採用。

30000系の登場で2008年より動画広告を始めている。ドア上に設置された液晶式ディスプレイ(愛称:スマイルビジョン)によって放映されている。登場時は自社の広告が割合を占めていたが、2009年頃から増え多数の乗客の情報源となっている。動画広告のため効果は大きい。

3000系、6000系そして9000系や20000系などを利用した一社広告貸切電車を2005年より走らせている。大手企業も多いが西武不動産や埼玉西武ライオンズなど西武グループの会社の貸切広告もあった。2009年7月には夏に合わせ車内広告を大手飲料水メーカー(数社)の広告で統一し、中吊り広告や客用ドア上の広告は自社ホームの自動販売機の利用を促すという、季節を利用した電車を走らせていた。

車体

ファイル:Seibu9000 TF.jpg
9000系による東京富士大学のラッピング車(2009年6月 所沢駅-秋津駅間)
ファイル:Seibu6000 KL.jpg
6000系によるポッカキレートレモンラッピングの側面(2008年7月 練馬駅にて)

車体に広告を直接貼り付けるラッピング広告電車も走っている。利用電車はおもに3000系、9000系、6000系(50番台)、20000系などである。登場当時は自社の広告から始まったが、次第に依頼が増えて大手飲料水メーカーや沿線の大学など、様々な車体広告を見るようになった。

西武電車のイメージ

現在、利用者のイメージする西武線と言えば黄色い電車が武蔵野台地を爽快に走るイメージが強い。ここでイメージされる「黄色い電車」の登場は意外にも古く昭和44年(1969年)に登場した101系がはじめ。以後、平成11年(1999年)に9000系の最終新造車の登場まで受け継がれた。黄色(以下、西武イエロー)で西武イエローが都会感を、ステンレスのドアと正面下の左右に張られたステンレス板が近代感を出している。落ち着いてかつまとまったデザインの電車が走るというのが印象的で、近年は関東圏私鉄電車の個性がなくなりつつある中、オリジナルで個性があり利用者の好感度は高い。1992年に営業運転を開始した6000系をはじめ、20000系などは他社とデザインの共通傾向があり特徴性をなくしている。しかし、平成20年(2008年)に営業運転を開始した30000系では他の鉄道会社の電車とは全く違ったやさしくソフトな電車をイメージして造られている。車内設備や外観デザインが高評価を呼び平成21年(2009年)には、鉄道車両で初めてキッズデザイン賞を受賞している。

ダイヤ

西武鉄道には平行ダイヤ区間(複々線でのダイヤ構成)が池袋線のごく一部にしかないため、ラッシュ時のダイヤは非常に複雑に、そして巧みに構成されている。特に池袋線ではその特徴がよく表れていて、全国でも珍しい千鳥停車が行われている。これは種別・行き先を問わず、どの電車も乗車率を平均的にするために行われる複雑なダイヤとなっている。通勤・通学で毎日利用する人は慣れてくれば間違えないが、あまり池袋線を利用しない人にとってはとてもわかりにくい。最盛期には10もの種別が設定されていたが、現在は練馬駅 - 練馬高野台駅間の複々線完成と、東京地下鉄有楽町線との直通運転開始に伴い8種別まで数を減らしている。新宿線でもかつて千鳥停車を実施していたが、現在は廃止されている。しかし、平成20年度(2008年度)に実施されたダイヤ改正で急行より早い「拝島快速」が設定されたが、池袋線を利用する人にとって快速は急行より遅いものだから新宿線では意味が逆になっていて、これもまた利用者を混乱させている。

列車種別

西武鉄道では以下の種別の列車が運転されている。ここでは、各駅停車のみ走行する多摩川線・国分寺線・多摩湖線(萩山駅 - 国分寺駅間)・山口線・西武園線・豊島線と休止線の安比奈線を除外して記述する。下記種別は2008年に更新された種別・行き先プログラムに存在するもの。また種別の説明については、2009年現在のダイヤに基づく。運行している列車種別数は9種で、これは京阪の10種に次ぎ、阪急・東武と並ぶ種別数である。

特急 (Limited Express)
有料の特急列車レッドアロー号」を1969年から運行しており、現在では系統に応じて下記の愛称が付けられている。詳しくは各列車記事を参照のこと。
ちちぶ号」
池袋線西武秩父線経由で池袋駅所沢駅 - 西武秩父駅間を運行する列車。
むさし号」
池袋線の池袋駅 - 飯能駅間を運行する列車。
小江戸号」
新宿線西武新宿駅 - 本川越駅間を運行する列車。
ドーム号」
池袋線・狭山線経由で池袋駅 - 西武球場前駅間を運行する臨時特急。野球開催時、国際バラとガーデニングショウ開催時に運行される。時刻表などではドーム号となっているものの、スタジアムエクスプレスと案内されることもしばしばある。ガーデニングショウ開催時の時は練馬にも停車する。
快速急行 (Rapid Express)
池袋線・西武秩父線・新宿線のみ運行されている。新宿線ではかつて「川越号」の愛称がついていた(1998年3月-2008年6月)。新宿線では平日のみ設定されている。池袋線(飯能駅以西)と西武秩父線では土休日のみ設定されている。西武秩父線では秩父鉄道直通列車が設定されている。
拝島快速 (Rapid)
新宿線西武新宿駅-小平駅(経由)- 拝島線拝島駅間のみ運行されている。拝島駅への速達性を高めるため、急行より早い種別として2008年6月14日のダイヤ改正で新設された。なお、表示では「Rapid」とされているが、列車内で流される(一部車両)英語自動放送では「Haijima Rapid」と収録されている。
急行 (Express)
西武有楽町線を除く全線で運行されている。ただし、狭山線では臨時ダイヤのみ、池袋線(飯能駅以西)と西武秩父線では行楽シーズンダイヤのみ運行される。狭山線の臨時ダイヤでは新宿線から所沢駅経由で直通する運用となっている。多摩湖線では新宿線・拝島線からの直通列車として運転される。
通勤急行 (Commuter Express)
池袋線(飯能駅以東)と新宿線の上り線朝ラッシュ時のみ運行されている。池袋線は千鳥停車となっていて急行より遅いが、新宿線では全く逆となっている。
快速 (Rapid)
池袋線(飯能駅以東)・狭山線・西武有楽町線のみ運行されている。ただし、狭山線は臨時ダイヤのみ運行される。池袋線では東京地下鉄有楽町線・副都心線相互直通列車が設定されている。
通勤準急 (Commuter Semi Express)
池袋線・西武秩父線・狭山線のみ運行されている。千鳥停車となっているが、2008年6月14日のダイヤ改正で練馬駅にも停車するようになった。狭山線では臨時ダイヤのみ、池袋線(小手指駅以西)と西武秩父線では行楽シーズンダイヤのみ運行される。
準急 (Semi Express)
多摩湖線(萩山駅 - 西武遊園地駅間)・池袋線(飯能駅以西)・西武秩父線を除く全線で運行されている。ただし、狭山線では臨時ダイヤのみ運行される。池袋線では東京地下鉄有楽町線・副都心線相互直通列車が設定されている。
区間準急 (Section Semi Express)
2003年に行われたダイヤ改正で消滅した種別で、現行のダイヤでは設定されていない。しかし、2008年度に行われた種別・行き先のプログラム更新で、池袋線のみこの種別が残されたため、今後復活する可能性があるが公式的な発表はなされていない。池袋線で大規模なダイヤ乱れが発生した場合は、地下鉄線からの直通列車の運行が中止となるため練馬駅 - 練馬高野台駅間の各駅停車確保のため「臨時の準急」と名乗りながら、かつての区間準急と同じ停車駅で運用されることがある。
各停 (Local)
全線で運行されている。池袋線では東京地下鉄有楽町線・副都心線相互直通列車が、西武秩父線では秩父鉄道直通列車が設定されている。2008年初頭まで、電車の方向幕のみ表記が「普通 (Local)」だった。発車標などの表記では開業当時から「各停」と表記されていた。

車両

2009年3月現在、特急列車用84両、通勤用1,185両、新交通システム用12両、電気機関車3両の計1,284両を保有する(緊急予備車・休止車両・保留車を除く)。各系列の詳細、使用線区、運用などについてはそれぞれの記事を参照のこと。戦後長らく所沢車輌工場において大手私鉄では珍しい新造車両の自社製造を続けていたが(一部車両メーカー製も並行して導入された)、1999年をもって終了し、それ以降は外部の車両メーカーからの調達のみとなっている。

現在運用されている電車の制御装置はすべて日立製作所製である。ただし新2000系のVVVFインバータ制御試験車のみ三菱電機製となっている。

東京急行電鉄京王電鉄と同様に営業運転から離脱した旧型車両を地方中小私鉄に譲渡するケースが多い。譲渡先には流鉄近江鉄道三岐鉄道伊豆箱根鉄道などがある。

現有車両

特急列車用
通勤列車用

VVVFインバータ制御回生ブレーキ搭載装備通勤車

  • 30000系(愛称:スマイルトレイン)
  • 20000系
  • 9000系 - 元、抵抗制御から改造
  • 6000系 - 一部の編成を除いて地下鉄有楽町線直通運転対応。一部の編成は地下鉄有楽町線・副都心線直通運転・ワンマン運転対応。

界磁チョッパ制御・回生ブレーキ搭載装備通勤車

  • 3000系
  • 2000系 - 2097Fの一部車両のみVVVFインバータを搭載。

抵抗制御発電ブレーキ搭載装備通勤車

  • 4000系 - 飯能 - 西武秩父間専用で秩父鉄道直通運転対応。ワンマン運転対応(飯能以東での営業は土休日の快速急行のみ)。
  • 新101系・301系 - 新101系の一部は元秩父鉄道直通運転対応車
  • 101系 - 多摩川線専用。ワンマン運転対応。
新交通システム用
  • 8500系(レオライナー)- 大手私鉄では唯一の新交通システム。ワンマン運転。西武鉄道ならびに新交通システム初のVVVFインバータ搭載車。
電気機関車
  • E31形(2代)- 現在、大手私鉄では唯一の電気機関車。

過去の車両

特急列車用
通勤列車用

自動空気ブレーキ→HSC系電磁直通ブレーキ搭載通勤車

自動空気ブレーキ搭載通勤車

合併前の通勤車
電気機関車
ディーゼル機関車
蒸気機関車
貨車
軽便鉄道(おとぎ線)用車両

車両基地・車両工場・車両検修場

所有する工場・車両基地

車両の製造を委託した企業(保線車両などを除く)

留置線・場所

運賃

大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2002年4月1日改定。

キロ程 運賃(円) キロ程 運賃(円)
初乗り4km 140 41-44 450
5-8 170 45-48 480
9-12 200 49-52 510
13-16 230 53-56 540
17-20 260 57-60 580
21-24 290 61-64 610
25-28 330 65-68 650
29-32 360 69-72 680
33-36 390 73-76 720
37-40 420 77-81 750

フリーきっぷ

西武鉄道は、沿線に秩父川越といった有名観光地があり、観光客向けに「フリーきっぷ」を発売している。

西武鉄道は、2003年に小田急電鉄と業務提携を結んでいることから、小田急線で発売している 各種フリーパスも発売している。また、特典には西武線乗車駅から西武線西武新宿駅の往復乗車券が足されている。

その他、JR青梅線奥多摩方面へのアクセス用に奥多摩ハイキングフリーきっぷの設定がある。

また、山手線西側に発着する鉄道会社としては、京王電鉄と共に東京メトロ線内フリーの“○○東京メトロ”パスの提携がない。

さらにはシーズン限定の切符として以下の3つの切符の設定がある。

いずれの切符も西武鉄道の駅員が配置されていない小竹向原駅元加治駅では購入することができない。

設備面

駅舎・ホーム

リニューアル
池袋線武蔵藤沢駅改札。右手にはTOMONY、左手にはお客様オープンカウンターがある。

1992年高田馬場駅ホーム・駅舎改良工事の開始以降、駅のバリアフリー化工事や駅舎の橋上化・建て替え工事が活発に行われるようになった(小竹向原を除く。ただし、さらにさかのぼると1977年の現在の西武新宿駅の駅ビル(新宿プリンスホテルビル)完成時にきっぷ売り場と改札口の間の階段横にスロープが設置され、西武最初のバリアフリー化が行われている。このスロープは30年経った2007年に改修された)。設備改良の主な内容は、スロープなどの設置による段差の解消を前述通り1977年の西武新宿駅の一部から、エレベーター設置を1987年開業の航空公園駅から、エスカレーターの設置を1991年の本川越駅から、改札脇にお客様オープンカウンターの設置を2001年の所沢駅から、待合室の設置を2006年の新所沢駅から、トイレの多機能化(だれでもトイレ)、ホーム屋根の大型化、案内表記の改修・追加、コンコースにLED発車案内表示器の設置を1998年の高田馬場駅からなどである(ホームのみにはすでに主要駅のみで発車案内表示器が1980年3月のダイヤ改正より幕式による発車案内表示機が設置されている。その後、1993年と2005年にそれぞれ当時最新のLED式に更新された)。近年では一日の利用客が5000人以下の駅でもバリアフリー化が実施されている。駅売店の改良も行われているが、近年は駅ナカコンビニTOMONYに置き換える場合が多い。Emio(エミオ)などの駅ナカ商業施設の建設も進められ、利用者の充実性・利便性の向上も図られている。

多機能トイレは使用後の臭いを抑えるため、芳香剤を置かなくても自然換気だけで広範囲の換気ができるよう工夫されている。また、利用者にこのトイレの清潔感や明るさを感じてもらうため、照明配置を工夫したて明るくしたり、造花や絵画を飾るなどの工夫がなされている。

案内表記

ホームには2台以上の大型総合案内板が1987年より設置されている(一部駅を除く)。これには最上部に駅名表(LED式電灯付)、下部に西武鉄道路線図、停車駅ごあんない、時刻表、急行・準急・(普通→)各停それぞれの所要時間がまとめて入っている。その後、2008年より全て新コーポレートカラーに合わせたデザインとなっている。駅名表のみのものは、1987年の航空公園駅から使用している簡易的なものと2008年の新コーポレートカラーに合わせたデザインのものなど約5種類存在する。池袋線(一部駅を除く)は副都心線開業にあわせホーム番号・方面を表記する看板をすべて新しいものに交換し同一デザインとしている。他の駅でも駅設備の改良と共に交換をしている。しかし、池袋線では厚型であったが、その後他駅で設置されたものは薄型となり英語表記のほかに、韓国語、中国語の表記もされている。1970年代に導入された旧ホーム番号表記看板が現在、鷺ノ宮駅、武蔵関駅、狭山市駅、入曽駅、南大塚駅、石神井公園駅の下りホームの一部、西武秩父線の一部駅に残っているがこれも2010年代初期までには取り替えられる予定になっている。

その他

西武鉄道ではすべての駅(小竹向原を除く)に自動体外式除細動器 (AED) と列車非常通報装置、列車進入警報装置が設置されている。2007年には遠隔放送装置を導入し、総合司令室より全駅または指定駅への遠隔放送により正確な情報を迅速に伝達することが可能になった。また、「あなたの駅でも定期を」をモットーに、自動定期券発売機の設置を進めている(小竹向原を除く)。

線路・踏切

線路など

線路面では低騒音化や乗り心地の改善に力を注いでいる。1975年より線路のロングレール化が実施されている。分岐(ポイント)での横揺れや騒音を軽減するため、普通分岐器から弾性分岐器への交換を進めている。1996年までF級電気機関車のE851形が走行していたこともあり線路の基礎がしっかりして、他社より乗り心地が良いと利用者から言われることが多い。民家が隣接しているところには防音壁を設置し対策している。2000年頃から架線柱のビームを丈夫で寿命が長いパイプ式への交換が進んでいる。

踏切

歩行者用、自動車通行可能な踏切共にすべての踏切で遮断機及び警報器が自動化されている。踏切の遮断機・警報器や起動装置などのメーカーはすべて京三製作所となっている。2008年度には自動車が通行可能な踏切242踏切に、踏切支障報知装置(非常ボタン)と踏切支障検知装置の設置を完了した。列車の運転士が運転中に踏切遮断機の作動を確認する線路脇に設置されている表示灯は、他社では見られない特殊なものとなっている。他社では電球色で「×」印の表示灯が一般的だが、西武鉄道では踏切の警報灯と同じ上下点滅式のLED表示灯となっている。2005年より比較的大きな踏切では道路と歩行者用通路を明確にし歩行者の安全を確保するため、歩行者用通路が緑色で塗りわけられている。なお、警報音は設置当初から数十年以上手鳴らしによる「カンカンカンカン」という西武独自の独特な音のものであったが、1990年頃より2世代前、1992年頃より1世代前のものへ変更が始まり、一時期現行のもの含めすべての警報音が重なった時期もあったが、2008年に1世代前と現行の4代目の2つのみに統一された。なお、現在の2つは列車接近警報装置の警報音としても使用されている。

乗務員の特徴

運転士

形式ごとの性能に統一性がないため、運転士は系列ごと[10]に性能や操作、感覚を記憶しなければならない。本社訓練所には、2000系と20000系の運転(車掌)シミュレーターがあり定期的に運転士はここで訓練する。

車掌

西武鉄道の車掌で特徴的なのは、乗務中は原則として運転席に座ることを禁止としていることである。現在は自動放送を簡略化し、車掌が直接わかりやすく通過駅や接続電車などの放送をさせるようにしている。電車の折り返し時や停車時間が長い駅では毎度車掌が車内に入り車内温度を確認する。また、始発時初めの放送するときには乗務員室扉を開き車内の音量が適切か確認させるように指導されている。

地球環境への配慮

西武鉄道では、グループビジョンのグループ宣言に、「常に、自然環境・地球環境への配慮を忘れません。」と掲げている通り、以下のような環境保全活動を行っている。(以下は、大まかな例であり環境保全活動の極一部。)

鉄道会社としては初めてSEGES(シージェス)の認定を受けた森林「飯能・西武の森」を保有している。認定ランクは5段階評価中3段階目。認定を受けた会社としては最大級で、面積は約77ヘクタール。地域市民の憩いの場として、また自然体験を始めとする環境教育の場として使用されている。2008年9月より5ヵ年計画で整備をする予定である。

2007年に電車から架線に戻された回生電力の貯蔵を行う「環境配慮型蓄電装置」を日本国内で初めて吾野変電所および正丸変電所に導入した。これにより電力使用量の削減につながった。また、変電所では2001年より整流器の冷媒を代替フロンから環境に影響のない純水に切り替えている。2008年より変電所で定期的に交換される蓄電池の再利用を行っていて、廃棄物の削減を図っている。

2005年度以降にリニューアルされた駅や建て替えを施行した駅の一部では、太陽光発電システムの導入が行われたり、風力発電システムの導入が行われるなどしている。案内表示看板内の照明をLED化することで消費電力の大幅な削減を図っている。駅の構築でVOCの発生を抑えるため、鉄骨材の塗装をやめて溶融亜鉛めっきを取り入れている。また、信号踏切等の設備の塗装では低VOC塗装を使用している。2009年度から一部駅でホームや駅前ベンチの緑化が行われた。旧駅舎に使用されていた古レールを活用し、駅の案内表示の柱に使用している。

鉄道車両では、軽量化などによって消費電力の削減を図り、新型車両についてはこれが置き換える旧型車両に比べ約半分以下の消費電力となっている。また、車内や車体のリサイクル性を高めるため新型車両ではリサイクル可能な素材の採用などがなされている。冷房装置の冷媒を代替フロンに置き換えることによって、オゾン層破壊への影響を低減させている。また、使わなくなった一部車両を地方中小私鉄に譲渡して、解体にかかる環境負担を低減させると共に省資源化を図っている。廃棄物対策として、車両部品の非アスベスト化や電子機器プリント基板の非鉛化を図っている。

線路内の法面の緑化を行い環境保全と景観向上を図っている。また、一部社員を地域の清掃活動や自治体とタイアップした植栽ボランティア活動に定期的に参加させている。この活動により社員が環境に対する意識を高めてもらおうとしている。

武蔵横手駅の線路脇事業用地では山羊[11]の放牧による草刈りを2009年9月頃より試験的に開始している。これにより、従来社員が草刈り機を使用して行っていた草刈りを省くことができ、草刈り機の燃料費の削減、またこれに伴う環境負荷の低減につながることを期待している。

乗車券類のリサイクルを行い再資源化を図っている。また同じように電気関係工事で発生する銅屑、鉄屑などのリサイクルも行っている。

2009年4月には日本政府が進める地球温暖化防止プロジェクト「チーム・マイナス6%」に加盟している。

オリジナルキャラクター

西武鉄道では幾多のオリジナルキャラクターを駅や電車内で使用している。2004年頃から西武鉄道が保有する電車の各形式がキャラクター化されている。2007年度より「グットマナーをありがとうシリーズ」で各動物をキャラクター化している。同年度から西武鉄道が毎月1日に発行する「西武鉄道 かわら版」内のマナーを呼びかけをする欄で毎年度違うキャラクターを製作している。ちなみに2007年度はマナーかるたをテーマとして中学生の「たけしくん」、2008年度は小学生探偵の「サトローくん」[12]、2009年度は学習型のマナーロボット「マナっボットくん」[13]であった。

提携など

他社運転士の養成

多摩都市モノレールでは運転士養成の設備が整っていないため、西武鉄道に運転士の養成を委託している。西武鉄道社内で養成を受けているときは西武鉄道の制服を着用しているため、一般客が見分けることはできない。

主要グループ企業

関連施設・事業

西武鉄道と関わりのある芸能人

その他

  • 地元埼玉県の放送局であるテレビ埼玉(テレ玉)と、エフエムナックファイブ (NACK5) の主要株主でもある。当然、ライオンズ戦中継も放送されている。
  • 小田急電鉄京浜急行電鉄近畿日本鉄道と同様「ストライキのない私鉄」として知られている。従業員による自治組織は存在するが、私鉄総連に加盟していない。西武鉄道が日本民営鉄道協会と距離を置いていたのは、民鉄協が対私鉄総連との春闘をはじめとする労使交渉の中心となる位置づけであったためだが、近年の中央集団交渉等の衰退によりそのカラーが薄れ、鉄道業界発展のための団体へとその位置づけが変化してきたことにより西武鉄道側が方針転換したものである。
  • 関東大手私鉄の中で、唯一テレビCMを流していない。ただしJR東日本トレインチャンネルや自社の西武スマイルビジョンでは放送したこともある。
  • 京王電鉄阪急電鉄京阪電気鉄道と並び、電車の正面側に特製のヘッドマーク取付を行うことが多い。過去のヘッドマークデザインを公開したイベントも実施したことがある。
  • 1945年(昭和20年)の武蔵野鉄道・西武鉄道(旧)との吸収合併、1946年(昭和21年)の西武鉄道への社名変更が行われた後も、武蔵野鉄道のメイン路線である現・池袋線のことを「武蔵野線」と呼び続けたり、鉄道路線図などに通称的に記載される場合があった[14]。しかし、1952年(昭和27年)に正式に「池袋線」と名称を変更されたのを機に、以降には路線図や地図で「武蔵野線」と書かれることは、ほぼなくなった。無論、現在運行されているJR東日本武蔵野線(定期旅客営業列車が運行されていない鶴見 - 府中本町間も含め)との関連は全くない。

脚注

  1. ^ ただし、地方鉄道車両の改造や新造は所沢車輌工場で行っていた。
  2. ^ 登場当時は西武イエローと西武ベージュのツートンカラー。
  3. ^ おもな改造点:ブレーキ装置のHSC化、台車をFS372へ交換や車内の修繕など。
  4. ^ この一文は1985年7月刊行の「私鉄の車両6 西武鉄道」に基づく。
  5. ^ 2009年6月、毎日新聞出版刊行の「日本の私鉄 西武鉄道」(広岡友紀 著)にから。
  6. ^ 西武グループ本社も同時に移転している。
  7. ^ 井上ひさし『コメの話』
  8. ^ 優等列車の場合は次々駅停車案内も放送される。
  9. ^ 埼玉西武ライオンズ試合宣伝時は応援歌の「ほえろライオンズ」のBGMが同時に流される。
  10. ^ 同形式でも性能が一部異なる編成もある。
  11. ^ 雄のそら君と雌のみどりちゃん
  12. ^ 西武沿線に住む普通の小学生だが、駅や電車内で起こる(マナー)事件を次々と解決している。みんなにマナーの大切さを「さとって」ほしいと常に願っている。
  13. ^ 車内や駅を探検しながら数々のマナー違反を感じ取り、マナーを学びながら成長する学習型のロボット。
  14. ^ 東京都交通局発行『わが街 わが都電』、1991年8月1日発行より

関連項目

外部リンク

');