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鶴岡八幡宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鶴岡八幡宮の大銀杏から転送)
鶴岡八幡宮

本宮へと続く参道
地図
所在地 神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1番31号
位置 北緯35度19分33.91秒 東経139度33分23.17秒 / 北緯35.3260861度 東経139.5564361度 / 35.3260861; 139.5564361 (鶴岡八幡宮)座標: 北緯35度19分33.91秒 東経139度33分23.17秒 / 北緯35.3260861度 東経139.5564361度 / 35.3260861; 139.5564361 (鶴岡八幡宮)
主祭神 応神天皇
比売神
神功皇后
社格国幣中社
別表神社
創建 康平6年(1063年[1]
別名 鎌倉八幡宮
札所等 鎌倉江の島七福神(弁財天)
西山国師遺跡霊場客番
例祭 9月15日
主な神事 流鏑馬
地図
鶴岡八幡宮の位置(神奈川県内)
鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮の位置(日本内)
鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮
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鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)は、神奈川県鎌倉市雪ノ下にある八幡宮鎌倉八幡宮とも呼ばれる。11世紀後半に、源氏の守り神として創建された。以後、鎌倉武士の守護神となる[2]。現代では全国の八幡宮の中で、鎌倉幕府の初代将軍源頼朝ゆかりの神社として関東方面で知名度が高い。境内は国の史跡に指定されている。旧社格国幣中社で、神社本庁別表神社であったが、2024年に神社本庁を離脱する手続きを進めている(後述)。

祭神

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現在の祭神は以下の3柱。「八幡神」と総称される。

歴史

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概史

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廃仏毀釈で撤去された大塔
関東大震災で倒壊した舞殿。前面の建造物はまだない。

河内国大阪府羽曳野市)を本拠地とする河内源氏2代目の源頼義は、長元9年(1036年)に相模守に任じられた時期に、平直方の女婿となり、鎌倉の大蔵にあった邸宅や所領、桓武平氏嫡流伝来の郎党を譲り受けた。

1063年 8月に源頼義が、前九年の役に際して戦勝を祈願した京都石清水八幡宮護国寺(あるいは河内源氏氏神の壺井八幡宮)を鎌倉の由比郷鶴岡(現・材木座1丁目)に鶴岡若宮として勧請した。1081年2月に河内源氏3代目の源義家(八幡太郎義家)が修復を加えた。これが鶴岡八幡宮の始まりとなった。

1180年10月、平家打倒の兵を挙げ鎌倉に入った河内源氏後裔の源頼朝は、12日に宮を現在の地である小林郷北山に遷す。以後社殿を中心にして、幕府の中枢となる施設を整備していった。1191年に、社殿の焼損を機に、上宮(本宮)と下宮(若宮)の体制とし、あらためて石清水八幡宮護国寺を勧請した。1208年には神宮寺が創建される。

源頼朝が鎌倉幕府を開いた後は、源頼義・義家が勧請した経緯もあり、武家の崇敬を集めた。鎌倉幕府衰退後は、25の僧坊の数も減少し、一時衰退する。戦国時代には里見氏により焼き討ちにあうものの(鶴岡八幡宮の戦い)、北条氏綱が再建を果たす。江戸時代に入ると江戸幕府の庇護を受け大規模化が進み、仁王門、護摩堂、輪蔵、神楽殿、愛染堂、六角堂、観音堂 法華堂、弁天堂などを建築し、徳川家光の治世に薬師堂、鐘楼、楼門なども建てられた。また、境内には方五間の多宝大塔や、東照宮も存在した。

江戸幕府崩壊後、1868年3月13日に「神主を兼帯していた僧侶に対して還俗する旨の通達」が明治政府から出され、また1870年大教宣布[3]がなされると、鶴岡八幡宮においてもいわゆる廃仏毀釈の動きが始まった。同年中に多宝大塔などの仏堂は破壊され、仏像、仏具、什宝、経典なども破壊・焼却処分されるか散佚した。ただし一部は現存し、鎌倉寿福寺浅草社僧が中心となって行った。また、一部残存していた仏堂も、その後真が残されている。

明治近代社格制度では県社に列し、1882年に国幣中社に昇格。戦後は神社本庁別表神社に列している。近年は全国一の宮会に加盟しており、相模国一宮と扱われることもある(ただし歴史的には一宮は寒川神社である)。

年表

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源頼朝の放生会。月岡芳年
鎌倉 - 江戸時代
明治以降
  • 1868年(明治元年)
  • 1871年(明治4年)5月14日、社格制度制定
  • 1917年大正6年)1月、段葛の八幡宮境内編入が許可[5]
  • 1923年(大正12年)9月1日、関東大震災で、楼門・下拝殿(舞殿)・一ノ鳥居・二ノ鳥居・三ノ鳥居・太鼓橋・白旗神社の拝殿等が全壊、本殿・拝殿・若宮・白旗神社本殿等が小破、源平池の護岸や大臣山が崩壊、太鼓橋が崩落[6]
  • 1928年昭和3年)4月3日、鎌倉国宝館が開館
  • 1951年(昭和26年)11月17日、平家池のほとりに神奈川県立近代美術館が開館
  • 1954年(昭和29年)2月11日、戦後廃止された紀元祭を復活[7]
  • 1997年(平成9年)、吉田茂穂が宮司に就任[8]
  • 2010年平成22年)3月10日、4時40分頃に、強風のために大銀杏は根元から倒壊[9]
  • 2024年令和6年)3月5日、神社本庁に対し、離脱する通知を内容証明郵便で送付し、7日に受理された。離脱には県知事の認証などが必要で、手続き終了まで数カ月かかるとみられていた[10][11][12]が、同年6月4日に宗教法人法に基づき神奈川県の認証を受け、今後は法人規則変更の登記手続きを進めることとなった[13][14]。また同時期に、鶴岡八幡宮の宮司が兼務する近隣の鎌倉市西御門の白旗神社荏柄天神社も追従し、神社本庁から離脱する通告を出している[15]

境内

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本宮(上宮)
舞殿

本宮(上宮)は文政11年(1828年)に徳川家斉が再建した流権現造で、国の重要文化財に指定されている。本宮は大石段上にある。大石段は61段あり、登りきると桜門、その奥に拝殿とつながった本宮がある。石段下にある舞殿は、「下拝殿」ともいう。前面にある建築物は21世紀に入ってから増築されたもので、当初は朱塗りではなく白木造りであった。

また、境内入口には源頼朝が臨時別当専光房良暹大庭景義に命じて掘らせた「源平池」と称する、左右2つに分かれた池がある。源氏池には島が3つ、平家池には島が4つ浮かび、それぞれ産(三)と死(四)を表すという。池にはすっぽんが生息し、水鳥も多い。夏期にはの花が一面を覆う。源氏池の島には旗上弁天社がある。源氏池と平家池を繋ぐ水路には石造の橋が架けられ「太鼓橋」と称される。創建当時は木造で、朱塗りだったことから「赤橋」と呼ばれた。北条氏庶流赤橋家の苗字はこの橋の名称に由来する。現行の石橋は二代目で、先代は1923年大正12年)の関東大震災で崩壊した後、1927年昭和2年)に再建された。橋は現在は柵で締め切られているが、昭和時代までは自由に通行可能で、橋上は記念撮影のスポットとしてよく使われていた[16]。なお、太鼓橋の左右には一般参拝者が通行可能な橋があり、赤橋の名を受け継ぐかの如く、赤く塗られている。

なお、源頼朝の求めに応じて舞った静御前源義経を慕う次の歌を詠んだとされるが、当時はまだ舞殿は建立されておらず、若宮社殿の回廊で舞ったとされている。

吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき
しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな

源氏池のほとりには「ぼたん庭園」が設けられ、季節毎に様々な牡丹を見ることができる。対岸には「鶴岡幼稚園」が1950年(昭和25年)からあり、開園中は境内の敷地を臨時に仕切って運動場となる。また、隣接地には1980年代まで境内の鳩を飼っていた「高床式鳩舎」もあった。平家池のほとりには「神奈川県立近代美術館」が建てられた。しかし、同美術館は2016年平成28年)1月をもって展示を終了。同年12月22日付で建物は鶴岡八幡宮に無償譲渡され、2019年6月に「鎌倉文華館鶴岡ミュージアム」として再オープンした[17]。なお、この建物は2016年11月22日に神奈川県の重要文化財に指定され、さらに2020年12月23日には国の重要文化財に指定された[18][19][20]

また、境内東側には1928年(昭和3年)に開館した鎌倉市立博物館鎌倉国宝館があり、市内の社寺などから寄託されている国宝重要文化財を多数収蔵している。鎌倉国宝館の本館は登録有形文化財でもある。

寺院の遺構

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1982年(昭和57年)に鶴岡八幡宮の敷地内を発掘したところ、寺院の遺構と思われるものや土葬された遺骨が発掘された。福島金治は『阿娑縛抄』第百十四「妙見部」に引用されている仁平3年(1153年)8月9日付の「妙見菩薩供注進状」の中で、聖昭鳥羽法皇藤原忠通の諮問に対して国内の妙見信仰の拠点として比叡山北谷の妙見堂と並んで挙げている「鎌倉生源寺」がその寺院であった可能性を指摘している。生源寺は廃仏毀釈によって廃された松源寺(岩窟不動尊の東にあった)の前身と推測されており、事実とすれば鶴岡八幡宮建設時に移転をしたことになる[21]

大銀杏の倒伏

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建保7年(1219年)1月27日、源頼家の子で八幡宮の別当を務めていた公暁が階段脇に生えていたこの銀杏の木に隠れて待ち伏せ、この大階段の13段目に降りてきた源実朝を殺害したという伝説があり、隠れ銀杏という別名がある。この伝説が知られるようになったのは江戸時代になってからのことであり、当時の史料にはない話である。中国でイチョウが発見されたのが10世紀頃と研究されており、仮に渡来していたとしても、当時の樹齢を考えると人が隠れることのできる太さにはまだ成長していなかったという説もあるため、真偽は不明である。伝説を疑問視する説もあれば、公暁が身を隠したのは先代の樹であり、平成時代に倒木した樹は2代目であるとする説もある[22]1955年昭和30年)より神奈川県の天然記念物に指定され、鶴岡八幡宮のシンボル[22]として親しまれていた。樹齢800年とも1000年余ともいわれていた[22]

2010年平成22年)3月10日4時40分頃、強風のために大銀杏は根元から倒れた。倒れた大銀杏は3つに切断され、3月15日、根元から高さ4メートルまでが、7メートル離れた場所に移植された[23]。残る2つは境内に保存された。倒壊から約1か月たち、再生への努力が実を結び、若芽が確認された[24]

摂末社

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旗上弁天社
源氏池の島に鎮座。周囲には源氏の二引きの白旗が多く見られる。明治の神仏分離令で一度は廃れたが、1980年(昭和55年)に文政年間の古図を元とし復元された。
白旗神社
祭神:源頼朝源実朝
逸話として、豊臣秀吉小田原征伐の後に参拝したが、その際に祀られていた頼朝像を見て「我と御身は共に微小の身から天下を平らげた。しかし御身は天皇の後胤であり、父祖は関東を従えていた。故に流人の身から挙兵しても多く者が従った。我は氏も系図も無いが天下を取った。御身より我の勝ちなり。しかし御身と我は天下友達なり。」と言うと、笑いながら頼朝像の背中をポンポンと叩いたという。
丸山稲荷社
鶴岡八幡宮で最も古い室町期の建物で、社殿は商売繁昌を祈願する方から奉納された赤い旗で囲まれている。本殿は重要文化財に指定。
若宮(下宮)
祭神:仁徳天皇など3柱
祖霊社
終戦後、氏子崇敬者の「おみたま」(祖霊)と護国の霊を祀るために、1949年(昭和24年)に創建。祖霊社の運営は、遺族を会員とする「祖霊社維持会」による。
今宮
祭神:後鳥羽天皇土御門天皇順徳天皇 - いずれも承久の乱で流された天皇。
由比若宮(元八幡)
鎌倉市材木座一丁目7、バス停「元八幡」近くにある。

参道

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鶴岡八幡宮の参道は若宮大路と呼ばれる。由比ヶ浜から八幡宮まで鎌倉の中心をほぼ南北に貫いており、朱雀大路を模して源頼朝が自らも加わり築いた。二の鳥居からは段葛(だんかずら)と呼ばれる車道より一段高い歩道がある。そこを抜けると三の鳥居があり、境内へと到る。

この段葛は、二の鳥居の辺りでは幅4メートルほどだが、三の鳥居では幅が約3メートル程度となっており、先に進むほど徐々に細くなっている。人間の目の錯覚を利用し、参道を実際より長く見せ、奥の本殿を厳かに見せるための設計との説がある[25]。段葛は鶴岡八幡宮境内の敷地とみなされており、扱いとしては神社の私道である(若宮大路自体は神奈川県道21号横浜鎌倉線の一部)[5]

祭事

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文化財

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沃懸地杏葉螺鈿太刀/『集古十種』より
籬菊螺鈿蒔絵硯箱
末社武内社(左の小殿)と上宮本殿(右)

国宝

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工芸品
  • 古神宝類(神服類)[26]
    • 袿 白小葵地鳳凰文二重織(うちき しろこあおいじ ほうおうもん ふたえおり)
    • 袿 紫地向鶴三盛丸文唐織(うちき むらさきじ むかいつるみつもりまるもん からおり)
    • 袿 紫地向鶴三盛丸文唐織
    • 袿 淡香地幸菱文綾織(うちき うすこうじ さいわいびしもん あやおり)
    • 袿 黄地窠霰文二重織(うちき きじ かにあられもん ふたえおり)
  • 古神宝類(刀剣武具類)[26]
    • 朱漆弓 1張
    • 黒漆矢(うち篦一筋欠) 30隻
    • 沃懸地杏葉螺鈿平胡籙(いかけじ ぎょうようらでん ひらやなぐい) 1腰
    • 沃懸地杏葉螺鈿太刀(いかけじ ぎょうようらでん たち) 1口
    • 沃懸地杏葉螺鈿平胡籙 1腰
    • 沃懸地杏葉螺鈿太刀(鐔欠) 1口
  • 籬菊螺鈿蒔絵硯箱(まがきにきくらでんまきえ すずりばこ)[27]
  • 太刀 銘正恒

重要文化財

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建造物
  • 大鳥居(一の鳥居)[注釈 1] - 徳川家慶建立
  • 末社丸山稲荷社本殿[28]
  • 摂社若宮 本殿、幣殿及び拝殿(1棟)[29]
  • 上宮 3棟[29]
    • 本殿、幣殿及び拝殿(1棟)
    • 回廊
    • 末社武内社本殿
  • 旧神奈川県立近代美術館(建物の所有者は鶴岡八幡宮)[18][19] - 神奈川県立近代美術館の項を参照。
工芸品
  • 太刀 3口(各銘相州住綱広、綱家作、康国作)・桐鳳凰蒔絵糸巻太刀拵(たちごしらえ)3口[30]
  • 太刀 金銘国吉
  • 太刀 銘長光
木造弁才天坐像。像本体は裸に腰布1枚をまとった姿を彫りだしたもので、その上に衣服を着せる様式である[31]
彫刻
  • 木造舞楽面 5面(陵王、散手、貴徳鯉口、貴徳番子、二ノ舞)
  • 木造弁才天坐像 文永三年(1266年)銘
  • 木造菩薩面
古文書
  • 鶴岡社務記録 2巻
  • 鶴岡八幡宮文書(224通)15巻[32]
歴史資料
  • 鶴岡八幡宮指図 天正十九年五月十四日[33]

以上の国宝・重要文化財のうち建造物以外の大部分は鎌倉国宝館に寄託されている[34]

国の史跡

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  • 鶴岡八幡宮境内 - 指定年月日:1967年(昭和42年)4月24日。[35]
史跡指定範囲には、供僧坊跡(本殿北側)、元八幡(鎌倉市材木座)を含む[36]
  • 若宮大路 - 指定年月日:1935年(昭和10年)6月7日 - 2006年(平成18年)1月26日に海岸橋交差点から三の鳥居までの道路敷、歩道敷が追加指定された[37]

神奈川県指定文化財

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神奈川県指定重要文化財(工芸品)
  • 銅製 亀甲花菱文象嵌擬宝珠 附 金具24個 - 指定年月日: 1955年(昭和30年)8月30日[38]
鎌倉時代作。缺首部をのぞいて全面に銀材による象嵌が施され、全体の形姿が等辺三角形に近く安定感がある[38]
  • 堆黒箱 - 指定年月日: 1955年(昭和30年)8月30日[38]
裏に贈日本客僧栄西禅師明 昌元侍郎周宏の朱漆銘がある[38]
神奈川県指定有形民俗文化財
  • 獅子型墨壺 - 指定年月日: 1955年(昭和30年)8月30日
丹漆が全体に塗られた鎌倉彫形式の墨壺[39]
  • 神輿 7基 - 指定年月日:1955年(昭和30年)8月30日
3基が本宮用。4基は若宮用 。若宮用は手法がやや簡略で、わずかに形体が小柄である[39]

鎌倉市指定文化財

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建造物
  • 石造 手水鉢 - 指定年月日:1974年(昭和49年)4月10日[40]
  • 木造 鶴岡八幡宮末社白旗神社本殿及拝殿 - 2005年(平成17年)11月10日[40]
彫刻
  • 木造 住吉神倚像 - 指定年月日:1976年(昭和51年)12月14日[41]
工芸
  • 木造 彩色桐竹鳳凰文華鬘 - 指定年月日:1971年(昭和46年)9月11日[42]
  • 木造 黒漆塗経箱 - 指定年月日:1973年(昭和48年)10月12日[42]
  • 銅板造 薬師如来懸仏 - 指定年月日:1973年(昭和48年)10月12日[42]
  • 金銅 四天王五鈷鈴 - 指定年月日:2008年(平成20年)11月27日[42]
書跡
  • 紙本著色 鶴岡八幡宮境内絵図 - 指定年月日:1999年(平成11年)11月25日[43]
典籍
  • 新撰莵玖波集 附 箱・極札二葉 - 上下2冊 - 指定年月日: 1974年(昭和49年)4月10日[44]
古文書
  • 絹本著色 相州鎌倉江之島図 - 指定年月日:2013年(平成25年)3月12日[45]
  • 紙本著色 靏岡御神領 往還幷谷々小道分間図 - 指定年月日: 2018年(平成30年)2月15日[45]
考古資料
  • 国指定史跡鶴岡八幡宮境内出土の木製塔婆類 7点 - 指定年月日:2015年(平成27年)2月13日[46]。鎌倉国宝館寄託。
天然記念物
  • ビャクシン 1株 - 1963年(昭和38年)7月17日[47]
  • マキ 1株 - 1973年(昭和48年)4月11日[47]
  • ケヤキ 1株 - 1973年(昭和48年)4月11日[47]
  • シロシダレ 10株 - 1977年(昭和52年)6月11日[47]

現地情報

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出典:[48]
所在地
交通アクセス
  • 鉄道
    • E16 横浜横須賀道路朝比奈ICから、県道204号線で約 5キロメートル。

鎌倉市外にある主な分社

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脚注

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注釈

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  1. ^ 1904年(明治37年)8月29日内務省告示第57号「特別保護建造物ノ資格アルモノ」にて「鶴岡八幡宮大鳥居(一ノ鳥居)」として指定。1957年(昭和32年)2月19日文化財保護委員会告示第7号「重要文化財の名称又は構造及び形式についての記載事項を改める件」にて名称変更。

出典

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  1. ^ a b c d 新編鎌倉志 1915, p. 3.
  2. ^ 鎌倉の神社 小事典 かまくら春秋社 吉田茂穂。鶴岡八幡宮サイト。
  3. ^ 安丸良夫・宮地正人編『日本近代思想大系5 宗教と国家』431ページ
  4. ^ 奥富敬之『鎌倉史跡事典』新人物往来社、1997年3月15日、222頁。ISBN 4404024525 
  5. ^ a b 『鎌倉千年の歩み -段葛からのオマージュ-』、13-14頁。
  6. ^ 関東大震災の鎌倉 その23”. kcn-net.org (2005年). 2021年6月21日閲覧。
  7. ^ 世相風俗観察会『現代世相風俗史年表:1945-2008』河出書房新社、2009年3月、61頁。ISBN 9784309225043 
  8. ^ (7)鶴岡八幡宮宮司・神社本庁常務理事、吉田茂穂さん 魂を再生させる”. 産経新聞 (2013年4月8日). 2024年3月13日閲覧。
  9. ^ 鶴岡八幡「大銀杏」折れる 実朝暗殺の舞台、強風原因か - 日本経済新聞 2024年6月30日閲覧。
  10. ^ 砂上麻子、阿部博行 (2024年3月12日). “鶴岡八幡宮が神社本庁を離脱へ 総長ポストで対立?「こんぴらさん」に続き…ゴタゴタ収まらず”. 東京新聞. 2024年3月13日閲覧。
  11. ^ 鶴岡八幡宮が神社本庁を離脱へ 理由は明記されず 神奈川・鎌倉”. 毎日新聞 (2024年3月12日). 2024年3月29日閲覧。
  12. ^ 鶴岡八幡宮が神社本庁を離脱へ 理由は明記されず 神奈川・鎌倉”. livedoor. 2024年3月14日閲覧。
  13. ^ 鶴岡八幡宮の神社本庁離脱、神奈川県が認証 理由は「完了後明らかに」 - カナロコ by 神奈川新聞 2024年6月4日
  14. ^ 鶴岡八幡宮が神社本庁離脱で会見「統理の権威ないがしろ」 TVKニュース 2024年6月20日
  15. ^ 鎌倉の2神社、神社本庁から離脱へ 鶴岡八幡宮に追随、理由は明らかにせず - カナロコ by 神奈川新聞 2024年5月15日
  16. ^ 久美沙織コバルト文庫『ミッキーのおしゃれ読本』(1987年12月15日初版発行)より[要ページ番号]
  17. ^ 「ミュージアムについて」(鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム公式サイト)(2019年6月23日閲覧)
  18. ^ a b 国宝・重要文化財(建造物)の指定について”. 文化庁. 2020年10月18日閲覧。
  19. ^ a b 令和2年12月23日文部科学省告示第140号
  20. ^ 旧神奈川県立近代美術館 - 文化遺産オンライン文化庁
  21. ^ 福島金治「鶴岡八幡宮の成立と鎌倉生源寺・江ノ島」地方史研究協議会編『都市・近郊の信仰と遊山・観光 交流と変容』(雄山閣、1999年)ISBN 4-639-01640-9 pp.24-37
  22. ^ a b c “鶴岡八幡宮の大イチョウ倒れる 「実朝暗殺の舞台」”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2010年3月10日). オリジナルの2010年6月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100610095157/http://www.asahi.com/national/update/0310/TKY201003100130.html 2010年3月11日閲覧。 
  23. ^ “鶴岡八幡宮の大銀杏、7メートル脇に移植完了「再生を期待」”. 産経ニュース (産経新聞社). (2010年3月15日). オリジナルの2010年11月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20101111030033/http://sankei.jp.msn.com/life/trend/100315/trd1003151701008-n1.htm 2010年3月15日閲覧。 
  24. ^ “倒壊の大イチョウ、根元から若芽 鎌倉・鶴岡八幡宮”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2010年4月2日). オリジナルの2010年5月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100529081821/http://www.asahi.com/national/update/0401/TKY201004010484.html 2010年4月11日閲覧。 
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  26. ^ a b 1956年(昭和31年)6月28日文化財保護委員会告示第40号「重要文化財紙本著色地獄草紙等を国宝に指定する件」
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  28. ^ 1967年(昭和42年)6月15日文化財保護委員会告示第34号「文化財を重要文化財に指定する件」
  29. ^ a b 1996年(平成8年)7月9日文部省告示第134号「有形文化財を重要文化財に指定する件」
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  31. ^ 重要文化財 木造弁才天坐像 1躯 - 鶴岡八幡宮、2021年5月28日閲覧。
  32. ^ 1983年(昭和58年)6月6日文部省告示第84号「文化財を重要文化財に指定する件」
  33. ^ 1905年(明治38年)4月4日内務省告示第58号「国宝ノ資格アル物件」にて「紙本墨書鶴岡八幡宮修営目論見絵図」として指定。2012年(平成24年)9月6日文部科学省告示第140号「重要文化財の名称を改める件」にて名称変更。
  34. ^ 『鎌倉国宝館収蔵名品目録』、鎌倉国宝館編集・発行、2011
  35. ^ 1967年(昭和42年)4月24日文化財保護委員会告示第13号「史跡鶴岡八幡宮境内を指定する件」
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  37. ^ 若宮大路 / 史跡名勝天然記念物”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年6月9日閲覧。
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参考文献

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  • 河井恒久 等編 編「巻之一 鶴岡八幡宮」『新編鎌倉志』 第5冊、大日本地誌大系刊行会〈大日本地誌大系〉、1915年、3-13頁。NDLJP:952770/16 

関連項目

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外部リンク

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