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二川町 (愛知県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ふたがわちょう
二川町
二川の町並み
二川の町並み
廃止日 1955年3月1日
廃止理由 編入合併
二川町高豊村老津村前芝村石巻村 → 豊橋市
現在の自治体 豊橋市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
渥美郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 42.61 km2.
総人口 14,860
(1950年10月1日)
隣接自治体 豊橋市、渥美郡高豊村
静岡県浜名郡白須賀町新所村
二川町役場
所在地 愛知県渥美郡二川町大字大岩字東郷内4
座標 北緯34度43分32秒 東経137度26分53秒 / 北緯34.7255度 東経137.44803度 / 34.7255; 137.44803 (二川町)座標: 北緯34度43分32秒 東経137度26分53秒 / 北緯34.7255度 東経137.44803度 / 34.7255; 137.44803 (二川町)
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二川町(ふたがわちょう)は、かつて愛知県渥美郡にあった。現在の豊橋市の東部である。東は静岡県と接し、南は太平洋遠州灘)である。

沿革

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  • かつては二川郷があり、二川氏本貫地である。渥美郡のほか、讃岐へ移住した一族(龍満氏)もいる。
  • 近世には東海道宿場町である二川宿があった。
  • 1644年(正保元年) - 渥美郡二川村を西に、大岩村を東に移動させ、二川宿と加宿大岩町とする。二川宿に関わっていた二川村と大岩村などは天領であり、周りの村は吉田藩領、寺社領であった。
  • 1878年(明治11年)
    • 原村、中原村、雲谷村が合併し、谷川村となる。
    • 大脇新田と二川村が合併し、二川村となる。
    • 上細谷村、下細谷村、小島村、小松原村、寺沢村、西七根村、東七根村が合併し、五並村となる。
  • 1884年(明治17年) - 五並村が分割され、上細谷村、下細谷村、小島村、小松原村、寺沢村、七根村[1]となる。
  • 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行。渥美郡に以下の3村が成立。
    • 大岩村、二川村、谷川村が合併し、大川村となる。
    • 上細谷村、下細谷村が合併し、細谷村となる。
    • 小島村、小松原村、寺沢村が合併し、小沢村となる。
  • 1893年(明治26年)6月23日 - 大川村が町制施行し、大川町となる。
  • 1896年(明治29年)7月1日 - 大川町から谷川村が分立する。
  • 1906年(明治39年)7月1日 - 大川町谷川村細谷村小沢村が合併し、二川町が発足する。
  • 1937年(昭和12年)7月20日 - 省営バス浜名線二川東町 - 新居町間開通(鉄道省告示 昭和12年 第233号)。
  • 1950年(昭和25年)10月16日 - 日本国有鉄道バス浜名線二川 - 上細谷 - 白須賀間開通(日本国有鉄道公示 昭和25年 第249号)。
  • 1955年(昭和30年)3月1日 - 渥美郡高豊村老津村宝飯郡前芝村八名郡石巻村とともに豊橋市へ編入される。

教育

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小学校

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中学校

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高等学校

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交通

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名所・旧跡

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大岩神明宮

脚注

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  1. ^ 1889年に高塚村と合併で高根村、1906年に豊南村と合併で高豊村となる。現・豊橋市。

関連項目

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