祈年祭
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祈年祭(きねんさい、としごいのまつり)は、毎年2月17日に行われる宮中祭祀の小祭で、その年の五穀豊穣などを祈る神道の祭祀である[1]。
実施時期
[編集]旧暦2月4日に行われていたが[1]、1873年(明治6年)の改暦後は2月17日に行われる。ただし、民間では時期は統一されておらず、北国には3月・4月の春祭りと併せて行う神社もある。
歴史
[編集]本来は民衆が行う田の神への予祝祭であったが[2]、中国の大祀祈殻の要素を取り入れ、律令国家祭祀として成立した。7世紀後半の天武天皇の時代には既に記録があり、延喜式神名帳記載の全神社(3132座)が祈願の対象であった。神祇官が、これらの神社の神職を神祇官に参集させて、そこで中臣氏が祝詞を奏上して斎部氏(忌部氏)が幣帛を神職に配り、これをそれぞれの神社の神に捧げさせるという、班幣の形式がとられたのである。平安時代には形骸化し、神祇官の内部でのみ行う祭祀となった。平安時代中頃になると、天照大御神を主に祀る祭祀と認識され、院政期には天照大御神を奉祀する天皇の祭祀として厳修された。13世紀初め、鎌倉時代初頭の順徳天皇の『禁秘抄』では、祈年祭は伊勢神宮関係の祭祀とされた。
室町時代後半の戦乱期には、他の祭祀と同様に廃絶し、神祇官の伯を世襲した白川家が行うようになった。江戸時代に入り、元禄年間に宮中での祈年祭の復興が企画されたが為らず、明治時代の神祇官復興により再開された。祈年祭は重要な国家祭祀と位置づけられ、明治2年(1869年)からは[1]、宮中および全国の官国幣社、あるいは民社でも祈年祭が行われた。
第二次世界大戦後に日本の国家神道が解体されると、祈年祭から国家的祭祀としての性格は消え、宮中では天皇家の私的な祭祀として、他の神社でも通常の祭祀として斎行している。
脚注
[編集]- ^ a b c 「年中行事事典」p257 1958年(昭和33年)5月23日初版発行 西角井正慶編 東京堂出版
- ^ 日本史用語研究会『必携日本史用語』(四訂版)実教出版(原著2009-2-2)。ISBN 9784407316599。
参考文献
[編集]- 『年中行事事典』 1958年(昭和33年)5月23日初版発行 西角井正慶編 東京堂出版
- 日本史用語研究会『必携日本史用語』(四訂版)実教出版(原著2009-2-2)。ISBN 9784407316599。