藤川駅
藤川駅 | |
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豊橋方面駅舎と跨線橋 | |
ふじかわ FUJIKAWA | |
◄NH09 名電山中 (2.7 km) (2.5 km) 美合 NH11► | |
所在地 | 愛知県岡崎市藤川町松本182 |
駅番号 | NH 10 |
所属事業者 | 名古屋鉄道 |
所属路線 | 名古屋本線 |
キロ程 | 23.1 km(豊橋起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
5,460人/日 -2022年[1]- |
開業年月日 | 1926年(大正15年)4月1日 |
備考 | 無人駅 |
藤川駅(ふじかわえき)は、愛知県岡崎市藤川町松本にある名古屋鉄道名古屋本線の駅である。駅番号はNH10。
概要
[編集]準急と普通が停車する。かつては平日朝に急行も数本停車していたが、下りの当該列車は準急に変更され、また東岡崎駅での接続が改善されたため、急行は停車しなくなった。近隣の高校にあわせて、テスト期間中や半日授業時などには、下校時間に合わせて昼間の急行の臨時停車がよく行われている。
駅西側には踏切があったが、上下ホームを行き来するにはこの踏切を通るしかなく、反対ホームに止まっている電車に乗ろうとした高校生が閉まっている踏切に無理矢理進入することがしばしばあり、それによって電車に轢かれ死亡する事故も過去に何度も発生していた。このため、2011年(平成23年)10月に踏切が廃止され跨線橋が設置された。これは岡崎市の事業として近隣の国道1号線沿いに「道の駅藤川宿」ならびに「岡崎市東部地域交流センター・むらさきかん」を整備する「藤川地区整備事業」の一環として行われた。
歴史
[編集]- 1926年(大正15年)4月1日 - 愛知電気鉄道により開業。
- 1935年(昭和10年)8月1日 - 名岐鉄道への合併により名古屋鉄道が発足したため、同社の駅となる。
- 1948年(昭和23年)11月1日以前 - 無人化[2]。
- 2005年(平成17年)12月14日 - 駅集中管理システム開始およびトランパス導入。
- 2008年(平成20年)12月27日 - ダイヤ改正により準急停車駅に昇格[3]。
- 2011年(平成23年)2月11日 - ICカード乗車券「manaca」の供用を開始する。
- 2012年(平成24年)2月29日 - 「トランパス」の供用を終了する。
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藤川駅旧駅舎
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跨線橋建設前の藤川駅
駅構造
[編集]6両編成対応の相対式ホーム2面2線の地上駅である。無人駅であり、駅集中管理システム(管理駅は東岡崎駅[4])が導入されている。かつては駅の東側に古い駅舎と構内踏切が存在したが、トランパス導入時に西側に新しい駅舎が完成したため解体された。立地としては小規模な盆地の中の直線区間上に位置する。
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | NH 名古屋本線 | 下り | 東岡崎・金山・名鉄名古屋方面[5] |
2 | 上り | 豊橋・豊川稲荷方面[5] |
当駅から豊橋駅へは直通列車が停車しないため最低1回乗り換えが必要。豊川線の各駅へは土休日朝や平日夕方以降に直通列車が停車するため乗り換えなしで行ける。[6]
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名古屋方面駅舎
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ホーム
-
駅名標
配線図
[編集] ← 豊橋方面 |
→ 東岡崎・ 名古屋方面 |
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凡例 出典:[7] |
利用状況
[編集]現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
- 『名鉄120年:近20年のあゆみ』によると2013年度当時の1日平均乗降人員は4,948人であり、この値は名鉄全駅(275駅)中85位、 名古屋本線(60駅)中27位であった[8]。
- 『名古屋鉄道百年史』によると1992年度当時の1日平均乗降人員は5,280人であり、この値は岐阜市内線均一運賃区間内各駅(岐阜市内線・田神線・美濃町線徹明町駅 - 琴塚駅間)を除く名鉄全駅(342駅)中83位、 名古屋本線(61駅)中28位であった[9]。
『愛知県統計年鑑』『岡崎市統計書』等によると、年間および一日平均の乗車人員、乗降人員の推移は以下の通りである。
年 | 年間統計 | 一日平均 | 備考 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
乗車人員 | 乗降人員 | 乗車人員 | 乗降人員 | |||
総数 | 定期 | |||||
1949(昭和24)年度 | 108,000 | 89,000 | 267,000 | *296 | *732 | 期間は1949年5月 - 1950年4月末[10] |
1950(昭和25)年度 | 109,000 | 92,000 | 263,000 | *299 | *721 | 期間は1949年11月 - 1950年10月末[11] |
1951(昭和26)年度 | 155,000 | 102,000 | 353,000 | *423 | *964 | [12] |
1952(昭和27)年度 | 159,663 | 80,000 | 325,152 | 437 | 890 | [13][14] |
1953(昭和28)年度 | 194,000 | 94,000 | 387,000 | 532 | 1,062 | [15] |
1954(昭和29)年度 | 232,000 | 133,000 | 464,000 | 636 | 1,272 | [16] |
1955(昭和30)年度 | 179,768 | 103,000 | 360,651 | 492 | 986 | [17][14] |
1956(昭和31)年度 | 177,000 | 110,000 | 355,000 | 485 | 972 | [18] |
1957(昭和32)年度 | 198,000 | 122,000 | 397,000 | 542 | 1,087 | [19] |
1958(昭和33)年度 | ||||||
1959(昭和34)年度 | ||||||
1960(昭和35)年度 | 223,951 | 448,923 | [14] | |||
1961(昭和36)年度 | ||||||
1962(昭和37)年度 | ||||||
1963(昭和38)年度 | ||||||
1964(昭和39)年度 | ||||||
1965(昭和40)年度 | 278,944 | 557,056 | [14] | |||
1966(昭和41)年度 | ||||||
1967(昭和42)年度 | ||||||
1968(昭和43)年度 | ||||||
1969(昭和44)年度 | ||||||
1970(昭和45)年度 | 252,297 | 504,973 | [14] | |||
1971(昭和46)年度 | ||||||
1972(昭和47)年度 | ||||||
1973(昭和48)年度 | ||||||
1974(昭和49)年度 | ||||||
1975(昭和50)年度 | 251,379 | 504,668 | [14] | |||
1976(昭和51)年度 | 287,973 | 576,176 | [20] | |||
1977(昭和52)年度 | 331,696 | 663,656 | [20] | |||
1978(昭和53)年度 | 339,752 | 297,720 | 680,028 | 942 | 1,886 | [21][22] |
1979(昭和54)年度 | 343,470 | 295,140 | 687,538 | 952 | 1,905 | [23][22] |
1980(昭和55)年度 | 350,013 | 302,160 | 700,755 | 970 | 1,943 | [24][22] |
1981(昭和56)年度 | 358,941 | 305,640 | 719,678 | 995 | 1,995 | [25][26] |
1982(昭和57)年度 | 344,016 | 279,930 | 691,444 | 953 | 1,916 | [27][26] |
1983(昭和58)年度 | 435,270 | 368,430 | 873,971 | 1,206 | 2,421 | [28][26] |
1984(昭和59)年度 | 498,483 | 422,130 | 999,998 | 1,382 | 2,772 | [29][26] |
1985(昭和60)年度 | 525,906 | 462,900 | 1,052,677 | 1,458 | 2,919 | [30][26] |
1986(昭和61)年度 | 572,358 | 500,370 | 1,145,457 | 1,587 | 3,176 | [31][32] |
1987(昭和62)年度 | 674,155 | 586,260 | 1,349,506 | 1,869 | 3,741 | [33][32] |
1988(昭和63)年度 | 799,444 | 716,790 | 1,599,766 | 2,218 | 4,437 | [34][32] |
1989(平成元)年度 | 881,582 | 788,460 | 1,770,047 | 2,445 | 4,909 | [35][32] |
1990(平成 | 2)年度941,167 | 850,770 | 1,884,526 | 2,611 | 5,228 | [36][32] |
1991(平成 | 3)年度892,183 | 802,740 | 1,786,421 | 2,474 | 4,954 | [37][38] |
1992(平成 | 4)年度949,802 | 860,580 | 1,903,041 | 2,635 | 5,280 | [39][38][9] |
1993(平成 | 5)年度967,003 | 875,640 | 1,935,411 | 2,683 | 5,369 | [40][38] |
1994(平成 | 6)年度986,258 | 898,260 | 1,974,418 | 2,736 | 5,478 | [41][38] |
1995(平成 | 7)年度999,326 | 911,640 | 1,999,853 | 2,772 | 5,547 | [42][38] |
1996(平成 | 8)年度990,647 | 905,310 | 1,983,585 | 2,749 | 5,503 | [43][44] |
1997(平成 | 9)年度922,886 | 843,990 | 1,848,153 | 2,561 | 5,128 | [45][44] |
1998(平成10)年度 | 917,699 | 836,340 | 1,838,773 | 2,546 | 5,101 | [46][44] |
1999(平成11)年度 | 853,707 | 777,570 | 1,710,947 | 2,368 | 4,746 | [47][44] |
2000(平成12)年度 | 855,326 | 781,140 | 1,714,226 | 2,373 | 4,756 | [48][44] |
2001(平成13)年度 | 828,490 | 752,460 | 1,660,845 | 2,298 | 4,608 | [49][50] |
2002(平成14)年度 | 788,563 | 703,920 | 1,581,838 | 2,187 | 4,387 | [51][50] |
2003(平成15)年度 | 791,848 | 703,110 | 1,588,424 | 2,196 | 4,404 | [52][50] |
2004(平成16)年度 | 807,799 | 725,160 | 1,620,468 | 2,241 | 4,495 | [53][50] |
2005(平成17)年度 | 843,555 | 744,180 | 1,691,794 | 2,339 | 4,692 | [54][55] |
2006(平成18)年度 | 904,341 | 759,030 | 1,808,770 | 2,507 | 5,013 | [56][57] |
2007(平成19)年度 | 880,970 | 737,820 | 1,759,619 | 2,441 | 4,875 | [58][57] |
2008(平成20)年度 | 869,256 | 730,110 | 1,734,701 | 2,409 | 4,808 | [59][57] |
2009(平成21)年度 | 824,639 | 695,070 | 1,646,533 | 2,286 | 4,564 | [60][57] |
2010(平成22)年度 | 800,780 | 673,800 | 1,598,464 | 2,220 | 4,431 | [61][57] |
2011(平成23)年度 | 795,373 | 1,577,905 | [62] | |||
2012(平成24)年度 | 829,389 | 1,642,228 | [62] | |||
2013(平成25)年度 | 899,017 | 1,784,903 | 4,948 | [62][8] | ||
2014(平成26)年度 | 872,825 | 1,736,233 | [62] | |||
2015(平成27)年度 | 897,230 | 1,786,246 | [62] | |||
2016(平成28)年度 | 874,164 | 1,742,084 | [63] | |||
2017(平成29)年度 | 894,737 | 1,785,383 | [63] | |||
2018(平成30)年度 | 1,018,530 | 2,036,154 | [63] | |||
2019(令和元)年度 | 1,188,831 | 2,372,632 | 6,576 | [63][64] | ||
2020(令和 | 2)年度923,856 | 1,842,226 | 5,109 | [63][65] | ||
2021(令和 | 3)年度5,461 | [66] |
斜体の値は千人単位(千人未満四捨五入)
* 千人単位からの概算値
駅周辺に学校が多数存在することから近隣の同規模の駅に比べて乗降者数は圧倒的に多いが、昼間は普通列車しか停車しない。学校が休日となる土曜.日曜・祝日や学校が長期休業に入る時期などは利用者が極端に少なくなる。
駅周辺
[編集]- 国道1号近接
- 旧東海道 藤川宿
- 松並木
- 脇本陣跡(藤川宿資料館)
- 旧野村家住宅(屋号:米屋)
- 道の駅藤川宿(隣接)
- 岡崎市東部地域交流センター・むらさきかん(隣接)
- 一畑山薬師寺
- 愛知県道327号市場福岡線(旧東海道)
- 藤川街道
- 株式会社レッドバロン 本社
- 株式会社アイシン 岡崎工場
- 岡崎市立藤川小学校
- 愛知産業大学・短期大学
- 愛知産業大学三河高等学校、三河歯科衛生専門学校
- 愛知県立岡崎東高等学校
- 藤川郵便局
隣の駅
[編集]- 名古屋鉄道
- NH 名古屋本線
脚注
[編集]- ^ “令和4年度 移動等円滑化取組報告書(鉄道駅)” (PDF). 名古屋鉄道. 2023年7月1日閲覧。
- ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、866頁。
- ^ 太田貴之「輸送と運転 近年の動向」『鉄道ピクトリアル』第816巻、電気車研究会、2009年3月、44頁。
- ^ 共通SFカードシステム「トランパス」を名古屋本線未導入駅10駅と豊川線3駅に導入します - 名古屋鉄道、2005年11月15日
- ^ a b “藤川(NH10)(ふじかわ) 路線一覧”. 名古屋鉄道. 2021年10月3日閲覧。
- ^ “藤川 | 名鉄名古屋本線/名鉄豊川線 | 豊橋/豊川稲荷方面 時刻表 - NAVITIME”. www.navitime.co.jp. 2019年2月18日閲覧。
- ^ 電気車研究会、『鉄道ピクトリアル』通巻第816号 2009年3月 臨時増刊号 「特集 - 名古屋鉄道」、巻末折込「名古屋鉄道 配線略図」
- ^ a b 名鉄120年史編纂委員会事務局(編)『名鉄120年:近20年のあゆみ』名古屋鉄道、2014年、160-162頁。
- ^ a b 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、651-653頁。
- ^ 『愛知県統計書. 昭和24年』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和27年刊行』、愛知県、1952年、328頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和28年刊行』、愛知県、1953年、312頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和29年刊行』、愛知県、1954年、331頁
- ^ a b c d e f 新編岡崎市史編集委員会(編)『新編岡崎市史 11 史料現代』、岡崎市、1983年、725頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和30年刊行』、愛知県、1955年、307頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和31年刊行』、愛知県、1956年、305頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和32年刊行』、愛知県、1957年、321頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和33年刊行』、愛知県、1958年、337頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和34年刊行』、愛知県、1959年、381頁
- ^ a b 岡崎市市長公室企画課(編) 『岡崎市統計書 1979年版』、岡崎市、1979年、85頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 昭和55年刊』、愛知県、1980年、222頁
- ^ a b c 岡崎市市長公室企画課(編) 『岡崎市統計書 1982年版』、岡崎市、1982年、85頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 昭和56年刊』、愛知県、1981年、228頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 昭和57年刊』、愛知県、1982年、240頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 昭和58年刊』、愛知県、1983年、224頁
- ^ a b c d e 岡崎市企画調整部企画課(編) 『岡崎市統計書 昭和61年版』、岡崎市、1986年、85頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 昭和59年刊』、愛知県、1984年、224頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 昭和60年刊』、愛知県、1985年、242頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 昭和61年刊』、愛知県、1986年、236頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 昭和62年刊』、愛知県、1987年、224頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 昭和63年刊』、愛知県、1988年、224頁
- ^ a b c d e 岡崎市企画調整部企画課(編) 『岡崎市統計書 平成3年版』、岡崎市、1991年、79頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成元年刊』、愛知県、1989年、226頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成2年刊』、愛知県、1990年、224頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成3年刊』、愛知県、1991年、226頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成4年刊』、愛知県、1992年、230頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成5年刊』、愛知県、1993年、222頁
- ^ a b c d e 岡崎市企画部企画課(編) 『岡崎市統計書 平成8年版』、岡崎市、1996年、79頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成6年度刊』、愛知県、1995年、222頁
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成7年度刊』、愛知県、1996年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成8年度刊』、愛知県、1997年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成9年度刊』、愛知県、1998年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県企画部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成10年度刊』、愛知県、1999年、第10章 運輸・通信
- ^ a b c d e 岡崎市企画部企画課(編) 『岡崎市統計書 平成13年版』、岡崎市、2002年、85頁
- ^ 愛知県企画振興部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成11年度刊』、愛知県、2000年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県企画振興部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成12年度刊』、愛知県、2001年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県企画振興部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成13年度刊』、愛知県、2002年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県企画振興部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成14年度刊』、愛知県、2003年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県企画振興部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成15年度刊』、愛知県、2004年、第10章 運輸・通信
- ^ a b c d 岡崎市企画政策部企画課(編) 『岡崎市統計書 平成17年版』、岡崎市、2006年、89頁
- ^ 愛知県企画振興部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成16年度刊』、愛知県、2005年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県企画振興部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成17年度刊』、愛知県、2006年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県県民生活部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成18年度刊』、愛知県、2007年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県県民生活部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成19年度刊』、愛知県、2008年、第10章 運輸・通信
- ^ 岡崎市企画政策部企画課(編) 『岡崎市統計書 平成18年版』、岡崎市、2007年、運輸・通信-3頁
- ^ 愛知県県民生活部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成20年度刊』、愛知県、2009年、第10章 運輸・通信
- ^ a b c d e 岡崎市(編) 『岡崎市統計書 平成23年版』、岡崎市、2012年、111頁
- ^ 愛知県県民生活部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成21年度刊』、愛知県、2010年、第10章 運輸・通信
- ^ 愛知県県民生活部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成22年度刊』、愛知県、2011年、第10章 運輸・情報通信
- ^ 愛知県県民生活部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成23年度刊』、愛知県、2012年、第10章 運輸・情報通信
- ^ 愛知県県民生活部統計課(編)『愛知県統計年鑑 平成24年度刊』、愛知県、2013年、第10章 運輸・情報通信
- ^ a b c d e 岡崎市企画財政部企画課統計班(編) 『岡崎市統計書 2016年版』、岡崎市、2017年、99頁
- ^ a b c d e 岡崎市(編) 『岡崎市統計書 2021年版』、岡崎市、2022年、99頁
- ^ “令和元年度 移動等円滑化取組報告書(鉄道駅)” (PDF). 名古屋鉄道. 2020年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月1日閲覧。
- ^ “令和2年度 移動等円滑化取組報告書(鉄道駅)” (PDF). 名古屋鉄道. 2021年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月1日閲覧。
- ^ “令和3年度 移動等円滑化取組報告書(鉄道駅)” (PDF). 名古屋鉄道. 2022年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月1日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 藤川駅 - 名古屋鉄道