糀町 (米子市)
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糀町(こうじまち[1][2])は、鳥取県米子市の町名。郵便番号は683-0054[3]。1 - 2丁目がある。
地理
[編集]米子市の中央部、米子市街地の東部[1]。
歴史
[編集]江戸期は米子城下十八町の1町[1]、町人地[2]。もとは新町と呼ばれた[1]。1889年(明治22年)に米子町、1927年(昭和2年)から米子市に所属する[1]。
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区長
[編集]- 1889年中当選 九重谷喜一郎(第三区)、備本久六(第四区)[4]
- 1893年中当選 森文三郎(西糀区)、九重谷喜一郎(東糀区)[4]
- 1897年中当選 森久太郎(西糀区)[4]
- 1898年中当選 藤尾秀近(西糀区)[4]
- 1901年中当選 亀尾定右衛門、田村源太郎(東糀区)、小坂竹次郎(西糀区)[4]
- 1903年中当選 九重谷岩太郎(東糀区)[4]
- 1904年中当選 神庭政七(東糀区)、森久太郎(西糀区)[4]
- 1908年中当選 乙村乙次郎(西糀区)[4]
- 1909年中当選 小坂市太郎(西糀区)[4]
- 1911年中当選 藤田熊一郎(西糀区)[4]
- 1912年中当選 舟越芳太郎(東糀区)[4]
- 1917年中当選 増谷常次郎(東糀区)[4]
- 1921年中当選 藤田熊一郎(糀一区)、増谷常次郎(糀二区)[4]
- 1925年中当選 能登路文次郎(糀一区)[4]
経済
[編集]産業
[編集]かつて存在した商工業者は繰綿問屋並肥物油類卸商の大櫃、肥料商、清酒醸造の田村、和洋砂糖卸商の備本、足袋製造卸商の亀尾、油類鬢付蝋燭製造卸商の岡本[5]、金物・漆・絵具・銃砲火薬の九重谷、諸油鬢付蝋燭商製造卸の船越、肥料・古着商兼旅館の大櫃[6]、帽子洋傘紱製品外雑貨卸商の神庭、和洋金物材木建具硝子板漆商の森、諸油雑穀卸商の船越などがいた[7]。
- 店舗・企業
- ホテルルートイン 米子(2丁目)
世帯数・人口
[編集]世帯数・人口は1923年(大正12年)、326世帯・1414人(1丁目129世帯・599人、2丁目197世帯・815人)[1]。1955年(昭和30年)、443世帯・1819人(1丁目190世帯・784人、2丁目253世帯・1035人)[1]。
1965年(昭和40年)、450世帯・1567人(1丁目196世帯・668人、2丁目254世帯・899人)[1]。1975年(昭和50年)、340世帯・1003人(1丁目173世帯・465人、2丁目167世帯・538人)[1]。
2024年(令和6年)8月31日現在、1丁目は91世帯・160人、2丁目は110世帯・170人[8]。
交通
[編集]出身人物
[編集]- 亀尾英四郎(ドイツ文学者、東京高等学校教授)[9]
- 田村源太郎(肥料商、酒造業、米子町会議員)[10]
- 田村源太郎(肥料商、酒造業、鳥取県多額納税者)[11]
- 田村純一[11](久米桜酒造会長)
- 田村健治(久米桜酒造会長)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 第三区、西糀区、糀一区は糀町1丁目、第四区、東糀区、糀二区は糀町2丁目である。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』324、910頁。
- ^ a b “糀町とは”. コトバンク. 2024年10月4日閲覧。
- ^ “米子市の郵便番号一覧”. 日本郵便. 2024年10月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『米子自治史』51 - 60頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月24日閲覧。
- ^ 『日本全国商工人名録』1116、1117、1118頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月8日閲覧。
- ^ 『関西実業名鑑 明治41年』伯耆国米子町6、8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月8日閲覧。
- ^ 『国民日用便覧 明治44年刊』に58、64、71頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月8日閲覧。
- ^ “米子市町別人口世帯数統計表” (PDF). 米子市. 2024年10月4日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第12版 上』カ176頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月4日閲覧。
- ^ 『島根鳥取名士列伝 下』96 - 98頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月4日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第8版』タ70頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月4日閲覧。