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田村純一 (実業家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

田村 純一[1](たむら じゅんいち[1][2]1907年明治40年)9月4日[2] - 没年不明)は、日本政治家実業家。久米桜酒造会長。鳥取県公安委員会委員長[3]

経歴

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鳥取県米子市糀町出身[1]。父・田村源太郎、母・あさの長男[2]。家業は肥料商、酒造業[4]米子中学校を経て[1]1929年神戸高商を卒業、同年に田村源太郎商店に入り、酒造肥料商に従事する[2]1939年米子市会議員に当選、1943年に再選する[1][2]。米子市翼賛壮年団長をつとめる[1]

企業整備により家業を転廃業、米子境商業統制組合、米子市総合配給所の各専務理事に就任する[1]1947年公職追放を受け[5]、同年に久米桜酒造を創立し社長に就任[2]1952年、米子市教育委員に当選する[2]1963年、米子ロータリークラブ会長[2]

米子瓦斯監査役、米子信用金庫監事、米子酒造組合理事長、同県連合会長、県公安委員、調停委員、米子商工会議所常議員、博愛病院理事、米子酒販取締役などをつとめる[1]

人物

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趣味はテニス[1]囲碁ゴルフ写真[2]。宗教は日蓮宗[1][2]。住所は米子市糀町2丁目[1]

家族・親族

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田村家
親戚
  • 長男の妻の父・田中誠一(田中食品社長)[2]
  • 長女の夫の父・角田九郎(角田酒造社長)[2]
  • 二女の夫の父・久山淳一醤油製造業)[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『醸界の人と事業』164頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月5日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『人事興信録 第25版 下』た100頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月5日閲覧。
  3. ^ 昭和46年4月16日『鳥取県公報』(号外)第41号。
  4. ^ a b 『帝国信用録 第32版』鳥取県シ、ス、セ、タ之部6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月4日閲覧。
  5. ^ 『公職追放に関する覚書該当者名簿』644頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年9月18日閲覧。
  6. ^ a b c 『人事興信録 第8版』タ70頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月1日閲覧。
  7. ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』59頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月1日閲覧。
  8. ^ 田村源太郎Facebook

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
  • 帝国興信所編『帝国信用録 第32版』帝国興信所、1939年。
  • 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。
  • 『醸界の人と事業』醸界タイムス社、1967年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第25版 下』人事興信所、1969年。