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田村源太郎 (1881年生の醸造家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

田村 源太郎(たむら げんたろう、前名・治郎吉1881年明治14年)9月15日[1] - 没年不明)は、日本商人(肥料商)[2]、醸造家、実業家地主鳥取県多額納税[3][4][5]

経歴

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鳥取県米子市出身。田村源太郎の長男[3]。家業は肥料及び醸造業を営む[6]1926年家督を相続し、前名・治郎吉を改める[3]中国貯蓄銀行中国興業銀行、米子共立検番各取締役などをつとめる[3]

人物

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田村源太郎について、『商工資産信用録 第30回 大阪府ほか』には「職業・肥料、酒造、調査年月・1929年7月、正身身代・N、信用程度・B」とある[7]

『商工資産信用録 第33回 中国四国版』には「職業・肥料、酒造、醤油、調査年月・1932年5月)は「正身身代・P、信用程度・B」とある[8]

『商工資産信用録 第38回 昭和12年10月刊行』には「職業・肥料、酒造、醤油、調査年月・1937年7月、正身身代・Q、信用程度・B」とある[9]

『商工資産信用録 第43回』には「職業・肥料、醤油、調査年月・1942年7月、正身身代・Q、年扱高又は年収・Q、信用程度・Cc」とある[10]

貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する[1]。住所は米子市糀町2丁目[2]

家族・親族

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田村家
親戚

脚注

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  1. ^ a b 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』98頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月30日閲覧。
  2. ^ a b 『帝国信用録 第32版』鳥取県シ、ス、セ、タ之部6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月4日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第8版』タ70頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月30日閲覧。
  4. ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』59頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月30日閲覧。
  5. ^ 『日本紳士録 第31版』付録 全国多額納税者 鳥取県56頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月24日閲覧。
  6. ^ a b 『島根鳥取名士列伝 下』96 - 98頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月1日閲覧。
  7. ^ 『商工資産信用録 第30回 大阪府ほか』鳥取県た之部8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月7日閲覧。
  8. ^ 『商工資産信用録 第33回 中国四国版』鳥取県た之部10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年11月30日閲覧。
  9. ^ 『商工資産信用録 第38回 昭和12年10月刊行』鳥取県タ之部16頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月7日閲覧。
  10. ^ 『商工資産信用録 第43回』鳥取県タ之部12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月7日閲覧。
  11. ^ 『大日本紳士鑑』鳥取県会見郡776頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年7月16日閲覧。

参考文献

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  • 妹尾久造編『大日本紳士鑑』経済会、1895年。
  • 深田豊市編『島根鳥取名士列伝 下』博進館、1903 - 1906年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第31版』交詢社、1927年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 『商工資産信用録 第30回 大阪府ほか』商業興信所、1929年。
  • 『商工資産信用録 第33回 中国四国版』商業興信所、1932年。
  • 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』銀行信託通信社出版部、1932年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
  • 商業興信所編『商工資産信用録 第38回 昭和12年10月刊行』商業興信所、1937年。
  • 帝国興信所編『帝国信用録 第32版』帝国興信所、1939年。
  • 商業興信所編『商工資産信用録 第43回』商業興信所、1941 - 1943年。