田村健治
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たむら けんじ 田村 健治 | |
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生誕 |
1930年5月29日 日本 鳥取県米子市糀町 |
死没 |
2014年12月15日(84歳没) 日本 鳥取県米子市 |
出身校 | 東京大学法学部 |
職業 | 実業家 |
子供 | 田村源太郎(実業家) |
親 | 田村純一(父) |
田村 健治(たむら けんじ、1930年5月29日 - 2014年12月15日[1])は、日本の実業家。久米桜酒造会長を務めた。
父は元久米桜酒造会長の田村純一。
経歴
[編集]- 1955年(昭和30年)東京大学法学部卒業[2]。同年協和醗酵工業勤務[2]。
- 1966年(昭和41年) - 久米桜酒造勤務[2]。
- 1978年(昭和53年) - 同社社長に就任[2]。
- 1979年(昭和54年) - 米子商工会議所常議員[2]。
- 1981年(昭和56年)- 米子酒造組合理事[2]。
- 1983年(昭和58年)- 鳥取県経済同友会代表幹事[2]。
- 1986年(昭和61年)- 米子商工会議所副会頭[2]。
- 2014年(平成26年)12月15日 - 心筋梗塞のため、鳥取大学医学部附属病院で死去、84歳没[1]。
家族・親族
[編集]田村家
[編集]- (鳥取県米子市糀町)
- 六代目にあたる田村健治によれば、「創業は古いんですが、酒銘を米子城の別名”久米城“にちなんで久米桜にしたのは戦後の事業再開の時。そのまま社名にもなりました。ずっと糀町で酒造りをしていましたが、交通量の激増による環境悪化があまりにも酷く、本社を残し酒蔵を大山の麓に昭和60年に移したんです」という[3]。
- 明治43年(1910年)1月生[4]~
- 母の弟神庭達郎について『新日本人物大観』(鳥取県版)によると「神庭達郎(神庭商店主、化粧品・石鹸・文房具卸業[6])- 大正一一・四・二〇生[6]。昭和一七年山口高商卒[6]。昭和二〇年復員[6]、元陸軍主計中尉[6]、家業に従事今日に至る[6]」。
参考文献
[編集]- 『鳥取県人名録』(企画・編集 鳥取県人名録刊行委員会 旬刊政経レポート、1987年 334-335頁)