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道笑町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

道笑町(どうしょうまち[1][2])は、鳥取県米子市の町名。郵便番号は683-0064[3]。1 - 4丁目がある。

地理

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米子市の中央部、米子市街地の東部[1]

歴史

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江戸期米子城下十八町の1町[1]。町名の由来は、米子荒尾家医師・英道笑が居住していたことにちなむ[2]1889年明治22年)に米子町、1927年(昭和2年)から米子市に所属する[1]1945年(昭和20年)、米子鉄道郵便局設置[1]

経済

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産業

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かつて存在した商工業者は、醤油醸造の末次、類商並に質商の益尾、油類鬢付蝋燭製造卸商並金穀貸付業の益尾[4]、各種油生蝋商の益尾、陶器商の益尾、金物商並に度量衡製作業の松村、内外砂糖並に硫曹肥料の名島[5]などがいた。

店舗・企業

世帯数・人口

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明治初年の戸数・人口は、130戸・447人[1]1888年(明治21年)の戸数は農業25戸、商業70戸、雑業27戸[1]。世帯数・人口は1923年大正12年)、415世帯・1950人[1]1955年昭和30年)、715世帯・3010人[1]1965年(昭和40年)、838世帯、3019人[1]1975年(昭和50年)、732世帯・2345人[1]

2024年(令和6年)8月31日現在、1丁目は59世帯・104人、2丁目は121世帯・213人、3丁目は270世帯・575人、4丁目は255世帯・538人[7]

出身人物

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文化

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政治・経済

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軍人

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』579 - 580、871頁。
  2. ^ a b 道笑町とは”. コトバンク. 2024年10月3日閲覧。
  3. ^ 米子市の郵便番号一覧”. 日本郵便. 2024年10月3日閲覧。
  4. ^ 『日本全国商工人名録』1118頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月10日閲覧。
  5. ^ a b 『関西実業名鑑 明治41年』伯耆国米子町6、8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月7日閲覧。
  6. ^ 会社概要”. 有限会社益尾地所. 2024年10月7日閲覧。
  7. ^ 米子市町別人口世帯数統計表” (PDF). 米子市. 2024年10月3日閲覧。
  8. ^ 『米子商工案内 昭和9年版』65頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月5日閲覧。
  9. ^ 『日本紳士録 第31版』付録 全国多額納税者 鳥取県55頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月3日閲覧。
  10. ^ 『人事興信録 第6版』ま92頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月3日閲覧。
  11. ^ 『人事興信録 第13版 下』マ42頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月3日閲覧。
  12. ^ a b 『大衆人事録 昭和15年改訂13版』863頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月3日閲覧。

参考文献

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  • 白崎五郎七編『日本全国商工人名録』日本商工人名録発行所、1892年。
  • 橋本治策編『関西実業名鑑 明治41年』関西実業名鑑編纂所、1908年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第31版』交詢社、1927年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 『米子商工案内 昭和9年版』米子商工会議所、1934年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 昭和15年改訂13版』帝国秘密探偵社ほか、1940年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 角川日本地名大辞典 31 鳥取県』角川書店、1982年。