道笑町
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道笑町(どうしょうまち[1][2])は、鳥取県米子市の町名。郵便番号は683-0064[3]。1 - 4丁目がある。
地理
[編集]米子市の中央部、米子市街地の東部[1]。
歴史
[編集]江戸期は米子城下十八町の1町[1]。町名の由来は、米子荒尾家の医師・英道笑が居住していたことにちなむ[2]。1889年(明治22年)に米子町、1927年(昭和2年)から米子市に所属する[1]。1945年(昭和20年)、米子鉄道郵便局設置[1]。
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経済
[編集]産業
[編集]かつて存在した商工業者は、醤油醸造の末次、酒類商並に質商の益尾、油類鬢付蝋燭製造卸商並金穀貸付業の益尾[4]、各種油生蝋商の益尾、陶器商の益尾、金物商並に度量衡製作業の松村、内外砂糖並に硫曹肥料の名島[5]などがいた。
- 店舗・企業
- 益尾地所(1丁目、不動産の賃貸管理、受託管理、売買、仲介〈宅地建物取引業〉、損害保険代理業)[6]
- ティーエイシー 米子支社(2丁目)
- 米子道笑町三郵便局(3丁目、日本郵政)
- シューズ愛ランド 米子道笑町店(4丁目)
世帯数・人口
[編集]明治初年の戸数・人口は、130戸・447人[1]。1888年(明治21年)の戸数は農業25戸、商業70戸、雑業27戸[1]。世帯数・人口は1923年(大正12年)、415世帯・1950人[1]。1955年(昭和30年)、715世帯・3010人[1]。1965年(昭和40年)、838世帯、3019人[1]。1975年(昭和50年)、732世帯・2345人[1]。
2024年(令和6年)8月31日現在、1丁目は59世帯・104人、2丁目は121世帯・213人、3丁目は270世帯・575人、4丁目は255世帯・538人[7]。
出身人物
[編集]文化
[編集]政治・経済
[編集]- 河合弘道(米子市長、金光教米子教会長)
- 益尾吉太郎(唐櫛屋本店、各種油生蝋商[5]、唐櫛屋、益尾製油所、鳥取県多額納税者[9]、大地主、米子銀行取締役[10])
- 益尾直蔵(油類鬢付蝋燭製造卸商並金穀貸付業、大地主)
- 益尾美太郎(酒造業、鳥取県多額納税者)[11]
- 益尾兵衛(酒造業)
- 三好英之(衆議院議員[12]、参議院議員、国務大臣北海道開発庁長官、米子市名誉市民)
- 三好基之(西友ストア社長) - 三好英之の長男[12]。
軍人
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』579 - 580、871頁。
- ^ a b “道笑町とは”. コトバンク. 2024年10月3日閲覧。
- ^ “米子市の郵便番号一覧”. 日本郵便. 2024年10月3日閲覧。
- ^ 『日本全国商工人名録』1118頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月10日閲覧。
- ^ a b 『関西実業名鑑 明治41年』伯耆国米子町6、8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月7日閲覧。
- ^ “会社概要”. 有限会社益尾地所. 2024年10月7日閲覧。
- ^ “米子市町別人口世帯数統計表” (PDF). 米子市. 2024年10月3日閲覧。
- ^ 『米子商工案内 昭和9年版』65頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月5日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第31版』付録 全国多額納税者 鳥取県55頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月3日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第6版』ま92頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月3日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第13版 下』マ42頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月3日閲覧。
- ^ a b 『大衆人事録 昭和15年改訂13版』863頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月3日閲覧。