開盛駅
開盛駅 | |
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かいせい Kaisei | |
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所在地 | 北海道紋別郡上湧別町開盛 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 名寄本線 |
キロ程 | 133.6 km(名寄起点) |
電報略号 | カセ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1915年(大正4年)11月1日[1] |
廃止年月日 | 1989年(平成元年)5月1日[1] |
備考 | 名寄本線廃線に伴い廃駅 |
開盛駅(かいせいえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡上湧別町字開盛(現・湧別町開盛)にかつて設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲122127[3]。
歴史
[編集]- 1915年(大正4年)11月1日 - 鉄道院湧別軽便線の下生田原駅(→安国駅) - 当駅間延伸開通に伴い、社名淵駅(しゃなぶちえき)として開業[1][4]。一般駅[1]。
- 1916年(大正6年)
- 1922年(大正11年)9月2日 - 路線名が湧別線に改称され、同線の駅となる。
- 1932年(昭和7年)10月1日 - 遠軽駅 - 下湧別駅間が名寄本線に編入され、同線の駅となる。
- 1934年(昭和9年)2月5日 - 開盛駅と改称[5][4]。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 日本国有鉄道に移管。
- 1961年(昭和36年)7月25日 - 貨物取扱い廃止[1]。
- 1978年(昭和53年)12月1日 - 荷物取扱い廃止[1][6]。同時に出札・改札業務を停止し、旅客業務について無人化[7]。但し、閉塞扱いの運転要員は継続配置。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 交換設備廃止、同時に完全無人化。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR北海道に継承[1]。
- 1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]。
駅名の由来
[編集]「開盛」は所在地の集落からとったものである[4][8]。地名は集落北の湧別川に架橋された「開盛橋」の名に由来する[4][8][9]。
旧駅名の「社名淵(しゃなぶち[4]、地名としては「しゃなふち」、「さなぶち」とも[10])」は現在の開成地区の南方、遠軽町と湧別町の町境付近を流れる湧別川の支流、現在のサナブチ川(「社名淵川」とも)に由来する地名で、上流部の遠軽町側では現在も地名として用いられている[11][10]。
アイヌ語由来であるが諸説あり、一説には「サンナイプトゥ(san-nay-putu)」(下る・川・口)[4][9][12][13][10]から、とされている。これは、現在のサナブチ川がかつては「サンナイ」と呼ばれ、現在の開盛地区にある川口をそのように呼んだのではないか、という解釈によるものである[10]。
このほかは「サナプトゥ(sa-na-putu)」(浜・の方の・その口)に由来するとした説もある[13][11]。
なお、改名の経緯について『駅名の起源』(1939年版)では「各種の事情に依り[8]」としている。
駅構造
[編集]廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは、線路の東側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した。
国鉄時代末期に完全無人化されるまでは、単式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった[14]。単式1面1線を千鳥式に配置し、駅舎側から下り2番線ホーム・線路・上り1番線ホーム・線路の順の配線となっていた[14]。互いのホームは、駅舎側ホーム南側と外側ホーム北側を結んだ構内踏切で連絡していた[14]。そのほか、1番線の名寄方から分岐し遠軽方へ戻る形の行き止まりの側線を1線有していた[14]。ホーム前後の線路は転轍機の名残で湾曲していた[14]。
無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の東側に位置し、ホームに接していた[14]。
利用状況
[編集]乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
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年間 | 1日平均 | |||
1978年(昭和53年) | 69 | [15] |
周辺
[編集]駅跡
[編集]駅構内跡は遠軽方が開盛市街地再整備で宅地や町道となり、紋別方は空き地となって防雪林が残されている。2009年の開盛地区開基100年を前に2006年11月、開盛自治会が黒御影石製の「名寄本線開盛駅跡之碑」を建立した[17]。
遠軽方には長らく国道242号の開盛跨線橋が残り、路盤跡を転用した市街地内の町道と立体交差していたが、北海道開発局が2012年5月から10月にかけて国道の開盛跨線橋切り下げ工事を実施したため撤去された[18]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、912-913頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 1948年撮影航空写真(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス)
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、242頁。doi:10.11501/1873236 。2023年3月21日閲覧。
- ^ a b c d e f 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、198頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ 『官報』 1934年01月19日 鉄道省告示第8号(国立国会図書館)
- ^ 「日本国有鉄道公示第157号」『官報』1978年11月28日。
- ^ 「通報 ●名寄本線中名寄駅ほか11駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1978年11月28日、4面。
- ^ a b c 札幌鉄道局 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、92頁。NDLJP:1029473。
- ^ a b 書籍『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』(監修:太田幸夫、富士コンテム、2004年2月発行)188ページより。
- ^ a b c d 山田秀三 (2018-11-30). 北海道の地名. アイヌ語地名の研究 別巻 (2 ed.). 浦安市: 草風館. p. 185. ISBN 978-4-88323-114-0
- ^ a b “アイヌ語地名リスト シベ~セツ P61-70P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2019年3月31日閲覧。
- ^ “アイヌ語地名リスト シベ~セツ P61-70P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2019年3月31日閲覧。
- ^ a b 本多 貢 (1995-01-25). 児玉 芳明. ed (日本語). 北海道地名漢字解. 札幌市: 北海道新聞社. p. 50. ISBN 4893637606. OCLC 40491505
- ^ a b c d e f 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)212ページより。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、907頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ a b 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)18ページより。
- ^ 「鉄路の思い出後世に 開盛駅跡地に碑建立 上湧別」北海道新聞朝刊北見版、2006年11月30日付
- ^ 「かわらばんNo.64」湧別町、2012年5月24日付