コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

百田力

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
力の画像
プロフィール
リングネーム
"バブリー"力
ダースバラモン
本名 百田 力
ニックネーム 力道山三世
身長 180 cm
体重 90 kg
誕生日 (1981-10-24) 1981年10月24日(43歳)
出身地 東京都
所属 フリー
スポーツ歴 レスリング
トレーナー 百田光雄
折原昌夫
デビュー 2013年12月16日
テンプレートを表示

(ちから、1981年10月24日 - )は、日本プロレスラー。本名:百田 力(ももた ちから)。

実父はプロレスラーの百田光雄、祖父は力道山

経歴

[編集]

土浦日本大学高等学校時代にレスリング部に所属。日本大学法学部卒業後、2004年プロレスリング・ノアの練習生になるもデビューに至らなかった。

その後、スポーツインストラクターに転職するも再びプロレスラーとなるべく2013年2月に天龍プロジェクトに入団して練習生となった[1]。父の百田光雄折原昌夫より指導を受けて12月16日、「力道山没50年追悼記念興行」にて「」のリングネームでプロレスデビューを果たした。父の光雄と組み折原とNOSAWA論外のタッグと対戦。光雄が論外を沈め勝利した[2][3]

第2戦は、2014年1月4日のスターダム郡山ビッグパレットふくしま大会「東日本大震災復興支援チャリティーイベントFUKUSHIMA DREAM Vol.2〜New Year's STARDOM Festival&食・美味フェスタ」。父・光雄とのタッグでがばいじいちゃん&HIROKI組と対戦。光雄がじいちゃんを下して勝利[4]

第3戦は、2014年1月13日のジ・ウィンガー自主興行「ルチャ・ウィンガー・リブレ」で、折原昌夫と組み高岩竜一&HIROKIと対戦[5]

第4戦は、2014年3月に折原昌夫が主催するメビウス。初のシングルとしてHIROKIとのシングルで対戦するも敗北。

その後は、リアルジャパンプロレス東京愚連隊自主興行にも参戦。間下隼人&ウルティモ・ドラゴン&グラン浜田 vs 力&折原昌夫&百田光雄の試合が組まれた。愚連隊興行では父・光雄と組み、高木三四郎今成夢人のタッグと対戦[6]

2015年後半よりプロレスリングFREEDOMSに定期参戦。バラモン兄弟と結託してリングネームをFREEDOMS限定でダースバラモンに改める。その後リングネームを力に戻し以降も参戦継続。2016年にはFREEDOMSにて『試練の七番勝負』が行われ、

番外戦と合わせた9戦で第2・5戦のリングアウトと最終戦で3勝をあげた。

2018年10月21日、全日本プロレス横浜文化体育館大会にて、TAJIRIが保持するGAORA TV チャンピオンシップに挑戦するも敗戦。

12月9日、西新宿ミノシマビルで行われたサブロクコンバットにて、ミスモンゴル&モンゴルピエロ組、佐野直唯我組をそれぞれ撃破、世界最強ミクスドタッグで優勝した(パートナーは桐原季子)。

2019年2月、全日本プロレスのリーグ戦「Jr. BATTLE OF GLORY」に初出場。2勝3敗に終わり優勝戦進出を逃すも、ブラック・タイガーⅦ佐藤光留から殊勲の勝利を挙げた[8]

12月27日、かつて練習生として入団するもデビューを果たせなかったプロレスリング・ノアに15年越しの初参戦。この日は杉浦軍興行であり、杉浦貴からの参戦オファーにより参戦が実現した。第一試合で拳王とシングルマッチを行ったが、拳王のP.F.Sの前に敗れた[9]

2020年、P.P.P. TOKYOで自身の「代理」と称する“バブリー”力がデビュー[10]

DDTプロレスリングが毎年開催しているJR大森駅前東口駅前広場のお祭りプロレス「UTANフェスタ」に毎年参戦しこの日のみに行われている世界大森級王座も獲得している。

得意技

[編集]
アンリミテッド・パワー
セーバー・チョップ
トップロープからジャンプして放つダイビング式の袈裟斬りチョップ。技名はスター・ウォーズに登場する武器「ライトセーバー」が由来。
バックドロップ

タイトル歴

[編集]

メディア出演

[編集]

脚注

[編集]

外部リンク

[編集]