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ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座
詳細
管理団体 日本プロレス
全日本プロレス
創立 1970年10月
廃止 1989年4月18日
統計
最多保持者 ジャンボ鶴田
(6回)
初代王者 デール・ルイス
(1970年10月)
最長保持者 ジャンボ鶴田
(1067日)

ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座(ユナイテッド・ナショナル・ヘビーきゅうおうざ)は、全日本プロレスが管理、PWFが認定している王座。UNヘビー級王座(ユー・エヌ・ヘビーきゅうおうざ)の略称で表記、呼称されている。NWAの認可だったこともあり、日本国外ではNWAユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座NWA United National Heavyweight Title)とも呼称されている[1]。現在は三冠ヘビー級王座を構成しているチャンピオンベルトの1つである。

ベルト自体は吉永プリンス作成で、日本製のベルトである。

歴史

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日本プロレスNETでのテレビ中継を開始するに伴い、それまで単独で放送していた日本テレビに配慮し、フラッグシップタイトルであるインターナショナル・ヘビー級王座のタイトルマッチは日本テレビのみでの放送となったため、NETでの看板となる王座を作るため、NWAハリウッド・レスリングのプロモーターだったマイク・ラベールに働きかけ、アメリカカナダメキシコの3国で通用するNWAの国際タイトルとして、1970年10月に新設された。初代王者のデール・ルイスからアントニオ猪木に奪取されたジョン・トロスまでの変遷については、プロレス雑誌でも諸説がある。

1971年3月26日、ロサンゼルスオリンピック・オーディトリアムにおいて、猪木がトロスを破って王座を獲得後、日本に定着する。猪木はUN王座を獲得したことで、インターナショナル・ヘビー級王者であったジャイアント馬場に対抗するはずであったが[2]、猪木が日本プロレスを除名されるとともにベルトはNWA本部へ返還された。その後、坂口征二が王者となり延べ1年にわたり保持し、その坂口が日本プロレス離脱後には高千穂明久が王者となった[3]が、間もなく日本プロレスが崩壊し、王座は休眠状態になった。

1976年全日本プロレスの要請で王座が復活し[4][5]、以降は同団体に定着する。ジャンボ鶴田が王者になったが、タイトルの格はPWFヘビー級王座より下とされていた。その鶴田も5度目の王獲得後、インター王座の獲得に専念するために王座を返上してしまい、全日本におけるタイトルの格は3番目ということになってしまった。その後、天龍源一郎が長きにわたってベルトを保持し、天龍の代名詞といわれるまでになった。

1989年4月18日に鶴田が本王座、PWF王座、インター王座の三冠を統一してからは、三冠ヘビー級王座のベルトの一本として定着する。

プロレスリングZERO1にてNWA UNヘビー級王座という同名の王座が存在しているが、こちらの王座は継承や復活ではなく、新たに認定された王座で関連性はまったくない[6]

歴代王者

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歴代 選手 戴冠回数 防衛回数 獲得日付 獲得場所
(対戦相手・その他)
初代 デール・ルイス 1 不明 1970年10月 NWAが王者に認定
第2代 パンテラ・ネグラ 1 不明 1970年10月23日 カリフォルニア州ロサンゼルス
第3代 ジョン・トロス 1 不明 1970年11月20日 カリフォルニア州ロサンゼルス
第4代 レイ・メンドーサ 1 不明 1970年12月4日 カリフォルニア州ロサンゼルス
第5代 ジョン・トロス 2 不明 1971年2月16日 カリフォルニア州ロサンゼルス
前王者が防衛戦を行わなかったため認定
第6代 アントニオ猪木 1 4 1971年3月26日 カリフォルニア州ロサンゼルス
日本プロレスを除名のため返上
第7代 キング・クロー 1 0 1972年1月 ブリティッシュコロンビア州バンクーバー
王座決定トーナメントで獲得
セーラー・トーマス
第8代 坂口征二 1 3 1972年2月11日 カリフォルニア州ロサンゼルス
第9代 ザ・シーク 1 0 1972年9月6日 田園コロシアム
第10代 坂口征二 2 4 1972年9月7日 大阪府立体育館
第11代 ジョニー・バレンタイン 1 0 1973年3月2日 横浜文化体育館
第12代 高千穂明久 1 4 1973年3月8日 佐野市民会館
日本プロレスが崩壊のため返上
第13代 ジャンボ鶴田 1 2 1976年8月28日 日本大学講堂
王座決定戦で獲得
ジャック・ブリスコ
第14代 ビル・ロビンソン 1 1 1977年3月5日 秋田市立体育館
第15代 ジャンボ鶴田 2 12 1977年3月23日 フロリダ州マイアミ
第16代 ディック・マードック 1 1 1980年2月23日 鹿児島県立体育館
第17代 ジャンボ鶴田 3 2 1980年3月5日 黒磯市公会堂
第18代 アブドーラ・ザ・ブッチャー 1 3 1980年10月13日 愛知県体育館
第19代 ジャンボ鶴田 4 13 1981年1月22日 韮崎市体育館
第20代 ハーリー・レイス 1 0 1982年8月1日 後楽園ホール
第21代 ジャンボ鶴田 5 6 1982年10月24日 北海道立北見体育センター
インターナショナル・ヘビー級王座の防衛戦に専念するため返上
第22代 テッド・デビアス 1 6 1983年10月14日 佐世保市体育文化館
王座決定戦で獲得
天龍源一郎
第23代 マイケル・ヘイズ 1 0 1984年1月28日 ジョージア州アセンズ
第24代 デビッド・フォン・エリック 1 0 1984年2月3日 テキサス州ダラス
死去のため空位
第25代 天龍源一郎 1 10 1984年2月23日 蔵前国技館
王座決定戦で獲得
リッキー・スティムボート
返上
第26代 天龍源一郎 2 10 1986年4月26日 大宮スケートセンター
テッド・デビアス
PWFヘビー級王座との二冠王者
第27代 スタン・ハンセン 1 3 1988年7月27日 長野市民体育館
PWFヘビー級王座との二冠王者
第28代 ジャンボ鶴田 6 0 1989年4月18日 大田区体育館
PWFヘビー級王座インターナショナル・ヘビー級王座との王座統一戦が行われて三冠ヘビー級王座となる

主な記録

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  • 最多戴冠記録:6回
    ジャンボ鶴田(第13・15・17・19・21・28代)
  • 最多連続防衛:13回
    ジャンボ鶴田
  • 最多通算防衛:35回
    ジャンボ鶴田

脚注

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  1. ^ NWA United National Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2022年10月5日閲覧。
  2. ^ 猪木は馬場への挑戦時に、「インター王者とUN王者はどちらが強いのかファンの前に明確にすべき」との論法を用いている。
  3. ^ 高千穂が王座を奪取した試合は、日本プロレスという団体自体の、テレビ中継最後の試合でもあった。
  4. ^ 復活当初は「NWAが認定し、日本プロレスが管理」するタイトルという位置付けだった。1976年8月28日に行われた復活王座決定戦では、日本プロレス(会社組織としては、まだ存在していた)の代表であった芳の里淳三がタイトルマッチ宣言を行い、その旨にも言及している。その後、王座は「NWAが認可し、PWFが認定する」形態に移行。
  5. ^ 休眠前に王座を保持していた高千穂に対しても、馬場から直々に王座を譲るよう打診があり、高千穂も受諾した(辰巳出版『"東洋の神秘"ザ・グレート・カブキ自伝』2014年10月29日 p105 ISBN 9784777813933)。
  6. ^ 当初はNWA本部が認定していたが、現在はニュー・レスリング・アライアンスという別組織が認定する王座となっている。

外部リンク

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関連項目

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