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甲木保

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
甲木保
かつき たもつ
生年月日 1902年11月1日
出生地 日本の旗 日本 福岡県三潴郡蒲池村
(現柳川市
没年月日 (1975-11-30) 1975年11月30日(73歳没)
出身校 日本大学専門部法律科卒業
前職 三笠製薬社長
三笠物産社長
所属政党民主自由党→)
自由党
称号 従五位
勲四等旭日小綬章

選挙区 旧福岡3区
当選回数 1回
在任期間 1949年1月23日 - 1952年8月28日
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甲木 保(かつき たもつ、1902年明治35年)11月1日[1] - 1975年昭和50年)11月30日[2])は、昭和期の文部官僚実業家政治家衆議院議員(1期)。

経歴

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福岡県[2]三潴郡蒲池村[3](現柳川市)で、甲木鹿松の二男として生まれる[3]。福岡県立中学伝習館(現福岡県立伝習館高等学校)を経て、1926年(大正15年)日本大学専門部法律科を卒業した[2][3]

文部省に入省し[3]、同省嘱託、文部属兼厚生属、文部理事官などを歴任[2]。1942年(昭和17年)大政翼賛会に転じ、錬成部副部長に就任[3]。1944年(昭和19年)翼賛会を退職し、三笠製薬研究所を設立[3]。戦後に株式会社に改組し三笠製薬社長に就任[2][3]。三笠物産社長も務めた[2]

1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙福岡県第3区から民主自由党所属で出馬して当選し[3][4]、衆議院議員に1期在任した[2][3]。この間、民主自由党組織部副部長などを務めた[2]。1952年(昭和27年)10月の第25回総選挙(福岡県第3区、 自由党)に立候補したが落選した[5]

その後、三和産業を設立して経営を行った[3]

1975年(昭和50年)11月30日死去、73歳。死没日をもって勲四等旭日小綬章追贈、従七位から従五位に叙される[6]

脚注

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  1. ^ 衆議院『衆議院議員名簿.第5回国会』〈衆議院公報附録〉、1949年、29頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』165頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『ふるさと人物記』334頁。
  4. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』350頁。
  5. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』351頁。
  6. ^ 『官報』第14687号19-20頁 昭和50年12月17日号

参考文献

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  • ふるさと人物記刊行会編『ふるさと人物記』夕刊フクニチ新聞社、1956年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。