古賀喜太郎
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古賀 喜太郎(こが きたろう、1890年(明治23年)7月29日[1] - 1957年(昭和32年)1月8日[2])は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]福岡県[2]三池郡大牟田町(現大牟田市有明町[1][3])で、古賀健蔵[注釈 1]の息子として生まれる[4]。1909年(明治42年[注釈 2])久留米市立商業学校(現久留米市立久留米商業高等学校)を卒業した[2]。
1919年(大正8年)12月、円仏古賀商店取締役に就任[1]。1932年(昭和7年)大牟田商工会議所議員、1934年(昭和9年)同副会頭に就任した[1]。その他、大牟田信用組合(現大牟田柳川信用金庫)監事、福岡県陸上小運搬業組合大牟田支部長、旭セメント取締役、三池製氷取締役などを務めた[2]。
1921年(大正10年)大牟田市会議員に選出され[1]、同副議長、大牟田市所得調査委員などを務め、福岡県会議員にも在任した[2][4]。1945年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙に福岡県第1区から日本進歩党公認で出馬して当選[5]。1947年(昭和22年)4月、第23回総選挙に福岡県第3区から民主党公認で出馬して再選され[6]、その後民主自由党に所属して衆議院議員に連続2期在任した[2][3]。この間、民主党総務委員[2]、民主自由党会計監督[4]、同福岡県支部幹事長[4]などを務めた。その後、1949年(昭和21年)1月の第24回総選挙に立候補したが落選した[7]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第22回』衆議院事務局、1950年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年。
- 吉岡栄『自治産業教化理想郷』帝国連合通信社、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。
- ふるさと人物記刊行会編『ふるさと人物記』夕刊フクニチ新聞社、1956年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。