「カレン民族同盟」の版間の差分
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* [http://www.irrawaddy.org/database/2003/vol11.8/interview.html#tujai Determined Resistance: An Interview with Gen. Bo Mya] ''The Irrawaddy'', October 2003, Retrieved on 2006-11-30 |
* [http://www.irrawaddy.org/database/2003/vol11.8/interview.html#tujai Determined Resistance: An Interview with Gen. Bo Mya] ''The Irrawaddy'', October 2003, Retrieved on 2006-11-30 |
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* [http://www.ekokoro.jp/world/webgallery/myanmar01/index.html 内戦56年、生活基盤を失うカレン民族] |
* [http://www.ekokoro.jp/world/webgallery/myanmar01/index.html 内戦56年、生活基盤を失うカレン民族] |
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2024年4月11日 (木) 01:09時点における版
カレン民族同盟 ကညီ ဒီကလုာ် စၢဖှိၣ်ကရၢ Karen National Union | |
---|---|
同団体のエンブレム | |
略称 | KNU |
議長 | P'doh Saw Kwe Htoo Win |
書記長 |
Padoh Saw Thadaw Moo(総書記) P'doh Saw Thaw Thi Bweh(第一共同書記) Padoh Saw Hla Tun(第二共同書記) |
報道官 | Padoh Saw Taw Nee |
副議長 | P'doh Saw Hser Gay |
スローガン | 自由を、さもなくば死を[1] |
党歌 | "Dear Our People" |
創立 | 1947年2月5日 |
本部所在地 |
Lay Wah Law Khee Lar マナプロウ(1995年に喪失) |
軍事部門 | カレン民族解放軍、カレン民族防衛機構 |
政治的思想 | |
宗教 |
キリスト教 仏教 |
国内連携 | 国民統一顧問評議会 |
党旗 | |
公式サイト | |
www | |
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カレン民族同盟(カレンみんぞくどうめい、英語: Karen National Union、ビルマ語: ကရင် အမျိုးသား အစည်းအရုံး、スゴー・カレン語: ကညီ ဒီကလုာ် စၢဖှိၣ်ကရၢ 、略称:KNU)は、カレン族を中心とするミャンマー(ビルマ)の政治組織。独自の統治機構により、カレン州の一部などを支配している。カレン民族解放軍などの大規模な軍事部門を保有し、1949年以降中央政府に対する戦いを続けてきた。現在では独立の目標を取り下げ、同民族の自治を求めている。
1990年代以降は弱体化し、2015年には停戦協定に署名した。しかし、2021年ミャンマークーデター発生後軍事部門の大半はミャンマー軍との戦闘を再開し、同団体は支配地域を大きく広げた。ただし、指導層の一部はいまだに軍との停戦の可能性を探っている。
概要
ミャンマーの反政府武装組織としては最大の規模を誇り、ミャンマーとタイ国境地域に解放区・コートレイ(Kawthoolei)を持つ。1948年のミャンマー独立以降、ミャンマー(ビルマ)連邦政府と軍事衝突を含む敵対関係を続け、その過程で軍事部門としてカレン民族解放軍(KNLA)を結成している。
KNUは1976年から2000年までボー・ミャ議長が最高指導者として君臨していた。KNUの主な活動資金源は、ミャンマーとタイの国境地帯で闇市場での密貿易を管理することによって得ていた。1988年軍事政権に対する反政府暴動後、ミャンマー軍事政権は中国に接近し援助を得たことで軍事力を強化した。これに先立つ1992年から軍事政権は少数民族武装勢力へ停戦か戦闘継続かを選択させ、多くの少数民族と停戦に合意していった。
1994年に連邦軍の攻勢により、KNUの勢力圏は縮小した。また、KNLAの一部の仏教徒兵士は、民主カレン仏教徒軍(DKBA)を称し、軍事政権側へ離反した。
連邦軍の攻勢後もKNUとKNLAはゲリラ部隊を作り連邦軍との間で武装闘争を継続するとともに、ミャンマー・タイ国境地帯に根拠地を設営し一定の支配領域を確保した。現在、タイ国内の難民キャンプには内戦を逃れた約12万人のカレン民族が生活している。
軍事政権(国家平和発展評議会)との間で和平交渉を継続していたが、2012年1月12日に停戦合意に至った。これは米国などが経済制裁解除のための条件として民主化などとともに少数民族との停戦を挙げており、テイン・セインのもとで軍事政権が方針を転換したことによる。[2]
ビルマ連邦国民評議会に参加していた。
2021年ミャンマークーデターの発生により設立された軍主導の国家行政評議会には抵抗する姿勢を示し、同年中にタイ国境線沿いでミャンマー政府軍との戦闘状態となった[3]。
脚注
- ^ “The Politics of Pressure: KNLA”. www.ibiblio.org. 27 October 2019時点のオリジナルよりアーカイブ。27 January 2018閲覧。
- ^ MSN産経「カレン民族同盟と停戦合意 ミャンマー政府」、2012年1月12日配信、同年2月22日閲覧
- ^ “ミャンマー軍と少数民族の戦闘激化、数千人がタイに避難へ”. ロイター (2021年4月30日). 2021年5月1日閲覧。
関連項目
参考文献
外部リンク
- Revolution Reviewed: The Karens' Struggle for Right to Self-determination and Hope for the Future Saw Kapi, February 26 2006, Retrieved on 2006-11-30
- Fifty Years of Struggle: A Review of the Fight for the Karen People's Autonomy (abridged) Ba Saw Khin, 1998 (revised 2005), Retrieved on 2006-11-30
- Determined Resistance: An Interview with Gen. Bo Mya The Irrawaddy, October 2003, Retrieved on 2006-11-30
- 内戦56年、生活基盤を失うカレン民族